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ブハリ日記(ブハリとは末の嫁)の意味

2011/10/29 (土)
営業開始650日 宿泊のお客さん

 ガイドの件はクリシュナに任せ、7時すぎ日本語教室に行く。1年生の女の子はネパールでは9歳の4年生なので、内容の理解は簡単にできる。短い文章の暗記も簡単。ただ、まだ日本語を使うのが不安そう。でも「おはようございます」のあいさつは少しずつ大きくなってきた。男の子たちは詩や俳句をやった。「しづかさや岩にしみいる蝉の声」は暗記してもらった。
 教室から帰ってきても、まだお客さんはトレッキングに出発していなかった。ガイドのアンキットさんは時間通りに来て打ち合わせも済まし、お客さんのトレッキング許可証やTIMSを取りに行った。ガイドが取りに行くと5ドル安くなる。お客さんといろいろお話しながら待ち、ちょっと出発が遅くなってしまったが、11時にタクシーでナヤプルに向かった。
 3時頃、お客さんが到着。メールがうまく返信できなかったお客さんだ。今日も空港迎えのメールが確認できておらず、迷惑をかけてしまった。にも関わらず、来てくださった。夜、近所に歌や踊りをやる人々が来ていて、お客さんも見て楽しんでいた。あいにくまだヒマラヤが見えていない。明日見えればいいが。
2011/10/28 (金)
営業開始649日 宿泊のお客さん

 今日はティハール祭りのメインイベント「バイ ティカ」。男の人が親戚のおねえさんから幸福の赤い粉ティカをもらう。それでクリシュナも朝早くから出かけてしまった。
 宿泊されていたご夫妻も、クリシュナと同時に5時半前に出発された。置手紙とチップもいただいてしまった。
 お客さんがチェックアウトし、クリシュナも出かけ、1人で客室のそうじ、準備をする。ゲートや玄関を開けていると、「バイロ」でお金をもらいに来る子どもがいる。でも、締めていてお客さんが来ちゃったらまずいし、気が気じゃなかった。洗濯し、掃除し、自分のごはんも作り・・・。
 お客さんは9時半頃到着された。お茶を出したら「じゃあお茶菓子くらいは私が」と仰って、おせんべいをいただいた。明日からゴレパニまでトレッキングに行かれる。今日ガイドを呼んで打ち合わせすることなっている。遠足気分で楽しみにしている、とのことだった。それからトレッキング許可証を取りに行かれた。でも、なんとオフィスが休みで、許可証が取れなかったという。そんな。。ガイドブックにはこのオフィスは無休と書いてある。しかもこんな観光シーズン真っ盛りに。。お祭りだからか。さすがネパール。お客さんは明日もオフィスが休みだったら・・と心配していた。
 そんなこともあり、夕方にはガイドと打ち合わせしたかった。が、ガイドも祭りに行ってしまっていて戻ってこない。今日の打ち合わせの話はしてあったのに。しかも彼の方から「仕事をください」と言った。夜9時半近くなってもガイドと連絡が取れないので、さすがのクリシュナも怒って、この間ポーターをやってもらった青年アンキットさんに急遽連絡した。幸いすぐにつかまって、明日もOKと言う。ああ、よかった。ていうか、、むしろ、最初からこの青年にすれば良かったんだけど。
 今日は来ると思っていたお客さんも来ず、連絡ももらえなかった。あんなに1人でテンパッて準備したのに、とクサった。「こういうことはいくらでもあるよ」とクリシュナも苦笑いしていた。
2011/10/27 (木)
営業開始648日 宿泊のお客さん

 ご夫妻が宿泊。夜、精算をし、その際、使わずに済んだというインスタント味噌汁などをいただいた。滞在を楽しんでいただけたようでよかった。
 明日のツーリストバスの出発がいつもの7時半から6時に変更になった。バス会社のスタッフが2人、わざわざうちまで知らせに来た。明日はティハールの「バイ ティカ」。バスの運転手がそのティカをもらう都合で、出発時間が早まったそうだ。その分早く着くならいいのだけど。
 ここのところ、毎日のように予約のメールが入る。11月は忙しくなりそうだ。ありがたいことに。
 今日もティハールで家々にキャンドルが灯っている。うちもゲートにろうそくを置いてみた。なかなか良い感じ。ゲートはお気に入り。ライトアップするとなお良い。これから毎日やりたいくらいだ。ただ、風向きがうまくなくて、火が消えてしまう。1個点けては消え、1個点けては消え、忙しい。「これを誰が担当するの?」とクリシュナが言い、それもそうだな、と思った。
2011/10/26 (水)
営業開始647日 宿泊のお客さん

 朝ごはんを食べている頃、11日間のトレッキングに行かれていたご夫妻が帰ってきた。アンナプルナベースキャンプまで、予定通り行って、すばらしい山々を間近に眺めてこられたそうだ。みなさんトレッキングから戻られると、顔がちょっと変わっている。解毒されたというのだろうか。若いポーターさんも巧くやってくれたようだ。上の方は雪だったそうだ。とにかく無事で戻られて何より。よかった。
 今日は「ラクシュミ プジャ」だった。近隣の家々は、日本のクリスマスのように電飾を飾っている。家の入り口にお金の女神ラクシュミを招き入れるためにろうそくを灯したりしている。うちもろうそくを買ってきて夕方火を灯した。子どもたちは今日も「バイロ」と歌いながら、各家を周っている。夜には大人も歌っていた。
2011/10/25 (火)
営業開始646日 塀の仕事

