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ブハリ日記(ブハリとは末の嫁)の意味

2009/7/6(月)
家建築274日目 壁 木

 朝激しい雨。壁の職人が来ない。テクダルに電話すると「雨で遅れたが12時から働く」と言う。その通りに彼らは12時に来た。木の人は9時から来ている。彼らが来るのを待って出掛ける。
まずテルサパッティへ依頼している正面玄関のドアの進み具合を見がてら、3階につけようかと考えている飾り窓も見に行く。彫刻ドアの職人は何度かお金を前払いしているので、仕事をしないまま逃げていないか、と半ば心配してきてみたが、一応人が働いていた。助手みたいな若者が3人くらいで木に彫刻していた。詳しく聞かなかったが、この品物は日本に送るものだと言っていた。職人はその店の向かいの場所で私たちのドアの作業をしていた。前回会ったとき「後3週間でできる」と言っていたが、見るとまだバックの花模様くらいしか進んでいない。「手を切ったからだ」とか言い訳していた。まぁ、出来上がっていることは期待していなかったし、他の仕事も遅れているので、そこはつっこまず、飾り窓はいくらか聞いてみた。1つは7000ルピー、もう1つは9000ルピー。他の店でも聞いてみたが1万〜3万いくらで、やはりこの職人が一番安かった。
 
 スリジャナチョークで、ドアの取っ手(コブジャ)を見る。ブッダの絵などがついている金メッキの真鍮は800ルピーくらい、シンプルな鉄は130ルピー、ステンレスは400いくらだった。これにちょうつがいなどは別売り。けっこう高い。
 向かいにあったトイレ・バスの店でタイル、トイレなどを見る。sinpoとかいうブランドでhindwearよりかなり安かった。洗面台2200ルピー、ちょっとおしゃれなデザインは4000〜5000ルピー、タイルは木目調46ルピー、ピンクの石のようなもの50ルピー、白いつるつるした安いものが35ルピーだった。
 16時少し過ぎに現場に戻る。3階の壁は3つの窓の枠が設置されて、その周りの作業が進んでいた。その後テクダルが来て、いろいろ話をしながら19時まで作業が続いた。
2009/7/5 (日)
家建築273日目 壁 木

 朝8時頃壁の職人がやって来た。2人ともモンゴル系の顔立ちで、1人は長髪で今風?、もう2人はTOKIOのリーダーみたいな顔をしている。もう1人彼らより年長でインド・アーリア系の顔をした男性が助手的な仕事をしている。昨日砂をガンガン運んであるので、今日はそれを使って壁を進めていく。クリシュナが朝セメントをオーダーすると珍しくすぐに来た。正面側のレンガやアルミの窓の周りの壁をやった。
 木の人はまじめに黙々とかんなをかけている。
 水道は今日も来ない。
2009/7/5 (Sun)
家建築272日目 木 壁

朝8時頃働く人たちがやって来た。女性3人、男性2人の物を運ぶ人たちで職人は来ていない。テクダルに電話すると「今日は土曜日でセメントが買えないので、砂などの物を一気に3階まで運んでおき、明日、壁の作業をする」とのことだった。職人たちの指示によるらしい。そういうことなら理解できる。
 木の職人もいつもどおり9時に来た。
 水道は来ると言ったのにまた来なかった。午後になって電話すると「他の仕事があるので明日行く」と言う。まったくこの人たちがストレスのもとだ。
 
 夕飯の買い物に行った。インド人のやっている小さな店でトマトを買った。品物を持って、クリシュナがついお金を払うのを忘れて店を出ようとすると、赤ん坊を抱えていた女性がものすごい形相でクリシュナを睨み「カネッ!」と言った。赤ん坊を抱えたまま、ずっと睨み続けていた。最近ちょっとインド人不信だ。
2009/7/3 (金)
家建築271日目 窓の鉄格子

 朝8時壁の職人さんがやって来た。今日は昨日までいた女性2人ではなく、1人の男性が物を運んだりセメントを混ぜる仕事をしていた。アルミの窓の位置を相談しながら仕事を進めた。午前中は2人の職人がいたが、午後は長髪のグルン民族らしい男性が1人で正面側のレンガを積むまでやった。5時に仕事が終わった。
 木の職人さんは9時頃来た。昨日水道の職人の甥っ子たちと木に火をつけて遊んでいたことを、彼の雇い主に電話で話したことをクリシュナが言うと、「社長にそんな話をしてしまったんですか?」とビビッていたと言う。
 クリシュナは窓の鉄格子の店に品物を取りに行った。鉄は1キロ85ルピーで買っているので、重さがちゃんと合っているかを確認してから納品する。1時間もしないうちに物が運ばれてきた。何度も何度も催促してやっと出来上がったものだ。でも、届いてみると物は良くできていた。社長と他に3人くらいのスタッフが来て、その場で木の窓枠に釘で打ち込んで鉄格子をはめていった。クリシュナはデザインをオーダーする際、「シンプルで、こんな感じ」とそう細かく考えずに指示を出したらしい。出来上がりを見ると、なんか「中華風(写真)」な気もする。でも、私は結構気に入った。西洋風とかゴテゴテしたインドのタージマハル風をネパールの人は良いと思うみたいだが、アジアンテイストのほうがしっくり来る気がする。
 水道の職人のリーダーは昨日「7時半に来る」と言ったのに9時に来た。「遅いよ」とちょっと言った。昨日文句を言ったためか、今日はこのリーダー1人が来て、あの甥っ子や少年は来なかった。リーダー自ら穴を掘り、パイプを取り付けて、午前中くらいでその作業を終えて帰っていった。
2009/7/2 (木)
家建築270日目 水道の人を怒る

 朝8時3階の壁の職人、女性2人がやって来た。木の人も9時頃から来てかんなをかけている。
 水道の職人が昨日のパイプを短く切ってしまったところを直すべく、現場に来ることになっていたが、何時になるかわからないので出掛けた。その間に、水道のリーダーから電話がかかってきた。「今現場に来た」と言うので、街までタイルを見に行くのはやめて戻った。ところが戻ると、もうリーダーは帰ってしまっていて、あの若い男性ともう1人の男の子2人だけだった。昨日のミスのこともあるので、まずリーダーと話をしてから仕事に取り掛かるようにしようと思っていた。リーダーに電話すると、例のごとく「すぐに行く」と返事するが、2回くらい電話して、だいぶ待ったころようやく来た。来ても、うちの前で知り合いのインド人となにやら話していて、私たちがいるのをわかっていて待たせる。怒ると、タクシーで駆けつけてきたテクダルとは全然違う。
「昨日パイプの長さが1インチ短い失敗があった。あなたたちは、メジャーでちゃんと測らずにパイプを切ってしまうのか?」「計算を間違えていた」「あなたの甥っ子はソケットでつなげば、問題ないと簡単に言ったが、そのソケットだって安いものではない。気をつけてください」。それから「時間に来る、と言いながら来ない、困る」「来る前に携帯で連絡を入れるから問題ない」「違う。今だってあなたがいる、というから街までタイルを買いに行くのをキャンセルして帰ってきた。それなのに、こうしてあなたは遅れて来る」。この辺から、多少リーダーもこちらが怒っていることに気が着きはじめた。一応「そおですね」と言っていた。それからリーダーと甥っ子、若い男の子3人で仕事が始まった。
 
大きな問題はその後起こった。5時頃、見に行くと、木の職人がかんなをかけている部屋で、木の職人、水道の甥っ子、男の子の3人が座って、木の破片に火をつけている。木はちょっと焦げてうっすらと煙りが出ていた。「何している?」クリシュナが聞くが、3人は無視している。甥っ子はチラッとこっちを見て、口ひげを生やした口元にへらへらと笑いを浮かべながら、またマッチをすった。仕事とは関係なさそうだ。「何している?」3人はまた無視した。持っていた新聞を叩きつけて見せたが、若い男の子までがあいかわらず薄ら笑いを浮かべて、火をつけるのを見ている。そこにリーダーが入ってきたので、「彼らは何をしている?」と言うと、リーダーは「なんだって?」と怒った。それから2人はあわてて仕事に戻り、木の職人はそそくさと帰って行った。
 火をつけていたのはプラスチック製のパイプを熱で変形させるためだったようだが、木に火をつけたのは仕事とは関係ない。こういうことはしたくないが、この後はにらみつけるようにして働く様子を見た。この後、クリシュナがこの甥っ子のこれまでの問題を全部リーダーに話した。ちゃんと働かない、先ほどのような悪いことをする、こちらの私用の台所や部屋の中まで入ってくる(ヒンドゥー教の習慣では人の家の台所に入ることは好まれない)。「中に入った?」と、リーダーは驚いて聞き返した。「いや、それどころか食事中に台所に入ってきて携帯のチャージをしてくれと言った」、と話すと、さすがにあきれたように息を吐いて天を見上げた。今回の仕事は明日明後日で一段落する。次回のときまでに他のスタッフを見つけてくれ、と言った。
 
2009/7/1(水)
家建築269日目 3階の仕事再開 木 水道

 朝7時ネパール人の働く女性2人が来た。これまで3日間ここに来たものの、職人が来ないので仕方なく帰って行った彼女たちだ。この2人の女性は時間をちゃんと守ってやって来る。ネパール語の読み書きを習っているので、その時間に合わせて仕事の時間も守っているのだ。8時を過ぎた。今日も雨が降っている。職人が来ない。昨日テクダルははっきり「明日8時からずっと仕事を続けてやる」と言った。即刻電話した「働く人が来てないよ! もう8時だよ!」と怒鳴った。「職人を迎えに行って連れて行く」との返事だった。9時頃になってタクシーに乗ってテクダルがやって来た。怒ったせいか、私とは目を合わせない。でも私やクリシュナが何か言う前に、まずネパール人のお姉さんが「ダイ!(お兄さん。テクダルのこと)、来るのが遅いよっ!」と大きな声で言う。雨で遅れたみたいなことを言うと、「雨なんか関係ないよ! 私たちは7時から来てるもの!」。2人の職人は20代くらいのモンゴル系の男性だった。これでやっと仕事が始まった! 怒るのは疲れる。
 木の職人は8時から来てかんなをかけていたが、手を切るけがをしたとかで、途中で他の職人に代わった。雨のためかちょこちょこと合間に停電があったが、きちんと時間内は働いてくれていた。
 水道の職人は11時頃来た。あの若い男性だ。リーダーはこの人に仕事を任せて帰ってしまった。5時頃3階で働いていたネパールの職人たちが帰って行った。この水道の若い人は屋上に上りそこから3階に鉄パイプを下ろした。「1人じゃできない」と横柄に言ってネパール人の女性にパイプを支えさせようとしたが、「もう時間が遅いから」と言って断られるとクリシュナにパイプを持たせた。それからクリシュナが近所に出掛けて行ってしまうと、今度は私にパイプを支えさせて「1インチ長さが足らない」と言い出した。このパイプは彼自身が長さを決めて切ったものだ。「大丈夫、ソケットでつなげるから」と言って「後は明日にする」と早々に帰ってしまった。リーダーに電話すると言うと「必要ない、必要ない」と言った。早く帰りたくて、今日の失敗を明日直すと言っているのだ。ソケットでつなげる、と言ったって、そのソケット1個にもけっこうお金がかかる。明日リーダーに話をすることにした。
2009/6/30 (火)
家建築268日目

 朝7時過ぎにテクダルに電話する。今日も雨で働く人が来ない。「職人に今日話をして、明日から仕事をするようにする」。今日から仕事ではなかったのか。クリシュナに「私がテクダルに話をする」と言った。それから30分くらいしてテクダルがやって来た。テクダルは「仕事の説明をして明日から来させるから」と簡単に言って帰ろうとした。それを引き止めて部屋に呼んで話をした。「私たちの家の仕事は遅いと思います」「はい」。テクダルは、職人が酒を飲んでしまうなど、働く人の問題だ、と言うので「それはあなたの仕事で、私たちにはわからない(関係ない)ことだ」と言うと「そおです」とそれははっきり言った。明日からはもう仕事はずっと続く、はっきりそう言って帰って行った。
 「明日来る」と言った水道の職人も来なかった。木の職人だけがまじめに来ていた。
2009/6/29 (月)
家建築267日目 壁は休み 木 水道

 今日も朝から雨。7時頃働く女性たちが来た。でも職人が来ないため、彼女たちには仕事がない。彼女らは昨日も来たという。テクダルに電話すると、先日まで来ていた職人はこないので明日から違う職人を送る、という。せっかく来た女性たちだけでできる仕事はないか聞くが「ない」というので、女性2人は帰って行った。 

木の職人さんは9時頃やって来る。水道のスタッフも珍しく10時に来た。あのわがままな若い男性だ。でも、昨日クリシュナが油を捨てたことなどをリーダーに言って怒ったせいだろうか、今日は静かだった。「3分で来る」と言ったリーダーはそれから1時間後位に来たが、甥っ子の仕事がうまくいっていなかったらしく、怒っていた。この日は、この仕事の遅れを取り戻すべく7時過ぎまで仕事が続いた。

窓の店の社長が網戸などを造るためのサイズを測りに来た。不良品を持ってきたので、私が1度怒ったことがある人だ。これまで何度もきているのに、いまだにサイズを測ってなかったのか、と驚く。社長は、かんなをかけている木の床の職人のところへ来て、「自分が木のプロだ!」と言わんばかりに木のうんちくを述べる。クリシュナに「いくらのお金で仕事を頼んだのか?」と尋ね、答えると、職人や私たちの目の前で「それは高い」と言い出す。人のことをあれこれ言う前に、自分の仕事をしろって感じだ。

