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ブハリ日記(ブハリとは末の嫁)の意味

2010/2/28 (日)
営業開始57日目 張り切って部屋掃除 「チャン(ひえバージョン)」を作る ホーリー

 朝ご飯を食べたあと、3人で大掃除をした。今後少しだけど予約が入っているので、そのお客さんを迎える準備だ。これまで拭いていなかった窓を拭き掃除した。考えてみれば、家を造って以来、窓枠などは掃除していなかったかも。しかし、この鉄格子のはまった不便な窓は絶対に掃除することを想定してないな、と思う。3階から1階まで全部やって夕方になった。かなり疲れたけど、やっぱりガラスがピカピカになって気持ちが良い。
 前回は米で「チャン(にごり酒)」を作ったが、今度は「コド(ひえ)」(写真)で作ってみることにした。2キロ近いコドをお湯で煮て、冷ましたあと、麹を混ぜてプラスチックのボトルに密封する。一方、米の酒の方は、やっと酒っぽくなってきた。酒らしくなるまで、けっこう時間がかかるみたいだ。
 今日はヒンドゥー教のお祭り「ホーリー」だった。色のついた水を掛け合う。近所の子どもたちが、赤や緑の色まみれになって、キャーキャー言っている。通行人に水鉄砲で水を掛ける。私たちは1日中掃除だったので、ホーリーは見物さえせずに終わった。でも、掃除をした充実感のほうが、私にはうれしい。
2010/2/27 (土)
営業開始56日目 予約入る 張り切って部屋掃除

 朝、また電話の予約が入った。カトマンズ在住らしいの若い女性で、11,12日にツインの部屋と朝食を予約してもらった。「友達からすごいきれいって、聞いたんで!」。この日は他に浴槽付の部屋の予約も入っている。うれしい!
 3月はトレッキングのシーズンに入る。「これからシーズンだよ」。クリシュナも張り切って、部屋の掃除や、これまで物置にしていた部屋の移動などを始めた。自分たちは1階の部屋に移った。でも、この部屋も入ると、木の香りがプーンとするし、ベッドを置いてみると意外に広い。ベッドなんか使わないで、木の床にそのまま布団を敷いて寝ても気持ちが良さそうだ。
 ネットで、今度はチリで地震が起こったことを知る。スタッフのバイによれば、ネパールではラジオでニュースを流していたと言う。夜のテレビではCNNが詳細を報告していた。被害が少ないことを祈る。
2010/2/26 (金)
営業開始55日目

 朝8時ころインターネットをつないで、オリンピック・フィギュアスケート速報を見る。ちょうど鈴木明子の演技が始まったところだった。画面は文字の結果だけだが良い演技だったみたいだ。次に安藤、というところでネットの接続が切れる。もう、なんだよ! とブツブツ言いながら、何度かつなぎなおして、やっと接続。キム・ヨナの滑走。すごい点が出たみたいだ。続いて浅田真央。「着氷乱れる」みたいなことが書いてある――。しばし、ネパールにいることを忘れた。
 1月の日本人新年会で会ったクリスチャンのシスターのところに行く。1歳から5歳くらいまでの子どもを預かる、日本で言う保育園を運営されている。新年会で、「不要な物があったら、何でも使いますのでお持ちください」みたいなことを仰っていたので、うちで不要となったベッドのマットを持っていった。もともとは貧しい家の子どもだけを対象にしていたが、最近は核家族で、共働きの夫婦が赤ん坊を預かってほしい、ということもあるそうだ。
 夕方5時過ぎころから、雷雨となる。もう雨のシーズンか・・・。3月になれば気温があがって、4月は夏。ネパールは冬が短い。 
2010/2/25 (木)
営業開始54日目 果物の木を植える

 夕方果物の木の苗を庭に植える。どれをどの位置にしようか、ちょっと悩んだ。土の下に水やトイレのタンクがあるので、その上に植えるのはよくない。庭のテーブルに腰掛けたときに景観が良い方がいい。日当たりも良い方がいい。畑に日陰を作らない方がいい――。アボガドは畑の前あたりに、ライチは隣の家の塀側にした。パパイヤはそれほど大きくならず、根もそんなに広がらないのでどこでもいい、ということになった。
 アボガド60センチ、ライチ60センチ、パパイヤ60センチの木を植えた。パパイヤの小さな苗は6センチ。果物になるのに、アボガドは10年と言われた。ライチやパパイヤは半年で大きくなる、と言われた。楽しみ。早く食べたい。
2010/2/24(水)
営業開始54日目 果物の木を買いに行く 骨董品の食器

 朝、停電する前に洗濯機で洗濯などする。インターネットで「オリンピック 女子フィギアスケート」の速報を見る。演技の動画は見れないが、結果は文字で60秒ごとに更新されて見ることができる。明後日のフリーもリアルタイムでチェックしたい。
 園芸店「ポカラガーデン」のご主人から電話があり、アボガドがあると言う。夕方買いに行った。枝になったパパイヤとアボガドの葉がついたのを150ルピーで買い、小さな花の鉢をサービスでもらった。ジェト(雨の時期)ころになったら、バナナの木も分けてくれると言う。主人は忙しそうな人だが、人当たりが良くて、サービスが上手いなぁと思う。
 クリシュナがババ(父)の家に行き、使っていない食器などをもらってくる(写真)。一部はババがインドで買ったもの、ほかはババのおじいさんの代から受け継がれたものだという。真鍮製のずっしりと重たいもので、当時、鍛冶屋で作ったもの。これに水やモヒ(ヨーグルトを作ったときの水)などを入れたと言う。バウンカースト(お坊さんになる高いカースト)なので酒は飲まない。冗談で「これにロキシー(ネパール酒)を入れようか?」と言っていたが、さすがにそれはまずいだろぅ、ということになった。飾りとか、神さまお祈り用に使うことにした。
2010/2/23 (火)
営業開始53日目 アイロンかけ 果物の木を買いに行く

 朝電気が来ている間に、昨日新しいのに交換したアイロンを使う。多少熱が来るようになって、なんとか使うことができたが、それでもすぐにコンセントが外れてしまい、非常に作業効率が悪い。やっぱりまた違うのに交換しないといけないかな。日本でアイロンやテレビが簡単に壊れた経験がない。ネパールでは日本で買うのと同じような値段なのに、すぐに壊れてしまう。日本の電化製品は立派な物だと思う。
 園芸店にアボガドなどの木を買いに行く。レイクサイドの周りで何軒かあたるが「ない」と言う。なじみの「ポカラガーデン」にも行ってみるが、主人が不在だった。歩いてダムサイドにあった園芸店にも行く。ここにもアボガドはなかった。でも、主人がわりと親切だったので、話を聞きながら「リチ(ライチ)」のちょっと大きな木と、「メワ(パパイヤ)」の苗を買った。どちらも1年もすれば大きくなると言う。2つ合わせて200ルピー。
持ち帰って、どこに植えるか相当考える。日当たりが良くて、ガーデンの景観にマッチするところ。そしてクリシュナとバイで土を掘り返した。2人とも汗だくになって、日が暮れるまでやった。うちは家を建てたときのゴミ(セメントの粉やかたまり、袋、ビニール)が土に混ざっていて、これを取り除かないと、ちゃんと木が育たない。続きは明日にすることにした。
2010/2/22 (月)
営業開始52日目 アイロンかけ 植木 インバーター

 朝停電する前に、買ったばかりのアイロンを試してみる。昨日1時間くらい使ううちに停電してしまった。布団のシーツにアイロンをかける。が、昨日は多少使えたが、今日はまったく熱が来なくなってしまった。「最大」熱いにしてみるが、私が手で触れるくらいのぬるさ。プラグもゆるくて、すぐにコンセントが外れてしまう。こわれてる。夕方それを買った金物屋さんに行き、違う物と交換してもらった。
 大きくなった鉢植えの木を庭の土に植えなおした。
 インバーターの配線をやった職人が朝来る。装置の問題とか言って、夕方また出直してくる。装置を付け直して電気は飛ばなくなったが、相変わらずピーという警報が鳴る。よくわからないが、うちに以前の装置と今日付けた装置と2つ置いて行った。クリシュナが言うには、多分装置の問題ではなく配線の問題だったのだろうが、いまさら失敗だったというのも恥ずかしいから、違う装置を付けて行ったのだろう。多少ピーが気になるが、電気に問題ないなら、様子を見ることにする。しばらくこのまま2つの装置はうちに置いておこう。
 秋にヒマラヤ登山に来られる日本の方が、いろいろな知人に私のHPアドレスを送ってくれると言う。助かるなぁ、ありがたいなぁ、と思う。
 夜、うちで作っていた「チャン(にごり酒)」(写真)を飲んだ。バイはそのまま発酵した米を食べていた。その米に水を足して飲んでみる。酒と言うよりは、カルピスみたいな感じ。体に良さそうな? 米と麹を混ぜたものはチーズみたいな匂いがした。酔っ払うほどではなかった。もう数日間置いていろいろな飲み方を試してみよう。
2010/2/21 (日)
営業開始51日目 「桃太郎」へ行く 予約のメール

 近所にある日本料理レストラン「桃太郎」に行く。京都からおいでのご主人一家が今お店の仕事をしていて、私の本を売っていただいた。食事をする。やっぱり日本でしか味わえないラーメンの味がする。久しぶりにご主人にお会いした。ご家族で来ていて、あと数日で日本に帰り、また秋に来ると言う。京都の八百屋さんでもあり、「マチャプチャレ」というネパールレストランもやっておられる。本を置いていただいてるだけでもありがたいのに、さらに奥さんが1冊買って、京都でやっているレストランに置いていただけると言う!ご家族皆さん、きさくな良い方々だった。京都に行ったら絶対行く。早速本を持って行き、うちで作ったほうれんそうも持って行った。
 インバーターの配線の職人が来る。装置を付け直して、今夜様子を見てください、とのことだった。実際にオーバーワークにはならなかったが、警報がピーピー鳴るようになった。
 クリシュナの古くからの知人であり、NPOの「ミカの会」の方から、予約のメールをもらった! 3月に6人のグループでいらっしゃると言う。ネパール人のガイドさん分を含め4部屋予約をいただいた。ミカの会の方は、私よりもクリシュナとの付き合いが古い。日本で働いているときを通じて、宿建築中も何度か連絡をもらったりして、つねにあったかい目で見ていただいていた。こういう日本の方々に来てもらうのが文字通り「夢」だったから、やっと叶う。ありがたいことだ。
 今日は感謝することの多い、幸せな1日だった。
 晩御飯はうちの畑で作った「チャムスル」という菜っ葉を採って食べた(写真)。日本で鍋に入れたら美味しいんじゃないか、と思った。
2010/2/20 (土)
営業開始50日目 ホテル協会の大事な会議 予約のメール

 ちょっと朝寝坊する。その間に早起きのババは帰ってしまった。ダムサイドのおばさんも来た。畑のなっぱを見て、「食べごろに採れば他の葉っぱがもっと大きくなるのに。早く採らないと損するよ」と言って持っていった。いつ会っても豪快なおばさんで、サッシの窓にいたハエをバンバン新聞紙で叩き落していた。ガラスが割れるんじゃないか、とヒヤヒヤした。
 朝8時ころ電話があり「9時からホテル協会の大事な会議がある」と連絡がある。大事な会議のわりには連絡が唐突だな、と思う。クリシュナが出かけていく。内容は「今後はどのホテル、ゲストハウスも1泊最低500ルピー以上にする。宿の前に料金を書いて張り出す」ということだった。ネパールも物価が上がっているのに、15年前と変わらず200、300ルピーにしているのはおかしい、という理由だった。出席者はみな賛成だった、と言う。15年のあいだ、誰も気がつかなかったのかな、と思った。
 停電の合間を見て洗濯をする。
 日本の方から予約のメールが入り、ほかの知人の方にも紹介してくれると言う。ありがたいことだ。お酒が好きだということで、うちでも「チャン(にごり酒)を作ります」と返信した。いらっしゃったら誠心誠意を込めておもてなししなくては。
 こっちではオリンピックがテレビで見れない。日本の妹がメールで、高橋大輔のショートプログラムはユーチューブに出てたよ、とアドレスを教えてくれた。
2010/2/19 (金)
営業開始49日目 料理 インバーター