 部屋の問い合わせが入ったが、11月17,18,19日は今のところ予約が埋まっている。残念。。。
 塀の仕事は今日が最後だった。柱の周りのセメントが終わり、セメントの職人さんの仕事も今日で終了。残りのお金を支払った。塀の周りが片付いてきたので、私も草むしりなどをした。またガーデンをきれいにしなくては。塀に塗るペイントも買いに行った。
 「ティーハル祭」が始まり、子どもたちが「バイロ」と歌いながら、各家を周っては小銭やお菓子をもらっている。
 また季節外れの夕立があった。
2011/10/24 (月)
営業開始645日 塀の仕事

 朝7時過ぎ、お客さんがチェックアウトする。新婚さん。どうぞお幸せに。
 塀の仕事の方、今日は溶接の職人が来て、鉄のゲートを柱に着けた。ゲートがあると、かなり防犯上安心できる。ゲートがセメントと埃だらけになってしまった。これも洗い流さないと。
 トイレットペーパーなどを買いにマヘンドラプルに行った。久々に街に出た。
2011/10/23 (日)
営業開始644日 宿泊のお客さん

 6泊してくださったお客さんが明日チェックアウトされる。新婚旅行で来てくださった。ささやかだが、お祝いをと思い、レイクサイドのお土産屋で毛糸の帽子と靴下を買ってきた。夜の清算時にお渡しした。かえって荷物になって悪かったかもしれないが、「これからの季節使えるね」と言ってくださった。
 塀の仕事は仕事は今日も進展がなかった。
 昨日持っていかれた竹の棒、違う人が「これは私のだ」と言って青竹の方を取りに来た。誰かが「借りていくと言って持って行ってしまったんだ」と言う。じゃあうちのは?
「誰が持って行ったの? これは私のだよ」と強引に持って行ってしまった。結局うちは竹1本盗られてしまった。ネパールは凶悪犯罪はそんなにないけど、ちょっと物を置いておけば当たり前のように持っていかれてしまう。
2011/10/22 (土)
営業開始643日 宿泊のお客さん

 朝6時少し前に起きる。夕べの大嵐のあとで、今朝は雲ひとつない快晴。ヒマラヤがくっきり見える。お客さんも早起きしてヒマラヤ鑑賞をしていた。
 7時過ぎ、日本語教室に行く。1年生の女の子、「ここはなにをするところですか」というところをやる。「どれが」「どれだか」、「どれが」はネパール語で説明できるけど「どれだか」の「だか」は何て説明すればいいんだろう? こっちも勉強になる。男の子たちは最近クラス開始前から、復習をやっている。漢字テストも以前よりは結果が良くなってきた。
 塀の仕事は今日も溶接の職人が来ず、進展はなかった。
 塀を施工中なので、鉄のゲートは外れたままになっている。牛が入ってくるのを防ぐため、長い竹の棒を置いている。その竹を2人の男性が来てだまって持って行こうとしていた。私が行って「これは私のです」と言うと、同じくらいの青竹を見せて、代わりにこれを置いていく、と言う。「なんのために交換するんですか?」と尋ねると、身振りで上をつつくような格好をしていた。近所の建築現場で竹で足場を造っているから、きっとそれだろうと思った。新しい青竹より乾いていて古い方がいいらしい。それにしても、何の断りも無く、他人の物を持っていき、代わりの物を置いていくとは、おもしろい人たちだ。そして夜が更けたころ、近所の高い木のてっぺん辺りが燃えている。火事? そうじゃなかった。木の上にできた蜂の巣を燃やしているのだった。クリシュナはわざわざ見に行っていた。その高い木に火を点けるのに、うちの竹が必要だったらしい。蜂の巣は無事とれたようだ。そおか、そういうことだったのか。
2011/10/21 (金)
営業開始642日 宿泊のお客さん

 夕方6時頃から降り始め、2,3時間すごい大雨になった。風は吹き荒れるわ、雨に雹まで降った。雹がバチバチと窓ガラスに当たった。まだ夕食に出ていなかったお客さんから「何かここで食べられないですか?」と尋ねられ、ごはんと味噌汁とゴーヤと卵の炒め物を作った。ダルバートは作るのに時間が掛かるので、和食にしてしまったが、ゴーヤしか材料がなくて申し訳なかった。こんな季節に雹が降るなんて! しかも大嵐。何なの、この天気。
 久々に日本の実家に電話した。特に変わりはない、と母親が言うので安心する。
 今日は塀の工事で、溶接をする職人が来るはずだったのが、来なかった。何の進展もなかった。うちが真似させてもらったロックプラスター(岩模様のセメントの仕上げ)のホテル&レストランの主の「パウデルおじさん」が様子を見に来てくれた。「ああ、きれいにできたね、よかったね」と言ってくれた。
2011/10/20 (木)
営業開始641日 宿泊のお客さん 塀の工事

 お客さんは朝5時半頃、レンタバイクでサランコットに出かけて行った。新婚さんで微笑ましい。
 在住のTさんやM子さんと娘さんが来た。
 塀を直す作業が続いている。塀のデザインは、セメントで岩のように見せるロックプラスターにした。これは前回のようにレンガや石を使うこともなく、セメントを固めるだけ。そんなにお金がかからないが、見栄えはナチュラルで悪くない。近所の人々は、「ナヤンデザイン(新しいデザイン)」「ナイス」と言って褒めてくれる人もいれば、「えっ! これにしちゃったのぉ!?」という人もいる。わたし的には、こっちの方が好きだ。前のは家の壁と同じようなデザインで、ちょっとうるさい。チェックのジャケットにチェックのシャツを合わせてたみたいな感じだ。あとはこれに鉄のゲートを付け、ペイントを塗る。ボードもつける。今日から隣りの家も塀を直し始めた。
 急に冷え込んできた。夜が涼しい。日も短くなってきた。
2011/10/19 (水)
営業開始640日 宿泊のお客さん 塀の工事