今ネパールはとうもろこしの収穫期。一面の畑で実がなっていて、街の路上でも焼きとうもろこしを売っている。うちの向かいの「ロンリーゲストハウス」の息子さんが畑で採れたらしいとうもろこしを持ってきてくれた。
2009/6/28(日)
家建築266日目 木 水道 手すり 湯沸し器

 朝7時半にテクダルに電話する。今日も壁の職人が来ていない。「雨だから」とテクダルが言うので、クリシュナがちょっと怒ると「レインコートを買いなさい、と言います」と返答された。   それからマヘンドラプルにアルミの窓や手すりを売る店を見に行った。すごい雨で足はびしょびしょになった。鉄1キロの値段が95ルピーで、クリシュナが今頼んでいる窓の鉄柵より10ルピー高かった。クリシュナは10ルピーでも安い方が良いというが、この鉄柵の店は2週間前に頼んで何度も催促しているのに、いまだに物が届かない。そういうところに、さらにオーダーするのは賛成できなかった。ニューロードにあるもう1軒の店と、ビロウタにあるダムサイドのおじさんの知り合いのところに行った。ニューロードは鉄の値段が105ルピーと高かった。ビロウタは85ルピーと安く、また愛想も良かった。どこに頼むか、帰ってちょっと考えることにした。   ビロウタで野菜を買っているときに、水道の人から電話がかかってきた。昨日何も言わずに来ないで、今日はもう来たらしい。毎日決まった時間に来ている木の職人に比べ、この水道の人たちはよくわからない。  水道のリーダーは先日「追い焚きできる風呂もある」と言ったのに、今日になって「まだネパールにはそれはなかった」と言った。この人の甥っ子らしい人はわがままで、私たちがご飯を食べているのに声をかけてきて「携帯のチャージをしたい」と言う。渡してあった油のボトルに水が入ってしまったから新しいのをくれ、と言って、クリシュナの目の前でボトルに入っていた油を捨てたという。機械にさす油で、自分たちで勝手に一昨日そこに置きっぱなしにしていった。食用油はネパールでは高いのだ。リーダーに文句を言うと「水が入ったら仕方ない」と甥っ子をかばった。   湯沸かし器を電気にするか、ガスにするか、水道の職人に聞かれた。クリシュナの「ホテルムーンライト」時代の同僚が、今違うホテルで働いていて、最近ガスの湯沸かし器をつけたというので、そこに見に行った。ブペンドラさんがマネージャーをしている「ホテル レイクパレス」で、全室ガスにしていた。ブペンドラさんは実際にバスルームやガスを見せてくれた。危険などの問題もないし、電気の半分の費用で済むので良い、とのことだった。教えてもらったガス屋さんに連絡をとる。今カトマンズにいて2日あとにポカラに戻るとのことだった。プロパンガスを置く場所や線を引く場所によって、バルコニーやスロープの造り方が変わってくる。ガス屋さんが帰るのを待ってテクダルと相談することにした。
2009/6/27 (土)
家建築265日目 雨で木の職人さんのみ来る

 ネパールの朝刊もトップ記事は「マイケル」だった。  朝になっても雨が降り続いている。壁の職人は来ない。水道の職人も「明日は来る」と言っておきながら来ない。木の職人さんだけがちゃんと時間通りに来ていた。1人で来て、自分で電気のコードを物置小屋から出して仕事を始める。「キュイーン」という電気かんなの音が聞こえるので、わざわざそばで見ていなくてもいい。仕事が終わると、かんなくずの中に機械をしまって帰るらしい(しまっているところを見たことがないが、帰るときは手ぶらなので)。この人は好感が持てる。
2009/6/26 (金)
家建築264日目 3階の壁 木 水道

 ネパール人の壁の職人や女性たちは7時くらいに来て、3階の壁を始めた。  木の職人も9時過ぎに来てかんなをかけている。  水道の人も10時頃来た。    壁の職人は3階の正面側をやっていたが、テクダルが来てみると、これが失敗だったことがわかった。ここに鉄の手すりをつけるなら、このままではできない。途中まで造ったレンガの壁を壊さないといけないと言う。職人は不機嫌そうに足で蹴っ飛ばして、壁を崩した。テクダルが帰ったあと、職人ともう1人の女性は「明日からもう来ない」と言った。怒ったテクダルに対し腹を立てたのだ。一瞬、大人げないな、と思ったが、しかし彼らの気持ちもわからないではない。彼らは朝7時から来て働いている。その前にテクダルがきちんと指示していれば、まちがうことはないだろう。テクダルは「ちゃんと言ったはずなのに」、と怒ったけれど。クリシュナが「あなたたちが来ない、と言うなら、他の人にきてもらわないといけない。あなたたちはやめてしまっていいのか?」と聞くと、「来るよ」と職人は答えたが、いまいちはっきりしないまま、彼らはいつもより30分早めに帰って行った。  木の職人さんは5時半まで、1人でかんなをかけていた。この木はネパールの東部ジャナクプルから持ってきているそうだ。仕事が終わると「1日中やっているから、腕が痛いよ」と笑った。  水道の人たちは今日も7時頃まで作業をしていった。お湯や風呂の話になった。以前はお湯を沸かす場合、ソーラーか電気しかなかったのだが、今はガスもあるそうだ。ガスの方が安い。よく調べてみよう。  水道のリーダーの甥っ子らしい男性は、すぐに「物がない。買ってきて」と言う。ただそれが半分冗談なのか、「それはまずあなたの社長(リーダー)に話して」とか言うと、笑って何も言わなくなってしまう。仕事の終了時に私が3階でセメントに水をまいていると、そのホースを取って自分の手足を洗ったり、もう1人の若い子に水をかけてふざけたり、関係のない天井に水をまこうとしたりする。愛嬌のある人なのだけど、どう対応したものか、困らないでもない。
2009/6/25 (木)
家建築263日目 石が届く 水道 木にかんなをかける

 朝テクダルは壁の職人に石を買いに行かせた。10時頃インド人の水道の職人がやって来た。今日は10代くらいの若い男の子も一緒だった。リーダーもやってきていた。水道の人はよく金属の部品を盗むから要注意と聞いていたが、今のところそういうことはない。仕事の終了時にはきちんと自分の道具を麻の袋に包んでヒモでしばって帰る。小さな部品が足らないといって、クリシュナと一緒に買いに行った。うちの自転車を「600ルピーで売らない?」と聞かれた。「そんなに安くてはダメです」と言うと笑った。  石は午前中に運ばれてきた。1000個買った。壁の職人は今日はこれだけで帰った。  今日から木の床の仕事も始まった。木は松の1種らしかった。良い匂いがする。1人のインド人の職人が来て、機械のかんなで木の表面を削って滑らかにしている。裏表、側面すべすべになっていく。今日終わったのは板20枚分。このペースではいつ終わるのかな、と思う。マネージャーに電話すると「希望するなら、人を増やして徹夜でやって10日で終わらせることもできる」とのことだった。今は停電があまりないので助かるが、以前のように1日16時間も電気がなかったら、と思うとゾッとする。木の人は6時頃帰った。  今日は水道の人が長いこと働いていた。6時半くらいまで、2階の前の部屋の中、外ともに配管をやった。レンガとセメントで固まった壁を壊し、金属のパイプを設置する。パイプは金属をのこぎりで切り、ゴムをはめ、テープで巻く。インドの人はネパール人より仕事が早い。
2009/6/24 (水)
家建築262日目 サッシの窓を探しに行く

サッシの窓を探しに行く  珍しく昨日の夜から午前中まで長雨だ。クリシュナは壁の職人と朝6時に待ち合わせして、バグルンバスパークの方まで石を買いに行く予定だったが、この道の辺りが大変な雨量だったらしく、職人も店まで来ることができず、この日の仕事は中止になった。  3階のサッシの窓をオーダーしに行かないといけなかったので、プリティビチョークまで出掛けて行った。バルコニーの手すり(レーリング)を売っている店があったので、そこにも入る。セメントで形作った一番シンプルな物で1個39ルピーからだった。後でもう1軒入り、その店は1個35ルピーと安かったので、そちらにしようかと話した。  目当てのアルミニウムの窓の店は、前回訪ねたときと人が変わっており、若い店番の男性が「ドアしかやっていない」と言うので、そのひと言で店を出た。レイクサイドの近所の人が知っているという店がマヘンドプルにあり、そこを探す。女性マネージャーが営業的な笑いを浮かべて迎えた。ガラスは厚み1センチはなかったけど、そんなにやわそうでもなかった。アルミの枠もレンガや石の壁の中にあって、それほど違和感ない。値段はおよそで、1つ2万数千ルピー。木で造るのとそれほど差はない。女性マネージャーは、事務的にテキパキと話をし、次の客が来ると、もう目線はそっちにあった。 この窓は3階のレストランに使う。木も温かみがあっていいかな、と考える。エンジニアやおじさん、不良品を持ってきてけんかになった木の窓屋は、私がサッシの窓にしたいというと、そろって「ダメだ。ネパールにはそういうものはない」と言って反対した。彼らへの軽い反発もあり、試しに使ってみるのもいいかな、と考えた。プリティビチョークに歩いて戻る途中、韓国車の店があり、そこでたまたまアルミの窓の作業をしているのを見つけた。そこで働く人からも名刺をもらい、明日訪ねてみることにした。 レイクサイドに戻り、3階の壁に水をやって今日は終了。
2009/6/23 (火)
家建築261日目  木 水道

 クリシュナは7時前に昨日終わらなかった木を切る仕事を見に出掛けていく。私は1人でダルバートを作り食べようとしたが、いろいろな人がやってきて忙しかった。まずネパール人の職人が、鉄を切るための道具がない、買ってくるから金をくれ、と言う。この前まであったはずなのに、なぜかなくなってしまう。実際、私はお金を持っていなかったので、クリシュナに電話してみるから待ってください、と言った。でもなかなか電話がつながらない。結局2時間くらい彼らは待っていた。    10時半頃、水道の職人が来る。若い人1人だ。物を置いてある部屋の鍵を開けたが、私が食事中なのを見て「1回物をおいて、1分後に戻ってくるから、鍵は開けたままでいいですよ。あなたは食事をしていてください」と言う。最初意味がわからなかったが、親切で言ってくれているのがわかり「サンキュー」と言うと、「ディディ(お姉さん)、僕の言った意味がわからなかったの?」と笑った。  それからクリシュナのババ(お父さん)が来た。水道と電気を引くための申請に行ってくれることになっていた。その必要な書類を取りに来た。私がダルバートを食べているのを見て、「ご飯を食べていなさい。大丈夫、自分で書類は探すから。ご飯を食べていなさい」と言う。  やっとご飯を食べ終わる。今日はネパール人の職人はソーフィットの天井造りをやっている。そのうちにクリシュナが切り終わった木の運搬と一緒に戻ってきた。木を1階の部屋に運び込む。  テクダルが来て、昨日途中までやった3階部分について相談する。だいたいは決まっているけど、どこにどんな大きさの窓や入り口を設けるか、自分たちで決めないといけない。これが難しい。キッチンとダイニング(レストラン)の間は壁にするか、カウンターにするか、シンクはどこにつけるか、トイレへの入り口はどうするか、など。自由に決められるとなると返って難しい。  木の床をやるインド人の職人が来た。今日は木を置いておく場所を造りに来たという。これがすごかった。1階の1部屋を簡単な物置小屋に変えてしまったのだ。まだガラスの入っていない窓枠に木を打ちつけ、入り口にあまった薄い木の板で鍵のついたドアを作った。窓にはビニルを張り雨を防ぐ。これなら物をきちんと材木を保管しておける。窓やドアの木枠にガンガン釘を打たれてしまったけど、あまりの素早さと、あいている部屋をそのまま物置部屋に変える、という発想に感動してしまった。木は柑橘系のような良い香りがする。  水道の職人、木の職人、みんなネパール人ではなくインド人だ。
2009/6/22 (月)
家建築260日目 木を買う 3階始まる

 クリシュナは朝6時半頃木を買うために製材所に出掛けて行く。木を切り運ぶまでをちゃんと見ていないとごまかされることがある、というのだ。 クリシュナが不在なので、私が現場を見る。昨日水道の職人が10時に来る、と言っていたので、それまでにご飯を作って食べて待つが来なかった。わざわざ私に「出掛けていますか?」と聞くので「あなたたちが来るならここにいます」と会話しておきながら。どうもよくわからない。  ほかのネパール人の働く人は3階の壁のレンガを始めていた。クリシュナから電話があり「大きな窓のこととかわかってるかな?」と言われ、ハッとした。慌てて3階に戻り、「こことここは普通より大きな窓にするから、これ以上は造らないでください」と止めた。みな一瞬「失敗したかな?」という顔をして、女性2人がリーダー役の男性に「テクダルに聞いてからやったほうがいいよ」とか言っている。でも幸い、まだ下から1メートルくらいしか造っていなかったので、問題はなかった。クリシュナからも電話でそう言ってもらい「大丈夫だ。横に広く取ればいいらしい。これは問題ない」とリーダーは安心していた。  彼らが仕事をしているのを見ていて、窓枠がないといけないと気がついた。クリシュナに窓の店に催促してもらい、今日中に届ける、ということになった。窓枠がないと作業ができないので、みな4時少し前に早々に仕事をあがった。  4時頃から停電し、クリシュナのほうの木を切る仕事が止まってしまった。全部で19本ある木のうち、まだ7本が残っているという。電気がきてから作業をするので、帰りは8時を過ぎるかも、とのことだった。  5時頃窓が運ばれてきた。相変わらずルーズな人たちで、上まで運んでというと嫌だと言い、「たばこ!」と言ってのんびり一服し、勝手にカースペースに置いて帰ってしまった。前ひどい素材を使った窓を持ってきたので、今回はわざとらしくじっくり見た。「よくできてるよ!」と言うので、「前のはよくなかったよ!」と言い返した。「ネパール語ができるんだね!」と喜ばれた。  7時前にクリシュナが帰ってきた。木が運ばれてきた。空いている部屋に置かれることになった。濡れても大丈夫なのか心配なので、鉄板を載せておいた。木の運搬をする人が「僕が先に行って、運んでおくよ」と言ったので、クリシュナが「私も一緒に行きます」と言うと「私が木を盗むと思ってるのか!」と怒ったという。
2009/6/21(日)
家建築259日目 水道

