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ブハリ日記(ブハリとは末の嫁)の意味

2010/6/30 (水)
営業開始176日目(休館中) 日本 航空券さがし

 朝イチでメールをチェックする。1通、宿の問い合わせのメールが入っていた。ブログも読んでくださってるとのこと。ありがたいことだなぁ。
 航空券、高くても取るしかないか、と考え、昼休みに旅行会社に連絡する。キャセイパシフィックは満席で、シンガポール航空は1泊必要とかでかなり高いらしい。私が取ったのは、成田から中国の成都1泊でカトマンズだそうだ。成都の空港は24時間やっていないから、1泊してもらうことになる、と言う。そおなんだー。成都。まったく知識もないのに、1人で1泊。思いがけないこともあるもんだ。 
 家に帰ると、もうあきらめていた安い方のチケットを売る旅行会社からメールが来ていた。こっちは広州経由で税など入れて6万円台。私が昼間電話で予約してしまったのは9万1000円。あーーーー、失敗したかも。でも広州に2泊で、カトマンズ着もちょっと遅くなるから・・・と良い方に考えてみるが、でも・・・。
 26日に日本を出たクリシュナからまだ連絡が来ず、まあインド経由ネパールだから時間はかかってる、と思うものの、宿の問い合わせもあり、夜こちらからかけてみる。すぐクリシュナが出る。「着いた。ちょうどかけよう、と思っていた」と言う。電話料金が高いので、用件だけ話して切る。無事着いたならいいや。宿の予約のほうも、クリシュナがいさえすれば何とかなる。気楽になった。
 仕事は今日で満了! 「今度来るのは来年になるの? 連絡します」と会社の方が言ってくださった。今後は計画的に日本に来ようと思う。
 朝一番のテレビで、韓国の俳優パクヨンハが亡くなった、と知る。そんなに韓流には詳しくないけど、ただ冬ソナだけはクリシュナとよく見ていた。クリシュナは冬ソナのセリフを覚えて真似ていたし、今回韓国経由で帰国したときも空港にパクヨンハのポスターがあるのを見て「あ、サンヒョク(役名)だよ」と言っていたほど。知ったらびっくりするだろうなぁ。。。。
2010/6/29 (火)
営業開始175日目(休館中) 日本 航空券さがし

 仕事は校了間近。
 昼休みに公衆電話で航空券を探す。一番安い中国南方航空はもう7月後半まで満席と言う。「中国・広州までは行けても、その後のカトマンズ行きが空いてないんです」との回答。えーっ、そんなにネパール人気あるのか? さらにネットで調べると一昨年、昨年と頼んだ旅行会社で中国国際航空でカトマンズ行きを扱っている。問い合わせてメールで返事をもらう。片道77000円だそうだ。あーー、そんなにするんだー。たかーい。往復ならほかにもチケットがある。でも、初めて知ったのだが、往復で安いチケットを買って、片道しか使わないと旅行会社にペナルティというのが来るのだそうだ。どーしようかなぁ。のんびりしてた私が悪いんだけど。
2010/6/28(月)
営業開始174日目(休館中) 日本

 忙しかった仕事も収束に向かい始めた。各大学の情報の足らない部分などをネットでチェックする。その作業に追われた。担当の方「明日みなに指示を出すときにいてくださいね」。「責任を私に持たせようとしてますね???」「ええ、ハハ」。ほんのひと時のパートタイマーなのに、信用して受け入れてくれてるのがありがたい。
 東京は雨なのに気温32度。日本の気候はきびしいなぁ。
2010/6/27 (日)
営業開始173日目(休館中) 日本 メール

 朝から蒸し暑い。
 友だちから、仕事のストレスが原因らしく体調が悪いという内容のメールが来る。うーん、そっか・・ネパールにでもおいでよ、と言いたくなる。
 宿の予約のメールをもらう。早く帰んないと。
 ポカラで何度もお会いした日本人とネパール人のカップルさんが、このほど日本で入籍した旨のメールを昨日、今日もらった。「梅雨の明けた沖縄より」と幸せぶりがはじけていた。
2010/6/26 (土)
営業開始172日目(休館中) 日本 クリシュナ帰国

 クリシュナ帰国。朝5時に起き、6時に家を出る。京成線の乗換駅まで送って行く。うちは幸い京成線の駅まで近いので、そこから急行などに乗れば、2時間弱で成田空港まで着く。スカイライナーとか成田エキスプレスに乗る必要がない。同じ経路で成田に行くらしい人の姿がけっこうあった。
 デリーまで着いたらどうやってネパールに入ろうか、などをクリシュナと相談する。エアインディアで12時ころ発、現地時間の17時ころデリーに着く予定なので、わりと良い便だ。航空券を買った旅行会社に「たとえインドにビザの要らないネパール人でも、方道だとチェックインできないかも」とか言われたり、荷物が重量オーバーしてたら、とかいろいろ心配事があり、クリシュナも神経質になっていた。11時ころ、家からクリシュナの携帯に電話してみる。ずっと話中なので、どうしたんだろう? と思ったが、11時半ころやっとつながって、「ちゃんとドコモが安いプランに代えてくれたか、フリーダイヤルで確認してた」とのことだった。日本の携帯はメールだけの780円のみのプランに代えた。航空券のチェックインも荷物も問題なく済んだらしい。ちょうど搭乗時刻になったらしく、「もう乗るところ」。少し前にかかってきた友だちからの電話に出れなかったので、離陸前にメールしておく、とのことだった。デリーに着いて今夜はいつものホテル「マハラジャキャッスル」に泊まり、どうやってネパールに入るか安い飛行機かバスかを探すことにする、と話した。
 ああ、次は私の航空券だ。
2010/6/25(金)
営業開始171日目(休館中) 日本 荷造り

仕事はますます忙しくなり、明日土曜出勤する方もいる。
 明日クリシュナは成田発。1人で帰るのは初めてのことなので、何かと気になる。荷物を作る。いろいろ持っていってもらいたい物があるが、20キロの制限もあり、いろいろ工夫して荷物を詰める。
 近所の天然温泉スパに行く。新聞に折り込まれていた割引券を使い、800円だった。透明の天然温泉で、泡風呂や露天風呂、寝湯などがあった。今日は職場のクーラーがかなり冷えたので、体を温めるのには良かった。食堂で生ビールを1杯飲み、家に戻る。
2010/6/24 (木)
営業開始170日目(休館中) 日本 航空券探し 食材、雑貨を買う

 クリシュナがチケットを取りに行く。その足で区役所にも行き、ほぼ1年間ネパールにいた間に払っていた国民健康保険料は払い戻せないかなどを聞きに行く。私はネパールにいるあいだは海外転出扱いになるのだが、外人のクリシュナは「再入国手続き」をしているため転出扱いにならず、税金、保険料を払いつづけなければならないのだ。答えは「1年間いなかったら戻るが、1年にちょっと足らないので戻らない」とのこと。なんだか不条理な話だ。
 仕事から戻り、近所のスーパーや100円ショップなどでネパールに持っていく食材、雑貨などを買う。
2010/6/23 (水)
営業開始169日目(休館中) 日本 航空券探し

 クリシュナが飛行機のチケットを買った。デリーの片道を買い、デリーからネパールに入ることにした。燃油料などすべて込みで約73000円。これが一番安かった。でもインドに片道で行くと何を言われるかわからないとか言われる。インド大使館に電話すると「ネパール人にはインドのビザは不要」と確認する。それでも、「インド大使館で入国できます、という証明書を作ってもらっては」などと旅行代理店に言われる。そんなサービスしてくれるとは思えない。結局そのまま買った。
 仕事は締め切りが迫って相当忙しい。担当の方がテンパッてる。私にも仕事が回ってきた。
2010/6/22 (日)
営業開始168日目(休館中) 日本 航空券探し

 朝から蒸し暑い。私は仕事に行き、クリシュナは旅行代理店に飛行機のチケットを買いに行く。昨年は成田・デリー1年オープン13万円くらいだったのが、今年は18万円近くになっている。燃油代とか空港税というのがクセもので、ほんとに毎年値段が変わる。それにクリシュナの場合、日本人と違ってどこの国に入るのにもビザが必要になる。高いなー。どうしたもんだろう? クリシュナはいろいろ話を聞いて帰ってきた。
2010/6/21 (月)
営業開始167日目(休館中) 日本 仕事の担当の方 検査の結果