 朝7時半頃から塀の作業をする職人さんたちが来る。今日、ほぼ塀はできた。
 お客さんがパスポートを紛失したらしい、とのことで日本大使館に連絡をとる。ポカラのツーリストポリスに紛失届けに行く。出国前に大使館に来れば、「帰国のための渡航書」をその日のうちに出してくれるということになった。ちょっとホッとした。
 夜はけっこう風が冷たくなってきた。日中はまだ夏のように暑い。
2011/10/18 (火)
営業開始639日 宿泊のお客さん 塀の工事

 朝5時半ころ起床。お客さんが7時少し前にチェックアウト。「良い部屋に泊まらせてもらってありがとうございました」と一礼された。空いた部屋を掃除していたら、ベッドに10ドルのチップと「美しい山が見られて感動しました。ありがとうございました」と手書きのメモが置かれてあった。メモは名前や連絡先などを書いてもらうノートに貼って取っておくことにした。こういうことがあると、この仕事をやっていて良かったかな、と思う。
 洗濯などをする。ここ数日は雨が降っていない。雨季が終わったと言いながら、最近まで雨がけっこう降っていた。
 屋上に干した洗濯物を取りに行っている間に、タクシーでお客さんが到着されていて、クリシュナが対応していた。お客さんは若いカップルの方で、数日前に結婚して、新婚旅行で来られたとのことだった。新婚旅行のように来てもらったのは、これで2組目だ。なんか良いモンだ。
 塀を直す工事が続いている。柱や塀のブロック、ゲートのレールをセメントで固める作業は終わった。
2011/10/17 (月)
営業開始638日 宿泊のお客さん 塀の工事

 朝5時半ごろ起きる。お客さんが起きていて「山見えないですねえ」と言っていた。が、しばらくすると雲が晴れてきて、ヒマラヤが見えてきた。「サランコット行ってきます」と言って出かけられた。それから夜まで外出されていた。
 塀を直す工事が続いている。今の仕事のテクダル(棟梁)は27歳と若く、自らも作業をする。次の仕事を計算しながら動く。この家を造ったときのテクダルは悪い人ではなかったけど、自らは職人の仕事をしたことはなさそうだったし、仕事の運び方も手際が悪かった。1つ仕事を終えたら、1つ次の仕事、という感じで、これをやってる間に次の作業の準備をしておく、とかできてなかった。今のテクダルみたいな人に仕事を頼めばよかった。後になって、いろいろ思うものだ。
2011/10/16 (日)
営業開始637日 宿泊のお客さん 塀の工事

 朝5時に起き、45分にお客さんにお茶を出す。ポーターのアンキットさんが約束の6時20分より早めに来る。ご夫妻は、「もう今から疲れちゃった」と冗談を言いながら、トレッキングに出かけて行った。ポーターのアンキットさんは18歳。体はかなり大きいが、まだ表情には幼さが残っている。プロのガイドのお父さんから電話で、入念に指示を受けていた。
 ここ数日、気温が30度以上あって暑い。そのせいか、ヒマラヤにも雲がかかっている。小雨がぱらついた。
 塀を直す作業が続いている。ソーフィットを直すのに1万ルピー追加になったが、意外に簡単に作業が終了してしまった。これで本当に1万もかかるの? と思いたくなる。でも、近所のゲストハウスは、水のタンクも直すことになって2ラック(20万ルピー、約20万円)かかるそうだ。今日からそこも工事を始めている。いくらなんだって、かわいそうだよ。確かにこの国は税金が安いんだけどさ。役所が何もやってくれない分、自分たちで何でも負担しないといけない。
 うちの前は今はゲートが外され、竹の棒を置いて、牛の侵入を防いでいる。瓦礫があって、セメントやなんかが置いてあって、足元が悪い。それなのに、お客さんが来てくださってる。夕方、「部屋空きありますか?」とお客さんがいらっしゃった。ツーリストバスが遅れて、到着が夕方5時近くになったそうだ。夜まで観光に出られていた。
2011/10/15 (土)
営業開始636日 宿泊のお客さん 日本語教室 塀の工事

 朝5時に起きお客さんの朝ごはん、おにぎりを作る。そして7時頃お客さんがチェックアウトされた。チトワンに向かわれた。記念に写真を、といわれ、撮っていただいた。
 また別のお客さんは前夜私たちが食べていたインスタントラーメンに興味をもたれたらしく、朝ごはんにそれをリクエストされた。「なんていう料理ですか?」と聞かれた。料理? 本当はメニューにもないんだけど、でも日本人はインスタントラーメンて好きだよね。
 ご夫妻のお客さんに蒸しパンの朝ごはんをお出しした。夕方、ポーターさんが来て、荷物をリュックに詰めて重さを確かめてみた。
 朝8時から日本語教室。初心者の女の子も少し和んできた。「ん」と「う」を聞き取りづらいらしく、「がっこう」を私が言ってそれを字に書いてもらうと「がっこん」と書いていた。
 塀を造る作業が続いている。さらに不幸が起こった。なんとソーフィット(シャワーなどの汚水を溜めてながすところ)も、道の拡張範囲に当たっている、という。近所の班長のような家の人に相談すると、「1フィート当たるくらいなら大丈夫だけど、ここは2フィートくらい当たってるから、直したほうがいい」という。ああ・・。さらに1万数千ルピーかかることになった。ただ、ここまできたら、気持ち良く、きれいに直してくれっ、もっとかっこよくしてやる、って気分になってきた。この国では働いても働いても、金はたまんない、一部の金持ちを除いてみんなこんな感じなんだろう。日本で、睡眠時間3,4時間で2人で働き、こっちでは少しはラクに暮らせるかと思ったら、そうでもなかった。
 メールで予約をいただいたお客さんに返信したが、ドコモで着信を拒否されたらしく、届かない。インターネット屋に行ってみたが、アウトルックはないと言う。仕方なく、ホームページに「携帯の場合は、着信可能の設定にしてください」という旨の告知を入れた。
2011/10/14 (金)
営業開始635日 宿泊のお客さん 塀の工事