 朝急いでご飯を作って食べ、スリジャナチョークに木を買いに行く。エンジニアの親戚のお父さん(クリシュナは“ハジュールバ(お祖父さん)”と呼ぶ)が木に詳しいというので、一緒に行ってもらうことにするが、私たちが少し時間に遅れたこともあり、ハジュールバは用事があってこられないことになった。今とりあえず私たちだけで木を見て、値段の話はハジュールバに都合の良い午後3時に出直すことにした。クリシュナがハジュールバを迎えに行っている間、私は木の職人と話した。彼はインドのゴラクプルの人で、20年ポカラに住んでいるそうだ。娘息子が1人ずついる。1年に1回帰るという。  木の店は大きな材木を扱う製材所だった。木の職人は「シソウ」と「サァル」の2つの木をわかりやすく説明してくれた。シソウはサァルの倍くらい値段が高いが、はっきり言って私たちでは違いがよくわからない。職人さんによれば、サァルでも問題ない、と言う。何年かのちのメンテナンスはやむをえないとして、サァルにすることにした。  戻ると水道の職人の仲間らしい人と一昨日もきた弟子みたいな男性2人がすでに来ていた。道具を部屋から出す。テープが足らないと言うので、クリシュナが買いに行く。少しして今度は「フック(留め金)が足らない」と言う。弟子の若い人がクリシュナにテープを買いに行かせたくせに「サウジ(社長。クリシュナのこと)はどこに行ったんだ?」と聞く。足らないという留め金のことを盛んに言うので、「(専門的な)材料のことは私にはよくわからない。必要な材料はあなたの雇い主(水道の職人)が買いそろえたんですよ」と言うと、「そおか」という顔をして笑った。クリシュナが戻ってきて水道の職人に電話で確認すると、材料は買ってあった。ちゃんと見ないで、「ない」とか「足らない」とか言う。でも、カタコトでも私が応対したので、多少コミュニケーションはできた。後になって親方の職人もやってきて、「テープが足りません」とか言われ、私が取りに行くというパターンもできた。今日はソーフィットのレンガ貼りも終わった。 木の値段の相談に行っていたクリシュナが帰ってきた。結局1単位750ルピーで、効いていたより高かったが、他の何軒かで聞いても同じ値段だったのでそこで買うことにしたという。計6万2000ルピー。 忙しい1日だった。
2009/6/20 (土)
家建築258日目 木の契約

朝7時にダムサイドのおじさんが来て、木の床の人と契約書を交わしていった。今日は休日でお店もやっていないので木を買いに行くのは明日になった。契約書を作ってきたクリシュナに「いつまでに仕事が終わるってことにした?」と聞くと「あ、それ決めるのを忘れた」。 借りている家の玄関に「この部屋貸します」と貼り紙がしてあるので、人が部屋を見に来る。勝手に入ってきてしまう人もいるので戸惑う。私たちの家ではないけど、一応クリシュナが間取りなどを説明している。もしかしてうちの隣人になるかもしれない人たちだ。クリシュナと「変な人が来たら空いてないって言っちゃおう」と話した。 家建築の仕事は、ソーフィットと壁の石が続いている。壁の石が終わらないと作業ができない、と言って、水道の職人は今日は来ない。
2009/6/19 (金)
家建築257日目 水道 浴室の問題

 朝クリシュナは木の職人と話し、床の仕事を頼むことに決め、明日彼らと一緒に木を買いに行くことにした。  7時頃からネパール人の働く人が来て、ソーフィット(シャワーの水を貯めるところ)の穴掘りの続きと、天井に近い部分の外側の石の壁をやり始めた。炎天下の中、みな汗だくで働いてくれている。クリシュナは彼らのためにムルコパニ(わき水)を取りに行っている。40代くらいに見えるモンゴル系民族の女性は、この仕事をしながら、いま字の読み書きを習いに行っているそうだ。クリシュナによれば「この年になって、子どもの世話や仕事をしながら字を覚えるのは楽じゃないよ」と言っていたという。偉い人だなぁと関心する。  10時頃水道工事の人が来た。この2人はインド人で、こういう技術を手に持ったネパール人はあまりいないらしい。水道工事の材料、パイプなどを買った「シャングジャマルブル」の社長が請求書を持ってきた。なんと13万5000ルピー。他の店より50,000ルピーも高い。職人によれば、かなり買い足したから、と言うが。職人の紹介の店より安く買えると思ってシャングジャマルブルにしたのに。  人の話によれば、水道の仕事は1秒も目を離さずに見ていないといけない、と言う。材料がすごく高いため、働く人がそれを盗むことがあるのだそうだ。私たちは新しく借りた家の1部屋に材料を置き、意図的にそうしたわけではないのだけど、正面玄関に鍵がないため、部屋に鍵を掛けている。職人が材料が必要なときは、私たちが鍵を開けて材料を渡す。水道工事は、1階のレセプションのトイレから始まった。かなづちなどで叩いて壁に穴を開ける。金属のパイプなどを適度な長さに切りゴムの管をはめテープで巻く。それを壁に据え付ける。  この水道の人との間で問題が起こった。私たちはかなり前から、浴室は客室の床より少し下げるようにテクダルに言っていた。ネパールでは浴室と客室が同じ高さで、浴室の水が客室を濡らすことがある。これが嫌で、絶対に水が客室に入らないように浴室の床を低くするように言っていた。それがこの職人はできない、よくない、と言い出した。テクダルはできると言っていたし、この人にも伝えてあったはずだ。すぐテクダルに電話して来てもらった。職人はそういう形で造ったことがないらしい。テクダルが強く言ってくれたが、1つの部屋は床より上に階下の梁の出っ張りがあり、それが格好悪く残ってしまう。木の床にしようというのに、水が漏れたのでは困る! 一応4センチくらいは下げられるという話になったが、うまくいくのか不安だ。 夜クリシュナと話し合った。木の床の魅力は捨てがたい。クリシュナが「浴室のドアの前だけをタイルにしよう」と言う。確かにそうすれば木の床も濡れない。そしてその前についたてでも置けば、更衣スペースにもなる。木の床は、日本で何か良い塗料を買ってこよう、と言う話になった。
2009/6/18(Sat)
家建築256日目 木の床

朝7時に借りている家の水道を直しに職人が来るはずがこない。朝10時からダムサイドのおじさんの家で亡くなったおじいさんの「サラダ(法事)」があったので出掛けていく。その前に石の注文をするなどバタバタとした。ババたちは法事の慣わしで頭を坊主にまるめていた。ブラーマン(お坊さん)がいて、お祈りをし、黄色いティカ(お祭りのときなどは赤いティカをする)をくれる。ヨーグルトと小さく切ったバナナ、リンゴを食べる。その後、ダルバートを食べた。サラダの日は肉、卵は食べてはいけない。   11時に「ダルサンホテル」のオーナーさんに会いに行く。ご主人はネパール人、奥さんは日本人だ。ここで木の床を造ったインド人の職人がうちにも売り込みに来た。できばえや値段を知りたかったので、お訪ねすることにした。山のふもとに立つ大きなホテルだった。赤レンガの風合い活かし、バクタプルから持ってきたという材料も使っていてムードの良い建物。周囲の山や湖の眺めもすごく良い。丁寧に部屋をいろいろ見せてくれた。木の職人はあまり言うことは聞いてくれなかったけど、厳しく言えば大丈夫かもしれない、とのことだった。奥さんは私の本も読んでくれていて、名前を言うと「本を書いたでしょう?」と言ってくれた。   木の床が1スクエアフィート150ルピーと聞いたので、メジャーで部屋の中を図ってみた。全7部屋でだいたい計900スクエアフィート弱。テクダルにも確認したところ、840スクエアフィート。かける150ルピーで13万5000ルピー。木を買うのに7万数1000ルピーというからだいたい計2ラック(20万ルピー)。職人が言っていた額通りになっている。クリシュナのババやおじさんは「ネパールでは技術がうまくないから、木を使うのは止めた方がいい」と言う。大理石にすれば一生替えないで済むものらしいけど、大理石と言うのはなんだか落ち着かなさそうに思う。値段がそう高くはないので、やっぱり木でやってみようかと考える。夕方この木の職人がやって来た。スクエアフィートを計算した私のノートを見て、「マダム(奥様)計算したんですね」と言って、実際はもっと安くしてくれると言う。結局1スクエアフィートが150ルピーから100ルピーまで下がることになった。これに階段の手すりをやってもらったとして、1ランニングフィート300ルピーで計43ランニングフィート。床と階段合わせて1ラック以内に収まる。明日朝7時に契約書を作ろうということになった。  セーフティータンクの上の覆いにセメントを入れ終わった。1人100ルピーずつのボーナスを出した。インド人の職人さんがやっているプラスタが終わった。  ホースで部屋のセメントに水をまく(写真)。天井にまくと、自分に降りかかってくる。暑いから楽しい。
2009/6/17(水)
家建築255日目 シャワーの水貯める場所を造る

クリシュナは朝からシャングジャマルブルという水周りの店に水道の部品を買いに行った。先日行った大きなHINDWEARの店ですべて買うと高いので、細かな部品はいつも買っている小さな店で買うことにした。 すごく暑い。あまり表を歩いている人もいない。夕立があると気温が下がって涼しくなるけど、今日は夜までほとんど雨がなく、蒸し暑かった。  今日から働く人が増え、セーフティータンクのほかシャワーの水を貯めるソーフィットの穴も掘り始めた。
2009/6/16 (火)
家建築254日目 隣家に引越し

朝ごはんをつくり、11時過ぎに引越しをした。1階に住むグルンのクリシュナの友達が車の手配をしてくれて、荷物を運ぶのも手伝ってくれた。軽トラック1台で、1時間もかからずに引越しが終わってしまった。ここのアパートを去るのは残念だった。住人が善い人たちで、安心して暮らせるところだった。いつでも子どもの声と子どもを叱るお母さんの声が聞こえ、人々はどの部屋にも自由に行き来していた。夜家族だんらんでテレビを見るうちがあり、食事の支度時には良い匂いが漂っていた。ほのぼのとしたムード、それにヒマラヤの眺めもここは良かった。 そこを去り、新しい借家は建築中のうちの隣りの家。4部屋ある平屋(写真)で、7000ルピーで全部屋借りることになった。貸主が全部屋借りてもらうことを条件にしていた。家財道具が少ない私たち2人にはかなり贅沢な家だ。電気も水もあり、室内にトイレ・シャワーもある。お湯こそ出ないが、まだ新築できれいだし、快適な1軒屋だ。ただまだ完璧に工事が済んではいなかったらしく、窓ガラスが入っていない部屋もある。置いてあったペンキなどはシャッターのついた部屋にまとめておいた。水はクリシュナがタンクに水を買い、後で貸主が清算してくれることになった。まず部屋にザーッと水を流し掃除した。
2009/6/15 (月)
家建築253日目 物置小屋にヘビが出る

午前中は家事や文章書きをし、2時ころ現場に行く。クリシュナは午前中から水や砂が足らないなどと職人に言われ、そのオーダーに奔走していた。セーフティータンクと室内のプラスタを同時にやっているので、たくさんのセメントを使う。数万円単位でお金が出て行く。  物置小屋にヘビが出たと言う。インド人の職人さんが、2メートルくらいあるヘビがちょうどドアから小屋に入っていくのを見たと言う。周りにとうもろこし畑があるので、そこから来たらしい。ポカラにそんなヘビがいるなんて初めて聞いた。ネパール人の3人の働く人は、恐る恐る小屋からセメントを運んだそうだ。インドの人の方はいたって平気で、「人間を見ると怖がって逃げるヘビだから大丈夫」と言う。クリシュナは「チョウキダル(見張り役)が昨日辞めちゃったから、今日からヘビがチョウキダルだね」と笑った。  2階のプラスタが続いている。4時過ぎ雷雨が来た。4時あがりのネパール人の働く3人は帰ることができないでいる。テクダルは2人のスタッフ(1人は子ども)と使用済みの鉄板をトラクターで取りに来ており、彼らも雨が止むのを待っていた。家に立てかけてあった大きな竹の棒が激しい雨風で倒れてしまった。電気を引いている線がその棒と一緒に下に落ちた。止まっているトラクターがそのまま走り出せば、線が切れてしまう。クリシュナと2人で雨に濡れながら、線を竹の棒から外した。  以前天井や階段を造る際に大活躍したサティンカンチャも辞めてしまったことがわかった。鉄を切るのを失敗して損を出したからと、ババが怒りそれ以来こなくなってしまったと言う。テクダルやエンジニアも相当怒ったらしいが、「辞めるまで怒るのは良くないね」とクリシュナと2人で話した。サティンカンチャは良い子だったし、ちゃんと言えば反抗するようなタイプではなかった。クリシュナは「将来テクダルになる人」と言って好いていた。ネパールでは肉体労働をあまり好ましく思わないみたいで、見下げることさえある。でも汗を流してお金を稼ぎ手に職を身につけていく、将来性があるのはこういう人々だ。そういう人たちに仕事を出せることが、私たちができる些細なサポートでもあると思っていた。人が辞めて困るという結果になってしまった気もする。
2009/6/14(日)
家建築252日目 電気や水の申請 いろいろな人と会う