 仕事はこれまでの短大の情報誌から四大のものへと移った。締め切りが迫り、とにかく人手が足らないらしい。「寝てないんでねぇ」と担当の方が言う。
 昨年一緒に仕事をして2月に子どもを出産された方が、赤ちゃんを連れて訪ねてくれた。母子ともに元気で、幸せそうだった。1年前には普通に仕事をしていたのに不思議な感じ。
 仕事帰りにこの間した尿酸の検査の結果を聞きに病院に行く。ものすごい気持ちが重い。以前沖縄の人が長生きの秘訣は「病院にいかないこと」とか言っていたのを聞いたことがあるが、私もそういうタイプかも。診察室に入ると「残念ながら数値は高かったですよ」と先生が言う。ただ1年近くネパールにいて、ここ1か月戻ってきていることなどの話をすると「帰ってきていろいろ食べて数値が上がった可能性もある」と仰り、ほかに自覚症状などもないことなどから、薬を飲むより食事に気をつけて、という結果になった。あー、ホッとした。
2010/6/20 (日)
営業開始166日目(休館中) 日本 ホームセンター 白楽

 ホームセンターに行く。風呂の栓、アルミの窓の鍵など、欲しい物はいろいろある。一足先に帰るクリシュナにサイズなどを測ってもらい、それを確認してから買うことにした。
 18時に白楽待ち合わせで、ネパールでクリシュナがお世話になってきた方と飲む。いろいろネパールについて語っておられたが、「かわいそうな子どもに援助する」という視線でつねにネパールを見ているので、そおかな? と思う話もある。ネパールでは仕事なんてするもんじゃない、というようなことを言うので、「そんなあきらめたようなことは言ってはいけませんよ!」と思わず言い返してしまった。善い方だけど。
2010/6/19 (土)
営業開始165日目(休館中) 日本 病院 ホームセンター 神保町で飲む

 この間の検診で尿酸値が高いなどと言われたので、朝起きてまず病院へ行く。自覚症状があるわけでもないけど、かかりつけの病院が1つあったほうが、ネパールから帰国時にいいかな、と思ったのだ。心電図と血液検査をもう1回した。先生はわりと優しそうでいい感じだった。尿酸値はビールであがるそうだが、「今日も明日も飲みに行くんですけど・・」というと笑われた。
 飛行機のチケットを探すために、電話などをするが、結局週末は営業していないところが多く、月曜日に改めることにした。
 クリシュナと「ドイト」に行き、木の補修財、さび止め、窓の隙間シートなどを買う。探すといろいろあるものだ。また来ることにした。
 18時半神保町の待ち合わせで、友達と飲む。「ランチョン」でレーベンブロイの生を飲む。うまい! ネパールにもレーベンブロイはあるけど、全然味が違うゾ。みんなと最近の仕事の話、年金の話などで盛り上がる。千葉の実家に帰ることにしたという友達の話題にもなり、千葉はどんなところか、という話をクリシュナにする。お店が8時半くらいにラストオーダーになってしまったので、いったん出る。そばのタイ料理屋に入る。タイはあんなに好い国なのに、なんで暴動が起きるんだろう、という話になった。
 サッカーは日本が負けた、とお店にいる間に聞いた。電車に青いユニフォームを来た応援の人たちの姿をちょっと見た。
2010/6/18(金)
営業開始164日目(休館中) 日本 野球観戦 ヒマラヤの絵を描く画家さん

 今日は仕事をサーッと終わらせて、18時開始の東京ドーム、巨人・中日戦を観に行った。席は一塁側内野の2階席で、かなり高い位置にあったが、なかなかよく見える場所だった。各チームの応戦歌が場内に響いているのが気持ちが良い。一緒に観に来た妹は、オレンジのタオルとメガホンを持参していた。1回から内海は非常に良いピッチングで、ほとんど外野までボールが飛ばなかった。小笠原は2つもエラーをしたが、ヒットと3ランで試合を決めた。阿部はライトの看板を超えるホームランを打ち、観ていてスカッとした。5−0。内海は2安打完封で、8時半ころには試合が終わった。やっぱり野球はおもしろい。野球を観に来て勝つといいけど、負けるとそれほどつまらないものはない。今日は快勝〜!来て良かった。
 会社のすぐ隣りの隣りのビルにギャラリーがあり、そこでヒマラヤをテーマにした画家さんの展示がされていた。数日前から気になってはいた。今日が最終日だったので、昼休みに入ってみた。画家さんは不在だったが、ギャラリーのオーナーさんがいて、少し話すとその女性のオーナーさんも30年前にカトマンズに行ったことがあるとのことだった。ポカラに行ってみたいと言っていた。絵は赤、青、緑などのサリーを想わせるようなきれいな色彩が印象的だった。
2010/6/17 (木)
営業開始163日目(休館中) 日本

 仕事は8時まで残業。景気が悪いから仕事の無い人も多いが、限られた人数でやっているから仕事の量も多い。夜働いていると、ああ、日本の職場だな、と感じる。
林芙美子全集を読み終わった。戦争の傷跡、貧困、家族との確執、恋愛――生きることの重さを思う。「頭にしていた鉢巻を取って湯呑みを拭く」みたいな表現があって、あ、今のネパール、と思った。
2010/6/16 (水)
営業開始162日目(休館中) 日本 ネパール行き航空券探し

 朝から小雨模様だけど、厚く流れの速い雲の間からカッと照り付けるまぶしい太陽が出ている。南国の島のようだ。湿気が多く蒸し暑い。ポカラはもっと過ごしやすい。
 仕事は校正。外は蒸し暑いが、職場はクーラーが効いている。静かな職場で淡々と作業をする。
 昼休みにインターネットでネパール行き航空券を調べる。クリシュナにも家で、昨年、一昨年と利用した旅行会社に電話で尋ねてもらう。が、去年と同じアシアナ航空デリー・成田の1年オープンが今年は5万円くらい値上がっている。高い!これでは買えない。中国に1泊するチケットなら安い、とクリシュナが調べた。そこで、クリシュナの中国美差について調べる。日本のビザを持つ外国人ならそんなにビザ取得は難しくないみたいだ。
2010/6/15 (火)
営業開始161日目(休館中) 日本

 とても蒸し暑い。ポカラはここまでの暑さはないかも。日本は気候がきびしい、と感じてしまう。
会社に行く。校正作業をする。
 クリシュナに家で、航空券の値段を調べてもらう。税金や燃油代などが加算され、どこもホームページなどで出している値段より高い。片道は安いとも思ったけど、よく調べてみると1年オープンの往復の方が得なようだ。どうしたもんか。
2010/6/14 (月)
営業開始160日目(休館中) 日本

 朝から雨、関東も梅雨入りした。通勤の電車に少し遅れが出る。
 仕事は今日から入稿した原稿の初校チェックに入った。
 夜11時からワールドカップ。日本の初戦のカメルーン戦があった。ここ最近負けてばかりだったので、あんまり盛り上がっていない気もするが、昨日は1-0で勝った。
2010/6/13 (日)
営業開始159日目(休館中) 日本 プール 銭湯 DVD

 午前中、温水プールに行く。区の端っこに在って、バスで行く。25メートルプールと子供用の浅いプールがあり、天井は開閉式。自然光が入るきれいな施設だが、ちょっと離れたところにあるので、あんまり混んでいない。1レーンせいぜい5人程度が泳ぐくらいで、すいすい泳げる。泳ぐのなんて何年ぶりだろう! 普段スイミングクラブに通っている母親は気持ち良さそうに泳いでいたが、私は最初25メートル泳ぎきるのも疲れた。そのうち慣れてきたけど。こういう施設がもっと近くにあったら、いつでも通いたいんだけど。ネパールに戻ったら運動不足をどう解消しようか? 体力UP 体力UP。
 銭湯に行った。先週行った銭湯は休みで、違うところに行った。昔ながらの小さな銭湯だったが、1箇所に「今週の湯 大分別府温泉」という赤い色をした硫黄のにおいのする湯があった。よく体が暖まった。
 夜は妹が買ってきた長渕剛のDVDを観て盛り上がった。
2010/6/12 (土)
営業開始158日目(休館中) 日本 歯医者 携帯 友達と会う

 午前中歯医者に行く。ネパールにいる間、詰めていたものがとれたので、それを診てもらうことにした。近所に歯医者はいっぱいあるが、どこに行っていいかがわからない。先週、いくつか見て周っておいた。結局、夜9時までやっているというところにした。11時ころ行くと「12時なら大丈夫」というので、いったんうちに帰って出直す。12時に来て、保険証を出し、間もなく診てもらった。そんなに部屋は広くなかったが、3台の診察台があり、働いている人もわりとたくさんいた。みな女性だった。先生も30代くらいの女性だった。まず問診票を見て、歯医者に来たのが1年半ぶりなら、一応レントゲンを撮って、他にも問題が無いかみておいた方がいい、というのでそうすることにした。レントゲン室というのがあって、あごを機器にのせて、周りをカメラが動く。ここは新しい病院みたいで、設備が新しかった。続いて先生が歯を診て、詰め物がとれた箇所の治療、それに歯石をとりましょうと言った。「麻酔をしなくても沁みない可能性もあるので、しないでやりましょう。沁みたら言ってください」。その通りで、少し削る機械がキーンと歯に沁みたけど、我慢できるくらいだった。それから歯と同じ色をした被せ物をしてくれた。鏡を使って、処置した歯の説明をしてくれた。続いて、助手的立場の女性が、機械を使って歯石をとったり、磨いてくれたりした。かなり丁寧にやってくれて終わると、また先生が来て、レントゲンの結果を見せながら説明をしてくれた。ほかに虫歯や問題のある歯はなかった。これで歯の治療は終わった。初診ということで3800いくらかかった。
 それから友達と待ち合わせの秋葉原に行く。待ち合わせにはまだ時間があったので、外国でも使える携帯を売る店に行く。売り場にはインド人のスタッフがいた。一番安くて9800円、ほかは25000円前後。モトローラ、サムソンなどの機種があった。GSMという電波の種類のものなら使えるということだった。話だけ聞いて帰る。
 友達とはデニーズに入りお茶をした。引越しをしたので、派遣で行っていた会社を最近辞めたこと、腰の持病が出たことなどを話す。早く環境が落ち着いてホッとしてほしい、と思う。今の日本の仕事の環境はほんとうに厳しい、税金も高いからどうやりくりすればいいか考えてしまう、と言っていた。
2010/6/11 (金)
営業開始158日目(休館中) 日本