 朝から部屋の準備をしてお客さんを待つ。
 午後2時過ぎ、まずご夫妻のお客さんが到着。着いて早々、明後日から行くトレッキングの打ち合わせで、ガイドのディレップさんを呼ぶ。お客さんはガイドは不要で、ポーターのみでいいとのことだった。それでプロで実績があり、家も近所のガイドのディレップさんに相談したところ、彼の息子さんをポーターとして紹介し、コースなどの相談にも来てくれたのだった。コースの相談まではお願いしていなかったのだけど、来てくれたので助かった。私たちも多少トレッキングの経験はあるが、経験は少ない。やはり人を見て、コースやスケジュールを考えてもらったほうが安心だ。明日、ポーターさんが荷物を詰める件で来てくれることになった。
 続いて、男性のお客さんが到着。まだどこへ行こうか、何をしようか、決めていないとのことで、相談を受けた。チトワンやルンビニもいいが、せっかくポカラに来たのだから1泊くらいトレッキングに行ってはどうですか? と言った。
 夕方、昨日ひとりでダンプスに行かれた女性のお客さんが帰ってきた。「ああ、やっと着いた」と仰っていた。女性1人だったので、無事帰られてこちらもホッとした。山は残念ながら見れなかったらしい。ノウダラ、サランコットの道で、寄付をくれ、という子どもたちにつきまとわれて困った、とのことだった。

 塀を壊す工事も続いている。鉄柱が入った柱を壊すのに難儀している。水道の蛇口の位置もかえないといけないため、水道の職人を呼んだ。インド人の職人が来て、鉄のパイプなどの物を買い、午後には終了した。1600ルピーかかった。ああ、金のたまんねえ国だな、ここ。
2011/10/13 (木)
営業開始634日

 朝8時頃、職人がやってきて、塀を造りなおし始めた。道の拡張工事のため、住人が土地の一部を提供しないといけない。うちも塀を壊す。造ってからたったの2年にもならない。この間植えたばかりの芝も少し無駄になってしまった。それでもうちなんかまだ良いほうで、もっと広い塀を壊しているところもある。
 職人は手際よく、塀を壊していった。仕事はわりと丁寧だ。道を通りすがりの、廃品回収をしている出稼ぎのインド人が「きれいな塀だったのに。壊さないといけないんだ・・」と言ってくれた。こんな見ず知らずの人が、そう言ってくれたことには、少し嬉しくなった。
 でも、造ったものを簡単に壊す、たいしたメリットは誰にもない。道を造るなら、もっとしっかりした計画のもとで、場合によっては立退き料を負担して、街を造ってほしい。こんなことに税金を使って、道をちょっと広くして何の意味があるんだ。しかも、この道拡張を言い始めたのは、ここの住人(おもにお金持ちの地主)自身で、お役所に協力して発展に寄与している、と思っているから、なお痛い・・・。
 お客さんが、ダンプスの1泊トレッキングに出かけて行かれた。ローカルバスに乗るところまでご案内した。無理をしないで、無事戻ってきていただきたい。おにぎりを作って持って行っていただいた。
 問い合わせのメールなどが来て、返信をしたいが、ネットの接続が遅い。
2011/10/12 (水)
営業開始633日 宿泊のお客さん

 午後3時頃、予約いただいていたお客さんが到着。明日行く1泊トレッキングの相談に乗る。女性1人でトレッキングに行く場合には、こちらも慎重になる。危険まではないかもしれないが、自分だったら不安だから。
 夕方、M子さんが来た。ネパールと日本、どちらがいいか、などの話になる。「ネパールの人って、どうして外国に行きたいって言うんだろう? 外国では小さな仕事も嫌がらないのに、ネパールでやるのは嫌がる。ネパールで小さな仕事から頑張ればいいのにって思うんですよ」と、力を入れて語っていた。また、民族の話になり、ネワール民族でマガル民族の言葉を喋る人がいるという、興味深いことも聞いた。
2011/10/11 (火)
営業開始632日

 洗濯などをする。天気が良い。ダンプスは雨が降っていたけど、こっちは数日雨が降っていない。
 いつも行く近所の八百屋さんが休みだ。ダサインで実家にでも行っているみたいだ。レイクサイドのレストラン、お土産やさんは営業しているけど、他の街は開いていない店も多い。
 お客さんからメールで、トレッキングに行く際のポーターの手配を頼まれた。ガイドじゃなくてポーターでいいらしい。知り合いのガイドさんにあたった。明日返事をもらうことになった。
2011/10/10 (月)
営業開始631日