 お客さんのための朝ごはんを用意する。料理本に載っていたさつまいもとレモンの煮たもの、なすを蒸してにんにく、しょうが、酢、しょうゆのたれをつけたものを出す。さつまいもが思ったほど甘くなくて、レモンがやや苦かった。それをあらかじめ言っておいたが、「ううん、ぜんぜん、ぺロッと食べちゃった」と全部食べていただいた。さらに「お味噌汁がとっても美味しかったぁ。どうやって作ったの?」と言われ、こそばゆくなる。どこの米がおいしいとか、虫を退治する方法とか、いろいろお話した。少し近所に出かけられて、12時半チェックアウト。2晩宿泊、朝食2回、夕飯1回。「よく眠れたぁ!また来ます!」と言っていただいた。ホッとした。
 1年以上前に会った日本人の方からメールをいただいた。秋にマナスル登山を計画しているので、滞在時にうちの宿を利用したいとのことだった。
 午後になって、不調のインバーターのチェックのため配線をした職人が来る。こっちはもう愛想がつきて、もう来なかったら来なかったで、もっと信用できる職人を呼べばいいや、と思っていたが、昨日、「自分は偉い人だ!」とか言い放っていった人がこの人たちを手配したらしい。わざわざ電話もかかってきて「職人来た? どうだった?」と尋ねる。さらに、今日来た職人たちは「配線には問題ない。やっぱり機械の問題だ」と言い、明日また違う装置か何か持ってくるということになった。「偉い人」もあんなに偉そうなことを言ったが、あとで恥ずかしくなったのか、下てに出るようになった。私は夕べかなり怒ったが、結局また「勝った!」と思った。
2010/2/18 (木)
営業開始48日目 料理 1人の宿泊

 2人のお客さんの朝食を用意する。1人のお客さんが、ほうれんそうとグリーンピースのゆでた小皿を残された。合わなかったかなぁ、と気になった。
お客さんといろいろな話をする。カトマンズのごみの話。でも「カトマンズも好きですよ」と言っておられた。ポカラに新しく国際空港の建築が始まっているようなので、日本からポカラ直通ができればいいのに、とか。お1人は今日カトマンズに飛行機で帰られた。13時過ぎころ、リュックを背負って軽い足取りで帰って行かれた。朝食3回、3日間宿泊。「楽しかった」と言っていただいた。よかった。
 夕方もうひとかたのお客さんが出かけて行き、停電中にインバーターで電気をつけると、バチッと消えた。オーバーワークになったのだ。クリシュナがすぐこのインバーターを売ったあるホテルの主人に電話する。が、「電話番号を教えるから、自分でエンジニアを呼んで」と言う。この人は古くからの知り合いで、ここのホテルに泊まらせもらったこともあるし、日本人も利用している。電気の専門家ではないが、ちゃんとしたものを売ってくれると思って、この人から買ったが、4万数千ルピーで買ったあと、機械の調子が悪くても「いまは忙しいから」と言ったきり、なんのケアもない。クリシュナも怒って「この人の言ってることはおかしい」と言う。もう1度電話して「あなたがこの状況を見に来い!」と私が怒った。クリシュナには「私が行ってもしょうがないから、行かない」とか言っていた。が、結局メーカーのエンジニアをバイクに乗せてやって来た。エンジニアはろくに見もせずに、「機械は何の問題もない。配線が悪いんだ」と言う。「じゃあ、何で最初からそれを言わないんだ」と言って怒る。すると、システムをほかのものに交換した。そしてチェックをした。電気をぜんぶつけてみると、やっぱり一定を超えると電気が切れる。「やっぱり配線の問題だ」と言う。売主のホテルの主人はクリシュナに配線をしたエンジニアの電話番号を教えて、また「自分でかけてみて」と言う。私が「それでもうまく行かなかったら、これを返すのでお金を返して」と、厳しく言う。すると「私はポカラの偉い人間だ。4万ルピーくらいのことで嘘をつくわけない。ガタガタ言うな」と言い放った。この人は普段は無口なバウン。確かに大きな土地を持って、2階建てのホテルも持っているが、全部親からの譲り受けだ。自分で働いて貯めたお金ではない。安易な方法で金儲けを考えて、不都合が起こると「自分は良い人間だ。なんで信じないんだ」と子どもみたいに怒り出す。どうしようもない。こんな人を相手にしたのが悪かった。
 夜、クリシュナとビールを飲みながら、「まだ仕事をしているだけ、テクダル(家建築の監督。建築中はよく怒ってけんかした)は良い人だったのかも」と話した。
2010/2/17 (水)
営業開始48日目 料理 2人の宿泊

 朝6時に起きて朝食の用意をする。今日はなすの煮物にした。「なす美味しかったです」と言ってもらってホッとする。
 朝10時ころ、昨日部屋を見に来られたお客さんがこられる。夕食、朝食のオーダーをいただいた。宮崎の方で、「宮崎とポカラが似ている」ということを仰っていた。夜になってwi-fiでネットをやるが、つながらない。線をさしこんでメールをやってもらった。
 午後1時に日本人の友人と、以前私がダンスを足掛け3年習いに来たダンス学校に出かけていく。ジャスウさんという女の子の先生と話をする。ちょうど週1回レイクサイドに来てダンスを教えているとのことだったので、そのついでにうちにも来てもらい、希望の民族ダンスを教えてほしい、と頼み了承してもらった。が、「週1回1時間の出張講義で1ヶ月2500ルピー」。習いにこちらから行けば週6回で1500ルピーだと言う。高い。昨年違うところで習ったときは週6回で600ルピーだった。ここには以前私が習っていたころの先生は今外国へ、先代のオーナーは亡くなってしまった。もう無理に付き合うこともないかな、と、少しさびしい気持ちになる。
2010/2/16 (火)
営業開始47日目 料理 1人の宿泊 水道一件落着

 昨日から宿泊のお客さんから朝食のオーダーをいただいたので、朝6時におきて仕度する。が、停電中で電気釜が使えない。日本米に近い韓国米を圧力鍋で炊くが、柔らかすぎてしまった。味噌汁はわかめとたまねぎ。それにインゲンとにんじんの煮物を添えた。いつもは目玉焼きにしているが、鳥インフルエンザの問題が最近あり、気にされることもあるかと思い野菜の煮物にした。味、大丈夫かなぁ、と心配するが、「おいしかったです」と言ってもらえてホッとする。
 宿泊のお客さんは、土壌改良の指導援助でネパールに来られている。もともとヒマラヤ登山も好きだそうだ。うちの畑も見てもらった。大根はもっと土を盛って、そこに植えた方が良いとか教えていただいた。このポカラあたりは暖かいので、手をあまりかけずと花や作物が育つ。ブーゲンビリアが1年中咲いている。「マンゴーやパパイヤ、アボガドも植えてもすぐ大きくなるから良いですよ」と教えていただいた。
 夕方6時ころ、このお客さんと一緒に最近仕事に赴任されたばかりの方も来て、明日から泊まっていただくことになった。体調があまり良くないと聞いた。ちゃんとくつろいでいただいて、元気になっていただけるといいなぁ、という気になる。もてなしたい、という気持ちは自然と湧いてくるものだなぁ、と思う。
 その一方で、若い日本人の男の子が「ドミトリーでいくらですか?」と来た。ドミトリーは共同風呂で素泊まりの意味で言っているのだろうけど、うちはそういう仕様にはしていない。ここの物価以下まで、あんまり安く求められると、正直言って困ってしまう。何も知らないで来る日本人には少々戸惑ってしまうのだが、でも彼らも悪気はないだろうし、私も最初はこんなもんだったろう。お客さんにはならなくても、今後はせめて情報くらいはあげられるように、答え方を考えておかないといけないな、と反省した。
 うちの水道のパイプを壊した家の主人のところも、ようやく役所から職人が来て、水源を開ける工事をした。私たちも立ちあって、また壊されないように見ておいた。工事主の主人は自ら穴を掘って、土をまた盛る。私たちはそれを見ている。1人で汗をかかせて申し訳ないな、とも思うが、でも私たちもやったことだし、とそのまましばらく見て、ちゃんとうちのパイプに問題ないことも確認した。壊れたところのつなぎは、役所の職人の方で無料で直してもらった。やっとこの一件も終わった。でも、また数ヶ月あとにまた違う新築の工事でここを掘り返すことだろう。
2010/2/15 (月)
営業開始46日目 水道のトラブル 料理 1人の宿泊

 朝、大きくなった畑のほうれん草を取って食べてみた(写真)。おいしい! 塩も何も入れなくても味がついている。しっかりした歯ごたえ。簡単に大きくなるし、これは店で買う必要ないぞ、とうれしくなる。
 一昨日から壊れたままの水源のパイプを見に行った。今日は溢れていた水が引いて、パイプが見えている。確かにうちのパイプらしいものが、つなぎ目から2つに分かれている。問題の工事中の家の主人は今日も「職人は来ないの? あとはヨロシク」みたいな感じで言う。でも、これをつなげば良いなら、自分たちでできそうだ。とりあえず水が溢れないようにすればいいんだし。クリシュナとバイでなんとかパイプをつなぎ合わせ、細い鉄でしっかり結んだ。クリシュナも工事中の家主に腹を立て、「自分たちの工事で壊れたのに、こっちに仕事をやらせようとするのはおかしいよね!」と言い、家主に電話で「なんとか自分のところの問題は直したから、あとの処理はそちらでお願いします」と厳しく言った。家主は「ああ、はいはい」と答えたと言う。その後、見に行ったら、うちが鉄で結んだところにさらにテープを巻いて補強してくれてあった。文句を言えばやる、言わなければやりすごそうとする。
 友人で、ダンス教室のオーナーの奥さん、ナンダさんに電話する。昨日来た日本人の友人がネパールダンスを習いたいと言っていたからだ。あいにくナンダさんはカトマンズに行っていて後2週間戻らないと言う。ダンスの件はだんなさんに電話で聞いて、とのことだった。それでだんなさんに連絡を取りクリシュナに話してもらうが、ナンダさんの友人だとか、以前私がそこでダンスを習っていたとか、通じていないっぽい。ジャッスルさんという女性の先生に電話を代わって用件を話した。その後、日本人の友人の都合を聞いて、明後日の2時に私も一緒に行って、どういう風に習うことができるか、相談することになった。ちゃんと要望が通じるだろうか? ちょっと不安。
 クリシュナがネワール料理「ウォー」を作る。クリシュナはネワール民族ではないが、以前日本のネパールレストランで働いたときに覚えた。豆を一晩中水にさらして、それを粉にして、卵や野菜をまぜて焼く。小麦粉で作るよりも、お腹に軽い。おいしかった。
 夕方この前コーヒー畑の見学に連れて行ってくれたJICAの方が、1人の同僚の女性と、カトマンズから3日間だけ出張に来たという男性の方と一緒に来た。出張で来られた方が3日間宿泊されることになった。JICAの方は頻繁に訪れてくれてうれしい。
2010/2/14 (日)
営業開始45日目 水道のトラブル 友人が来る