 通勤中の電車で林芙美子の小説「浮雲」を読む。戦中にインドネシアに勤務した農林省の官吏が主人公。その景色がネパールにも通じるところがあり、作者が美しく描写をしているところに共感を持つ。戦争に翻弄された人々の苦しさを描いているのは胸にこたえる。
 仕事は入稿作業までがすべて終わった。
 会社帰りに、以前住んでいた白楽の居酒屋に行く。奥さんが韓国のチェジェ島の人で、そこから最近手に入った甘鯛の干物があり、それを食べさせてくれた。きれいな白身の魚で、味もさっぱりしていた。ねぎチヂミなども美味しかった。お土産に韓国のりをたくさんもらってしまった。ここでは、カウンターで隣に座る人と気楽に話ができる。ネパールに興味をもたれたみたいで話が弾んだ。お腹はいっぱいになるし、楽しく過ごした。白楽は良い街だ。
2010/6/10 (木)
営業開始157日目(休館中) 日本 飛行機チケット探し

 クリシュナが友達のネパール人の家に泊まりに行く。クリシュナが私よりひと足先にポカラに帰ることになり、飛行機のチケットを探し始める。
 仕事に行く。久しぶりに天気が良かったので、昼休みに公園に行ってみる。閑静な住宅街のなかにある小さな公園で、やはり昼休みを過ごす人たちが来ている。コンビニのパンをかじりながら、こういう物を食べるよりネパールの家庭のダルバートの方が体には良いんだろうなぁ、と思う。
 仕事帰りに日本橋で途中下車して、東銀座までコンタクトレンズを買いに行く。その後、また道を戻って丸善で「地球の歩き方」を買った。ついでに、2階の語学本売り場で自分の本があるのを確認してくる。ネパール語は「アジアの言葉」の棚にはなく、「その他の外国語」のところにあった。アジアってイメージないのかな? と思う。銀座は、初めて就職した出版社があった場所なので、なじみ深い。でも、あちこちに新しい建物ができていて移り変わりが早いな、と思う。
2010/6/9 (水)
営業開始157日目(休館中) 日本

 今日も朝から雨空。気温が低い。
 仕事に行く。ただひたすら作業をする。
2010/6/8 (火)
営業開始156日目(休館中) 日本

 仕事に行く。1日中パソコンの前に座って、文字を読んでいるので、肩が凝る。運動がしたくなる。だから日本てジムとかカルチャーセンターがはやるんだろうなぁ。
 昼休みに銀行に行く。神楽坂をずーっと下ったところまで行く。神楽坂は情緒あふれるところで、奥まった住宅街のなかにも良いお店がある。
 天気が悪い。雨は降らないけど、太陽も顔を出さない。梅雨が近そうだ。
 菅内閣が決まる。こんなにしょっちゅう総理大臣が替わるなんて。一方ネパール。憲法制定難航、みたいな記事が今朝の読売新聞に出ていた。
2010/6/7 (月)
営業開始155日目(休館中) 日本

 仕事に行く。昼休み、買ってきた菓子パンをかじりながら、ネットを見る。
 仕事帰りに東京ドームに行って、巨人戦のチケットを買って帰る。指定席Cというのにした。昔はなかなかチケットが手に入らない、とか言ったものだけど、今は数日前でも、当日でも買えてしまう。
 そのまま定期券の使える秋葉原まで歩いた。メイド姿の女の子たちがチラシを配っている。JRの駅周りは新しい建物もできて、きれいにすっきりとした雰囲気になった。でも交差するような人の流れは変わらない。数年前、こうして人が行き交う場所で、刃物を振り回したんだな、と思うと怖くなる。
2010/6/6 (日)
営業開始154日目(休館中) 日本 ネパールに来る方と会う

 池袋で11時半の待ち合わせで、今度ネパールに来る方、そのお友達に会う。学校の先生をしており、ポカラでも子どもたちと触れ合う機会を望んでおられる。「おおきなカブ」という童話の翻訳を手伝った。お友達は専業主婦の方で、海外旅行自体2回目と言う。体調面をいろいろ心配してらっしゃるようだった。ネパールに来る方は、たんなる旅行ではなく、教育や医療の支援活動を望んでいる方も多い。私自身も最初は取材で来たのがきっかけだから、よくわかる。計画を建てているのを聞くと、こちらも気が引き締まってくる。力になれることは、できるだけ力になりたい。そして、緊張や不安を持ってこられる方に少しでも安心してもらえるようになりたい。
2010/6/5 (土)
営業開始153日目(休館中) 日本 銭湯

 近所に「築地直送」という魚屋さんができたので、そこに刺身を買いに行く。
 16時、近所の銭湯に行く。商店街は昔ながらの下町の商店が並ぶ通りで、活気のある八百屋、豆腐屋、もんじゃ屋などがある。町工場や軒先に植木鉢をたくさん並べた一軒家が並ぶ。駅前は再開発で大型マンションが建ち並ぶようになったけど、何十年前と変わらない下町風情もここに残っている。
銭湯は、露天風呂、緑茶風呂、泡風呂、牛乳風呂などがあった。いろんなお風呂に入って、この1週間の仕事の疲れが癒された感じ。男風呂に行ったクリシュナは、親切なおじさんに風呂の使い方を教わり、話もしてあがってきた。すっかり体も温まった。
 珍しく18時ころから野球中継がテレビであったので、刺身を食べながら観戦する。由伸が2本も打った。良い笑顔だねぇー。
2010/6/4 (金)
営業開始152日目(休館中) 日本 編プロの仕事

 天気は快晴。気温も上がって汗ばむ陽気。冬は電車から富士山が見えるのだけど、今はまったく見えない。やはりポカラの空はもっと青い。電車ではひたすら林芙美子を読んでいる。
 仕事はだんだん慣れてきた。やっぱり日本て、仕事している時間が長いなぁ、と思う。朝7時には起きて通勤して残業しなくても帰ってくるのは夜8時ころ。編集の仕事は慢性的に忙しいから、前やってた仕事では終電がザラだった。それを思うと、ネパールのオフィスアワーって朝10時から夕方4時くらいまでだし、何かにつけて休みが多いし。働いてる時間が短い。ポカラでは、スタッフのバイは、ほんの数回、仕事が夜10時くらいになると、完全に音をあげてた。そりゃ、もっと働かなきゃお金は稼げないでしょ。でも、日本は逆に働き過ぎ。「ネパールと日本、どっちが良いですか?」とよく尋ねられて、迷うのはこういうことなのだ。
 夜、テレビの野球中継は中途半端に終わってしまい、サッカーにチャンネルを切り替えた。また負けた。
 クリシュナは以前働いていたフライデーズ横浜店に遊びに行ってきた。
2010/6/3 (木)
営業開始151日目(休館中) 日本 編プロの仕事

 仕事3日目。短大の推薦入試、AO入試の原稿を扱う。今は子どもが少ないから、どこの学校も人を集めるのが大変らしい。どの学校もいろいろな工夫をしている。
 夜「ケンミンショー」というテレビ番組で、青森では春になるとあざみを食べる、という話題をやっていた。道端に咲いているのを取って食べる、美味しいらしい。ネパールだったら、菜っ葉はひとまめとめに「サーグ」と呼ぶ。この感覚よくわかる、と共感する。
 クリシュナはネパールで支援活動をしていた方に晩御飯をごちそうになりに行く。
2010/6/2 (水)
営業開始150日目(休館中) 日本 編プロの仕事

 朝7時に起きて、メールなどチェックし、8時過ぎに出かける。ラッシュのピークは過ぎているけど、ちょっと電車は混んでいる。仕事は2日目。原稿の不足なところなどを、先方の広報担当者などに電話取材する。久しぶりで緊張する。会社のパソコンはWindows7の最新のだそうだ。パソコンの進歩は、日本の会社にいるとよくわかっていい。18時15分に退社。
 勤務中に「鳩山首相 小沢氏 辞任」というニュースを知る。
2010/6/1 (火)
営業開始149日目(休館中) 日本 健康診断 編プロの仕事