 朝6時前に起きる。ちょうど日の出だ。ヒマラヤは全快。ずーっと向こうまで連峰が見える。雲ひとつない。赤紫色の空。アンナプルナがすごく間近に見える。雪が滑り落ちた跡までが見えていた。空気は冷たい。室内は暖かいが、外は風が冷たかった。
 7時半ごろ朝ごはん。チベットブレッド、玉子焼き、豆のスープ、ミルクティー。食事は朝昼晩、すべて内容が違っていて、食べたい物は全部食べたという満足感があった。9時頃出発しましょう、という話になったが、宿の奥さんが「お茶かコーヒーでも飲みませんか?」とのことで、コーヒーをいただいた。朝7時頃にも、「グッドモーニング」といって、高校生のいとこの女の子がお茶を部屋に持ってきてくれた。食事つきのコースにしたが、ほんと至れり尽くせり、で満足した。ミネラルウォーターもついていたが、お客さんは1本は飲まずに済んだから、と言って返していた。ミネラルウォーターは、もっと上まで行くと1本150ルピーもするそうだ。宿のご主人は、私たちに「今回は招待だからビール代だけでいい」と言ってくれたが、一応クリシュナは2000ルピー払った。
 9時に出発。まだ山はくっきりと見えている。帰りは階段の道を降りてきた。行き帰り違う道のほうが楽しいかな、と思ったからだが、階段は逆に筋肉痛になってしまったかも。稲やヒエの畑の間を通って、カーレまで1時間半くらいかかって降りてきた。バスで帰ってみたい、とのことで、ローカルバスに乗る。このバスがダサイン祭で実家に戻っていた人たちのラッシュで混んだ。50分くらいかかって、バグルンバスパーク着。50ルピー。タクシーでうちまで送っていただき、ご夫妻はレイクサイドで食事をしに行かれた。ガイド料をいただいてしまった。「楽しかった」と言ってくださった。私たちも楽しかった。
 
新聞の「カトマンズポスト」が1年分の購読の契約に来た。「賞品が当たるキャンペーン期間中だから、今1年分契約すれば、最低でも1ヶ月分を無料にする」と言う。でも、昨年も同じ時期に来て、3ヶ月分無料購読が当たり、まだ来年の1月まで契約が残っている。しかもさらにその前はお金を払ったのに、途中で来なくなり、2週間分残っていた。実質的に何の特典ももらっていない。それなのに、クリシュナが「1等が当たればバイクがもらえる」と言って、1年分のお金1000ルピーを払ってしまった。くじの結果は1か月分無料。これでまた来年同じ時期に契約にきたら、また何の特典もないのに。売る方も買う方も、私に「話がわかってない」と言う。こっちが呆れるわ。
2011/10/10 (Mon)
営業開始630日 ダンプストレッキング

 朝6時起床。残飯をお茶漬けにして食べる。昨日宿泊のお客さんがなかったので、お客さんご夫妻とダンプスに1泊トレッキングに行くことにした。天気は快晴。ヒマラヤがくっきりと見えていた。
 8時に家を出て、登り口のフェディには8時半着。そこから登り始める。ご夫妻は70歳前後なので、無理しないよう、ゆっくりと思ったが、少々疲れたという程度で、ダンプスまで着。そこの展望台に行く。マチャプチャレは見えていなかったが、アンナプルナはよく見えていた。
 そこからダンプスの集落を30分くらい歩いて、旧知の「ホリデイホーム」到着。11時だった。最近2階を増築し「スイートルーム」を造ったと聞いていた。それが800ルピーで、普通のシャワー付部屋が500ルピー。スイートと言っても、普通の部屋とそんなに違わないかなあ、と少々たかをくくっていたら、とんでもない。窓枠は木の彫刻で、ベッドは高級な真っ白な布団、枕、シャワーもお湯あつあつ。よく頑張って造られたんだなあ、と感心してしまった(写真)。しかもコースにしたら(1500〜2500ルピーくらいまで、食事3回、部屋代、込み)、ダルバート、肉つきおつまみ、ロキシー、やきそば、お茶、デザート、チベタンブレッドまでついていた。味も美味しかった。ここなら、自信を持ってうちのお客さんにも紹介できる。そうしよう。
 夕立があり、トレッカーがちょっと雨宿りしていった。ポーランド人のご夫妻は2週間トレッキングに来ていたそうで、「ヨーロッパ人は休みを取るにも余裕があっていい」と話す。
草花を見たり、緑の渓谷とヒマラヤを堪能して、とても幸せな時間だった。
 夜はご夫妻、宿の方々と楽しく酒宴。ロキシー(地酒)やジャイカテ(ロキシーに油で焦がした米を入れたもの)で体も温まり、とても楽しかった。宿の方がグルン民族でグルン語をいろいろ習った。
2011/10/8 (土)
営業開始629日 日本語教室

 朝8時から日本語教室。1年生の女の子。初回の先週は緊張でガチガチで、声も出なかったが、今週は短い文章を暗記して、そらで言うまでになった。復習を何度もやるより、先々に進んだほうがいい、とのお母さんの話もあり、教科書を進めた。頭が良いらしく、暗記はすぐにできる。笑顔も見られるようになった。ただ、女の子を見ていると、男の子たちがちょっと怠ける。女の子に「はい、じゃあ休憩」と言ったら、男の子たちが「はい、休憩、休憩」と席を立つ。「君たちじゃないっ!」と続けさせる。初心者に教えるには、私のネパール語の語彙ももっと増やさないといけない、と思った。
2011/10/7 (金)
営業開始628日 ダンプストレッキング打ち合わせ