 昨日の水道の一件のためクリシュナが朝5時から起きる。でも、水道の職人は結局来なかった。ただ、うちのパイプが壊れたはずなのに、うちに水はちゃんと来ている。水源の方を見に行くと、水が溢れていた。本当にうちのパイプなのか? 昨年工事したときの写真を見る。クリシュナによれば、確かにうちのパイプだろう、と言う。でも、写真を見る限りしっかりパイプはつながっている。
 問題の、昨日水道工事をした家の主人は、うちに来て「まだ水道の職人は来てない?」とだけ言って、さっさとどこかへ行ってしまった。うちは水が来ているから良い。でも、水があまり来なくなってしまった家もあったらしくて、1人の女性が「こんなに水を溢れさせてしまって、うちに水が来なくなったよ!」と困っている。昨日問題を発見した時点で、ちょっと直してくれていれば、こんなことにならなかったのに。問題をうちのせいにして、責任を持たない家の主人にはっきり言ってやらなければ。
 昼ごろ、以前一緒にネパールダンスを習った日本人のお友達が来る。私も彼女に会いたくて連絡を取っていたが、なかなかつながらなかった。不意に訪ねてもらってうれしかった。新築以来、初めて来てくれて、客室やレストラン、トイレがきれいだ、とほめてくれた。彼女もうちと同じ「バウンカースト」の家のところにステイしているので、その状況をわかってくれる。いろいろ話せて、かなりすっきりした。なのに、そう言ってるはじから、2人の大学生の甥っ子がやって来て、私たちがお客さんと話しているのに「ご飯、おかわり! 早く! 早く!」とクリシュナを呼ぶ。「待って」と言ってもわからない。ご飯のおかわりくらい、状況を見て自分でつげばいいのに。さすがのクリシュナも「お客さんと話してるのに、何度も呼んじゃうしね・・・」とぼやいていた。
 米国に住みインターナショナルに仕事をする彼女の話は、話題豊富だし、基本的に明るい。感覚の違いに驚嘆しつつも、それでもネパール・ポカラが一番好きらしい。
 また、グルン民族の彼を日本へ招聘しようとしている知人が彼と一緒にお茶を飲みに来た。明後日日本大使館で面接と言う。クリシュナがどんな質問をされるかなどを話した。うまく行くと良い。

 今日はバレンタインデー。ネパールでも、新聞などでチョコ売り場が盛り上がっていることが載っていた。私もクリシュナとバイのため、スーパーにチョコを買いに行った。板チョコが1個100円からそれ以上して、意外に高い。セコイかな、と思いつつも、クリシュナがそれでいいと言うので、1個15ルピーの小さなキットカットを2個買って帰った。
2010/2/13 (土)
営業開始44日目 水道のトラブル

 うちの少し先にある新築中の家が、水道を引くことになった。水源からその家まで穴を掘って水道管を通す。うちの前も穴が掘られていたが、そこをセメントを詰めて直してもらった。うちもやったが、ネパールでは水道を引くときは役所がやるのではなく、自分で人を雇って、穴を掘ってパイプをつなぐ。うちも自ら穴を掘った(2009年9月6日の日記参照http://sky.geocities.jp/pokharasora/2009.9-10.htm)。日が落ちたころ、その家の主人がやって来た。水源のところの穴を掘ったら、うちの水道管がはずれているのを見つけた、と言う。水道の職人を呼んで直したほうがいい、と言いに来た。この前うちの水源のところのパイプをつないだ、同じ役所から派遣された職人が来て、それを言っていったと言う。それから近所の水道の職人を呼ぶが、夜遅くなって来なかった。2日に1回、明日の朝は水が来る日なので、それまでに直さないと水が引けない。困る。
 でも、これまでうちは水道で困ったことはないし、ちゃんと工事もしたはずだ。ちょっとヘンな話だ。 
2010/2/13 (Sat)
営業開始43日目 シバラトリー

 今日からマサラ(香辛料)も自分のところで種からすりつぶして使うことにした。ジラという葉、赤唐辛子、にんにくとしょうがもすりつぶして入れた。やはり風味がまったく違う。良い香りがする。たくさん素材があるので、いろいろと試してみたい。最近ヨーグルトも作り始めたし、酒も作っている。基本、自分で何でも作る。これはネパールならではだろう。
 今夜はシバ神が光臨した夜「シバラトリー」というお祭りだった。朝からシバ神を祀るお寺に人々が供え物を持って行く。日が落ちると、さとうきびに火をつけて燃やし始めた。お寺の周り、その他いくつかの場所で人が集まって火を燃やす。爆竹を鳴らす。深夜には楽器や手拍子でバジャン(祈りながら歌う)が始まった。私も見物しに出かけてみた。近所の知り合いに会うと、「これ食べてよ!」と言って、持っていたさとうきびを折ってくれる。それをかじりながら、歩く。みな手に手にさとうきびを持っている。
 お寺では来た人にティカ(色粉)をつけ、食べ物を口に入れてあげていた。今夜はシバ神も食べたという「ガンジャ(大麻)」を口にする人もいる。普段は大麻は違法だが、今夜だけは許されている。もちろんやり過ぎれば良くないことを、みな知っている。でももらった食べ物や飲み物に入っていることもあるそうだ。もらってしまったら怖いので、私は遠目に見物して帰って来た。バイによれば大麻以上に酔う「バン(ダトゥル)」というのもあり、それもシバ神が食べたと言う。これは乾燥させて香辛料にすることもある。でも、バンは普通の人は酔い過ぎるので口にしないそうだ。
 うちの3階の食堂から、シバ神のお寺が見える。みな火を燃やして歌い、爆竹に歓声をあげている。その音を聴きながら食事をした。お祭りってやっぱり良いものだなぁ。雰囲気に酔った。
2010/2/12 (金)
営業開始43日目 シバラトリー

 今日からマサラ(香辛料)も自分のところで種からすりつぶして使うことにした。ジラという葉、赤唐辛子、にんにくとしょうがもすりつぶして入れた。やはり風味がまったく違う。良い香りがする。たくさん素材があるので、いろいろと試してみたい。最近ヨーグルトも作り始めたし、酒も作っている。基本、自分で何でも作る。これはネパールに暮らしているからならではだ。
 今夜はシバ神が光臨した夜「シバラトリー」というお祭りだった。朝からシバ神を祀るお寺に人々が供え物を持って行く。日が落ちると、さとうきびに火をつけて燃やし始めた。お寺の周り、その他いくつかの場所で人が集まって火を燃やす。爆竹を鳴らす。深夜には楽器や手拍子でバジャン(祈りながら歌う)が始まった。私も見物しに出かけてみた。近所の知り合いに会うと、「これ食べてよ!」と言って、持っていたさとうきびを折ってくれる。それをかじりながら、歩く。みな手に手にさとうきびを持っている。
 お寺では来た人にティカ(色粉)をつけ、食べ物を口に入れてあげていた。今夜はシバ神も食べたという「ガンジャ(大麻)」を口にする人もいる。普段は大麻は違法だが、今夜だけは許されている。もちろんやり過ぎれば良くないことを、みな知っている。でももらった食べ物や飲み物に入っていることもあるそうだ。もらってしまったら怖いので、私は遠目に見物して帰って来た。バイによれば大麻以上に酔う「バン(ダトゥル)」というのもあり、それもシバ神が食べたと言う。これは乾燥させて香辛料にすることもある。でも、バンは普通の人は酔い過ぎるので口にしないそうだ。
 うちの3階の食堂から、シバ神のお寺が見える。みな火を燃やして歌い、爆竹に歓声をあげている。その音を聴きながら食事をした。お祭りってやっぱり良いものだなぁ。雰囲気に酔った。
2010/2/11 (木)
営業開始42日目 チャンを作る

 ロキシーを作る釜をオーダーしているが、なかなか来ないので、釜が不要な「チャン(どぶろく)」を作ることにした。作り方を知っているバイに作ってもらう。マルチャ(麹菌を5玉くらい)と5カップくらいの炊いた米をまぜ、プラスチックの容器に密封した(写真)。これを1週間置く。楽しみだ。
 ネパールの人から電話で、ウェブサイトでうちのゲストハウスを見た日本の人が見に来るとか言う。夕方、その日本の人の知人という2人のネパールの人が来た。ひととおり部屋を見て帰った。
2010/2/10 (水)
営業開始41日目 本が売れる 日本にチラシ届く

 風邪気味なので少し遅めに起きる。レイクサイドのクリニックに行って薬をもらってこようか、と思ったが、起き上がってみると昨日より良くなっているのでやめた。昨日のような激しいくしゃみは去った。
 午前中に、この間まで宿泊していただいていたお客さんが来て、私の本を買って行ってくれた。「もっとネパール語を勉強してくださいって、言われてね。ほかにこういう本ないし」ということだった。
 バイに役所に水道料金を払いに行ってもらう。
 クリシュナは日本の携帯をネパールでも使えるように換えるため店に行くが、またできなかった。
 隣りの空き地に置きっぱなしになっている土砂をトラック業者が取りに来た。1回1000ルピーと言う。クリシュナが不在だったので私やバイが見ていたが、とても1回では終わらずこれでは金がかさみずぎる。これ以降は断ることにした。
 夜メールをチェックすると日本の実家に、この間送ったチラシが届いたと言う。意外にちゃんと届くんだな。よかった。よかった。
2010/2/9 (火)
営業開始40日目

 久しぶりに朝からまとまった雨。どんより、山に霧がかかって、気温も低い。雨は夕方まであがらなかった。寒い。くしゃみと鼻水が止まらない。ババは朝ごはんを食べて帰っていった。クリシュナも一緒に出て行き、GC電器に壊れたDVDの線を交換しに行く。
 雨で、しかも停電しているので周囲も静か。表を歩く人の姿も、物音もしない。なぜか停電予定時間に電気が来ていた。暇なのでネパール語の勉強をする。
 クリシュナが「2012」のDVDを街で買ってきた。30ルピーというからコピー版だろう。ヒマラヤが崩壊するシーンがあって、こっちの人も話題にしている。
 バイと幽霊について話した。バイによれば、ネパールでは夜中の1時ころ、生の肉を持って池や湖の近くを歩くと、霊が肉をひったくって行くのだそうだ。
2010/2/8(月)
営業開始39日目 バスパーク

 お腹が痛いのが治ったら、今度はくしゃみと鼻水が出るようになった。日本の花粉症みたいな感じだ。花粉症はないのだけど、日本にいるときは季節の変わり目に弱くて、春先によくこうなった。ここはもう春なのだろうか? ネパールでも2月はまだ寒い時季のはず。3月からは気温があがって4月はもう夏並みになる。暖冬? 温暖化? 寒さが苦手な私には良いけど。
 クリシュナのババ(父)が泊まりに来た。親戚が来ると、どうしても彼らのペースになってしまい、クリシュナの仕事がストップする。
蒸しパンを作ってみるが、卵の量が多過ぎたのか茶碗蒸しみたいになってしまった。いんげんの胡麻和えを作る。こっちは、まあまあうまく行った。
クリシュナはバスパークに客ゲットに行くが、ほとんど観光客がいなくて不発に終わる。
 今日は体調がいまいちなのと、仕事が捗らないなどで、とてもフラストレーションになった。夜はババたちが寝静まったあと、ビールを1本飲んで、胡麻和えからチャーハン、味噌汁、ホット蜂蜜まで、自分なりにフルコースを食べて寝た。
2010/2/7 (日)
営業開始38日目 ロキシー作り