 朝9時から保健所で健康診断をする。保健所で月1回やっているもので、血液検査、尿検査、胸のレントゲン、聴診などをやってもらった。結果は2週間後。私もクリシュナも体重が減っていた。あんなに食べてるのに。
 午後2時に編集プロダクションへ。会社の方々が、「お久しぶりです」と親しげに迎えてくれた。「6月末には帰るんですね? うちとしては居られるだけ、居て欲しい」とありがたいことを言っていただく。仕事は短大入試情報の雑誌だった。各学校から寄せられたアンケートや学校案内を元に原稿を作成し、印刷会社に入稿、校正する。1年ぶりに、地下鉄に乗り、会社で働く。この間までヒマラヤのふもとにいたのに、こうして東京で普通に働いている。我ながら、ちょっと不思議、タフだな、私って、と思う。
2010/5/31 (月)
営業開始148日目(休館中) 日本 仕事の連絡

 明日から6月中、昨年も声をかけてもらった編集の仕事をやることになった。最初は8月の仕事ということだったので断ったのだけど、最長でも6月中という仕事もあるという連絡を再度もらい、やらせてもらうことにした。ポカラも気になる。でも、根が貧乏性だから、声をかけてもらうと「飛行機代くらい稼いで帰ろーかなー」と欲が出てしまうのだ。
2010/5/30 (日)
営業開始147日目(休館中) 日本 味噌こうじ、にがりを買う

 朝刊にネパールで憲法制定日が1年延期された、との記事がでていた。やっぱりね。。。
 クリシュナは前の職場の渋谷フライデーズに出かけていく。たくさんの友達と会ってきたみたいだ。
 私は池袋で友達に会う。仕事、日本の景気、ネパールでのこと・・・。いろいろな話をする。現在の日本は重たい話題が多い。日本の職場のストレス、仕事さえ無い人々、体なり心なり病んでいる人が多い・・・。日本とネパール、どっちが良いんだろう? と考えると、ネパールもそう悪くない、と思えてくる。
 東急ハンズで、味噌を作るためのこうじ、豆腐を作るためのにがりなどを買う。ポカラでうまく作れるかな? 日本は便利なものがいろいろあるねぇー。お金さえあれば、何でも買って帰りたいけど。
 夜は妹が実家に来て、みなで鉄板焼きをする。
 テレビで、7時から野球、9時からサッカー強化試合の中継をしていた。サッカーはイングランドに前半早々に1点取りながら、後半の残り何分間かに2点を取られ負けてしまった。
2010/5/29 (土)
営業開始146日目(休館中) 日本

 また図書館へ行った。林芙美子の「放浪記」を借りてきた。
2010/5/28 (金)
営業開始145日目(休館中) 日本 

 近所の図書館へ行く。区の図書館だけど、きれいな施設にたくさんの本があって、日本は良いなぁ。
 ネパールでは法律設定の期限のはず。日本では、読売新聞に話し合いがまとまらず、という内容の記事が出ていたけど、目立った報道はされていない。
2010/5/27(木)
営業開始144日目(休館中) 日本 ホームセンターへ行く

 天気が悪く寒い。インドやネパールから来ると、日本はまだ冬、と感じる。
 ホームセンターに行く。ポカラの家の木の床に使いたい防腐剤、窓の隙間に張る物、などを探す。あった、あった、やっぱりこういう物は日本には良い物がある。
 夜ナイター中継をテレビで見る。今テレビでは、野球はほとんどやっていない。もう少しでワールドカップだからそっちで盛り上がっている。
2010/5/26 (水)
営業開始143日目(休館中) 日本 髪を切る

 今日も午前中は寝てた。いつも帰ってくると、お腹を壊したり熱を出したり、疲れが出るのか、体調を壊す。今回は体調は悪くないけど、よく寝る。起きても、ぼーっとしてる。やっぱ、時差ボケってあるのかな?
 髪を切りに行く。ネパールでは全然切っていなかった。雑誌のカタログを見て、こんな感じにとオーダーする。段を入れて、肩ぐらいまでの長さに切ってもらった。前髪も作ってもらった。ネパールでは「段を入れる」「前髪」というのが無いみたい。あっても、珍しい。あーー、夏らしくすっきりした!
2010/5/25 (火)
営業開始142日目(休館中) 日本

 午前中は寝てた。今日もよく寝た。
 携帯を解約する。私は携帯をネパールで無くしてしまったので、かなり無駄にお金を払ってしまった。ソフトバンクの窓口の女性が「海外に移転ですか、いいですねぇ」と言ってくれる。
 銀行で通帳を記帳し、残高などを確認する。ちょっと貯金があるが、思っていたより減っている。私はネパールに行っている間は「転出」という届けができ健康保険や税金がかからないのだが、クリシュナは「永住権」というビザで「再入国」を前提にしているため、「転出」扱いにならず、健康保険や税金を払い続けないといけない。それが20万円以上。大きい。不公平だな。
 夜、妹に撮っておいてもらった「オリンピック フィギュアスケート」のビデオを見る。オリンピックはネパールではまったく見られなかった。ビデオで見ると、その盛り上がりが伝わってくる。でもこうやって盛り上がっている国って、世界にどれくらいあるんだろう? ネパールは、こういう楽しみ、娯楽がやっぱり少ないのかな?
2010/5/24 (月)
営業開始141日目(休館中) 日本

 午前中は寝てた。よく寝た。
 天気が悪いので、たまっている洗濯物もまだ洗えない。1日中雨だった。
 区の保健所に健康診断ができるかどうか聞いてみる。今は月に1度だけだそうだ。
 夜「日本×韓国 壮行試合」というのをテレビでやっていた。日本は前半に1点を取られ、後半ゲーム終了間際にさらに1点取られ負けた。
2010/5/23 (日)
営業開始140日目(休館中) 日本へ

 飛行機は2時に離陸。今日夕方デリーの街でインターネットをやったら、バンガロールで飛行機事故があり160人くらいが亡くなったというのを見た。なんか嫌だなぁと思いつつつ。幸い無事にソウル着。寝ていたので、7時間くらいのフライトも短く感じた。4時間くらい待って、成田行きに乗り、19時成田着。京成線の普通電車に乗り、22時過ぎ、実家に戻ってきた。ひさしぶりに刺身を食べた。絹の豆腐は涙が出そうなくらい美味しかった。
2010/5/22 (土)
営業開始139日目(休館中) 日本へ

 朝ゆっくり起きて宿で朝ごはんを食べ、また少し休んでお昼ご飯を食べに表に行く。今夜8時ころ出て、空港に向かうタクシーの手配も済んだ。宿の「マハラジャキャッスル」は1泊500ルピーにしてくれた。今回カトマンズ、ダージリン、デリーを旅行して思ったのは、宿やレストランは観光地なのでいっぱいある。でも、気に入るところはそんなに無い。見た目がきれいでも料理がおいしくなかったり、人が良くなかったり、値段が見合っていなかったり・・・。数があれば良いってもんじゃない。私たちも結局いつものところに落ち着く。探せばあるんだろうけど、なかなか良いところが見つからない。私たちも、ポカラでそういう観光客のニーズに応えられれば、けっこう行けるのではないか、と感じた。
 クリシュナは「マハラジャキャッスル」の社長と親しくなり、名刺をたくさん交換した。ここの社長は17歳からネパールボーダーの村から街に出て来てはたらき、社長に気に入られてホテルのマネージャーを勤め、その後独立したそうだ。今37歳だそうだ。こういうたたき上げられる根性がある人だよ。うちがスタッフとして欲しいのは!
 20時過ぎ迎えのタクシーでデリーの空港へ。21時ころ空港着(400ルピー)。飛行機は午前1時10分発なので、時間はまだあった。「アシアナ航空」のカウンターにチェックイン。セキュリティチェック、イミグレーション、問題なく済んだ。機内食で夜ご飯は着いていないという。酒類は1階の小さなバーカウンターでしか売っていなくて、ほかの売店もあんまり美味しくないパンなどだった。デリーの空港は施設はきれいだけど、食の充実はいまいちかも。
2010/5/21 (金)
営業開始138日目(休館中) デリーへ