 祭り明けで、まだ周囲は静か。
 レイクサイドは観光客が増え、目立つのは中国人の団体さんだ。
 時間ができてきたので、日本語単語帳の原稿作りを始めた。久々にパソコンを半日打っていたら、ちょっと疲れた。1万語収録を目標にしている。とりあえず、思いつく単語や既存の本を参考にエクセルに打ったあとで、あいうえお順に並び替えた。重複している単語も多く、まだ8000いくつ。
 8月に3週間も泊まってくださったJICAの方がダンプストレッキングの打ち合わせに、日本からやってきたご主人と一緒に来てくださった。ご主人は今日初めてポカラに着いたそうだ。さっそくうちに寄っていただいた。優しそうなご主人で、奥さんもうきうきしているように思われた。
ダンプス。ダンプスの宿のサムさんに「新しく増築したから、1度2人で来てください」と言われていた。クリシュナと話し、もしもお客さんがなかったら、私たちもダンプス行ってみようか? ということになった。今後、お客さんに1泊のトレッキングを紹介するためにも、最新の情報があったほうが良いし。ダンプスも、この宿のご主人も好きだし。お客さんにそう提案すると、「ああ、それができたら一番良い。都合は合わせますから」と言ってくださった。では、もしもお客さんがなかったら、ということで、出発は明日朝8時にうちからタクシーでフェデイまで行くことになった。お客さんがあった場合は、クリシュナがフェディまでご案内し、あとは宿から迎えに来てもらうことにした。
 新聞が4日間休刊中。ダサイン休暇だそうだ。
2011/10/6 (木)
営業開始627日

 今日はダサイン祭。クリシュナは早朝から親戚の家にティカ(幸福を祈って額につける赤い粉)をもらいに周りに行った。私は留守番したが、クリシュナが昼ごろ戻ってきて、クリシュナからティカをもらった。
 それからサリーを着て、周囲を散歩して、祭りの日の様子を見に行った。みな、にこやかな顔をしている。額に赤いティカ、耳にとうもろこしの種を生やしたもの(?)や花をつけている。サリーを着てたら、近所の人にほめられた。「いつでもサリー着てればいいのに!」。でも日本人のお客さん、ひかないかなあ? 
 外国観光客も額にティカをもらっていた。ホテルは稼ぎ時みたいで、「忙しい。満室だよ」と言っているところもあった。でも、「ティカは夜になってからじゃないと、もらいに行けないかも」と、少し寂しげでもある。みんなが家族でティカを付け合っている日に、1人何もしないのはネパール人にとっては格別に寂しいみたいだ。しかし、うちは宿はヒマだ。いいんだろうか?
 クリシュナは夜は向かいの「ロンリーゲストハウス」の社長と飲んでいた。朝からこれを楽しみにしていた。
2011/10/5 (水)
営業開始626日

 朝6時前に起きる。お客さんも起きて日の出とヒマラヤを見ていた。雲が多くて山は少ししか見えなかったけど。
 昨日お客さんが訪ねていく村のネパールの方から電話で、朝10時にタクシーを迎えに寄こす、とのことだった。お客さんは9時ころ「ジャケットを持ってないので、買ってきます」と出かけて行った。ところがタクシーは10時よりかなり前に来て、10時にピックアップではなく、10時にハランチョークからバスが出る、と言うのだった。10時にここを出たんじゃ間に合わないじゃん! 軽くハラハラしたが、お客さんは10時9分前に戻ってこられ、バタバタと出かけて行った。
 最近、ここに来てもらってる若いお客さんは、話をしていて、本当に気持ちの良い、爽やかな方が多い。クリシュナ曰く「心のきれいなお客さん」。私は日本人観がちょっと変わった。
2011/10/4 (火)
営業開始625日 宿泊のお客さん

 ダサイン祭で周囲も静か。隣の家では、朝からヤギの解体作業が行われていた。うちの3階からしばらく見ていた。メーメー泣くヤギ。近所のご主人が頭の方を、この家のご主人が脚を引っ張り、近所のご主人の息子さんがなたを持ち、バケツの上に乗せたヤギの頭を、「ダンッ!」と一振りした。一発で、頭と胴体が離れ、大量の血が流れた。頭はしばらく動いていた。ああ・・・、みんなこうやって肉を食べてるんだけどね。それからガスで体の毛を焼き、皮や内臓などを解体していた。
 近所の子どもたちは凧をあげている。細い木に紙を張って、尾を付け、糸をまくところはペットボトルの手作りだ(写真)。
 午後、庭の草むしりをしていたら、先日いらっしゃったお客さんの大学の仲間という方がいらっしゃった。ネパール人のご主人の村に調査に行くのだそうだ。うちで夕飯のダルバートを食べてくださった。
 お客さんは数日前、うちに宿泊の旨、メールをしてくださっていたとのことだったが、私は確認できていなかった。またパタンにいるというNGOの方から12月にいらっしゃるというお客さんの予約の電話をいただいた。「連絡行ってなかったですか?」。もしかして、メール送っていただいてるのに、確認できてないってこと? マズイよね。
2011/10/3 (月)
営業開始624日