クリシュナは朝ごはんを食べて、ナガルパリカ(役所)に出掛けていく。もう3階の天井まで終わったので、早ければ電気や水道を家にひけるのだそうだ。その申請をしに行った。相変わらず役人が不在で待ち時間が長く、今日は1回目の申請だけで終わったそうだ。 私は1時頃現場に行く。行くとちょうどみな昼休みを取っているところだったが、私が行くと休んでいるわけにもいかなくなったらしく、仕事を始めた。インドの職人さんたちはビスケットを食べていた。セーフティータンクを造る人だけは穴に石を積む仕事を続けていた。窓の店の社長が来て、3階の窓のサイズを計っていった。「私のこと覚えてる?」と聞かれ、最初わからなかったが「ジャルコ(窓の?)」と私が言うと「そおそお窓、窓」と笑った。1番最初にへんな木の窓枠を持ってきたので、私がかなり怒った人だ。なんのわだかまりも無く、しゃべっている。テクダルが仕事の様子を見に来たのと入れ替わりで、私はいったん部屋に戻る。 16時に私が現場に戻ると、「D.B.モモ」のご主人が「見にやって来たよ」と来ていた。それと同時に頼んでいる正面玄関のドアの職人が来ていた。この人は何かとお金を欲しがるので、クリシュナはわざと会うのを避けていた。最初に打ち合わせしているのに、どんなデザインにするか決めた紙をなくしてしまったというので、私が再度描いてほしい神さまの名前を紙に書いた。この人は「階段の手すりも造るから、一度うちの店に見に来て。いつ来る?」と聞く。「まだ決められない」と言った。 この人が帰り、チョウキダルのバジがやって来た。バジは多少酔っ払っていた。インド人の職人さんが仕事をするのをいろいろ話しかけてじゃまをするので、クリシュナに電話してすぐに来てもらう。バジは1階の1つの部屋を私に見せて「ここ、ここにあなたたちが住んで、物を見ると(クリシュナの)お父さんが言った」と示した。また「お父さんは私のこと何て言ってた?」と聞いた。クリシュナのババは最初からバジが酒を飲むのを嫌がっていた。それをバジは感じ取ったのだろう。私やクリシュナは造り終わるまでチョウキダルの仕事を続けて欲しかったのだけど。「ババは言い方を間違えたかな?」と、クリシュナはバジが辞めてしまったことに少しショックを受けていた。 18時半頃、木で床を造るという商売の人がやって来た。3人のインド人だった。対応は丁寧だった。「サァラ(辞書によれば松の1種、沙羅双樹のサラとは異なる。サラは高級な木)」と「シィソゥ(辞書には丈夫な木、としか書いていなかった)」の2種類があって、サァラは安いとのことだった。腐ったり虫の心配はないかなど尋ねると、一応疑問には答えてくれた。日本と同じラッカーを使う、と言っていた。デザインも日本の見本を持ってくれば同じようにやる。急ぐ仕事なら徹夜もして25日で終わらせる、とのことだった。彼らは日本人とネパール人のカップルの家でも仕事をしており、クリシュナが念の為、そのネパール人のだんなさんにも電話で確認すると「ちゃんと仕事はしてくれた」とのことだった。ほとんどいいかな、とも考えたが、お金のことは改めてダムサイドのおじさんに話をしてもらうことになった。おじさんは銀行の偉い人だっただけあって、こういうかけひきはさすがに上手なのだ。
2009/6/13 (土)
家建築251日目 チョウキダルが辞める

部屋に水があまりなかったこともあり、またたまにはスパゲッティでも食べたいな、と思い、お昼にイタリアンレストラン「マンマミーヤ」に行く。ここは欧米人客がほとんどの西洋風の店なのだけど、値段は他の欧米人向けの店のようには高くなく、味も良い。クリシュナが以前働いていたこともある。クリシュナはここの店のオーナーにもお客さんにも可愛がられたことから、レストランサービスの仕事が好きになった。とても良い店なのだ。ところが、今回来てみると料理の値段が結構上っていた。5,6年前は100ルピー以下くらいだったものが、今は200ルピー弱。これはこの店だけの話ではなく、ネパールの物価自体がどんどん上っているのだ。 それから現場に戻る。石や砂を運ぶ女性2人、セーフティータンクの穴を掘る男性1人、それからプラスタの職人3人。前者の3人は11時から、職人3人は12時から昼休憩を取っている。女性たちはお弁当を持ってきて、まだ壁のできていない3階で涼みながら食べている。契約の内容によっては、テクダル(工事監督者、職人を雇う人)が食事を出すこともあるらしいが、うちのテクダルは食事を出していない。交通費もなくて、時々私たちに交通費を前借する職人もいた。 チョウキダル(見張り役)のバジが今日で仕事を辞めることになった。他で仕事が見つかったと言う。確かに近頃はうちの仕事もあまりなく、日中は他の現場で働いていた。ちょうど良い時期かもしれない。ただ、見張り役がいなくて大丈夫だろうか、と不安もある。夕方コンクリートに私たちが水をまいていると、ふらっとバジの奥さんがやってきて、「あなたたちは好きだったけど、テクダルがちゃんと仕事をくれないこともあったから」と話していた。 私も今日初めて、部屋のコンクリートにホースで水をまいてみた。まだ慣れていないので、天井にまくと自分に水が降りかかってくるけど、結構楽しい仕事だ。
2009/6/12 (金)
家建築250日目 水周りの物を見に行く

12時に水道の職人さんとトイレ・水周りの物を売る店に行く。店はプリティビ・チョークとスリジャナ・チョークという大きな交差点の中間くらいの場所にあった。「HINDWEAR」というインドの大きな水周りのメーカーの商品を扱う店だった。置いてある物は確かに良かったし、ディスプレイもきれいに見せていた。入店すると店員がミネラルウォーターやジュースを出してくれた。1人の説明員がついて、商品を見せながらいろいろ説明してくれる。 まずトイレ。水洗トイレは1セット2000ルピーくらいから1万数千ルピーまであった。水の流し方が大・小と分かれていたり、ふたがゆっくりと静かに閉まる物は最新で高かった。ウォシュレットはなかった。安いのは水を流すタンクがプラスチックで、店の人はこれでも十分、と言った。でも、外国人旅行者にとってはトイレは重要。ネパールでは水が流れなくなっているトイレはしょっちゅう見かける。私自身もクレームをつけたこともある。高い物はメンテナンスもしてくれる、ということだったので、トイレは全部屋高いのをつけることにした。玄関ホールの1つのトイレだけは水洗だけど和式のようなしゃがむタイプにした。 洗面台。これもいろいろあった。透明ガラスでデザインもかっこいいのは3万5000ルピー(6万円)、木を使った棚もついたタイプは5万ルピー(10万円弱)もするということだった。さすがに全部屋これをつけるのは贅沢なので、レストランのみ、このかっこいい透明ガラスの洗面台にした。ほかは1万ルピーのちょっと良い物くらいにした。 シャワー。これもいろいろあった。最新のは、日本にもよくある1個の取っ手を上げ下げし、右にひねれば水、左にひねればお湯、というもの。でも「オールドスタイル」という普通の水道の蛇口で水が出る物にした。センサーで水が自然に出てくるタイプはない。 ひと通り見て、知っているほかの店にも行ってみることにした。ここで買うと、この店を紹介した水道の職人がコミッションを取るだろうからだ。でも、知っているほかの店に行ってみると、こちらの大きい店ほど種類がないので、再びこっちに戻って来た。16時くらいまで迷ってすべて決めた。実際、物を買うのはまだ先でいいのだが、水道の配管のため、どんな物を使うか決めておく必要があるのだった。見積もりをもらうことになった。ここからがちょっと怪しかった。店主はすでに4,5枚の請求書を作っていた。何とかのパイプがいくつとか、私たちが見ても何の値段だかわからない。それが合計8万6000ルピー以上もした。しかも驚いたのは、それには今日見て決めたトイレ、シャワーなどの値段は入っていない。配管工事に必要な材料だけの値段だというのだ。「もちろん騙されてるんだろうけどね」とクリシュナが言う。一度この見積もりを持ち帰ってもいいか、と聞くとそれはダメだと言う。このインド人の店主は、今一部だけ買うことにしたい、というとそれもダメと言う。とりあえず明後日までに考えることにした。 突然豪雨が降り、ちょっとお茶をして、雨が止んだあと、バスでレイクサイドに戻ってきた。雨が降ると気温が下がっていい。ネパールはすでに真夏で暑い。現場ではまだ職人さんが働いていた。私はいったん部屋に戻る。7時頃現場に行くと、もう働く人はあがっていて、暗い中クリシュナが機械で水をまいていた。
2009/6/11 (木)
家建築249日目 木が高い

ポカラでは10時から12時はバスやタクシーなどが走らないという「バンダ(ゼネスト)」が続いている。私たちにはそれほどの影響はない。 クリシュナは、窓の外側につける鉄の値段をダムサイドのおじさんと一緒に調べに行く。3時頃現場でおちあう。今日もプラスタが続いている。床も始めるということで、木にするか、大理石にするかなど考える。昨日電話したカトマンズのホテルで働くクリシュナの友達は、木の床の値段について社長に聞いてくれていた。社長はブトワルというタライの人で、自分の所有する木を使ったという。それでも作業をする職人に払うお金は相当かかったということだった。友達は親切にレイクサイドで似た造りの店があるから、そこで聞いてみたらいい、とも教えてくれた。クリシュナはその店にも行って扱った店を聞いてきたが、やはりコスト的にはかなり高いということだった。 日本から住宅建築のパンフレットを持ってきていたので、それを見ていて、そういえば玄関を少し床より低くして、というのを忘れていたことを思い出す。明日テクダルに相談することにした。 働く人はプラスタのほか、石を運ぶ女性や、セーフティータンク(水を溜めておく)のための穴を掘る人もいた。その人たちは朝7時から来て16時に仕事をあがっていった。プラスタをやる技術者の人たちは、8時から17時が基本だが毎日19時頃まで残業していた。この日はプラスタの人も含めて17時過ぎに作業終了となった。
2009/6/10 (水)
家建築248日目 プラスタ インドの職人

朝起きてまずは、たまりにたまっていた洗濯をした。ポカラは湿気が少なく、日差しが強いので洗濯物がすぐに乾いてしまう。うちのアパートの部屋はバルコニーがとても広く、ここに布団を干したり、洗った食器を乾かしている。濡れた食器があっという間に乾いてしまうのが楽しくて、いつもやっている。布団も洗濯物も太陽の匂いがする。 4時過ぎ、ひと通り日記を書いたり、掃除などをしてしまったので、現場に出掛ける。クリシュナは銀行にお金を預けに行ったりしていた。現場にはテクダルが来ていた。今日は4人の職人さんがいて、壁のプラスタを続けている。彼らは、時間給ではなく、この作業のすべてでいくら、で仕事をしているので、なるべく早く仕事を終わらせようとしている。1人の男性と少年はインド人らしかった。少年は主にセメントを運ぶ。そのセメントをレンガの壁に叩きつけ、その後は腕の良い職人が木やへらで滑らかに仕上げていく。つるつるの壁になる。テクダルが「そろそろ終わりにしたら?」と言うが、「夜まで働くよ」と職人さんは手を止めない。そのうちクリシュナが帰ってきた。床をどうするか、という話になった。コンクリートにカーペットを敷くのが一般的なのだが、クリシュナが「木の床もいいと思うんだけど」と言うと、テクダルが「そうだね、木もいい」、居合わせた大理石を扱う店主が「いや、大理石よりも木は値段が何倍も高いよ」と言う。問題は予算で、いくらかかるのか、それがはっきりしない。前回、カトマンズで泊まったクリシュナの友達が働くホテルが木の床にしていたのを憶い出したので、電話をしてみる。友達はホテルを実際に造った社長に聞いてみる、と言ってくれた。19時を回って日が落ちてきたので、職人さんもあがり作業を始めた。セメントに水をまこうとするが、また機械が故障した。いたづらにやってくる子どもたちを防ぐため、入り口に立ち入り禁止のつっかえ棒をして、私たちも引き上げる。 インターネット店にやっとメールをしに行く。ところが前回まで普通に使えたのに、私のパソコンが接続ができない。店のご主人によれば、「システムがちょっと変わったからかもしれない」、と言う。機械に弱い私は、そう言われてしまうと、そういうものなのか、と思わざるを得ない。詳しい人間を呼ぶから、と言って呼んでくれた。夜9時を回っているのに、わざわざその詳しい人がやってきてくれた。彼は日本語は読めないのに、「ちょっと貸して」と言って、私のパソコンを動かして、ささっと接続をしてくれた。店主、クリシュナ、私の3人はまさに「尊敬のまなざし」であった。
2009/6/9 (火)
家建築247日目 ゴキブリ 3階の間取り