 朝7時ころ起きて帰る仕度をし、ホテルでトーストの朝ごはんを食べる。クリシュナは外のベーカリーからパンを買ってきた。ダージリンはベーカリーがたくさんあって、美味しかった。
 8時過ぎにチェックアウト。宿の前で、乗り合いタクシーが来るのを待つが、来ないので、バススタンドまで行く。スリグリーに行くバンは1台しかなく、他に乗りそうな人も見つからなかった。そのドライバーが「今日はバンダ(ストライキ)になるかもしれないから、早く出たい」と言う。貸切でスリグリーの先のバグドグラの空港まで行って1230ルピーと言う。ローカルバスなら1人100ルピー程度だから、バン貸切は高いのだが、15時にデリー行きの飛行機のチケットを持っているので、それに間に合わせないといけない。ちょっと高かったけど、飛行機を無駄にしないためにこれに乗ることにした。結果的にはこうして正解だった。道は途中でバンダになり、今出てきたダージリンの街でも民族独立の運動に絡んで人に切りつける事件が起こったと言う。ドライバーが家族や仕事仲間にバンダの状況を聞いていた。
 ダージリンはもともとネパール人が住んでいた土地で、そこにインドを植民地にしていたイギリス人が入ってきて避暑地にした。現在はインド領。このダージリンや近隣のシッキムなどは「ゴルカランド(ネパールのゴルカ兵から来ている)」と言って、その自治権を叫んでいる。ダージリンでは至る所に「私たちはゴルカランド求めている。インド政府はそれを認めなさい!」という幕やボードが掲げられている。昨日は女性たちのグループが集会を開いていた。話す言葉もみなネパール語。地元の人はクリシュナに「あなたはネパール語を話すから好きだよ」と口をそろえる。
 私たちのバンは道を迂回して、街に向かった。途中の道は茶畑が広がり、深い緑の谷があり、とても景色が良かった。1回公衆トイレのある場所で止まった。このトイレは、ドアがなく、ついたてと足元に溝があるもので、中国のトイレと同じだった。これまでインド、ネパールではこういうトイレは見たことが無い。
 車は12時に空港に到着した。12時20分に「GO AIR」のカウンターにチェックイン。その1時間後にセキュリティチェックがあって、14時半過ぎに搭乗。飛行機はきれいだった。航空運賃が安い。バグドグラ・デリーで4500ルピーくらい。燃油代などで計8000ネパールルピーくらいになってしまうけど、「エアインディア」だと2万ルピー以上なので半額程度。機内食・飲み物のサービスはない。飲食は有料だった。でも、安く飛行機で移動できるのは助かる。
 5時半ころデリーの国内線空港に着いて、プリペイドタクシーで「パハールガンジ」に向かう。プリペイドタクシーは180ルピーで、流しのタクシーより安い。パハールガンジの庶民的な商店街は、全体的に建て直すらしく、ほとんどの建物を壊していた。その埃だらけの通りを抜けて、路地を入るとそこは再開発地域にはなっていないらしく、以前と変わっていなかった。ちょっと良さそうなホテルをいくつかあたってみるが、結局値段と部屋の清潔さなどを考えて、いつもの「マハラジャキャッスル」に行く。社長が覚えていてくれた。ここは電気はいつでも点いているし、食事もできてしかも安くて美味しい。パニールも美味しい。ビールはスタッフにお金を渡し、100ルピー弱のチップをつけて外の店に買いに行ってもらった。デリーは暑い。
2010/5/20 (木)
営業開始137日目(休館中) ダージリン

 宿は代えることにした。食事が付いているといっても、あまり美味しくないダルバートだけで、頼んでもいないツアーなどをやたらと勧める。7時半ころ、表に出て宿を探すことにした。ホテルはいっぱいあった。とてもきれいなホテルに入って値段を聞いて見ると3100ルピー。800ルピー、1300ルピーなどいろいろあったが、結局ネパール人がやっている「YUMA HOTEL」というところにした。1300ルピーで、部屋もきれい、湯沸かし器でお湯が出る。眺めがよく、人の感じが良かった。古い洋館で、レトロな雰囲気。3つの部屋を見せてもらって決める。
観光に出る。お茶畑に行く。歩いて15分くらいのところにHALLOSがマネージメントしているらしい茶園「ハッピーバレー」というのがあった。100ルピーを払って工場内を見学する。ダージリンティーには「ホワイト」「グリーン」「ブラック」と3種類あり、それは葉っぱの製法の仕方や乾燥具合で分けているらしい。風で乾燥させたり、高温で温めたりなどの工程があった。ここで100グラム210ルピーでお茶を売っていた。値段がわからなかったので買わなかった。後で他の店に行ってみると800ルピーとか2000ルピーとか言っていた。意外に高い。
歩いて街に戻り「オーキッドホテル」のレストランでお昼にする。ここもムードがよく素敵だった。ラザニアを100ルピーで食べた。ここのスタッフはライ民族だった。
 それから動物園に向かうためタクシーを拾う。この若いネパール人の運転手は、今日動物園が休園だと知っていただろうに、そこまで150ルピーで私たちを連れて行った。「オーソーリー、今日が休みだということを忘れていた。あなたはネパール語を話す人だからとても気にいってる。他の観光ポイントに片道400ルピーで連れて行くよ」。ちょっとずるい。
午後から遠い観光地に行く気もしないので、歩いて帰ることにした。途中チェットリーのおばさんがやっているお茶屋でモモとお茶を飲み、タマンの夫婦がやっているお茶屋で少し話をする。そのそばにナイチンゲールガーデンという公園があり、そこに少し寄って、宿に戻る。部屋からは夜景がきれいだった。本当はここからカンチェンジュンガが望めるらしいが、つねに曇り霧がかかっていたので、その姿は見られなかった。
2010/5/19 (水)
営業開始136日目(休館中) 国境を越えダージリンへ

朝8時ころボーダーのイミグレーションに行ってみる。すでに開いていた。
1回朝ごはんを食べに宿に戻る。アマがダルバートを作ってくれていた。ぜんまいのタルカリ、ダル、塩味が薄くて辛くも無い、家庭の美味しいダルバートだった。
 それからネパールのイミグレーションに行き、出国のスタンプとシールをもらう。メチ(ネパールの東端)の川を橋を歩いて渡り、向こう側がインド。考えると、私たちは昨年ネパールの西端(マヘンドラナガル)からバスでポカラに入り、今回はバスで東端から出た。タライ平野の東西すべてをバスで走ったことになる。
 それから歩いて「パニタンキー」というところまで来て、スリグリー行きのバスに乗る(30ルピー)。45分で着き、そこからダージリン行きのバスに乗る(カウンターでは65ルピーと聞いたのにバスでは70ルピーとられた)。バスは地元の人で混んでいた。それから4時間くらい山道を登る。トイトレインに乗ってみたかったがストライキ中だった。霧の山道を登っていく。観光地風情のある良いところだった。バスは19時近くにダージリン着。遅かったので客引きの勧めるところに泊まる。客引きは「400ルピー」と言ったが、それは1人の値段で結局800ルピー。お湯の出る部屋は900ルピーだった。食事は3回付いているという事だったが、ダルバートしかなく、店主も一方的だった。でも部屋はとてもきれいだった。お湯は湯沸かし器で少し出た。ダージリンは涼しかった。蚊もいない。
2010/5/18 (火)
営業開始135日目(休館中) カカルビッタへ

 朝2時45分に起き、3時45分にホテルを出て、バスパークに向かう。タクシーで200ルピー。4時少し前にバスパークに着く。まだ日が上がっていなくて暗い。それでも、タクシーはすぐつかまったし、バスパークでもすでに人が働いていた。カカルビッタ行きのバスのカウンターには人が遅刻してきていた。ここで直接買えば850ルピーだそうだ。
 バスは5時に出発。席は埋まっていた。私以外はネパール人だった。でも、今日は事故が多くて、道が止まってばかりだった。まずカトマンズから2時間くらいの山道で1時間、少し走ってまた事故車の処理。タライに入ってからも事故車の処理。計3回、2時間くらい止められた。初めての食事休憩が午後1時だった。ちょっと辛かった。しかも食事休憩は30分弱しかなくて、トイレに行っていてバスに乗るのが最後になったら「1時間も休憩があったのに、トイレくらい行ってなかったのか」と文句を言われた。さらにカカルビッタの終点まで行くのは私たちだけで、ほかの客が降りてしまうと「ここからカカルビッタまで行くと1時間半かかる。この辺のホテルに泊まって、明日15か20ルピーでバスに乗って自分で行ってくれないか」とまで言う。そんなわけのわかんない場所に泊められても困る。クリシュナが「彼女に直接説明して」と乗務員に言うと「外国人だったのか」と私が外国人観光客だったことに初めて気がついたらしく、急に態度が変わった。それから15分くらいでカカルビッタに着いた。
カカルビッタには着いたのは21時過ぎ。ホテルはいっぱいあった。客引きみたいな男性がいかにも親切そうにホテルを案内する。高いところは2500ルピーという。そこまで高いのは必要ない。お湯がでるところはほとんどないようだった。食事が出来て、水が出るところでもっと安いところを、と言うと、男性はかなり歩かせて、1つのホテルに案内した。部屋は浴室は掃除をしてないままだったが、まあまあきれいだった。でも、食事ができると言ったのに、「ダルバートをいますぐ食べて」と一方的に言う。あんまり気に入らないので辞めることにしたが、「もう他に開いてる店なんてない。どうせここに戻ってくるよ」と背中越しに言った。どうしようと思って探していると、1人のアマ(お母さん、年配の女性)がクリシュナに「バブー(男の子)、ここに泊まりなよ」と声を掛けてきた。300ルピーでいい、と言う。部屋はいまいちきれいではなかったけど、人が良さそうだったし、食事も出してくれると言うので、ここにした。話を聞くとアマとお嫁さんはポカラの人だった。「ポカレリ グルン(ポカラに住むグルン)」というホテルだった。蚊帳のついたベッドでよく眠った。蚊がけっこういた。でも、夜雨がかなり降って気温は低かった。
2010/5/17(月)
営業開始134日目(休館中) インドのビザ