 ロキシー(酒)を作るための材料を買いに行く。作り方はネットで調べた。日本語で解説してくれているWEBがあって助かった。作るにはまず「モルチャ」という麹菌が必要で、それと米やひえなどを混ぜて発酵させる。クリシュナは「バウン」というお坊さんのカーストなので習慣的には酒は飲まない。スタッフのバイは「ネワール」民族なのでロキシーを家で作る。近所のグルン民族の食堂でも自家製のロキシーを作っており、そこに電話で聞くと少しモルチャを分けてくれると言う。そこでクリシュナと早速取りに行く。モルチャはプリティビチョークの店で買っているそうだ。このモルチャは小麦粉、ヒエの粉、干し米を作ったときの不要な皮(? そういう言い方をしているが)を混ぜて2,3日干したもの(写真)だそうだ。白くてチーズのような匂いがする。これを10個使えば6リットルくらいのロキシーができると言う。グルンのお姉さんはこれを30個くらい100ルピーで売ってくれた。このグルンのお姉さんにもロキシーの作り方を聞いた。ネワールは米で、グルンなどはひえからロキシーを作る。また「チャン(どぶろく)」もできる。全部作ってみようと思う。
 ロキシーを作るための釜みたいなのが必要で、これをクリシュナとバイで街まで買いに行くが、なかなか見つからないうえ、銅製の容器は6300ルピーもすると言う。いったん買わずに帰ってきて、知り合いの金物屋さんを訪ねる。明日、なるべく安い物を探して仕入れてくれることになった。んー、けっこう容器が高い。いくつ売ればもとが取れるかな? 
 でも、これまで来た日本人のお客さんはみな酒を飲む。この間来た方はロキシーを持参されて「ここでも作ったほうが良い」と言っていたし、今日たまたま道で会ったこの間まで宿泊されていた方も「ロキシーができあがったら、またうかがいます」と言ってくれた。1つの売りになるだろう。酒を作るなんて、なかなかできない経験だし。
2010/2/6 (土)
営業開始37日目

 まだお腹の調子がいまいち悪いので、少し朝遅めに起きる。でもダルバートを食べると、それ以降は調子が良くなってきた。
 ネットでパンの作り方などを調べる。オーブンがないので食パンは難しいが、蒸しパンは炊飯器やモモクッカーでできる。夕方ベーキングパウダーを買いに行った。パン、ヨーグルト、ロキシーなど家でできる物を作ってみることにした。
 最近暖かくなってきたためか、植木鉢の草に花が咲き始めた。草だけだと思っていたところから花が咲くので、ちょっとうれしくなる。今年はラリグラス(ヒマラヤのしゃくなげ)が通年より2ヶ月も早く咲いたところが見られたと言う。
2010/2/5 (金)
営業開始36日目 レストラン2人来客

 夕方JICAのお友達から電話があり、他の方と一緒に来てくれると言う。6時ころいらした。連れの方は官僚OBで、日本とネパールの役所の話など聞けておもしろかった。
2010/2/4 (木)
営業35日目

 朝から体調が悪い。体に力が入らない。お腹の調子も悪い。風邪気味みたいだ。朝ダルバートを食べたあとは、ずっと寝ていた。バイがよく働いてくれるから助かる。夜はトマト1個、目玉焼き1個食べて寝た。
2010/2/3 (水)
営業開始34日目 バスパークに行く

 午前9時ころ102のお客さんがチェックアウトをされた。長逗留されている方だったので、もっと泊まっていただけたかもしれないのに、うちのネット環境などが不十分だったせいだろう。ちょっとショックではあったけど、でも仕方ない。泊まってもらって、ハンガーが足りないとか、wi-fiが欲しいとか、言ってもらって初めて気がついた。
 プリティビチョークの「GC電器」に行き、コンセントを買う。壊れた冷蔵庫の電気チェックを預ける。「シバサンカールプレス」に行き、ずっと取りに来ていなかった料金表を持て来る。歩いてバスパークに行き、ボードを掲げてみるが、観光客が少なくて不発に終わる。
 私が家に戻ると、ちょうど1人のお客さんらしい人が来ていた。ネパール人にも見えるし、ヨーロッパ人にも見えた。「1ヶ月泊まったらいくらですか?」と英語で聞かれ、はっきり決めていなかったので戸惑う。が、1日200ルピーのところを探しているというので、うちはそこまでは安くできないと断った。私が戻る前に対応していたバイによれば彼はインド人だったと言う。でも、1ヶ月いるということはビジネスか何かだっただろうから、もっと話を聞けば良かった、と後悔した。何かにつながったかもしれない。
 夕方プランバール(水周りの職人)の弟が、別料金を取りに来る。これまでは別料金ではない、と言っていたモーターの設置費用もうちが払うものだと言う。テクダルに電話で確認すると「そうだ、それは別料金だ」と言い出す。テクダルへの支払いはこの前全部済んでいる。頭に来た。真剣に警察にでも訴えてやろうか、と考える。「そんな話をいまさら言い出すなら、失敗したのに許してやった仕事をやり直せ」と言ってやった。
 夕方くらいから体調がちょっと悪くなった。胸やけがして、体に力が入らない。夕飯はあまり食べずに寝た。
 今日からスリジャナチョークの八百屋さんから野菜を届けてもらうことにした。朝8時過ぎころ息子さんが自転車で届けてくれた。
2010/2/2 (火)
営業開始33日目 wi-fi

 今日も102のお客さんが泊まってくれている。
 16時過ぎにwi-fi接続の人がやってくる。接続の設定ができなくなってしまったというお客さんの分も見てもらおうと思ったが、私の接続設定だけで時間がかかり、お客さんは外出されてしまった。接続の人はさすがプロだな、と思わせる手際の良さだったが、私のパソコンなのでやっぱり私の方が、操作が早い。また自動インストールではなく、手動インストールでやろうとしていたが、それでうまく行かず「このラップトップが古いから」と言われたが、自動にしたらすぐインストールできた。wi-fiになんとかつなげるようになり、次にその機器をどこに置くかいろいろやってみる。1階に置くと3階では使えなかった。2階に置くと電波が弱いがなんとか行ける。これからいろいろと試してみるしかない。でも、wi-fi設置にしてので、それでお客さんを呼ぶこともできるかもしれない。そして、これで私のパソコンも空港などでも無線で使えるようになる、はずだ。
 お客さんが日本食レストラン「桃太郎」からチーズフライを、またスーパーでアサヒスーパードライの缶を買ってきてくれて、一緒に飲む。お客さんは日本の磁場の強いところに神社仏閣があるという話をされていた。そういう意味で、ポカラもヒマラヤの気の集まっているところで、良いエネルギーが出ているはずだ、と言っていた。
2010/2/1(月)
営業開始32日目 バスパークデビュー wi-fi

 朝ガーデンで新聞を読んでいると、軽自動車のタクシーがうちのゲートのところにバックで入ってきてユーターンして行こうとした。なんかヤバイな、と思っていたら案の定、ボードにぶつかりバキット音がした。急いで車の窓ガラスをたたき、「こわれたよ!」と言ったが、若いドライバーは「あっちの道がふさがってるから、ここでユーターンするしかなかったんだよ」と言って逃げようとする。「こわれたよ!」と英語で怒鳴って、それでも行こうとするので、窓枠を手で押さえて止めた。仕方なしドライバーは降りて来て、ボードを見て「こんなの何でもないよ」と言う。ふざけんなっ!と怒っていると、すぐに「ロンリーゲストハウス」のご主人も来てくれて「君が悪いだろ」みたいなことを言ってくれた。クリシュナも呼ぶ。それでもドライバーはへらへらしているので、紙とペンを持ってきてナンバーを書き残した。ドライバーも「アイムソーリー」と一応言ったが、まるで心がない。「ゆるさないよ!」と言ってやった。「どうすればいい?」と聞く。どうせ何も手段もないだろ、と見越して言っているのだ。「金をくれ」と言いかけたとき、ちょっと顔色が変わったが、そこまでこじらすのもどうか、と思い許してやった。「最初から謝っていればこんなに怒んなかったよ。逃げようとしたから怒ってんだよ」と言ってやった。頭に来たが、怒鳴ってやって少し解消した。
 今日はバスパークに客引きデビューの日だった。クリシュナがロンリーのご主人と一緒に制服を着て13時ころ出かけて行った。私もその様子を写真を撮りに行った。私のような外国人は声をかけてはいけないルールになっている。バスは14時ころ来た。でも、あまり外国人観光客はいなかった。いろいろ声をかけて客をつかまえたホテルの人も1人、2人いたが、みな一斉に囲まれて声をかけられると、むしろ嫌がっているように見える。この客引きは2日に1回と順番が決まっているが、もっと離れたところでボードを掲げているのはいつでもやっていいのだそうだ。どっちかというと、こちらの方が観光客には印象が良いかもしれない。今日は結局お客さんを得られずに、ほとんどの人が帰った、クリシュナもそうだった。
 一昨日カトマンズに出かけた102のお客さんが帰ってきた。帰られて、シャワーを浴びビールを1本飲まれた。
 wi-fiの設置に「PI NET」の人が来る。機器は簡単につなぎ終わったが、私のPCがwi-fiのデバイスがなかったため、使えるかどうかのチェックができなかった。102のお客さんにwi-fiができるようになったことを告げて、すぐに試してもらう。一瞬つながったが、すぐに停電し、機器と電気のプラグの接触が悪かったため、途切れた。その後しっかりプラグをつなぐとまたつながったが、お客さんのPCもwi-fiの設定に何か問題があったためか、うまくいかない。23時まで停電なので、その後に続けてやってもらった。
2010/1/31 (日)
営業開始31日目 少し休む wi-fi チラシを日本に送る

 今朝は料理の準備も昨日済んでいるし、掃除もしてあり、少し疲れていたので朝寝坊した。コンタクトレンズの洗浄液が手に入らないので、良くないのはわかっているけど、普通の水で洗っているせいか、目が痛くなりやすい。
 インターネットの環境をもっと良くするため、インターネット接続会社「PI NET」に来てもらいwi‐fiの説明を聞く。3階のレストランでヒマラヤを見ながらネットをやりたいとか、自分の部屋でやりたいとか言うお客さんの話があった。ただ2階までのセットなら8000ルピー、3階までは13500ルピーと5000ルピー以上も金額が違う。高いのを着けたところで、ちゃんと機能するか確信がない。迷ったけど、結局高い方を頼んだ。日本でメールやネットをやっていたときは一番安いプランしか使ってこなかったのに、なんて贅沢だろう!
 これもお客さんのリクエストで、屋上に洗濯物を干すひもをつけた。いろいろと気がつかないことがあるものだ。
 日本の妹宛に宿の宣伝のためのチラシを郵便で送った。重さ500gで950ルピーだった。
2010/1/30 (土)
営業開始30日目 2人のお客さんを送り出す

 105号室のお客さんから朝食の予約を7時半に頂いていたので、5時半に起きて仕度を始める。朝8時に停電になってしまうので、それまでに電気炊飯器でご飯を炊いておきたい。干し魚をワインを少し入れて臭みを取りながらだしを取り、わかめの味噌汁を作った。米は日本米に近い韓国米。卵2個を使って目玉焼き。それに梅干とのりをつけた。お客さんは7時半過ぎに3階のレストランに来て、朝焼けのヒマラヤを見て、それから朝食を摂った。全部食べていただいた。10時にカトマンズ行きの車を頼んでおいた。2回くらい電話で手配済みかを確認した。車は9時半前に来た。
 102号室のお客さんは、飛行機でカトマンズに行って明日戻って来る予定と言う。13時半ころネパール人に友人と一緒に出かけていった。大きな荷物は部屋に置いて行かれた。
 16時ころカトマンズにお客さんを乗せていったドライバーに電話する。事故で3時間道が閉鎖していたため、まだ着いていないと言う。18時過ぎになって電話があり、ホテルまで送り届けたとのこと。
 お客さんを無事に送り出せるとホッとする。
 最近菜の花とか、ブーゲンビリアの芽とかが出始めた。また葉だけだと思っていた鉢からい花が咲いた。花や畑は気持ちを和ませてくれる。 
2010/1/29 (金)
営業開始29日目 2人の宿泊 レストラン2人の来客 大忙し