 周囲はすっかりダサイン祭モード。隣りのうちではチャングラ(この祭りのときだけ食べる、毛の多い特別なヤギ)を1頭買ってきている。子どもたちは凧をあげている。いたるところで「ピン(ブランコ)」が設営されている。
 塀を直す工事が控えているため、植えていた植木などを移す。竹を買ってきた植木鉢に移し、3階のバルコニーに置いた。今は気候が良いので、朝晩ごはんはこのバルコニーで食べている。竹がもっと良い具合にライトに当たれば気持ち良いんだけど。
 隣りの空き地に、日本では観葉植物としているポトスが生えていた。採ってきて鉢に植え替えた(写真)。
近所のアマ(年配の女性)が飼っている牛に草を食べさせ、連れ帰ろうとしていた。「ナニ アウ」。ナニは本当は孫娘を呼ぶときの言い方だが、このアマは牛にそう呼んでいた。うちの雑草を採ってきて牛にあげた。アマは空き地に腰を下ろし、草を食む牛を眺めている。穏やかなひとときだ、と思う。
2011/10/2 (日)
営業開始623日

 朝ごはんを済ませたあと、水の役所、マヘンドラプルに行く。水の役所では338ルピーで400ルピーを出したら「12ルピー」がどうのと言われて、150ルピーのおつりしかもらわなかった。細かいおつりを面倒がられた。計算の弱い私は、しばらくしてそれに気がついた。つくづく自分をバカだと思った。
 スーパー「セールウェイズ」で植木鉢を買う。プラスチック製で大き目の650ルピー。竹を植え替えたいので、大き目のが欲しかった。この前ガーデンの人に聞いたら、土で作ったのは900ルピーと言われたので高いな、と思って買わなかった。セールウェイズではダサイン祭セールで30ルピー割り引きだった。
2011/10/1 (土)
営業開始622日 日本語教室

 朝8時から日本語教室。周囲はすでにダサイン祭モードだが、教室は行われた。今日から新入生の女の子が入った。数年日本で暮らしたが、その後がネパールで日本語は忘れてしまったという。とっても緊張していて、声が出ない。今日は50音とその単語をやった。3,4回やるうちに慣れるかなあ。なんとか続いてほしいな、と思う。4年生をやっている男の子たちと、どう複式で授業をやっていこうか。女の子を見ていると、男の子たちがなまける。
 教室の帰り道、サンダルで歩いていたら、くぎを足に刺してしまった。道に落ちていたくぎが、かかとに刺さって血が出ていた。くぎはすぐに抜け落ちたが、ちょっと痛かった。くぎが足に刺さったとき、ネパールではtetanus(破傷風)を防ぐため注射をしないといけないらしい。別にほっといてもいいかな、と思ったが、クリシュナが注射しないといけないというので、近所のドクター在中の薬局に行った。ドクター不在で、奥さんが「夕方来て。24時間以内に注射すれば大丈夫」と言った。夕方行くとドクターがいて、注射をしてもらった。ネパールで初めてだ。注射器は1個1個ビニールに包装されていた。それを出してきた棚はあんまりきれいじゃなかったけど。針が刺さったときは別に痛くなかったけど、しばらくして注射した左腕が少し痛くなった。そういうものらしい。注射は40ルピーだった。
 ダンプスで宿をやっているサム・グルンさんがうちに寄ってくれた。今度ダンプスに行くお客さんがいるので、「料金や交通事情などを相談したい」と一昨日連絡したら、「ちょうどレイクサイドに来る用事があるので寄ります」と言っていた。そして本当に来てくれた。ソーラーをつけてお湯が出るようにしたらしい。「ぜひ一度来てみてください」。行きたいなあ、ダンプス。
2011/9/30 (金)
営業開始621日

 お客さんは7時にタクシーが迎えに来て、バスパークに行かれた。「今度はもっとゆっくり来ます」と言ってくださった。もう少し沖縄の話をうかがいたかった。
 空いた客室の掃除をした。
 天気が良く、洗濯物がすぐに乾く。
2011/9/29 (木)
営業開始620日 宿泊のお客さん

 朝から良い天気。暑い。
 メールを書いたりする。お客さんから、チトワンやダンプスについての問い合わせがあり、料金の確認や知人の宿に連絡をとったりする。JICAでポカラ在住の方がダンプスに行きたいとのことで、相談にお見えになった。ダンプスの旧知の宿のオーナー、サム・グルンさんに連絡をとった。
 昨日トレッキングに行かれた御一行は、夜7時半ごろ戻ってこられた。ネパール人のご主人の実家などに行かれたそうで、トレッキングも楽しんでこられた。短い日程でいろいろ周られたようだ。
 一昨日から暦上、ダサイン祭が始まった。メインの日はまだ先で、とくにイベントは行われていないが、すでに帰省ラッシュなどは始まっているようだ。
 夜、お客さんの沖縄土産のラフティをいただいた。日本の豚肉はやっぱり美味しい。
2011/9/28 (水)
営業開始619日

 朝4時半起床。タクシーが迎えに来て、お客さんがサランコットに日の出を見に出かけていく。朝から良い天気でヒマラヤはきれいに見えていた。
 お客さんが客室に携帯を忘れていた。気がついたので保管したが、もしも、掃除を雇った外の人に任せていたら、盗られてしまったかもしれない。誰が盗っても、うちの責任になる。考えるとぞっとする。今のところ、人を雇う気はない。実際、スタッフを雇っていたころ、この家の中で私の携帯などが無くなってしまった。スタッフの彼に聞くと「電気の工事に来た人が携帯を見ていたから、私が手にとって見せてあげた」と、妙なことを言っていた。蚊取りマットが無くなったときは、彼のかばんからでてきた。「お客さんの忘れ物かと思って、お客さんが戻ってきたときに返してあげるために、かばんにしまっていた」。
 8月に宿泊いただいたお客さんからメールをいただいた。ホームページの文字化けしてることなどを教えていただいた。私は仕事が出版畑なので、ネットの情報とかはあんまり信用できない、とか思っていたが、気がついたら、自分もふるーいデータをそのまま載せていた。