 朝7時ころホテルを出て、インド大使館に行く。4月に来たときに申請してあったインドのビザを受け取る。面会時間は平日の朝9時半から12時までと決まっている。私たちが8時に来たときにはすでに大勢の外国人が門を開くのを待っていた。まだ1時間以上も時間があったので、電池の切れていた腕時計を直しに行く。90ルピーの電池と90ルピーのバンドを着けた。そして9時に大使館に戻る。すでに開門していて、外国人がベンチで待っていた。受付番号札を持って待つ。私は受け取りだけのはずなのに、今日申請する人と同じ窓口で受け付けている。そして待つこと3時間。シングルエントリーでビザ代、申請費用など900ルピーを払い、5時半に受け取りに来ることになった。
 インドとの国境カカルビッタ行きのバスチケットを予約した。1人1100ルピー。ゴンゴブバスパークから4時半に出るという。
 昼も夜もご飯は、「ムスタンタカリ」レストランに行く。相変わらずここは美味しい。ドックドックという小麦粉を煮て焼いたタカリ料理も美味しかった。主人のミランさんともいろいろ話して盛りあがった。楽しかった。
2010/5/17 (月)
営業開始134日目(休館中) インドのビザ

 朝7時ころホテルを出て、インド大使館に行く。4月に来たときに申請してあったインドのビザを受け取る。面会時間は平日の朝9時半から12時までと決まっている。私たちが8時に来たときにはすでに大勢の外国人が門を開くのを待っていた。まだ1時間以上も時間があったので、電池の切れていた腕時計を直しに行く。90ルピーの電池と90ルピーのバンドを着けた。そして9時に大使館に戻る。すでに開門していて、外国人がベンチで待っていた。受付番号札を持って待つ。私は受け取りだけのはずなのに、今日申請する人と同じ窓口で受け付けている。そして待つこと3時間。シングルエントリーでビザ代、申請費用など900ルピーを払い、5時半に受け取りに来ることになった。
 インドとの国境カカルビッタ行きのバスチケットを予約した。1人1100ルピー。ゴンゴブバスパークから4時半に出るという。
 昼も夜もご飯は、「ムスタンタカリ」レストランに行く。相変わらずここは美味しい。ドックドックという小麦粉を煮て焼いたタカリ料理も美味しかった。主人のミランさんともいろいろ話して盛りあがった。楽しかった。
2010/5/16 (日)
営業開始133日目(休館中) 本の編集

 朝5時に起きて、バタバタと片づけをし、残っていたご飯でチャーハンを作り、7時過ぎに家を出る。バスはいつもの「ホリデイ」を予約したが、そっちがいっぱいだったのか、「レインボー」というバスに振り返られた。バスの中で、作ってきたチャーハンを食べた。途中の店で食べると高いうえに、この間お腹を壊して「痛い目」に遭ったので、お弁当にした。これにして正解だった。バスは問題なかった。
 カトマンズに着き出版社の社長に会いに行く。社長は不在だったが、印刷会社の連絡先などメッセージを残してきた。
 留守番を頼んでいるババから電話で、もう今日早速かぶせてきたブルーシートが外れてしまったという。明日直すと言っているが、雨は入ってこなかっただろうか? もし床が濡れていたら拭いてくれるだろうか? 部屋の鍵をかけ忘れないだろうか? 初日からこうで大丈夫だろうか?
2010/5/15 (土)
営業開始132日目 スタッフのバイ辞める

 クリシュナは、スタッフのバイに「日本語を勉強するか、それが無理なら辞めるか」と提示することを考えた。彼を紹介したクリシュナの友人であり、彼のおじにあたるバブガジさんに来てもらうことにした。クリシュナは熟考を重ねて紙に決まりごとを書いた。そして、バブガジさんが来る。すると、彼の方から「実は前から、もう辞めたいと言っていた。がんばって続けなさいと言ったんだけど」と言う。バイは、最初のころのように日本語を学ぶことは無くなって、テレビばかり見ている。私たちがそばにいても、気にする風も無く、最近は「公務員の募集に応募した」と言って、参考書を読んでさえいる。もうここで長くやって行く気には見えない。だからバブガジさんから辞めたがっている話が出ても意外ではなかった。クリシュナは、日本語を学ぶなら続けさせる気もあったようだが、やる気が無いのがわかってその話は取り下げた。
 バイは休みを取ると言って、実家に朝帰り、午後3時ころ戻ってきた。少し仕事をしてもらい、クリシュナがバブガジさんと話したことを彼にも話す。すると、バイは「日本語もがんばるので続けさせてください」と言ったという。公務員の仕事は申請しても、ほとんどパスする可能性は低いので、受かればそちらに行くが、受からなければこちらで続けたい、という。私は話に入らなかったが、もちろん断った。
 結局、バイはこうして辞めることになった。悪い人ではなかったけど、やる気には欠けていた。そもそもおじさんの紹介で、無理やり来ているから、こうなるのだ。ネパールの家族に甘えるやり方は、困りものだ。誰のためにもならない。
 印刷会社に行くが、うまく作業が進まなかったようだ。どうしたものか。
 明日ポカラを発ち、カトマンズ→ダージリン→デリー→日本で帰る。留守番にクリシュナの父に来てもらい、下の空いている部屋にガス台などを移す。北側の窓にブルーシートを張った。雨が直撃するのを防ぐためだ。ボードやメールで明日から6月半ばまでメンテナンスを兼ね、休館する旨を知らせた。
2010/5/14 (金)
営業開始131日目 本の編集

 頼まれている絵本の翻訳の文字打ち込みなどをする。
 夕方印刷会社「シバサンカールプレス」に行く。作業はまだ進んでいなかった。ネパール語、英語、日本語を併記するため、私はエクセルを使って表組みにした原稿を渡した。でも、エクセルだと作業がしづらい。かといって、彼らは日本語がわからないため、文字の打ち込んだのだけを渡したら、どこに何をレイアウトしていいかわからないだろう。私はMACは持っていないし。。。どうしたもんか? 今のやり方だと「すごい時間がかかる」と言う。とりあえず、数ページサンプルを作ってもらい、それをカトマンズの出版社に見てもらい、そのデザインでOKなら、私が日本に行っている1ヶ月の間、ゆっくり作業してもらっていい、ということにした。タイミングよくというか悪くというか、停電となったので、明日夕方までにもう1回出直すことになった。なんとかうまく行くといいなー、どうすればいいかなー?
 夜、クリシュナが友人のパルカスさんを招いて食事をした。夜11時くらいまで盛り上がっていた。
2010/5/13 (木)
営業開始130日目

 もうすっかり夏。日差しが強く暑い。
 知り合いのご夫妻が、畑にできたという春菊とJICAのカレンダーを持ってきてくださった。あさってくらいにここを出て、デリー経由で日本に1か月くらい戻られるそうだ。「日本は忙しいから、ポカラに戻ってきたらホッとするんじゃないかしら」とおっしゃっていた。
 頼まれている絵本の翻訳の文字の打ち込みをパソコンでする。3階のレストランのテーブルでヒマラヤをみながらやっている。これも優雅で良いんだけど、作業する机が1個欲しい。そして今度の帰国で日本からプリンターを持ってきたい。ここでは簡単なプリントアウトも街まで行かなければならないか、費用が高いか、停電中だと相手に嫌がられるか、だから。
 クリシュナは向かいの「ロンリーゲストハウス」の家でのヤギ肉パーティーに呼ばれていく。ロンリーのご主人とも2人、とても酔っ払っていた。
 夕立で、少しひょうが降った。
2010/5/12 (水)
営業開始129日目 航空券