 今日は開業以来、初めて大忙しとなった。まず、午前中に日本人の方が宿泊に来てくれた。オープンプライスの半額1階の7ドルの部屋に入られた。「ポカラは良いところで、もう日本に帰りたくない」、と言う。
 午後になって、ドイツ人の熟年カップルがチキンカレーを食べに来てくれた。ビールも飲んで計520ルピー。しかもチップを35ルピーくれた。
 夕方になって、携帯に、この間コーヒー畑に一緒に行ったJICAの方の紹介で「部屋空いてますか?」と日本人の男性から電話がかかってきた。間もなく来てくれて、「やっぱりお風呂も入りたいし」ということで、オープンプライス12ドルで、浴槽付2階の部屋に宿泊された。フェアトレードの仕事で来ているそうだ。
 1階の部屋のお客さんは夜ビールを2本、フェアトレードの方はマトンカレー、ベジモモ、ご飯、ビール、ワインをオーダーいただいた。また、カトマンズまでのタクシーも予約していただいた。ほかより安く6800ルピーで出した。喜んでもらえた。夜の料理もおかわりまでされた。
 とにかくすごい忙しかった。日本と違って、ネットが使えるか、携帯がチャージできるか、お湯は出るか、とそういうことまで心配になる。長い停電も問題ない、と言っていたのにインバーターも電気が途中で切れて、ろうそくを使った。ネットもまだ私のパソコンでしか使えない。いろいろ課題が出た。何しろ今は停電も長い。電気が来ている時間に焦ってメール、ネットをやっている。スタッフのバイが今日は休暇のはずだが、忙しい様子を見て休みを明日にしてくれた。バイが作ってくれたマトンカレーは美味しかった。 
2010/1/28 (木)
営業開始28日目 5人の来客 初の大入り!

 朝、昨日の飛行機予約書がまちがってたことを電話する。すぐに彼のほうがこちらまで来て、直した紙を持っていった。
 JICAのお2人が来てくれた。そこへもうひとかたから、電話が来る。「いま空にいるの」と言ってくれるのを聞いて、うちのホテルの名前を使ってくれてる! とちょっと感動する。モモ2つをオーダーしてくれた。みなさん、いろいろな野菜を使って和食に挑戦されているらしく、また若い女性らしく、美味しいお菓子の情報を持っている。うちももっと料理面を充実させないと。毎日JICAの方が来てくれる。うれしい。
 夕方になって、レストランに日本人のカップルが来てくれた。ビール1本、グラスワイン1杯、ダルバート2つをオーダーしてくれた。ネパール語に興味がある、とのことで、私の本とCDを買っていただいた。ダルバートももりもりと食べてくれた。うれしかった。
 今日は売り上げ合計3115ルピー。大入りだった!
2010/1/27 (水)
営業開始27日目 4人の来客

 今日は日本人のお客さんが夕方来るので、朝から肉じゃがなどを作って準備した。豚肉は昨日プリティビチョークの肉屋さんで買ってきた。1キロ240ルピーで、厚くて硬い肉だった。日本人の豚肉のイメージではもう少し柔らかいかな、という気もするが、でもおいしかった。
 16時に日本人の女性の知人が彼氏と一緒に来る。クリシュナに同行させて、ジャビさんの旅行会社に行き、日本のビザ申請のための飛行機チケット予約書を取りに行く。「とても助かった」と言ってくれたが、夜9時半になってジャビさんから電話で何か間違いがあったと言われた。
 18時ころ、お客さんが来る。お酒が好きだと言うので、一緒にビールやワインを飲んだ。彼女は以前はアフリカにいて、森林管理の仕事をしていたと言う。個人で来ているのではなく、日本の環境コンサルタントの会社に勤めており、そこから派遣されてきている。上品だけど、芯の強そうな方で、会社や仕事の悩みも話していた。22時くらいまで盛り上がった。
 彼女が来たほぼ同じ時間に、日本人の男性の方が来た。うちのGHがある道の入り口に「カフェ コンチェルト」というイタリアン料理屋さんがあり、そこのボーイさんが「この辺では、空ゲストハウスという日本人がやっているホテルがあり、そこが一番良い」と言っておすすめしてくれたのだそうだ。なんてありがたいことだろう!!そして、その方は明後日くらいから泊まる、と言ってくれた。
 今日もいろいろなことがあった。少しずつ、進化はしている。
2010/1/26 (火)
営業開始26日目 コーヒー農家に行く いろいろな方とやりとりする

 朝10時にプリティビチョークで待ち合わせして、JICAの方とベグナスにあるコーヒー畑に行く。ちょうどレクナス地域の物産展みたいな催しをやっていて、バスがベグナスに止まらず、物産展会場まで行ってしまったので、物産展ものぞいてみた。入場料は25ルピーだった。日本のSUZUKIもトラクターなどを出展していた。あとは農産物、衣料、日用品などだった。ステージで歌を人もいた。偶然にクリシュナのババ(父)にも出会った。コーヒー農家さんも出展していたが、畑の方で私たちの訪問を待っていてくれるようだったので、そちらに歩いて向かう。広がる田園風景は、ちょっと旅行している気分で、ネパールののどかな村を満喫した。1時間近く歩いて、ようやくベグナス湖に出て、そこからさらに山の方に登った。舗装されている道だったが、気温が高く暑いし、けっこう息があがった。コーヒー農家さんは、山の斜面にあって、目の前にヒマラヤが望めた。小さなゲストハウスにもしていて、フランス人2人が泊まっていた。農家のだんなさんは、ちょうど用事で外出中で、奥さんだけがいた。コーヒーの木に赤い豆がなっていた。これを手回しの機械で皮をはぎ、干して、ローストする。全部手作業だから時間も手間もかかる。奥さんがコーヒーを淹れてくれた。コクがあって本当に美味しかった。そして、コーヒーの花に集まった蜜蜂からとったハチミツもあって、これが少しコーヒーの苦味が混じって甘い。1キロ分700ルピーで買ってきた。これをどう売るか? JICAの方もこれを、どう販路を広げるか、活動中らしい。自信を持って売れる物なので、私たちも産業発展の一環として協力できればいいと思う。
 朝8時ころ、日本人にも見えなくもない50歳くらいの男性が来た。かなりなお金持ちの風貌で、ネパールに数日間旅行に来たらしかった。言葉があまり通じなかったが、漢字を書いていた。中国人なのか、チベット人なのか、いまいちはっきりしなかった。でも、ここが良いホテルで、ヒマラヤのながめもすばらしい、と言ってくれた。マチャプチャレのことはチベット語で「シシャパウマ」、中国語で「シェルシャ」と言うのだそうだ。連絡先をノートに書いていってくれた。中国のナンバーだった。ネパールと日本はかなり離れている気がするが、中国というと、グッと近しく感じる。
 コーヒー畑に来ている間に、この間新年会で会ったJICAの方がうちを訪ねてくれた。スタッフのバイが機転を利かして、私にすぐ電話をくれた。一緒に日本に行く計画をしているグルンの彼氏のための飛行機チケットの予約をしたい、とのことだった。日程など、手紙に残していってくれた。ネパール人の彼が日本大使館でビザをとるため、飛行機チケットの予約券を提出しないといけない。それを私のところに相談に来たのだった。クリシュナが日本に行くときにそれは経験済みだった。最初知り合いのムーンライトに行くが、いまいち事情を把握してもらえず不安なので、クリシュナの友人にジャビさんのところに行く。ジャビさんは理解してくれて、明日までにプリントアウトしたものを用意してくれることになった。
 また、JICAのほかの方からも携帯にメールが来て、明日夕方訪ねてくれることになった。
 今日は大勢の方とやりとりがあった。少しずつ状況が動いてきた。
2010/1/25 (月)
営業開始25日目 バスパーク客引きの申請許可

 昨日電話したJICAの方から電話が来て、明日ベグナス湖のコーヒー農家を訪ねることになった。
 クリシュナがホテル協会などに行って、バスパークでの客引き許可をもらってきた。制服もできあがってきた(写真)。パンツとシャツを仕立ててもらって1000ルピー。ホテル協会でカードを作り、そのカードホルダー代300ルピー。協会の会員ナンバーがうちは58だった。ナンバーが奇数か偶数かで、客引きに行っていい日が決まっていて、うちは明日からOK。2日に1回行くことができる。
2010/1/24 (日)
営業開始24日目 バスパーク客引きの申請&制服作り

 クリシュナは朝から「ホテル協会」やバスパークへの申請などに行く。バスパークでもらった書類をホテル協会に提出などして、やっとバスパークでの客引きの許可が出る。バスパークの事務所にいるはずの担当者は、いまは自分のホテルにいるらしく、電話すると、お金をかけてゲームをやっているので「ちょっと待って」と言われた。怒る気にもなれない。
バスパークでの客引きは許可が要り、しかも制服というのがある。白いシャツに黒いパンツ、黒い靴。服は、この前布団を買ったレイクサイドの店にオーダーしに行った。今日できるはずだったが、停電で夜9時に取りに行っても、まだできていなかった。靴はプリティビチョークで1100ルピーもするのをクリシュナが買ってきた。こんな高い靴を買って、ちゃんと元は取れるのか?
 コーヒー農園を見に行くためにJICAのほりさんに連絡を取った。農家の人に連絡を取ってもらうことになった。
今日は表を歩く観光客の姿さえ見なかった。ひまだ。
2010/1/23 (土)
営業開始23日目 バスパーク客引き申請 日本人新年会参加

 バイは休みで実家に帰宅中。クリシュナは、バスパークに客引き許可の申請に行く。申請には何かのコピーやらが必要だったらしいが、担当者がこの前のホテル社長の懇親会で知り合いになった人だったので、「いいよ、それは俺がやっとく」みたいなことでOKになった。
 私は16時から「ポカラ在住日本人会」の新年会に行く。JICAの方からいろいろためになるお話をうかがうことができた。コーヒー畑はどこが美味しいとか、大きな農家はシスワにあるとか教えていただいた。ネパールの米はたんぱく質が多いのだそうだ。だからいっぱい食べても太らないんだ、とかねての謎が解明した。
 プリティビチョークにハングル文字を表示した肉屋さんがあり、そこで日本米に近い韓国産の米や良い豚肉があることも教えてもらった。去年の新年会で私の本を買ってくれた方もいて、「いったいいつホテルオープンしたの? いろんな日本人に話そうと思っても、わからなかったもの」と言われた。「すみません、本当にやっと最近建物が完成したんです。。」と話した。
 貧しい人に支援している方にもお会いした。「不要な物があれば、何でも捨てる前に引き取ります」と言っておられたので、うちは最近家を造ったばかりで廃材があるので、もらっていただける物があるかも」と話しておいた。
2010/1/22 (金)
営業開始22日目 デモに行く 2通のメール