クリシュナは明け方までホテルのスタッフとテレビを見て起きていて、そのまま寝ずに現場に出かけて行った。ホテルのレセプションからババが現場に急いで歩いていくのを見かけたのだという。 10時頃戻ってきて、ホテルをチェックアウトした。以前住んでいたアパートに移り住む。私たちが不在の間はクリシュナのババ(お父さん)がここに住んで現場を見ていてくれた。朝ごはんを作って食べ終わり、食器を洗おうとして棚を覗いた。すると! 棚の奥に5,6匹以上の大きなゴキブリが長い触角を動かしている。めまいがしそうになった。昨日ここに来たときは、思ったよりずっと部屋がきれいに見えた。トイレはピカピカで、ババ自身が「きれいにしているだろう。お前たちが帰ってきてすぐに住めるようにしていた」と言っていた。ババは長年単身でインドで働いてきて、10年以上前に奥さん(クリシュナのお母さん)を亡くして、子どもたちが仕事や結婚で家を出てからは1人暮らし。片付いてはいるし、服装は清潔なのだが、やはり掃除はそうまめではなかったのかもしれない。置きっぱなしだったボストンバッグにもおびただしい数のゴキブリがいた。その後は、クリシュナと2人ギャアギャア言いながら、ほうきを持って、ひたすらゴキブリを追いかけた。「チョーク」という白墨状のやたらと強い殺虫剤があって、それをまいた。6時間かかってそうじをした。脱力した。。。 6時頃、現場に行ってクリシュナと3階の間取りの相談をした。3階は台所とオープンテラスのレストランになる。ここは特別な造りになるため、私たち自身が間取りや造りを指示する。天井と柱だけできている3階にあがり、現場を見ながら話し合う。台所は3方に窓を設ける。お客さんが食事をする場所は室内とテラスがあり、室内からはヒマラヤが望めるので大きな窓にする。テラスからももちろんヒマラヤが見える。室内の内装は竹や藁を使ったネパールの村のうちの雰囲気にしたい。屋上からはペワ湖も見えるので、ここにはネパールの伝統的な藁で葺いた屋根を造り、ここでも食事ができるようにする。日本人的にはここに露天風呂でもあったらいいな、なんて思ったり。。 今日は2階の部屋のプラスタをやった。1階のコンクリートに水をまかなければいけないのだけど、その仕事をするはずのチョウキダル(見張り番)のバジ(おじさん)がいない。日が暮れてしまったので、もしバジが今日水をまかなかったら、明日の朝やろうということにして帰った。 アパートでは以前いたイスラム教の家族はいなくなっていた。なんでも以前から問題だった「水」がもとで(詳しくは1月11日、12日頃の日記)、2階のイスラム教のご主人と、うちの部屋の隣りのイスラム教のご主人とで殴り合いの喧嘩になり、困った大家さんが2家族ともに退出させたそうだ。下に水が来ていたので貯めていたバケツを運んだ。近頃は1階のだれかが各家のタンクに水を入れておいてくれるらしい。平穏に問題なく水が供給されている。
2009/6/8 (月)
家建築246日目 プラスタ

朝現場に行き、床や室内の壁のプラスタ(壁をきれいに塗る)が続いている。夕方6時頃、小雨が降る中現場へ。すでに今日の仕事は終わっていた。ババがいて、最近はチョウキダルのバジが他の仕事に行ってしまい、なかなか戻らないと言っていた。この時もまだ来ていなかった。ホテルにいったん戻るとすでに8時で、シャワーを浴びD.B.モモに行く。この日は昼間はレストランはバンダ(ストライキ)だったが、夜は開けている店が多かった。D.B.モモに置いてもらっていた私たちの本がなくなっていた。
2009/6/7(日)
ポカラに着いた!

また少し眠り、クリシュナに起こされるとカトマンズとポカラの分かれ道ムグリンに着いていた。「急いで!」。他の乗客に手伝ってもらいながら、バスを降りる。他のポカラに行く人がすでにバスを見つけ、乗車賃の交渉まで済ましてくれていた。この人は、クリシュナがトイレに行くと、戻ってくるのを待ちきれずにバスが走り出そうとするのを「あと5分待って」と必死に止めてくれた。この時朝の3時半。 それからまたちょっと寝てしまい、もう夜が明けたころ目が覚めると、見慣れた道を走っていた。ヒマラヤも見えてきた。朝8時ポカラ着。デリーから約40時間。ちょくちょく寝ていたせいか、興奮のためか、意外に疲れていない。あとでガイドブックで確認したところ、インドの国境を越えたマヘンドラナガル・ガーダチョーキはネパールの最西端。カトマンズからバスで24時間だそうだ。インドのガイドブックにもネパールのガイドブックにもここで国境を越える方法は書いていなかった。私は好きなタライの村がたくさん見れて楽しかった。危険なこともない。もしも私が1人旅だったとしても、ネパールの人は親切に気を遣って、ここまで送り届けてくれたに違いない。ただ、初めてネパールを旅行する人はこのバス旅はちょっとハードかもしれない。飛行機ならデリー・カトマンズは2時間くらい、150ドル前後。汽車でゴラクプルやバナラシ(ガンジス川で有名なところ)まで来て、バスに乗り換えスノウリで国境を越えるのも一般的。汽車はバスで来るのと時間的には大して変わらないかもしれない。料金は飛行機よりは安い。今回私が来たデリー・カトマンズ ノンストップバスは地元の人が利用するのが主らしく所要時間は無視した様な移動手段なので、時間に制限がある人にはあまり勧められないかも。 何はともあれ、ポカラに着いた。バスを降り、プリティビチョークからレイクサイドまでタクシーに乗った。150ルピーだった。早くシャワーを浴び、軽く何か食べて、寝たかった。クリシュナが以前働いていた「ムーンライトリゾートホテル」に来た。ここはインドから来る客にも慣れているし、高級ホテルなので、シャワーや食事にも対応してくれる。予想通り、ムーンライトではなじみのスタッフが愛想良く迎えてくれた。このホテルは普通に泊まると1000ルピー前後はするのだけど、以前働いていてクリシュナが社長やスタッフと旧知の知り合いのため「いくらで泊まってもいい」ことになっている。最初のうちはクリシュナは100ルピーで泊まっていた。さすがに安すぎて申し訳ないので、数年前から300ルピーは払うようになった。今回もクリシュナは「僕たちは300ルピーでいいんだよ」と言うので、私が「もう少し払ったほうがいいんじゃない?」と言うと、ちょっとブツブツ言っていたが、レセプションで話をしてきて「多く払うことにした」と言う。「400ルピーにした」。「たったそれだけ?」。クリシュナはけっこう金にシッカリした人だと思った。  しかし、ああ、落ち着く。やっぱりポカラは良い。気候も良い。人も良い。景色も良い。ビールをちょっと飲んで、メキシカン料理のエッチンラダを食べて寝た。シャワーもお湯が出た。気持ちが良かった。 夕方5時頃起きて家建築現場に行く。クリシュナのババ(お父さん)が来ていて、工事の進捗状況を説明してくれた。1階の床や壁のコンクリートをやっていた。3人の職人さんがいて6時過ぎまで働いていた。工事はほぼ順調に進んでいるらしく、セーフティータンキー(水をためておくタンク)の穴も掘り終わっていた。今はババが泊まっているアパートに着替えの服を取りに行った。行く道やアパートの人が親しげに迎えてくれる。「太って良くなったわ(太ったはほめ言葉)」とみな言う。 レストラン「D.B.モモ」に行く。ご主人が相変わらない親しさで迎えてくれる。食事を済ませ、パルカスさんの店にミネラルウォーターを買いに行く。パルカスさんは、料金をは受け取らなかった。
2009/6/6 (土)
インド・ネパール国境へ

6月6日(土) バスのエンジン音で目が覚めた。6時きっかり、バスは走り始めた。大きな川が流れていた。天気は曇っている。昨夜の雨のせいか、水の量が多い。人や荷物を乗せた馬車が何台も行く。大きな橋の手前に警官がいてバスに乗ってくる。乗客はこの警官にもいくらか金を渡していた。この警官は私の荷物までチェックして「ペーパーは?」という。意味がよくわからず「ペーパーって何?」と聞くと、そのまま行ってしまった。 それからまたうとうとしていたら、バスのスタッフが「イミグレーションに着いた」と言って起こしてくれた。インド側のボンバサという場所だった。私たちはここがインドのどの辺なのかさっぱりわからなかった。出国は1枚の紙にパスポートナンバーなどを記入するだけですぐ終わった。1人の白人の女性がいて、彼女はネパールから入国してきたらしかった。外国人旅行者に初めて会った。同じバスに外国人は私だけで、私のビザのためにみなを待たせるのは悪いな、と思っていたら、イミグレーションの人が「いや、平気だよ。彼らのチェックのほうがまだ時間がかかるから」と言った。その通り、いろんな荷物のチェックがあって、それから1時間くらいは止まっていた。 そこから日本の電車の踏み切りみたいな棒をくぐって、国境を越える(写真)。普通のネパール人、インド人は自転車や徒歩でここを行き来している。ネパール、インドはお互いにビザが要らない。それから数分走る。ここがインドなのか、ネパールなのかよくわからない。でもインド人の警官がいる場所があり、ここでも警官がチェックしにバスに乗ってきた。私を見て「外国人?」と聞くと周りの人がかばうように「そうだよ、日本人だよ(インドやネパールの警官は外国人にはうるさくしないので)」と言ってくれる。警官はちょっとびっくりしたように「何でこのバスに外国人が乗っているの? これはツーリストバスか?」と言うと周りのネパール人が笑った。 そこから数分でバスはネパールのイミグレーションの前で止まった。ガーダチョーキという場所だった。ここまで来るとすっかりネパール。役人もネパールのトピー(帽子)を被り、その表情もインド人とは違う。この建物が住まいにもなっていて、奥さんや子どもが顔を出す。シューと米を炊く音がする。懐かしいダルバートのにおいがする。ここでも入国の手続きは簡単に終わった。バスの待つ場所に行ってみる。ここからが長かった。インドの物をネパールに持ち込むには税金がかかるらしく、このチェックが厳しい。乗客の方は少しでも多くの物を運びたいので、何とか逃れようとする。だから余計に取締りが厳しくなる。6時少し過ぎに国境を越えたのに、ここを出発したのは正午。取締りはインド人よりもネパール人の役所の方が執拗で長かった。  やっとバスが走り出す。この辺はネパールのタライ(平野)。まだ正確な場所がわかっていないが、カトマンズがまだ遥か遠いことは確かだ。太陽が明るくなったが、インドに比べてかなり気温が下がった。湿気も少なくなった。このタライは私が初めてネパールで取材に来た場所。ネパールは山側のヒマラヤが有名だけど、私にはこの平野側のタライが最も懐かしい。青々とした木々が眩しい。木立のなかで馬が草を食んでいる。牛車が作物を運ぶ。サリーの女性たちが頭に物を乗せている。わらの屋根の家々が並ぶ。田んぼは茶色い地肌を見せているが、これから種まきが始まろうとしている。  それから1回道の途中でトイレ休憩があったが、3時半過ぎまで休憩はなかった。バスはカルナリという大きな橋のかかるところで止まった。ネパールに入って初めてのダルバートを食べる。美味しかった。ただ、ここで暑さや長時間のバス旅に疲れたらしい男性たちがビールを飲み始めた。他の家族連れとかは一刻も早く家路に着きたいのだけど、ゆっくり腰を据えて飲んでいる。なかでもガーダチョーキから乗ってきた身なりの良い、高級役人らしい男性はバスに乗ってからも上機嫌で歌をうたったり、冗談を飛ばし続けていた。それからバスはまた走り出しタライの東西を結ぶ国道を行く。ブトワルという町まであと250キロという表示を見た。ブトワルからポカラまでは7、8時間。これだとポカラに着くのは夜中になりそうだ。ブトワルで1泊するという手もあるが、早くポカラに着きたかった。走るうちにまた日が暮れた。延々と平野を走っている。途中近道らしい村の中を通った。ブトワルにようやく着き、食事休憩となった。バスのスタッフが、途中で降りる私たちが荷物を出しやすいように、座席の近くまで運んでくれた。最初このバスのスタッフはネパール人らしい親しさがないな、と思ったのだけど、きちんと気を遣ってくれていた。多くの場所で役人のチェックを受け、その配慮もしながら人を送り届ける。大変な仕事だと思った。私は、飛行
2009/6/5 (金)
デリー発、ポカラ行きバスに乗れない