 この前、味噌などをいただいた知人の方に、うちの畑のほうれんそうやいんげんをお裾分けする。午前中に取りに来ていただき、しばらく話をした。ダージリンに行かれたときの話を聞いてだいぶ参考になった。カラッとしていて素敵な方だ。
 そして夕方、電話をいただく。自宅で、トレッキングに行ってきたグループのお客さんのパーティーがあるとかで、それに私とクリシュナも呼んでいただいた。ちらし寿司が美味しかった。今日うちから渡したいんげんも料理に使っていただいていた。
 お客さんは、1か月くらいアンナプルナベースキャンプにトレッキングに行ってらした男性の8,9人のグループだった。大学の先生とかだった。みなさん、山が好きで、ネパールという国をエンジョイしていらっしゃる。うらやましいくらい、バイタリティを感じる。
 旅行会社のジャビさんのところに行く。いまだに届かないデリー・成田のe-チケットについて相談に行く。結局、e-チケットはデリーからも東京からも、航空会社からメールが届かなかった。ジャビさんは私が持っていたネパールに来るときの古いチケットを見ながら、いろいろとパソコンで調べてくれた。そして、日本の会社が送ったのと同じ画面を探し出し、そこに予約番号などを記入すると、最新の予約が入ったe-チケットの画面を呼び出してくれた。「すごーい!」。もう感謝のひとこと。これでわざわざデリーの航空会社支店まで足を運ばないで済む。プリントアウトしたものがない、やきもきした気分も解消した。あー、助かった。これでまた、インドの空港に着いて「うちの打ち出したのと違う」などなんだの航空会社がブツブツ言ったら、喧嘩してやるっ!!!
2010/5/11 (火)
営業開始128日目 航空券

 復路のエアチケットをe-mailで送ってもらうように、日本にある航空会社の支店にメールするが返信が来ない。リコンファームもかねて、インドのデリーの支店に電話する。日本の会社はeチケットは予約番号さえあれば、紙の印刷したものがなくても大丈夫と言ったが、インドの会社はそれはダメだという。それですぐにメールでチケットを送ってくれると言うが、全然来ない。何度も国際電話して、だいぶ電話料金を使った。こちらから相手にメールしてそれに返信してくれるように頼んだ。それでも来ない。ものすごいやきもきしてストレスがたまる。日本の会社宛にはフリーダイヤルもなく、以前電話したら「営業時間はもう終わってるんですけど」といやみを言われたので、電話したくないけど、明日朝に来なかったら日本までかけるしかない。
 クリシュナとこの件でもめながら旅程を考えた。夕方、友人にジャビさんのところにダージリン・デリーのインドの国内便もここで買えるのか、相談に行ってみる。ネットで調べたら、スパイスジェットという航空会社なら3000インドルピーであるみたいだった。で、それをジャビさんに調べてもらうと、それには税金などは含まれていなくて、税金などを足すと8000インドルピーくらいになるとのことだった。そして、スパイスジェットよりゴーエアという会社の方がちょっと安いこともわかった。現金を持ち続けているのも怖いので、ジャビさんのところでこのチケットを買った。このチケットもメールで届くと言う。また、やきもきさせられるのだろうか? でも、ジャビさんがチケットが届いたのを確認して、プリントアウトまでしてくれると言う。ついでに、メールの届かない日本行きのチケットについても調べてくれることになった。うまく行けば、ほんと助かる。
2010/5/10 (月)
営業開始127日目 印刷会社に行く

 朝8時に印刷会社「シバサンカールプレス」に行く予定で、グンドルック(菜っ葉を乾燥させたもの)と豆で朝ごはんを済ませる。でも、8時にはまだ停電していて、9時に電気が来たのを確認して出かけていく。
「シバサンカール」は相変わらず忙しそうだった。「まったくバンダには嫌になるよ(テンションになるよ)」と社長が言っていた。かなり仕事が溜まっているのだろう。社長は、こちらの仕事の内容に関しては覚えていてくれて、「木曜日までにある程度、作っておきます。その後、細かな指示を出してください」。特に説明もまだ要らないと言う。「じゃあ、そのときPCの画面を見ながら写真の位置などを説明して、ある程度できたらプリントアウトしてもらい、それを私やカトマンズの出版社がチェックし、OKなら最終、ということでいいですね」と確認した。この会社の社長は本当に要領を得ていて、仕事がやりやすい。レイアウトの参考に本を1冊渡しておいた。
 アイロンかけをする。
 インドにいるらしい日本の旅行者から電話が入った。「今ポカラはバンダですか? またバンダになる可能性はありますか?」。今はバンダはない、5月28日が憲法制定のリミットなので、その前後にまた政治的な動きの可能性があると伝えておいた。
 クリシュナとインド経由で日本に、どうやって、いつ帰るかなどを相談する。カトマンズ→デリーで飛行機が一番早い。でも、どうせならネパールからダージリンに入ってデリーへと旅行して帰りたい気もする。直接デリーなら20日、ダージリンを通って行くなら17日にポカラを出る。どちらにするかは、今「シバサンカール」に頼んでいる仕事次第で決めよう、ということになった。HPにもそれを告知した。
2010/5/9 (日)
営業開始126日目 朝ごはんを作る

 お客さんが4時に起きるのに合わせ、私たちは3時半に起きる。おにぎりを3人分つくり渡す。予約しておいたタクシーが4時半に来て、みなさんサランコットに向かう。お客さんがほていの焼き鳥の缶詰と一緒に500ルピーものチップをくれた。「多過ぎますよ」「気持ちだから」。「宣伝しとこう」と言って、ガイドさんまでが名刺やチラシを持って行ってくれた。また来ていただけるといいなぁ。
 ちょっと寝なおす。バイが空いた部屋の掃除をしてくれる。
 クリシュナが昨日ババ(父親)の銀行から移すことにしたお金を下ろしに行く。いま、銀行に入れておくと、いつまたバンダで閉まるかわからないので、家に持ち帰ってくるが、大きな現金を持っているのも怖いというので、それをインド旅行のためのトラベラーズチェックに代えに行こうと考えた。が、銀行の窓口で聞くと「インドに寄って外国に旅行する場合はトラベラーズチェックは作れない」と言う。そういうものなの!? クリシュナによれば、ネパールではトラベラーズチェックを作るときは、パスポートに何か記入されるらしい。それでもクリシュナは初めて日本に来たときは、トラベラーズチェックを持って来た。どうしてインドはいけないのか、理由はわからない。
 その夜、クリシュナと日本に行くことについて話をする。復路の飛行機のチケットがある。クリシュナは再入国の手続きなどがあるため、それを理由に日本に行きたがっている。シーズンオフの間、ホテルやレストランを閉めるのはあり、なんだけど、うちの場合はその間の留守番をしてくれる人がババ(クリシュナの父)しかいない。ババにキッチンの掃除などは期待できない。戻ってきたときの掃除が大変だ。「キッチンを閉めていっては?」とクリシュナに言うと「そういう失礼なことはできない」と言う。かと言って、家をまったく無人にするのも危ない、と言う。私に「早く日本から帰ってきたら?」と言う。何言ってんの。日本でちょっとのんびりしたいのは私の方でしょ、と思う。
2010/5/8 (土)
営業開始125日目 宿泊のお客さん

 バンダが終わり、表を車が走っている。ああ、やっと通常に戻った。
 その後、トレッキングに行っていてベニにいるお客さんから電話。「ローカルバスで戻ってきている」とのこと。それからまもなく、バスからタクシーに乗り換えて、うちに戻っていらした。日本人のお客さん2人とガイドさん。皆さん日焼けして、顔が黒くなっていた。ガーサ(2012m)まではバンダの影響があって店が閉店していたとのこと。そこから上はあまり影響がなかったそうだ。
「ラーメン食べられるところないですか?」と聞かれたので、「桃太郎」か中華料理屋「蘭花飯店」が良いとお勧めしておいた。そして、「これから日本寺に行ってきます」というので驚いた。片道1時間くらいはかかる山道。「今日はまだ歩いてないから」。さらに明日は4時40分出発でタクシーでサランコットに行き、そのまま7時半発のバスでカトマンズに帰ると言う! 元気だなあーーー! さらに夕飯もたくさんオーダーされ、ほとんどきれいに食べていただいた。普段から鍛錬されているんだろうけど、「山男」のバイタリティーには驚いてしまった。楽しそうで、うらやましいなぁ。私もトレッキング始めようかなぁー。
2010/5/7 (金)
営業開始124日目 バンダ終わることに

 今日もバンダ(ゼネスト)。カトマンズのダルバール広場で「ピース ラリー」という“名”のマオイストの集会が行われた。警察による警戒も強まって緊張が高まった。
 が、クリシュナが聞いた夜のニュースの情報によれば、この集会で「バンダ 反対!」を叫ぶ声が逆に高まり、結果的に党首のプラチャンダも「バンダ中止」を発表することになった。バンダ終わり。明日から通常に戻る。そりゃ、そうだ。バンダを続けて、一般市民はもちろん、マオ支持派だって迷惑をこうむっている。こんな強圧的な手段で、首相の退陣を求めるなど通用しない。
 このバンダのおかげで、うちもクリシュナともめた。いつ、どうやって日本に行く? 「一刻も早く」というクリシュナ、私は「数日様子を見た方がいい」と言った。結果的に早まらなくて良かったけど。
 まったく。こういう政情で抑圧的な思いをさせられる、生活に影響するというのは、日本にいたらあんまりないよねぇ。何しろ、バンダが終わって良かった。
2010/5/6 (木)
営業開始123日目