 明後日からマオイスト主導のバンダ(ストライキ)があると言われている。レイクサイドの観光系の仕事をする人はもちろんバンダには反対で、そのデモ行進があった。クリシュナもホテル協会からそのデモに参加するように言われ出かけていった。前列を行く女性たちが一番熱心で、「バンダはいらなーい!」と叫んでいる。それ以降は学校の児童、地元の人など長い列が続く。でも前の女性たち以外は、ただぞろぞろ歩いているだけに見えた。クリシュナのようにつきあいで行ったような人は、ちょっと列に加わってすぐに戻ってきた。
 今日は「ポカラに行く予定ですが、空ゲストハウスは部屋空いてますか?」というメールを日本から2通もいただいた。とってもうれしかった。ホームページを宿をメインに、検索されやすいように設定しなおしたので、その効果かな? 日々、多少前進している、かも。
2010/1/21 (木)
営業開始21日目 買い物 ホテル協会加盟 来客2人

 クリシュナとバイで街に香辛料や香辛料をつぶすための石などを買いに行く。が、良い石が見つからず、また印刷会社に出来上がっているはずの料金表を取りに行くが、停電のためまだできていなかった。香辛料や野菜だけを買って帰ってくる。
その後クリシュナは「ホテル協会」に行き、加盟認可証(写真)をもらってくる。これを持って今度はツーリストバスパークに行き、そこで申請するとバスパークで観光客に直接声を掛けたり、チラシを配ったりができるようになる。
 クリシュナが出かけている間、ツーリストフェスティバルで出会ったJICAの女性お2人が来てくれた。お1人は日本で私の本を買ってくれていたそうだ。1年半前に来て、ポカラの市役所(ナガルパリカ)で働いている。保健関係、肥料の再生などの仕事をネパール人の役人と一緒にやっているそうだ。今日はナガルパリカがバンダ(ストライキ)で休みだという。非正社員を社員にしろ、という主旨のバンダだが、「もうここに滞在できる時間がそう長くないのに、休んでばかりでもったいない」と言っていた。
今度日本人の知人などにうちの宿を宣伝してくれるという。カトマンズに日本人の女性がやっている旅行会社があって、そこの人にもうちのことを言ってくれたそうだ。ありがたいなぁ、と思う。日本で人気の料理のWEBがあることや、パンの作り方なども教えてくれた。お茶を出したが、ちょうど良いお茶菓子みたいなのがなくて、梅干とのりを出した。今後どうしようか、ちょっと課題。
2010/1/20(水)
営業開始20日目 メニュー完成 電気 買い物

 朝、昨日の仕事の続きでビジュリコダイが来る。玄関近くのコンセントもインバーターを使えるようにしてもらった。それからお客さん用のダルバート3人分を作ってレストランを開店する。でも、今日もお客さんはなかった。
 15時を過ぎ、いったん店を閉めて街に出かける。まず印刷会社にメニューを取りに行く。ビニルのファイルに黄色い紙に印刷したメニューが5部出来上がっていた。1部220ルピー。部屋の料金表は停電のためまだできていなかった。
 その足でチプレドゥンガのスーパーマーケットに紙皿やコーヒー、酢、ケチャップなどを買いに行く。その後、スリジャナチョークのなじみの八百屋さんに行く。ここは良質の野菜を売っていて、レイクサイドの高級ホテルにも卸している。ここのご主人に今度からうちにも来てもらえるように話をしてきた。生で提供できる美味しいトマトなどを買った。
 暗くなってからうちに戻り、玄関周りに電飾をつけてみる。ちょっと華やかになった。今日、ゲートの柱のところにガネーシャ神の像を置いてみた。これまで3階のレストランに置いていたが、ゲート周りを華やかにしたいので、オブジェとしておいたところ、近所の子どもが神さまにプジャ(お祈り)して、花やティカ(色粉)をつけていった(写真)。祈って行く通行人もいる。ネパールの人の純粋な信仰心はとても微笑ましいなぁ、と思う。
2010/1/19 (火)
営業開始19日目 メニュー、料金表作成 役所 電気

 朝9時、停電が終わるのを待って、印刷会社に行く。訂正箇所を直してもらう。英語でもメニューを書いたが、語学力不足でキャッチフレーズはうまく作れなかった。印刷会社の社長は自らプリントやスペルのチェックもしてくれた。この社長さんは、自分で印刷の道具を水洗いしていた。ネパールで社長自ら掃除をするのは珍しい。だから、この会社は仕事がたくさん来るし、信頼もされているのだろう。
 クリシュナはそのままババ(父)と待ち合わせて、ラルプルジャ(土地の権利書)を作る役所に行った。私は昼ごろ戻ってきて、ご飯を食べ、掃除、ネットなどをする。
 13時にまた停電になり、17時まで電気が来なかった。
 お客さんがいないので、暇なのもあるし、電気もないのでパソコンもできない。
 クリシュナが戻ってきて、ガーデンのテーブルや植木の位置などを変えて、人が入りやすくしてみた。明日メニューも印刷されてくる。本格オープンに向けて準備を始めることにする。夕方になって、音楽を流してみると、ガーデンレストランはなかなか良い感じ。音楽を流しているので、通行人が見て行く。
近所のアマ(お母さんくらいの年の女性)が、来て「うちのホテルに、100ルピーで泊まらせてくれっていう人が来るけど、水や設備も使って100ルピー以上かかるのに。そういう人は断っちゃう」と怒っていた。
19時くらいにビジュリコダイ(電気のお兄さん)に来てもらい、インバーターがガーデンでも使えるようにしてもらった。続きは明日やってもらうことになった。
2010/1/18(月)
営業開始18日目 メニュー、料金表作成 HP作成

 停電が終わる朝8時に印刷会社に行く。停電の時間が長くなったので、電気が来ている合間を狙って仕事をしなければならない。昨日渡したデータを使って、料金表とメニューをデザインしてもらう。ひと通りできて、いったんプリントアウトしてもらい、持ち帰ってチェックする。明日の停電の時間を確認して帰る。
 「GC電器」に行き、昨日買ったDVDのお金を払う。
 HPをゲストハウスのアピール用に写真を増やし、タイトルも替えた。
 今日もお客さんは無かった。観光客の姿自体見かけない。こういうときにアイデアを絞り、準備を整えよう。
2010/1/17 (日)
営業開始17日目 メニュー、料金表作成 DVDを買う

 近所のゲストハウスのご主人が日本語で来たメールの意味を聞きにやって来る。今朝6時に来て「100ルピーにしてくれ」、と言う日本人がいた話をし、苦笑いしながら「ネパールでゲストハウスをやって行くのは大変だよ」と、クリシュナの肩をポーンとたたいた。
 9時に印刷会社「シバサンカールプレス」にメニューと部屋の料金表の作成を頼みに行く。10時から停電のはずなので、9時に行ったのに、9時過ぎにブツッと作業してくれていたパソコン(MAC)が落ちてしまった。みんな「あぁ・・・」とため息をついた。明日朝8時、停電前に再訪することにした。でも、今日CD-ROMを持参してデータを渡せただけでも、まあ意味がある。
 「GC電器」に寄って、DVDデッキを買う。CDデッキを買いに来たのだけど、「CDデッキなんて、もう2,3年前に市場からなくなったよ」と店主に言われた。それで「SANSUI」
というインド製のDVD4000ルピーと、「JYUMBOY」という中国製のスピーカー2300ルピーを買った。値段的には高くはなかったみたいだ。うちに帰ってセッティングしてみる。私は日本ではDVDデッキは持っていなかったので、贅沢だなぁ、進んでるなぁ、と思うんだけど、でも箱を開けてみると、コンセントは簡単に壊れそうなほど貧弱で、プラグもゆるゆるとしかはめられない。なんかちゃっちぃ。一応1年の保証はついている。
 それでもCDはちゃんと聴くことができ、ガーデンに流してみた。十分音は届く。ここでかけるネパール音楽のCDを買いに行く。最初、うちのスタッフのバイが「パソコンや携帯から無料でダウンロードできますよ」というので、アドレスを教えてもらい、ネットを見てみるが、どれが無料だかわからず、しかも欲しいネパール民謡がない。バイによれば、「最近はネパール民謡は聴く人が減って、たまに好きな人がいても恥ずかしがって自宅で小さな音で聴くくらい。民謡は外国人向けに、観光地のレイクサイドでしか買えませんよ」とのことだった。で、結局「トレッカーズミュージック」に行き、3枚買ってきた。1枚250ルピー。歌は入っていない、笛やサーランギで演奏しているもの。エキゾチックで、神秘的。外国人がくつろぐには良いと思う。
 今日はお客さんがなかった。周りのゲストハウスも、メインストリートの大きなレストランにも人影がない。これまで毎日お客さんがあっただけで、うちはラッキーだったんだ、と思った。
 久しぶりに、原稿を渡しているカトマンズの出版社に電話してみる。2ヶ月前にかけたときは「作業者が腕を折って、仕事が止まっている」とのことだった。今日は「怪我は治って、今作業をしている」に変わった。よかった。。。
2010/1/16(日)
営業開始16日目 4人の来客

 バイが休暇で自宅に帰り、夕方まで不在。私たちでダルバートやモモを作る。ダルバートに唐辛子をちょっと入れ過ぎてしまった。
 午後、ネパール人の若いカップルがお茶を飲みに来た。20ルピー。
 夜になって、もう来るお客さんはいないかなぁ、と思っていたら、知り合いのスイス人のパスカルさんが、最近ネパールに休暇で来たと言う弟さんと一緒に来てくれた。ダルバートを食べてくれた。地元で仕事をするパスカルさんはおかわりまでしてくれたが、弟さんには辛かったみたいだ。お米以外はだいたい食べてくれたけど。サービスで出したモモのほうが口に合ったようだ。でも、ありがたいものだなぁ、と思う。計180ルピー。ヨーロッパも最近は税金ばかりがあがって、酒に酔う人が増えているとか、話が聞けておもしろかった。
2010/1/15 (金)
営業開始15日目 3人の来客

 今日は日食だった。私は初めて肉眼で、太陽が月のように欠けているのを見た(写真。よく撮れなかったけど・・・)。ネパールの習慣では日食が終わるまでは、食べ物を食べない。この時間は強い日差しの太陽が出ていたが、表を歩く人の姿が少なく、辺りはシンと静まり返っていた。12時くらいから15時くらいまで日食で、テレビで生中継もしていた。
 レストランメニューは今日はダルバート90ルピー、モモ60ルピー、どちらもブラックティー付にしてみた。木の板に黒いペイントを塗り、白墨でそのメニューを書いて表に出す。多少効果があった。昨日来たドイツ人の男性が今日も来てくれた。律儀にも明日も同じくらいの時間に来る、と言って、その通り夕方来てくれた。モモを食べた。その後、日が暮れるころ、2人のヨーロッパ人の男性が来て、ダルバート、モモ、アイスバーグビール2本を注文してくれた。どこの国の人か聞かなかったが、クリシュナによれば英語ではなかったらしい。どのお客さんも全部きれいに食べてくれたのが嬉しい。
フォークをテーブルクロスの上に直接置くのがちょっと気になって、日本から持ってきたティシュペーパーをつけてみた。最初のお客さんはまったくそれを使わずに戻した。次のお客さんは使った。ネパールのような物の無い国で、ティシュペーパーは贅沢、と反感を持つ人もいるかもしれないし、ちょっと逡巡する。。
 今日の売り上げは計530ルピー。お米中心のネパールの家庭料理メニューを出して、ヨーロッパ人が来てくれるのはちょっと意外。モリモリと食べてくれるから楽しい。ちょっと看板を出しただけで、来てくれるお客さんがいるのだから、音楽を流したり、メニューを充実させれば、もっと来てもらえるかも。
2010/1/14 (木)
営業開始14日目 料理 2人の来客 英語の資料読み