朝5時半起床。6時半に旅行会社に頼んであったタクシーが来るはずが来ない。7時半過ぎようやく来たが、250ルピー払え、といきなり言う。すでにバスに乗り込む時間の7時半に近い。旅行会社の社長とクリシュナが話をして「他の車を送る」ということになった。旅行会社がいつも使っているというタクシーを400ルピーも使って頼んだのに。しばらくして次の車が来た。このドライバーはちょっと良い人で、わかりにくいバスの乗り場までちゃんと連れていってくれた。8時過ぎに着き、バスに乗ろうとすると「ネパール国境のイミグレーションを通っていかないから、外人はこのバスでは行けない」と言う。ただ2時にでる別のバスはイミグレーションを通ってカトマンズに行くから、それで途中まで行って、ポカラ行き乗り換えればいいという。このバス会社のオフィスというのが近くにあって、そこで待つことになった。 オフィスのスタッフの1人に、日本人には親しみを感じさせるモンゴル系の顔だちの男性がいた。「ご飯は食べた? ネパールダルバートを食べられるところに連れて行くよ。バス乗り場までも連れて行く」と親しげにいう。11時頃になり、この男性が「じゃあ行こう」といい、オフィスを出る。カトマンズ行きのバスはマンディリ?とかいう場所から出るのだと言う。オートリクシャーにこの男性を含む3人で乗っていった。このモンゴル系の男性はインドに暮らすチベット人らしかった。 連れて行かれた場所はチベット難民村のちかくだった。バスのオフィスと同じ建物に料理を出す店があり、ここでダルバートを食べた。連れてきた男性はお金を払う段になると、すっと場を離れる。ここに来るまでのオートリクシャー代や50ルピーもしたダルバート、バス乗り場までのリクシャー代、全部こちらで払った。ネパール国内で乗り継ぐことになったポカラ行きのバス代について、チケットを買った旅行会社に電話で聞くと、このチベット男性に「立て替えておいて。デリーで払うから」と話してくれた。でも、この人は「話しておく。お金を立て替えておく」と言っておきながら結局何もしてくれていなかった。 1時半ころバス乗り場に行く。バスはバスの屋根に荷物を載せるのに時間がかかって3時半頃ようやく出発した。バスは1度出発すると夜10時くらいまで止まらなかった。暑くて喉が渇くくらいなので、トイレは行きたくならない。バス内は暑いが、走っていると風が入ってくるので助かる。インド国内は夜も暑かった。バスに乗っているのは、インドで商売をしているらしいインド人ぽいネパール人がほとんどで、ほか1組の子ども連れ、年配の夫婦、などで女性は私を入れて4人くらいだった。10時に入った店は宿も兼ねたドライブインで、一番安いチョウメン(焼きそば)が50ルピー。量はたっぷりあったけど、塩辛いばかりであまり美味しくなかった。この休憩時間は1時間くらいあった。それからまたバスは走り出す。道は途中から人家がなくなりジャングルになった。道は整備されている。何度か町を通過する。 深夜3時、バスが止まった。周りは森林。前に閉まったままのゲートがある。このゲートが開くのを朝6時まで待たないといけないのだという。遠くで雷が光っている。ゲートのそばに1人の眼鏡をかけた「ガンジーみたいな」おじいさんが店をやっていた。普段ほとんど炭酸ジュースは飲まないのだけど、ここでミリンダを買って飲んだ。遠くの方から動物が啼く声が聞こえる。犬とか猫ではない。インドのジャングルには、ヘビやトラもいるという。しばらくするとバスが止まっているのに気が着いた警官がやって来た。物をたくさん運んでいる人たちが言いがかりをつけられ、何百ルピーかを握らせていた。警官は必要もないチェックを続けていたが、そのうち雨が降り始めると帰ってしまった。外にいた人たちも車内に戻ってきた。雨が降り始めると気温も下がった。デリーを離れるにつれ、あの蒸し暑さも軽減されてきた。
2009/6/4 (木)
ビールの値段

ビールを売っている店を見つけた(インドの人は宗教上、あまり酒は飲まない。売っている店も少なく、ホテルにも置いてないことが多い)。昨夜ホテルで130ルピーで買ったが、直接買うと1本35ルピー。クリシュナは100ルピーも多くとられていたことにショックを受けていた。このビールをいつも買ってきてくれていた男性のスタッフは、私たちが直接ビールを買うと態度を変えた。クリシュナが「コップを下さい」と頼むと、水の入っていたコップの水を捨てて渡したという。  ホテルの部屋では隣からイスラムの祈る声が聞こえてくる。ホテルのレセプションではヒンディーのテレビをやっている。この日はインドに新しい内閣が誕生したらしく、1日中ニュースでやっていた
2009/6/3(水)
ポカラ行きのバスチケットを買う インドの地下鉄に乗る

朝10時頃起き、近所の定食屋でタリ(豆スープ、カレー、パン、米がついたセット)を食べる。オートリクシャーに乗ってコンノートプレイス(写真・日本の丸の内周辺みたいな中心街)のアシアナ航空を訪ねてみる。リコンファームや便の変更はネパールから電話でOKとのことだった。 たまたま入ったツーリストオフィスでネパール行きの飛行機が75ドルだと聞いた。昨年は200ドル払ったからずいぶん下がった。これならいいな、と思い、実際にチケットを買うのは何軒かあたってからにしようと考え、ホテルの近くのパハールガンジに戻ってくる。ところがこのあたりの旅行会社ではどこで聞いても140ドルとか、170ドルなどと言う。さっき聞いた75ドルは間違いだったのか。前回見かけた「毎日運行 デリー・カトマンズ・ポカラ」という貼り紙のある旅行会社に行ってみた。経営者はネパール人だった。ほかでは「デリーから直接ポカラに行くバスはない」の一辺倒だったのに、ここではあっさり「あるよ」と言われた。24時間乗ってポカラに着くのだそうだ。1200ルピー。ドルなら30数ドル。安い。しかもカトマンズに寄らずに行ける。24時間乗るのは疲れそうだけど、このチケットを予約した。ただバスの発着場はここから電車で30分くらいのジャラギルプリというところだという。オートリクシャーなら65ルピー、タクシーは350ルピー、地下鉄なら13ルピーだから、地下鉄で行くといいよ、店主に進められた。でも、朝7時半に間に合うように乗ったことのない地下鉄に乗るのは不安な気がする。今日これから試しに地下鉄に乗ってみよう、ということになった。最寄のラムクリシュナアサール駅はこのパハールガンジから歩いて15分くらいだった。窓口で行き先を言って「トカン(番号札)」を買う。コイン状のもので、これを自動改札機にタッチして入場する。このコインは電車を降りるとき回収される。日本の紙の切符より合理的な気もする。スイカやパスモのようなカードで乗り降りしている人もいた。改札には金属探知機があり、ガードマンによるボディチェックも受ける。電車はクーラーが効いていて、何駅か混んでいた意外は快適だった。駅もきれいだった。  電車は1回乗り換えて15分だったけど、目的地に着くまでに乗り換えを含めて40分くらいかかって、思ったより遠かった。朝大きな荷物を抱えて乗るのも不安だった。もう一度パハールガンジの旅行会社に戻る。よく話を聞くと、ここの社長も実は地下鉄に乗っていったことはない、と言う。クリシュナが「バスの発車に間に合わないとか、乗り場がわからないとか問題があったとき、責任を取ってもらえるから、タクシーはここで頼もう」と言い、そうすることにした。  
2009/6/2 (火)
成田発、インチョン経由、デリー着

12時40分頃成田着。アシアナ航空のカウンターに行くと、もうチェックインが始まっていた。リコンファームは電話でもできるのか? デリーの事務所はどこあるのか? などを尋ねると丁寧に教えてくれた。出国審査へ。ここの荷物検査で出し忘れた化粧品のボトルが引っかかってしまう。係りの人が申し訳なさそうに、「もう一度チェックインカウンターで預けてもらえれば大丈夫です」と言われ、戻る。ビニルの手提げのままアシアナ航空のカウンターで出すと「これではセキュリティの都合上、受け取れません」と言われてしまったが、航空会社の方で紙袋を用意してくれた。これで引っかかったせいなのかどうかわからないが、ソウルで飛行機を乗り換えるとき、わざわざ呼び出されてパスポートの提示を求められた。ソウルには17時半頃着。デリー行き20時20分発に乗り換える。この時間を過ぎて乗ってくるインド人がたくさんいて、実際に飛行機が離陸したのは21時半だった。この飛行機で良かったのはビデオ。座席に1人1台画面が着いていて、英語、韓国語、中国語、日本語で映画などを選んで見られる。私は「おくりびと」を観た。山形の風景が美しかった。 デリーには深夜1時頃着。マスクをした医療関係者が、1人1人記入したチェック表を見ながら「熱やせきはないか?」などと尋ねていた。機内のアナウンスでデリーの気温は40度とか言っていた。確かに暑かった。税関などを抜け、1月に泊まったホテルに電話する。前回名刺をくれたスタッフは不在だったが、「部屋は空いてる」というので、タクシーで行くことにした。送迎を頼もうかとも思ったけど、プリペイドタクシーのカウンターで値段を聞くと350ルピー。前回ホテルで呼んでもらったときは600ルピー。下手に送迎を頼むより安い。タクシーの運転手は名刺のアドレスをもとにホテルまで連れて行ってくれた。呼び鈴を鳴らして中に入る。昨年も泊まった「マハラジャキャッスル」。1泊2000円弱くらいだから、このデリーでは中の中くらいのランクかな。汗をかいた体をシャワーで洗い、清潔なベッドで寝た。
2009/6/2 (Tue)
出発!

昨日まで熱海の温泉に行ってきた。海あり、温泉あり、鮮魚あり、東京から踊り子号で1時間20分くらい。手軽にいけて大満足だった。日本の旅館はいいなぁ。日本人はやっぱりこういうサービスを期待しちゃうんだな、ネパールの宿にも。。。宿の仲居さんがネパールにいろいろ関心を持ってくれた。「いつか頑張ってネパール行くからね!」と言ってくれた。 今日日本出国。10時半頃うちを出て、京成線の通勤特急で成田まで行く。うちからは都心に出て成田エクスプレスとかスカイライナー乗るより速いのだ。 では続きは現地についてから。今夜はデリーに深夜着いてそのまま泊まる予定。
2009/5/30 (Sat)
職場の人と飲む!

昨日は4,5月と働いた編集プロダクション勤務の最後の出社日。ほぼ予定通り校了して終わった。就業後、会社の人と神楽坂で飲んだ。たった2か月お世話になっただけなのに、みなさん親しくしていただき、この飲み会も楽しかった。仕事仲間と酒を飲む。女性も大いに飲んでしゃべる。ネパールではこういう習慣はないだけに、日本のこういう一杯飲んで親交を深める、というのも良いもんだな。なんてほろ酔い気分で神楽坂を歩きつつ、思った。
2009/5/23 (Sat)
ネパールへの道・2009 編 ビザ

日本人がインドに入るにはビザがいる。大使館、領事館などに聞いて、申請に行けば、数日で取れる(写真、申請書、3500円を提出する)らしいが、私の場合は仕事があるので、旅行会社に頼んだ。手数料は3500円だった。 私の夫はネパール人なので、どこに行くにもビザがネックになってくる。実はネパールに行くコースは、タイ、シンガポール、中国、香港、韓国、パキスタンなどいろいろあって、その国の旅行も兼ねていくこともできる。以前はタイに2,3日滞在してカトマンズに入ったりした。でも、ネパール人がこれらの国に入る場合、たとえ短期の旅行でもビザは必要で、その取得のために大使館に「職業証明書」「源泉徴収表」などの書類を提出しなければならず、そう簡単でもない。反対にネパール人は隣国インドに入るのにはビザは要らない。そんな便宜性もあって、私たちはインド経由にした。
2009/5/23 (Sat)
ネパールへの道・2009 編 航空券

航空券 5月10日くらいになって飛行機のチケットを探し始めた。6月出発のぎりぎりまで待った方が燃油代が下がるかなぁ、と考えた。インターネットで「ネパール 格安航空券」で検索してみた。1ヶ月とか45日有効のチケットなら成田・カトマンズで6万円台もあって、 ちょっと安くなったみたいだけど、私が欲しいのは1年有効のオープンチケット。そっちは思ったほど昨年と金額は変わっていなかった。雑誌に破格の値段を載せていた会社のHPを見たり、短期間有効の券を片道で買った方が安いかな?と考え、あたってみたけど、やっぱりそんなに安くない。 結局昨年頼んだ旅行会社「旅人舎」というところにメールをしてみた。「ネパールとインドで1年オープンでいくらでしょうか?」その回答は「成田・デリー アシアナ航空11万7000円」「成田・カトマンズ 中国国際航空20万2440円」。インド(デリー)とネパール(カトマンズ)では10万円近くも値段が違うんだ! 迷わず「成田・デリー」を選んだ。私の場合は前回インド・ネパールをこの道で移動し、様子がわかっていることもあるからいいけど、インドやネパールが初めての人は、ちょっと勇気がいるかもしれない。 そういう場合はデリーの空港内でカトマンズ行きの航空券を買うこともできる。昨年9月は「ネパール航空」で片道200ドルだった。デリー・カトマンズのチケットは何社かあり、日本の旅行会社で買うこともできる。
2009/5/17 (Sun)
3階の天井終わる 飛行機のチケット

朝ポカラのババから電話。「3階の天井が終わった」とのこと。次の工程に進むには私たちが決めないといけないことがいろいろあるので、「早く戻ってきなさい」とのことだった。思いのほか、ちゃんと予定通りに進んでいるのでちょっと驚く。 先週から飛行機のチケットを探し始めた。インターネットで安いのをいろいろ探したけど、結局昨年頼んだ旅行会社が一番安かったので、またそこと連絡を取っている。燃油代が下がったからずいぶん安くなると思っていたのに、大して変わらず、ちょっとあてがはずれた。
2009/5/10 (Sun)
セメントの値段があがる

ババから電話。セメントの値段が少しあがったらしい。それ以外は問題なく進んでいるようだ。 近所のネパール料理屋で「チョイラ(鶏肉炒め)」と「アルコアチャール(じゃがいも)」を買ってきて、家族と食べた。オーダーする際、「つくるのにすごい時間がかかる」と言われが、「それでもいい」と言うと、たいして待たずにできあがった。
2009/5/4 (Mon)
鉄やセメントの値段 下町のネパール料理屋