 バンダ(ゼネスト)が長期化しそうだと言って、クリシュナがババを呼んだり、飛行機のチケットを買ってこようと言う。銀行が閉まっているので、大きなお金が下ろせない。ATMの前では外国人観光客が長蛇の列を作っていた。
 夕方旅行会社に、飛行機の状況を聞きに行く。どうやってインドを通って日本に帰ろうか? 本当はダージリンに行きたいんだけど、それには車やバスを使わないと行けない。その車やバスの状況は、このバンダの展開による。
2010/5/5 (水)
営業開始122日目 食事のお客さん

 また下痢をした。ちょっとスーパーで買ってきたものを食べたらこうなる。家で作ったダルバートを食べている分には、まったく大丈夫なんだけど。
 今日もバンダ。首相とマオイストとの話はまとまりそうにない。
 夕方、JICAの幼児教育の方と、フェアトレード事業をしている友人がダルバートを食べに来てくれた。ちょうど日本の方から今度ネパールに来て、学校を訪問したいと言うメールが来ていたので、その辺りを教えてもらう。それからパソコンで日本の絵本などが見れるなどの話をする。やっぱり日本の人と話をすると、ホッとするものがある。
 バイは午後になって戻ってきた。遅れてきたことについては何の言葉も無い。どこかの仕事に申請をしてきたらしい。近々日本にちょっと帰るので、それを機にいったんスタッフの使い方等、リセットしよう、とクリシュナと話す。
2010/5/4 (火)
営業開始121日目

 今日もバンダ。皮肉なことに、最近はヒマラヤがくっきり、雄大な姿を見せている。
 知り合いの両替屋さんがドルをルピーに両替してくれるというので、バイに給料を現金で渡す。バイは歩いて実家にお金を持って行った。夕方になって、彼のおじさんから電話があり、「今日は歩いて帰ったので、もうこれから戻ることはできない。今日は休みにさせてもらって、明日行きたいと言っている。それでOKしてくれ」と言う。良いとは思わないが、OKした。
 JICAの方から預かっていた絵本の翻訳をする。クリシュナのお尻を叩いて、ようやくやらせた。
 バンダなので、印刷会社に頼んである原稿の編集作業も進まない。困ったモンだね^^;
2010/5/3 (月)
営業開始120日目 食事のお客さん

 今日もバンダ。周辺は静か。店は閉店し、車の通りも無い。通りに車の往来が無いので、道の真ん中をゆうゆうと人が歩き、バレーボールなどをして遊んでいる。レストランのスタッフなどは暇らしく、店の前に腰掛けて夕方のみの営業に備えている。ハランチョークで、マオイストが集まっていた(写真)。女性たちが円座を組んで歌をうたい、踊っている男性もいる。赤い共産党の旗や棒切れを持っている人が何人かいて、その周りに数人警官がいるけど、みな普通に談笑している。すぐ近くに行って、ビデオや写真を撮ってみた。危険とか過激なムードは無い。シュプレヒコールを挙げているわけでもない。ただ人が集まっているだけ? 何なんだろう? と思う。
 そんな街をぶらぶら見ていたら、クリシュナから電話。「ダルバートの注文が入った。野菜買って来て」。道で荷車を押していたじゃがいも売りから、1キロ25ルピーでじゃがいもを買って帰る。帰ると、JICAの方々4人が来ていた。旅行で来られている方がいて、「ネパール料理が食べたいって言うから。でも今日どこも休みでしょ。“空”さんなら何とかしてもらえると思って」。クリシュナとバイが急いでタルカリ、それからティモックを作り始める。ネパール的に1時間以上、待たせてしまったが、何とか完成。みなさん、ご飯もダルもタルカリも、ティモックもおかわりして、きれいに食べてもらった。お腹が空いていたんだろうけど。
 店が開く18時から20時に銀行などに行ってみる。銀行は閉まっていた。
 スタッフのバイが最近ちょっと様子が変わってきた気がする。日本に私たちが帰る際の話以来、もう気持ち半分は辞めるつもりでいるようにも見える。私たちはその間も、給料を払うから続けて、と言ったはずなのに、彼のおじさんから「休みの間のヘルプが欲しい」とか言い出し話がこじれた。私たちは好意で「その間、もっと良い仕事があったら、探してもらうのは仕方ないけど」と言ったつもりだった。が、バイはクリシュナに「役所系で人を募集しているところに申請だけしようと思って」と言い、しかも「この近くで証明写真を撮れるところを教えてください」と言う。ゲスト用に補充しておいた牛乳も1人で勝手に飲んでしまう。客室につけてあった蚊取りマットは、「お客さんの忘れ物かと思って」と言って、自分のかばんにしまっていた。給料を催促されたが、今銀行も閉まっているので渡しようが無い。これでまたさらに信頼関係が希薄になって行く気がする。ネパールの人の職業観、働く意識、私とは異なるところだと感じる。
2010/5/2 (日)
営業開始119日目 朝食を出す

 お客さんの朝ごはんを8時に出す。1つは和食、1つは蒸しパン、バター、ジャムの洋食スタイル。夜中に雨が降ったので、ヒマラヤが今朝は見えた。お客さんも喜んで写真を撮っていた。
 昨日、マオイストと首相側の話がまとまらず、今日はバンダ(ゼネスト)となった。朝からテレビで、カトマンズに集結するマオイストの集会の模様を流している。暴力的なことにはなっておらず、集まった人々は歌ったり踊ったり、と妙な盛り上がりを見せている。遠い村から、旅行の感覚でやって来ている人も多いのだろう。
 交通機関や商店なども閉まっている。ただ観光客のための飛行機は通常通りに動いていて、宿泊のお客さんも予定通りのフライトでカトマンズに戻って行った。「ヒマラヤが見れたんで、これで日本に帰れます」。仲睦まじく、歩いて帰るのを見送る。なんか良いなぁ。
 今月後半、復路のチケットがあるので、ちょっと日本に帰る。期間はまだ未定で、考え中。宿は閉めて行く。でも、このバンダが続いたら、交通機関も制限されてくる。
 学校の試験にやってきた学生が、マオイストに無理やり試験を中止されたことに怒ったとか、マオイストによる店の強制的な閉店に、ある女性が怒り「ここは私たちのエリアだ!」と店を開けさせようとしたというニュースもあった。
 レイクサイドも日中は店が閉まっていた。もっとも、ちょっとシャッターを開けて、営業しているところも多かったけど。夜の6時から8時は営業してもいいことになっていて、その時間はレストランも普通に営業していた。
 周辺は車の通りも無いので静か。子どもの学校も休み。隣りの空き地で、1日中近所の小さな子たちが遊んでいた。
2010/5/1 (土)
営業開始118日目 宿泊のお客さん

“昨日のつづき”みたいな感じで、朝3時半に起きて朝ごはんを作る。ご飯、味噌汁、卵焼き、のりのセットと肉じゃが。4時45分のお客さんの予約の時間に間に合って出せた。お客さんたちは5時ちょっと過ぎに出かけて行く。6時のジョムソン行きの飛行機だそうだ。「無事戻ってきますから! ちょっと疲れて、泣き顔で」と笑って、タクシーで空港に向かった。
 今日は「メーデー」。それに合わせて、マオイストがカトマンズで大規模集会を予定している。彼らの要求は、今のマダブ・クマル首相に辞めてもらうこと。そうしない場合は、明日から「バンダ(ゼネスト)」をすると言う。「平和的にやる」と言っているが、軍や警察は警戒している。テレビではずっとそのニュースを流していた。ポカラは特に普段と変わりはない。
 お客さんが出発したあとは、部屋の掃除をし、洗濯する。クリシュナはD.Bモモに遊びに行ってしまった。私はアイロンをかける。そこへ下にいたバイが「お客さんが来ましたよ」と3階に駆け上がって来た。玄関に下りてみると、若い日本人の方お2人。「友達の紹介で」と宿泊に来ていただいたお客さんだった。JICAの方が「良い」と言ってくれたそうだ。お風呂付の部屋に泊まってもらう。夕飯のオーダーももらった。チキンモモ、チキンダルバート、ゆでたじゃがいも。食事はきれいに食べてもらった。メニューがネパール料理だったので、ネパール人のクリシュナとバイに任せた。
 お客さんはちょっと散歩に出たが、その間夕立があった。玄関にあったゴム草履を「借りてもいいですか?」と聞かれた。また夜は「歯ブラシを買いに行ってきます」とお客さんは出かけた。こういう物も用意しておくと便利かなぁ? 
 日本から宿の問い合わせ、昨年やった編集の仕事関係、ネパール人の彼氏と日本に行った知人から、とメールが入る。
 園芸店「ポカラガーデン」で買った枝に花が咲いた(写真)。これは、クリシュナが言うところの「1年中咲いてる便利な花」ブーゲンビリアだと思って買ったのだけど、どうも違う花のようだ。ハイビスカスの小さいのみたい。まあ可愛いから良いけど。