 朝起きて、自分たちのご飯とお客さん用のダルバート、和風の煮物を作る。HPの英語版を作るために、昨日集めたパンフレットを読む。
 クリシュナは今日は出かける用事はなく、ずっと店番をしているがお客さんは来ない。もう少しレストランのメニューを目立たせないといけない。クリシュナが昔使っていたホワイトボードがババ(父)の家に置いてあるので、それを今度持って来ることにした。また、不要な木のドアに黒いペンキを塗って、そこに白墨で字を書くことにした。
 観光客の姿もなく、クリシュナと談笑モードに入っていると、不意にお客さんが来た。ドイツ人の男性だった。クリシュナが応対した。ダルバート90ルピーを食べてくれた。おかわりまでしてくれた。「明日は何を食べられますか?」と聞かれたので、「野菜モモもできます」と答えると、「明日も同じくらいの時間に来ます」。「予約が入った」とみんなで喜んだ。
 その後、だいぶ日が落ちた後、一昨日から来ていただいてる日本人の女性のお客さんが来た。「今日が最後だから、乾杯しようと思って」と言って、ビールのオーダーをいただいた。野菜の煮物も食べていただいた。梅干を2個つけてだした。その上、私の著書まで買ってもらってしまった。レストランのお金260ルピー、本代1890円。ありがたいものだなー、と思う。旅の出会いって、こういうことか、と思ってみたり。宿帳ではないが、ノートに連絡先をもらった。大阪の方だった。お世辞だろうけど、「ここで食べて体調がだいぶ戻った」と言ってくださった。
夜、クリシュナとご飯を食べながら、「人に喜んでもらえるのは楽しい。仕事はお金だけじゃない。そう考えると、この仕事はけっこう良い仕事かも」と話した。また、今は安い給料で働いてくれてるスタッフのバイにも感謝し、大入りなどのお返しをしないといけない。
2010/1/13 (水)
営業開始13日目 料理 1人の来客

 クリシュナは、ババ(父)が体調が優れないため病院に行くのを付き添いに行く。でも、ババはその後うちにやって来て、見た目は元気そうだった。甥っ子もやって来て、一緒にロティ(小麦粉のパン)を作って食べていた。
 私はダムサイドの「ツーリズムボード」に英語のポカラ案内のパンフレットを取りに行く。2011年は「Visit Nepal」というキャンペーンがあり、そのロゴが入ったパンフレットが置いてあった。
 それを取って戻ると、昨日も来ていただいた日本人の女性のお客さんが来ていた。モモをオーダーされて、「また今度来るかもしれないから」と言って、客室を見ていただいた。「きれいだわ。こっちに泊まりたかった」と言ってくださった。モモも全部食べていただいた。それからしばらく、いろいろな話をした。今、定年後の日本人は安い宿に泊まってあちこち旅行するのが流行っているから、うちも「けっこう良い仕事になるかもしれないわよ」と言ってくださった。やっぱり日本人は朝食がついている方が便利。お米は日本式にそのまま食べるより、おかゆなどにした方が良い、とのこと。今日は60ルピーいただいた。
 最近は、庭の一角の畑に、芽が出ているのを見るのが楽しみになっている。豆、パクチー、大根、じゃがいも・・早く食べたい。
2010/1/12 (火)
営業開始12日目 料理 社長懇親会 3人の来客

 今日はレイクサイドのホテルの社長たちの懇親会があり、クリシュナも誘われて行った。朝5時半くらいから起きて、バスが来るのを8時ころまで待って、「ロンリーゲストハウス」の社長と一緒に出かけた。会費1000ルピーで、朝昼晩の食事、酒付き、ゼロキロメーターと言う交差点からしばらく行った広場でやったらしい。40人くらいの社長が集まったそうだ。社長がそろってピクニック。クリシュナはすでに知り合いも多く、初めて会う人には名刺を渡してきたと言う。
 クリシュナが出かけてしまったので、私とバイとで留守番する。私は肉じゃが、バイはモモを作ってお客さんを待つ。
 午前中、日本からメールをくれた若い女性が「こんにちは」と訪ねてくれた。1人旅で、予算的なことで、うちではなく向かいの「ロンリー」に泊まったと言う。日本の状況や、ネパールで訪ねた自然公園チトワンが良かったことなどを話した。私のメールは、ネットで「ネパール ポカラ」などと検索したらヒットしたと言う。メールで終わるのではなく、訪ねてもらえてうれしかった。
 それから午後は表の通りを歩く観光客の姿もなく、暇だなー、もう門を閉めようかなーと思っていたら、1人の日本人女性が「ご飯ありますか?」と飛び込むようにやって来た。お腹を壊し、3日間ポカラで寝込んでいる。肉じゃがと米、それにインスタントの味噌汁、緑茶をつけて出した。ご飯はお椀に3分の1程度食べて、あとは全部食べていただいた。「インスタント味噌汁ってよくできてるね。おいしい」としみじみ言ってらした。肉じゃが、ご飯で90ルピーだったが、味噌汁代もと言う。インスタントにお金をもらうわけにはいかない、と断ったが、10ルピーをいただいてしまった。「お腹にやさしい野菜料理を出す」とか、キャッチコピーを入れると良い、と仰っていた。
 18時ころ、クリシュナが「ロンリー」の社長と一緒にピクニックから帰って来た。2人とも好いかげんに酔っ払っていた。
 18時半過ぎ、元ホテルの日本人マネージャーさんが、食事に来てくださった。肉じゃがとご飯もあったけど、ダルバートが好きだと聞いていたので、急遽バイに作ってもらうことにした。できるまでの間、モモをつまんでもらった。ダルバートは一流レストランの凝った味ではないけど、家庭料理らしいうまさはあると思う。全部食べていただいた。よかった。日本のプロ野球の話になり、「やっぱり野球っておもしろいですよね・・・」という彼の言葉に日本を懐かしみつつ同感した。90ルピーをいただいた。
 今日は3人の日本人の方とお会いした。いろいろな方とお会いし話をするのは、自分の勉強にもなる。
 昨日、今日、ポカラは朝、霧が出ている。またヒマラヤに雪が少ない。温暖化の影響か? と地元でも話題になっている。
2010/1/11 (月)
営業開始11日目 料理 印刷 買い物

 朝起きてレストラン用に肉じゃがを作ってみる。バイにはモモを作ってもらうが、今日はお客さんがなかった。
 PCで書いたメニューをレイクサイドのコンピュータ、インターネットの店で、プリントしてもらおうと思い、出かける。が、最初の店では「停電すると電気がなくなるから」と言って断られた。次の店では、停電でもやってくれた。でも、プリンターはお店の人のパソコンにしかつながっていなくて、それを使って店主自身が作業してくれたが、改行がずれてしまい、思うように行かなかった。親切で、費用も1枚5ルピーと安くしてくれたのだけど、何枚も失敗してしまった。お店の人によれば、「レイクサイドではうまくできないから、街の印刷店に行ったほうがいいですよ」と言う。簡単な作業なんだけど。日本のようにPCが普及していないのだから、仕方ない。日本からプリンターも持ってくるべきだったなぁ。。。頼むのも気兼ねする。
 その後、ハランチョークに布を買いに行く。1階の入り口の階段の下に掃除道具を置いているのだが、それが見えるとかっこ悪い。それを隠す布を買う。この前布団を買った店に行った。同じ主人はいなかったが、店番の男性に「安くて、ネパールっぽい柄の生地を、150cm×150cmを2つ下さい」と言うと、いろいろ見せてくれた。一番安い白いガーゼみたいなのから見せてくれたが、それではつまらない。「150cm幅というのもあんまりないですよ・・・。あっ、そうだ! これはどう?」と言って、見せてくれたのは、確かにネパールらしい柄だった(写真)。値段がわからなくて、2階にいる店主に、店番の男性が子どもを確認に行かせる。「2階にいるおじさんに、白いラインとラインの間に青と赤が2つずつあって、店の表に置いてある、幅が150cmくらいの安い生地はいくら? って聞いてきなさい」と言うと、「はい。白いラインとラインの間に青と赤が2つずつあって、店の表に置いてある、幅が150cmくらいの安い生地はいくら? って聞くんだね?」と真剣な表情で繰り返す。値段は3m×90ルピーだった。安かった。お店の人としばらく話した。「ネパール語うまいね。グルン民族みたいだね」などと言う。言葉がうまく通じて、しかも安く買えたので気分を良くしてうちに帰る。
 今日も暇ではあった。でも、ネパールに来たことがある人は思うと思う。みな暇そうなのに、そんなに困ってないなぁ? 店も暗くなったらおしまい。うちのように、家賃が不要で、家族経営だとこうなるみたいだ。これが普通。気がついたら自分もそうなっている・・・。
2010/1/10 (日)
営業開始10日目 レストラン試しオープン 初めてのお客さん!

 7時くらいから料理の準備を始める。モモの具は昨夜あらかじめ用意して冷蔵庫に入れておいた。モモは「モモクッカー」に入れて蒸す。1時間以上の時間がかかる。そして、紙に手描きで「SORA RESTAURANT PRE OPEN SPECIAL VEGETABLE MOMO with BLACK TEA Rs60」と書いて塀に張り出した。ガーデンにテーブル2つを置いた。正午ちょっと過ぎ「はい、オープン!」。クリシュナのその簡単なひとことで、うちのレストランが試しオープンした。そして、まもなく2人のお客さんが来た! フランス人の男性旅行者だった。最初、クリシュナだけが接客して、オーダーをとった。みな緊張した。でも、彼らは幸い良い人たちで、「この辺で観光地でない村を紹介してくれないか」というリクエストに、私も入ってそれなりに答えたら、次第に話が弾んだ。彼らも私と同じフリーランスライターだった。インドで「サドゥー」の本を、もう1人は小説家ということだった。私が、「日本でネパール語とネパールを紹介する本を作ったんです」と言うと、「そういうのを英語に訳してここで売ればいいのに」と言う。「そうしたら、買ってくれますか?」「買うよ! だって、ここにはそういう本がないんだもの!」「トライしてみます」。肯定的に話をしてくれるから、話していて楽しかった。もっといろいろネパールのことを説明してあげられれば良かった。彼らはモモもお茶も残さず、食べていってくれた。最初のお客さんなので、ミネラルウォーターを1本プレゼントした。
 日本人の若い人も2人来た。「日本食ないですか? メニューありますか?」と聞かれたが、「まだモモの試食だけです。明日なら米と味噌汁くらい用意できるかも」、と答えた。部屋代も「オープンスペシャル プライス」で半額の7ドルからにしてみた。ずっと安くはしないが、反応を見る。
 今日は2人のお客さんで終わってしまったが、でも売り上げ120ルピーで今日の食費はまかなえる。うれしかったし、楽しかった。課題も見つかった。本の英語版へのトライは「ハッタリ」だけど、HPの英語版は急務なのだ。夜クリシュナと「ダンダガレ(地元のワイン)」を飲みながら、私の予想が当たった、という話をした。「最初のお客さんはどこの国の人だろうか?」と話し、私は「フランス人」と言い、クリシュナは「日本人」と言っていた。レストランを本格的に展開してもいいんじゃないか? と話が広がった。
2010/1/8 (金)
営業開始8日目 ポストカード 看板 ホテル協会加盟申請