昨日の日曜日、朝9時ころポカラのババから電話。最近は鉄やセメントの値段があがり、また「バンダ(ゼネスト)」が起こって、仕事が停滞ぎみだという。いまポカラでは建築ラッシュで、職人の数が足らず、テクダル(建築の監督者)も人集めに苦労しているそうだ。今は2階の壁の表側の石を積んでいる。 ババが言っていたバンダとの関わりがあるかどうかわからないが、今朝の新聞に「ネパール参謀長 籠城」という記事がでていた。マオイスト兵士の国軍編入に反対していた参謀長が、プラチャンダに解任されたことに抗議してのことらしい。 昨日うちの近所に最近できたインド料理店(といっても働いてるのはネパール人)「ティカ」にお昼に行ってきた。1つのカレー、サラダ、ナンかライス、ラッシーがついて750円〜。そんなに辛くもなく油っこくもなくて、普通に日本人が好みそうな、やさしいカレーだった。ナンも甘みがあっておいしかった。1階はカウンターと2テーブル、2階が座敷、けっこうお客さんが次々とやってくる。メニューにはカレーとタンドリーチキンなどちょっとしか書いてないので、「モモはないの?」「アルコアチャール(ジャガイモ)はないの?」とスタッフに聞くと「ある」と言う。「じゃあメニューに書いた方が良いんじゃないの?」と思わず言ってしまった。このお店の前が、母親がいつも行っている美容院で、私がこの店の話をすると、思い出したように「今日美容院やってた?」と母親は髪を切りに行った。「コブラの頭みたいな形したパン(ナンのこと)ができたては温かくて美味しいわよ」と、美容院の先生も言ってたらしい。
2009/4/26 (Sun)
あと1週間あとに、3階の天井

朝ポカラのババから電話があった。「あと1週間あとに、3階の天井をはじめる」とのこと。2階の壁や内装は、私たちが行ってからになる。いまのところ、問題なさそうだ。6月初めにネパールへ帰る予定。仕事をしながらの毎日がちょっと忙しくなってきた。
2009/4/19 (Sun)
ポカラで展覧会

今日はクリシュナが10年来のお付き合いをさせていただいている坂さんとお会いした。新宿のネパール料理屋「サンサール」で、あいかわらずおいしいダルバートに大満足しながら、最近行ってきたというネパールでの話を聞いた。私たちの建築現場も見てきてくれた。「お父さんが(クリシュナの)頑張って見てたよ。夕方仕事が終わって帰るときも、いつまでも心配そうに後ろを何度も振り返ってたのが印象的だったなぁ」とのこと。 坂さんは8月にポカラで子どもの絵の展示会を企画していて、そのための会を立ち上げたり、カトマンズの日本大使館に後援を頼んだりしている。8月に来るときに、私たちのホテルができていれば「第一号のお客さんになるんだけどなあ」と言ってくれている。今日もダルバートをごちそうになってしまったし、クリシュナが病気をしたときもいろいろお世話になった。この恩返しは、なんとか8月に完成を間に合わせて、私たちの宿に泊まってもらうことではないか、という気がしてきた。
2009/4/5 (Sun)
2階天井終わる

今日は都市農業公園に桜を見に行った。荒川沿いの桜並木が満開で、お花見の人で賑わっていた。五色桜(八重桜)はまだこれからなので、来週も楽しめそうだ。先週は舎人公園の桜まつりで季節外れの花火が楽しめたし、こういう日本の季節の行事も良いものだ、とつくづく思う。 クリシュナにポカラのババから電話があり、「一昨日2階の天井が終わった」とのこと。またこの天井のコンクリートが固まるまで、1ヶ月の工事休止期間になる。なんとかここまで来た。
2009/3/30 (Mon)
2階の天井もう少しで始まる

夕べポカラのババからでんわあり。テクダルによれば「あと3,4日で天井をやる」とのこと。でも、実際はまだ先かなぁ? クリシュナはフライデーズの職場で、私は4月、5月はしりあいの編集仲間の紹介で編集プロダクションでお仕事させてもらうになった。並行して、ネパールで出版できそうな話がある「日本語の本」を書いている。
2009/3/22 (Sun)
2階の壁

今日ポカラのババ(クリシュナの父)から電話が来て、工事の進捗状況を聞いた。今2階の壁をやっているそうだ。とくに問題はないようで少し安心。ババが「日本の経済状況が大変だと聞いたが、大丈夫か?」と言っていた。ネパールでも日本の、世界の不景気が報じられているそうだ。
2009/3/4 (Wed)


昨日東京にも雪が降った。 風も冷たくて、ああ日本にいるなぁーと感じる。ネパールは雪が降るほど寒くないので。 クリシュナはフライデーズに働きに戻らせてもらい、私も単発の校正の仕事などをしている。この不況のおり、ありがたい話だ。。 今日から「ミカの会」の方がポカラへ行っている。私たちとポカラで会う予定だったというが、私たちが不在でも、現場を訪ね見てきてくれるそうだ。どなたか定かでないが、一昨日のクリシュナのババからの電話で「クリシュナのホテルってどこ?」と訪ねてくれた方がいたそうだ。なんてありがたい! 10月になんとかオープンがんばるぞー!
2009/2/16 (Mon)
日本に戻る

1月25日、スノウリ、バナラシ、デリー経由で日本に帰ってきた。インドは近い将来のオリンピック誘致をしており、デリーの街は発展中で活気があった。思ったほど、危ない目にも遭わず、人も親切だった。飛行機は北京経由、中国もオリンピック後できれいな空港に明るいムードが感じられた。そこから日本に帰ってくると、「不況」「派遣切り」と暗い話題が多い。残念ながら、そう感じられた。。。
2009/1/13 (火曜日)
家建築100日目 天井完成!!

朝6時にセメントなどが届き、ババも来ることになっているので、クリシュナがまだ暗いうちに出掛けていく。今日はいよいよ天井のセメントの日だ。この仕事は1日で終わらせるために、大人数でどんなに夜遅くなってもやり遂げる。私は部屋で掃除などをして、それから出掛けようとしていたら、クリシュナから9時半頃電話が来て「早く来ないと終わってしまいそう」と言う。それで急いで現場に行く。働く人が40人以上は来ていた。この仕事を専門にしている人がいて、その人が大勢の人を集め、機械や道具も持ってきていた。子どもから年配の人、赤ん坊を連れた主婦までいろいろな人がいた。赤ん坊を連れてきて布でハンモックを作り寝かせながら働く女性もいた。石や砂をシャベルでセメントを詰めていた袋に入れる人、それを背中でかついで運ぶ人、セメントのミキサーに水やセメントを入れる人、そこからできたセメントを円形の鉄の器に入れる人。その器が木のはしご、天井にいる人にホイホイと手渡しされていく。ミキサーは停電に影響されないようにジェネレーターを使って動いていた。ミキサーの音が響き、人々が一気に働く様子は確かに壮観で、日本人の私などは思わず仕事に参加したくなった。みんなとてもきびきびと働いていて、のんびり冗談を言いながら、といういつもの雰囲気とは違う。一種の緊張感もあった。テクダルもうちの親戚も見に来ていた。いつもの鉄柱を造る職人さんや電気の配線の人も来ていた。バジもいて、水を運んだりした。4歳の子どもがお母さんと一緒に来ていて、ぼおっと見ている私のところにちょくちょくやってきた。このお母さんはニューロードから来た、と言っていた。わりと近くの人を集めるようだ。12時に30分くらい休憩を取って、あとは一気に仕事が進んで3時半に終了した。テクダルが彼らに払う給料とは別に「カジャ代(軽食代)」と言って、80ルピーのご祝儀を出した。
2009/1/12 (月曜日)
家建築99日目 天井 アパートの水問題

朝からクリシュナは現場に出掛けて行く。今日で天井の鉄の梁を造る作業は終わるらしい。うまく行けば明日は工事の大きな1つの区切りとなる天井のセメントとなる。これまでのテクダルののんびりぶりから言うと、今から明日の大人数の働き手は集められないような気もする。が、電話してみると意外にも「明日やる」とのことだった。テクダルがこれから現場に来るというのでクリシュナは急いで出掛けて行き、どこに水のタンクを置くとか、そういった打ち合わせをしに行った。 そしていったん戻ってきて、アパートの水会議に呼ばれた。会議と言っても、話し合いに参加したのは2階のカシミールのだんなさん、うちの隣りのカシミールのだんなさん、そしてクリシュナと大家さん。他のグルンの家族はご主人は仕事で不在だったし、女性たちは周りで話を聞いていて、大家さんに意見を求められれば答える、と言った感じだった。2階のカシミールのだんなさんがほとんど喋っていて、隣りのご主人やクリシュナは眉毛をひそめて話を聞いていた。2階のカシミールのご主人は「以前はちゃんと水が出たのだから、それに戻そう」という。ただ、そうすると1階の人たちは水が足らないのだそうだ。それでやり方を変えて1階の人がモーターを使って水をたくさん引くようにし、以前は1つの蛇口しか使わなかったのを3つ使うようにした。それで2階以上はほとんど水が来なくなった。機械の故障と考えた2階のカシミールのご夫婦は無断で水道工事を頼んでしまった。結果、ますます他のうちに水が出なくなった。これを一番怒ったのが隣りのカシミールとネパール人のムスリムのご夫婦。速攻大家さんに電話して呼び出し、今日の会議となった。いろいろ話したが、結果的に公平に水を分けるには蛇口は1階の1個に集中して、そこから各部屋の住人がバケツやタンクに水を取りに来る、ということになった。夕方現場から戻ってくると、すでに水をみんなで分けていた。1階の人はすでにため終わっていた。2階のカシミールの奥さんがタンクにためているところで、「まだちょっとしか溜まってないわ」とイライラした口調で言った。隣りのムスリムの奥さんも自分の水の順番に気を遣っていた。私たちは順番を待って、2個のタンクに半分ずつ入れて3階まで運んだ。満タンにしてしまうと重くて3階まで運べないのだ。うちだけ2個のタンクを使っていると思われると困るので、「半分ずつ入れてるよ」とクリシュナはわざと言った。うちの隣りの人は1個のタンクを満タンにして、それから夜仕事から戻ってきたご主人が何度もバケツで3階まで運んでいた。同じ敷地の小屋に住んでいるお姉さんは「うちはタンクを買うお金がないよ。どうしよう」と嘆いていた。2階の警察官の奥さんもおっとりした人で、みながくみ終わるのを待って、小さな容器で何度も運んでいた。彼女は会議のとき「水をためるのは1階でも屋上でもいいよ。どっちにしても取りに行くのは同じだから」と言った。2階のカシミールのご夫婦は自分の意見が通らなかったのが悔しかったのもあってだろう、クリシュナに「まだ持っていけるんだったら、持っていったほうがいいよ」と言って、半ばやけぎみに何度も水を運んでいた。そんなに要るのかな? と思ったほどだ。いずれにしても、このやり方は無理がある気がする。 現場は明日天井のセメントということで急に慌しくなった。電気工事の人が来て、どこに電気やテレビや電話をつけるか聞かれるが、あまりに急なので答えに困った。ダムサイドのおじさんやババ、エンジニアのお兄さん、テクダル、水道工事の人も来た。鉄の梁を造る仕事も続いていた。「飲み水がなくなった」というので、レイクサイドに仕事の面接に来たシババンジャ(甥っ子)にクリシュナが水を汲みに行かせた。水のタンクが来て、水が来て、電気工事のパイプが来て、クリシュナは6時過ぎまで現場にいた。「明日はセメントが来るので6時に来なさい」とババに言われた。 仕事の一段落がようやく見えてきたので、クリシュナと今後のスケジュールを相談した。停電が長い。チャージするランプもあまり使えない。
2009/1/11 (日曜日)
家建築98日目 天井 パーツ造り アパート水不足

 朝7時頃アパートで水がタンクに流れる音がする。けっこう長い間水が流れていたのに、うちの部屋にはタンクにほんの数センチしか来なかった。隣りの奥さんが「水来た?」と訪ねてくる。一昨日2階のカシミールのご夫婦が水道の人を呼んで工事をした。そのお金を全世帯で10ルピーずつ出し合った。でも、結果的にはそれで余計に水が出なくなった。2階のカシミールのご夫婦の部屋だけ水がたっぷり出たみたい、とも言う。それで大問題になった。クリシュナは現場に行き戻ってきて、朝ごはんを食べ、昼頃また出掛けていった。が、そのすぐあとアパートの大家さんが来て、隣りの奥さんが話をするので、「あなたも話に入って」と隣りのだんなさんに言われる。この隣りの家もだんなさんがカシミールの人で奥さんがカトマンズのネパール人。私では語学不足なのでクリシュナに電話し戻ってきてもらうことにした。それを隣りのだんなさんに言うが、なぜか「ご主人じゃなくて、あなたが話したほうがいいよ」と厳しく言われた。屋上に行くと大家さん、隣りの奥さん、1階の年長のグルンのお姉さんが話していた。隣りの奥さんが大家さんに激しく言っている。「みんなカシミールの人がやったって言うけど、うちの主人もカシミールの人よ。そんな言い方されて迷惑だわ!」。前々から2階のカシミールのご主人は自分の身分を自慢するそうで、「ああいう人は好きじゃない」と1階に住むクリシュナの知人のグルンのお兄さんも言っていた。そのご主人が、大家さんの許可なしに勝手に水道の人を呼んでしまったのだと言う。ちょっと太って日本人のような顔をした青年の大家さんはまったく困惑していた。「2階のご主人には私が話をするけど、こんなことになるなんて、どうしたもんだろう?」。グルンのお姉さんが1階や2階のほかのグルンの住人も呼んで、2階のカシミールのうちの人を除く全員が集まった。大家さんが「1階の水道からみなが順番に水を汲んでいったらどうだろう?」と言い、それに一応みな賛成した。クリシュナが戻ってきたときにはそれで話がまとまり、「はい、もうこれで話は終わり」と隣りの奥さんは帰って行った。大家さんと同じ敷地の部屋に住む男性だけが残って私たちに「あなたたちは出掛けている時間も多いからどうしようか?」と心配してくれた。そして大家さんがどう2階のカシミールのご夫婦と話したかわからないが、夕方になって「明日の12時半に住人みなで会議」ということになった。 現場は比較的平和に仕事が進んでいる。今日は天井の梁の間にビニルシートを張った。5人の働く人が来ていてご祝儀1500ルピーを払うことになった。まだ明日も仕事があるそうで、今日500ルピー払い、残りは明日払う。
2009/1/10 (土曜日)
家建築97日目 天井 パーツ造り