 朝起きて10時ころ郵便局に昨日書いたポストカードを出しに行く。全部日本人の知人宛てで、郵便代は1枚25ルピーだった。何年か前まで15ルピーだったから、ずいぶん値上がりした感がある。1000ルピー札で払おうとしたら「お釣りがない」と言われた。ほんのしばらく待つと、たまたま日本人の観光客が来て、親切に両替してくれた。
 そこで看板を頼んでいる店に電話すると、「もう用意できてるわよ!」と昨日のオペレーターの女の子が言った。歩いて取りに行く。看板は鉄の棒にビニル製の布を貼ったものだった。それを宣伝のため、歩いて持ち帰る。案の定、たくさんのネパール人が「ソラゲストハウスだって」とわざわざ声に出して言う。看板は塀の上にクリシュナとバイとで据え付けた(写真)。早速夕方1人の日本人が「1泊いくらですか?」と訪ねてきた。でも、ものすごい安いところを探しているらしい若者で、値段を言うと、さっさと帰ってしまった。しかも「安いところ知らないですか?」と逆に聞かれた。私は安いと聞いていたホテル名を言っておいた。クリシュナにこの話をすると、「そういうときは、安いところは知らない、ここは物価が高いんですよねとか言ったほうがいい」と言われた。
 クリシュナはレイクサイドにある「ホテル協会」に申請に行った。加盟金7000ルピーを払い、登録商標の紙と建物の図面のコピー、クリシュナの市民証のコピーと写真2枚を提出した。ここで2,3日うちに認可されると、次はバスパークで客引きのための申請に行ける。
 バイは夕方4時半に休日で帰っていった。
2010/1/7 (木i)
営業開始7日目 ポストカード 看板 役所 ワイン

 朝ごはんを食べたあと、私は印刷会社に刷り上ったポストカードを取りに、そして看板をオーダーしに行く。ポストカードは100枚オーダーし、カラー1面で1枚25ルピー。大きな紙1枚に何十枚か印刷して1枚ずつ切るので、4枚多く104枚刷り上ったのだが、「100枚オーダーしたんだけど」とひとこと言ったら「100枚分のお金でいいですよ」と100ルピーまけてくれた。ポストカードもなかなか可愛らしく出来上がった。日本人のメールアドレスを持たないか知らない人に送ることにした。
 看板はその印刷会社の数軒となりの「ポカラ アドバタイジング」に頼んだ。昨日必要な文字を打ち込んだCD−ROMを持参したのだが、停電でPCが開けず、今日再びやってきた。昨日クリシュナがここに携帯を置き忘れ、店のお兄さんが預かってくれていた。「じゃんじゃん電話がかかってきちゃって、どうしようかと思いましたよ」と笑っていた。私が持ってきたCD−ROMには日本語のフォントで入れてあったのだが、ここの店には日本語フォントがなく、結局、ここでオペレーターと一緒に相談しながらデザインすることになった。オペレーターはグルン民族らしい女の子で、MACを使っていた。いろいろな書体を見せてくれて、漢字の「空」は私が日本にいるときに自分のPCとプリンターで作った名刺からスキャンしてもらった。看板もけっこうかっこ良くできた。看板は鉄の板に手書きで描いて造る方法もあった。でも、そういう職人が書く日本語は、いかにも形を真似して描いたっぽい。それも味わいがあるのだけど、私の好みでPCで作る店に頼んだ。2フィート×3フィート両面で760ルピーだった。オペレーターの女の子は、たまたまうちの近所の人だった。「今度、あなたのところに私が造った看板見に行くわ!」とハキハキと言った。
 その後、プリティビチョークでじゃがいも1キロ30ルピー(40円弱)、ほうれん草1把15ルピー(20円弱)を買って帰る。
 クリシュナは「ツーリズムオフィス」にガレルや登録商標を作った役所からもらった書類の写しを提出しに行く。
 夜、昨日買ったワインを飲んだ(写真)。4種類あり、一番最初に作られた「アガン(前庭)」というのと、その次「ピンディ(軒下のような場所)」という名の物を飲んでみた。蜂蜜とハーブ、果物から作られていて、ネットで調べたら、こういう製法は世界にあるらしい。どちらもアルコール度数は11.5%。辛口ではない。ピンディはワインらしいフルーティーな感じではなかったが、アガンは白ワインで、とても美味しかった。水や素材そのものが良いのだと思う。これはお客さんに出せる。
2010/1/6 (水)
営業開始6日目 ポストカード作り 看板 モモ作り ワイン探し

 朝ごはんを食べた後、バイにチキンモモを作ってもらう。鶏肉をミンチにしてくれる肉屋さんが近所になく、ハランチョークまで買いに行く。チキンモモはおいしくできていた。バイの家は以前小さなホテルをやっていてこともあるそうで、そこでモモを出していたそうだ。これはレストランで出せる。
 私とクリシュナは外出する。まずムスタンチョークにあると聞いたポカラ産のワインを買いに行く。が、ここにはなかった。ネパールの人は、自分があまり知らないことでも、親切心のつもりで適当なことを言うことがあるので、信じすぎてもいけない。そのままプリティビチョークに行き、印刷会社や看板を造る店に行く。どちらも停電のため、仕事が進まず、明日また出直すことになった。歩いて、チプレドゥンガのスーパーマーケットに行く。ここにポカラ産のワイン「DANDAGHARE(ダンダガレ)」があった。1本360ルピー。残念ながら今日はオープナーを買い忘れ、開けて飲むことができなかった。
2010/1/5 (火)
営業開始5日目 ポストカード作り 買い物 看板

 朝9時に印刷会社「シバ サンカール プレス」に行く。昨日の約束どおり、ちゃんとポストカードのデザインサンプルができあがっていた。しかもかなりかっこ良く。100枚をオーダーした。ついでに看板についても聞いてみるが、それはやっていなくて、数軒隣りの店を教えられた。看板はサイズをまず測ってきてください、と言われ、大きいサイズより小さいサイズのほうが値段が高くなる、と言われた。明日ポストカードができあがるときに注文することにした。うちに帰って、近所のホテルに看板のサイズを測らせてもらった。
 夕方クリシュナとスタッフのバイで、近所の金物屋にレストランをやるための食器、モモを作る料理器などを買いに行った。
2010/1/4 (月)
営業開始4日目 レストラン許可申請 ポストカード作り

 クリシュナがレストラン業務申請と税金を払うための役所に行く。この間1回行って、「レストランをやるなら、レストランとしても申請しないとまずいんじゃない?」みたいなことを言われたところだ。でも、レストランの許可は「ツーリズムオフィス」から得ている。あと、どこで申請すればいいのだ? クリシュナも「私たちは、許可を得ていて、ここに税金を払いに来てるのに、払わせたくないのか?」と言ってやったらしい。結局、レストランも酒を売ることもOK、となった。その証明書をもらってきた(写真)。
 夕方、印刷会社「シバ サンカール プレス」にポストカードを作りに行く。両面に写真や連絡先を載せたいと言ったが、店の主人が「一面にまとめたほうが良い。机に置いた場合、裏表両方見ることはあまりないから」とアドバイスしてくれた。CD−ROMに入れてきた写真を渡し、明日までにデザインをしてもらうことになった。
 今日は3階のバルコニーにテーブルを置いて、ディナーをしてみた。観葉植物を置き、ランプの明かりにする。山側に民家の明かりがチラチラ見え、星も満天でムードが良い。カップルに喜ばれそうだ。少しずつ、この家が快適になってきた。
2010/1/3(日)
営業開始3日目 テクダルに残金を払う ガーデンレストラン造り 役所 バス手配先探す

 朝10時ころクリシュナのババ(父)やおじさんが来た。ババはバイの作ったダルバートを食べた。その後ババがテクダルを呼んで、残金の3万4000ルピーを払った。いつまでも関わっていたくないから、という考えで全部払ってしまったようだが、良かったのだろうか? 確かに関わり続けると、ストレスになる。自分たちの意思で仕事をする方がずっと楽には違いない。
 でも、テクダルを待っていたため、役所に行くのが遅くなった。「ラルプルジャ(土地の権利書)」を更新するために、ババと一緒に出掛けたのだが、「2,3ヶ月後に来てください」と言われたという。そして、クリシュナはレストランの営業申請も行けずに終わってしまった。
 ガーデンにテーブルやいすを運び、ただいっぱい置いてあった植木鉢を3階のバルコニーなどに移した。夜、ここでランプに火をつけて食事をしてみた。不要な段ボールを燃やして暖をとった。ガーデンにもっと大きな木があるとムードが良くなると思った。
 家の裏に置いてあった水道用のパイプや鉄くずなどをインド人の回収の人に売った。また空いたペイントのバケツをきれいにして、ごみ箱などにすることにした。
 クリシュナが連絡先をもらって、車やバスの会社の人が来た。エアポートまでのタクシー代とか、遠方のバスやバンのチャーター代などを書いたチラシを持ってきた。でも、ちょっと値段が高い気がした。
 ゲートの外に名刺を置いてある。欧米人の若い女性がそれを持っていってくれた。
2010/1/2 (土)
営業開始2日目 部屋を見てもらう

 朝8時ころ、日本人の女性とネパール人の男性のカップルが来る。部屋を見てくれた。女性のほうは新しい建物ということで気に入ってくれた感じもあったが、男性のほうはいまいち高いかな、という顔をしていた。パタンで音楽を教える仕事をしているという女性は良い感じの人で、チラシをたくさん持っていってくれた。ゲートのあたりにいると、表から声を掛けられる。部屋の案内などはクリシュナにやって欲しいのだけど、やっぱり日本の人などは私に声を掛けてくる。私は、ネパールで、しかもホテル業などやったことがないから、どう対応したものかな、と思うんだけど、でもしばらくは様子見。
 今日来た方にも、「食事はできるんですか?」と聞かれた。飲食の準備を早くしたい。ガーデンに席を設けて、価格は安めにする。料理が上手なスタッフのバイに協力してもらうことにした。
 一応オープンはしたものの、客の立場で考えると、まだきれいに片付いていなかったり、不十分なところがある。でも、レストランは早くやりたいな。
2010/1/1 (金)
営業開始1日目(とする?) 紹介

 バイが朝ごはんを作り、休日でうちに帰っていった。給料3500ルピーを払った。 
 夕べはストリートフェスティバルで、いくつかの店で食べ物を買い、うちでビールと一緒に食べた。今日は元旦だし、バイには悪いがちょっと朝寝坊した。
 13時ころ宮本さんのところに、お雑煮やおせちをごちそうになりに行く。煮豆などやさしい味付けでおいしかった。スイス人やドイツ人の宮本さんのヨガ仲間が来ていた。ドイツの人に「ネパールのレーベンブロイビールはどうですか?」と聞いてみた。ネパールにもドイツブランドの「レーベンブロイ」がある。あんなに美味しいビールなのに、ネパールでは味が違って人気がない。「ライセンスをもらって、確かに同じ材料で作っているんだけど、麦やホップ、気候などが違うから味が違う」と言っていた。ほんとにその通りだと思う。
 「ロンリーゲストハウス」のオーナーが「うちに来たけど満室なので断った日本人のお客さんがいたので、クリシュナのところを紹介する」と言ってくれた。「ギリゲストハウス」からも紹介で人が来た。でもネパール人とヨーロッパ人で来て、ネパール人が「このくらいなら200ルピーでも借りられる」と言って帰ってしまったと言う。いくらなんでも、200ということはないだろう。高いかなぁという気もするけど、初めから安くして過当競争しても意味がない。もう少しコンセプトを練って、じっくりマーケティングすることにしよう。でも、レストランは安くして、人に来てほしいなと思う。
 今日は欧米の人と話したり、地元の日本人とも話して、良い気分転換になった。みんなもネパールでがんばっている。ネパールで仕事をして稼ぐのは楽ではないけど、じっくりまた時間をかけて、旅行関係者、ガイドなどとコンタクトを持ち、営業を構築していこう。それが楽しみになってきた。