朝ごはんを作って食べ現場に行く。仕事は天井が続いていて、ダムサイドのおじさんが見に来ていた。いったん部屋に帰り、また現場に戻る。天井は一面に鉄の格子が張り巡らされている。こんなに鉄を使うんだ、と思った。お金はこの鉄代に相当かかる。鉄は時勢価格で、私たちはあまり運の良いときには当たっていないようだ。 ポカラでは今日の午後3時まで店やホテルがバンダ(ゼネスト)だった。12日は全国的にバンダで、交通手段も止まるらしい。ということは私たちの仕事も、カトマンズに行くこともできなくなる。あー、いったいいつになったら天井が終わり、日本へ帰れるのか?  5時ちょっと過ぎまで作業があり、クリシュナはババが頼んだ砂などが届くのを待つ、と言ってそこに残った。 私は「マムズガーデン」の宮本さん主宰の新年会に行く。おでんやおからなどを美味しくいただいた。
2009/1/9 (金曜日)
家建築96日目 天井 パーツ造り

朝アパートの部屋にまた水がほんの少ししか来ない。昨日2階のムスリムの奥さんが大家さんと激しくやりあっていたが、確かにタンク4分の1程度では暮らせない。ペットボトル5本の水を汲んでくるが、1回食事を作って食器を洗えばすぐになくなってしまう。隣りの奥さんが1階、2階は水が来るが私たちの住む3階は少ない、と言う。確かに下の階の人たちは洗濯もしている。これから停電は1日16時間にもなると言う。私たちはもうすぐここを去ってしまうけど、他の人たちは我慢できるのかな? 水のタンク自体にも問題があるらしく、修理の人が来た。1世帯10ルピーを出し合った。 現場は5人が来て天井を続けている。鉄を折り曲げる物(ダイ)が必要で、それを職人のリーダー(サティン カンチャ=サティンという仕事をする年少の男の子の意味)がクリシュナの自転車を借りて造りに行った。500ルピーを仮払いし、テクダルに精算してもらうことにした。サティン カンチャは他のスタッフに指示を出して出掛けた。 4時半に現場に戻ると、ちょうどスタッフやテクダルが帰るところだった。結局ダイが届かなかったために、早めに終わったと言う。1人だけが残って鉄を切っていた。サティン カンチャがよく笑って明るいのに比べ、この若い男性はちょっと無愛想だ。黙々と仕事をして5時になったら黙って帰ってしまった。5時過ぎにサティン カンチャが自転車で戻ってくる。一通り天井の進み具合を見て帰る。天井のセメント入れは明日の予定だったがまた1日延びた。 ポカラはレストラン、ホテル、店のバンダ(ストライキ)が続いている。
2009/1/8(木曜日)
家建築95日目 天井 パーツ造り

朝リーダーからの電話で、「バジがいないので小屋の鍵が開けられない」とあり、クリシュナが現場に行く。今日は働く人が5人に増えている。午前中に朝ごはんを作って食べ、12時過ぎには現場に行く。天井の梁を造っている人と、鉄を切る人とに分かれて作業をしている。朝晩は寒いが、日中は日差しが強くてうっすらと汗ばむくらいだ。腰掛に座って、新聞を読んでいると、1人のスタッフが「エキスキューズミー オレンジ」と言って、みかんを1個くれた。今日から来ている新しい人だ。木のパネルを貸し出している女性が来ていて、しばらく話をした。彼女はバグルンバスパークに住んでいて、今のその辺の土地は1手2ラックだそうだ。バスの発着所は高いんだよ、と言っていた。仕事は5時ちょっとすぎまで続いた。クリシュナが天井の上のセメントにも水をまいてきた。バジがバケツで汲んでくる水を待ってクリシュナがまく。とても時間がかかった、と言っていた。 今日はポカラのホテルやレストランの従業員がストライキをしていて、大きなホテルや店は閉まっていた。
2009/1/7 (水曜日)
家建築94日目 天井 パーツ造り

朝クリシュナが現場に行ってくると5人が働いていて、天井のほかセメントなどもやっていると言う。朝ごはんを作って食べて、午後現場に行くと働く人はいつもの2人になっていた。テクダルも来ていて、仕事を見ている。1階の天井の横に渡す鉄の梁を造っている。柱と柱の間に鉄を渡し、そこに昨日まで造っていた長方形のパーツをはめて、細い針金でまきつける。パーツは下から上に放り投げる。その梁の間の隙間などをセメントで埋めた。竹の棒で支えた鉄の板の上に上ってみた。足元がやや不安だけど、ヒマラヤも見えて気分が良い。5時にバジが戻ってきて、セメントに水をまいた。
2009/1/6 (火曜日)
家建築93日目 天井 パーツ造り

 朝からお腹がちょっと重たい。トイレをしても水が流させない。部屋に水がないので、現場に洗濯物を持っていってする。  現場にはテクダルが来ていて、働く人はリーダーと若い人の2人だけだった。天井に鉄板を運んで並べていた。リーダーがテクダルに指示を受けて昨日まちがって造った鉄のパーツを造りなおし始めた。私はそのそばで洗濯をしていた。クリシュナのババが不意にやってきた。「(ババの家に)近いうちに来て」と言われていたが、仕事が遅れているので行くことができず、ババも待ちきれなかったのだろう。テクダルと必要な砂利の量などを確認していた。  3時頃現場に戻る。2人が鉄のパーツを造っている。5,6mくらいの長い鉄の棒を1mくらいにかなづちで叩いて切り、それを長方形に折り曲げる。木とくぎでパーツ成型の型を造り、それに鉄をあてはめて鉄のパイプなどを使って曲げていく。「機械がなくて全部手でやるからどうしても時間がかかるんだよね」と、日本で働いている友人のプリムさんが言っていた。  現場を見る合間に、近所の家を訪ねた。なんでも日本人の知人からかまぼこのお土産をもらって、それをどう食べればいいのか、私に聞きたいというのだった。その家では蜜蜂を飼っていて、とれたばかりのはちみつを食べさせてくれた。とっても美味しかった。黒砂糖のような味がした。  現場に戻り4時半頃、チョウキダルのバジが戻ってきた。だいぶ体調が戻ってきたらしく、歩き方もいつものしっかりした足取りになっていた。職人の若いリーダーが「酒は飲まない方がいいよ」と言うと、バジは少し決まりが悪そうに「元気になったから、ちょっと飲んじゃった。1杯、2杯・・・いや3杯かなぁ」。リーダーが「病気のときは死んじゃうんじゃないかって可哀想に思ったけど、元気なときは殺されるんじゃないかっていうくらい強いよね」と言い、みんなが笑う。平穏な現場風景で、こういうところはネパールは良いな、と思う。
2009/1/6 (火曜日)
家建築93日目 天井 パーツ造り

 朝からお腹がちょっと重たい。トイレをしても水が流させない。部屋に水がないので、現場に洗濯物を持っていってする。  現場にはテクダルが来ていて、働く人はリーダーと若い人の2人だけだった。天井に鉄板を運んで並べていた。リーダーがテクダルに指示を受けて昨日まちがって造った鉄のパーツを造りなおし始めた。私はそのそばで洗濯をしていた。クリシュナのババが不意にやってきた。「(ババの家に)近いうちに来て」と言われていたが、仕事が遅れているので行くことができず、ババも待ちきれなかったのだろう。テクダルと必要な砂利の量などを確認していた。  3時頃現場に戻る。2人が鉄のパーツを造っている。5,6mくらいの長い鉄の棒を1mくらいにかなづちで叩いて切り、それを長方形に折り曲げる。木とくぎでパーツ成型の型を造り、それに鉄をあてはめて鉄のパイプなどを使って曲げていく。「機械がなくて全部手でやるからどうしても時間がかかるんだよね」と、日本で働いている友人のプリムさんが言っていた。  現場を見る合間に、近所の家を訪ねた。なんでも日本人の知人からかまぼこのお土産をもらって、それをどう食べればいいのか、私に聞きたいというのだった。その家では蜜蜂を飼っていて、とれたばかりのはちみつを食べさせてくれた。とっても美味しかった。黒砂糖のような味がした。  現場に戻り4時半頃、チョウキダルのバジが戻ってきた。だいぶ体調が戻ってきたらしく、歩き方もいつものしっかりした足取りになっていた。職人の若いリーダーが「酒は飲まない方がいいよ」と言うと、バジは少し決まりが悪そうに「元気になったから、ちょっと飲んじゃった。1杯、2杯・・・いや3杯かなぁ」。リーダーが「病気のときは死んじゃうんじゃないかって可哀想に思ったけど、元気なときは殺されるんじゃないかっていうくらい強いよね」と言い、みんなが笑う。平穏な現場風景で、こういうところはネパールは良いな、と思う。
2009/1/5 (Tue)
家建築92日目 天井 パーツ造り

 3時頃現場に行くと、若い人1人が鉄のパーツを造っていた。テクダルがやって来る。さっきから続いているパーツ造りが間違っていたらしい。「全部キャンセル」と言っている。若い職人は憮然としている。私が見ているので、途中でやめるわけにもいかず、そのまま続けて明日やり直しになったようだ。
2009/1/4 (月曜日)
家建築91日目 天井

 現場では天井造りが続いている。竹の棒を加工して支えと板のパネルを付けている。正面側のバルコニーもできた。サイドに2フィートくらいのバルコニーを造る話もあったが、セキュリティ上やめてスロープのみにした。クリシュナは将来のためにエアコンをつけられるようにしておきたい、と言って、一応スロープに屋外機を置くか、と言う話になった。職人のリーダーが「帰るバス代もない」というので150ルピーを渡す。バジ(写真)がまだ調子が悪い、というので、薬局に一緒に行って胃薬などをもらった。  停電が長い。パソコンを使うのに不便だ。 
2009/1/3 (日曜日)
家建築90日目 天井

 朝8時半頃現場に行く。3人の職人さんが来ていて仕事を始めていた。カースペースの上の天井を造る。昨日丸い柱ができたので、そこに続く部分となる。職人の若いリーダーはサンダルを脱ぐと丸い柱に両手両足でするすると登っていった。下から放り投げられた釘を起用に受け取り、竹の棒の支えや横に渡す板をかなづちで打ち付ける。もう1人の若者はその今横に渡した幅20センチくらいの板の上を歩いて渡り、支えや板を釘で打つ。運動神経というのか平衡感覚というのかわからないが、その良さにクリシュナと2人で「すごいねー!」と感動してしまった。体重の重い人では無理なのだろう、2人とも小柄な青年だ。  朝ごはんを済ませて現場に戻る。リーダーの姿は見えないが、2人で天井の板設置が続いている。クリシュナと設計図を見ながらいろいろ話をする。結果、2階は1階の繰り返しだからババに頼んでも大丈夫、3階の柱までやってもらって、3階に造るキッチンやレストランは戻ってきてから始めてもらおう、ということになった。  バジが体調が悪い、と言って物置小屋で寝込んでいる。夕べ、飲み過ぎたこともあるらしいが、吐き気がするらしい。「今日は家に帰ってもいい」と言ったが、「大丈夫」と言う。また親戚に不幸があって、奥さんは家にいないとのことだった。  フェスティバルが終わってまた停電が始まった。停電するならそれも結構だけど、点いたり消えたりを数十分おきにやるのは何の意味があるのか。
2009/1/2 (金曜日)
家建築89日目 天井

朝ごはんを食べ日記を書き始めるが停電の影響でパソコンのバッテリーがなくなり、1時頃土地に行く。丸い柱の型はすでに外されていた。下の方が少しセメントが足らず欠けていたのを、職人さんが手でセメントを塗って埋めた。このときは働く人は2人しかいなかった。天井のセメントのパネルを支える竹の棒を加工している。しばらくしてテクダルが来た。間取り図を見ながら、窓の大きさなどを確認する。窓枠など私たちが帰る前に発注していこうかと考えている。テクダルはしばらくいたが職人さんたちとお茶を飲みに行った。まもなく働く人のなかのリーダーがトラクターに乗って、木を運んできた。職人さんもテクダルもこの木が届くのを待っていたらしい。それからテクダルたちももどってきた。打ち合わせを済ませたのか、テクダルはまもなく帰り、ひげを生やした職人さん1人で竹の棒を加工したり運んだりしていた。水道の職人さんが来て、天井のどこにパイプを通すかという話をする。そこへちょうどエンジニアのお兄さんが来て、ひととおり見て指示を出した。クリシュナが、ベランダの件を話す。想像とおりお兄さんは、2つの部屋の間に低い柵を造れば大丈夫、隣から人が侵入してくることなんかないよ、と言ったが、それは私たち2人で強力に反対した。バジが戻ってくる。また親戚が病院に入ったとかで、お見舞いに行っていた。それでも一応職人さんがいなくなる5時前には現場に戻ってくる。少々酔っ払っていた。クリシュナがしばらく話し相手になり、セメントに水を入れて帰る。