 ネパールの国税調査の結果が新聞に載っていた。それによると、
全人口 23151423人
男 11563921
女 11587502
伸び率 2.25%
カトマンズ 1081845
都市部 3227879(13%)
地方 19923544(86.1%)
タライ地方 11212453(48.4%)
丘陵地帯 10251111(44.3%)
山岳地帯 1687859(7.3%)
2011/9/27 (火)
営業開始618日 宿泊のお客さん

 日中の日差しは暑いが朝晩は涼しい、気持ちの良い気候になってきた。
 朝から客室の布団の準備などをする。そして午後2時半過ぎ、予約のお客さんが到着。昨年までJICAでポカラにいた方で、ネパール人の恋人と出会い、日本で結婚された。日本に行く際に、ビザのことなどを私やクリシュナで話した。その彼女がネパール人のご主人、大学の先生、学生さん、そしてなんと生後5ヶ月のお子さん!!と一緒に来てくれた。相変わらずパワフルで明るい。いやー、しかし覚えていて再訪してもらえるのも嬉しいし、赤ちゃんと一緒というのもすごいね。0歳でネパール。「だんながネパール人ていうと、みんないろいろ寄付してくれるんですよ。服とかベビーカーとか」。
夕方街に観光に行くが激しい夕立で、18時半ころ戻られた。7時半ごろからうちでダルバートを食べていただいた。夜は星がきれいだった。
 ご主人が奥さんのことを「アマ(お母さん)」と呼んでいたのが印象的だった。
2011/9/26 (月)
営業開始617日

 夜雨が降って日中は晴れている。朝晩の気温は低くなってきた。
 洗濯やアイロンかけなどをする。
 ホームページに掲載してある、おすすめレストランの「チベタンキッチン」、お店がなくなってしまったので削除したいが、どうやっても消えない。なんで? ホームページもっとかっこよく直したいが、なかなか忙しくてやれない。
2011/9/25 (日)
営業開始616日

 朝ごはんを済ませたあと、銀行、電気の役所に行った。
朝から曇り空。お客さんがいる間は、ヒマラヤが出ているかどうか天気が気になるが、いないとまったく気にしてない。
 今朝、カトマンズでマウント遊覧の飛行機、ブッダエアが墜落した。乗務員と、日本の方1人を含む乗客、合わせて19人の方が亡くなった。天候が悪かったのに飛んだのが原因とされている。
2011/9/24 (土)
営業開始615日

 朝6時過ぎお客さんがチェックアウト、ダムサイドなどを歩いて空港に向かわれた。
 7時半もう1人のお客さんに朝ごはん、和食を出した。少し外を歩いて戻られ、その後空港に向かわれた。みなさんチェックアウトされた。ちょっと寂しくなった。
この1週間、たくさんの方が来て、いろいろなことがあった。単身で来る方が増えて、15ドルの部屋を求められる機会が増えた。偶然だろうが、8月以降、横浜から来る方が多い。計6組。地元のJICAの方もそうだ。私たちも横浜に住んでたことがあるから、縁があるのかな。
 空いた部屋の掃除をした。今日は1日中雨だった。肌寒いくらいだ。
 お金を両替しに行った。1ドル77.5ルピー、10円が10ルピーを超えていた。すごいドル、円高だ。ルピーが下がってるのか?
2011/9/23 (金)
営業開始614日 宿泊のお客さん

 朝6時過ぎ、お客さんが散歩に行くと言って出かけられ、その後ちょっとバタバタとチェックアウト。ツーリストバスでカトマンズに行かれた。
 今朝は本当にヒマラヤがきれいに見えた。男性のお客さんはカイト飛行機の遊覧に行かれた。山がきれいだったので、急いで予約したが、飛んだのが9時半で、ヒマラヤはほんのちょっとしか見えなかったそうだ。残念。
 カイトのお客さん、「ヒマラヤ見えてるかなあ?」と思っているころ、トレッキングに行かれていたお客さんが帰ってこられた。「楽しかったあー」と言っていた。みなさん、筋肉痛と言いながらも、トレッキングから良い顔をして戻ってこられる。お客さんはトレッキング中に虫に刺されたようで、発疹がでていた。夕方うちにあった薬を出すが、夜になって、さらにかゆみや発疹が広がってしまい、クリシュナが一緒に近所の薬局に行った。医療の専門の方なので、ステロイドの飲み薬をもらってきたと仰っていた。
 みなさん、うちの宿のホームページをよく読んできていただいていた。レストラン紹介にある「チベタンキッチン」はなくなってしまったのに、削除するのを忘れていた。あと朝食についても「あるって知らなかった。外で食べなきゃいけないのかと思ってました」と言われた。もう少しなんとかしないと、ホームページ。
2011/9/22 (木)
営業開始613日 宿泊のお客さん

 朝4時に起きる。4時半にお客さんがタクシーでサランコットに日の出を見に出かける。10時すぎお客さんは私とクリシュナと3人で写真を撮って、自らタクシーを拾って空港に行かれた。ところが、その少し後、お客さんがカメラを無くしてしまい、うちの周辺かタクシーに落としたか、と連絡が入った。お客さんは1泊でも、とポカラにこられ、運良くその間昨日の夕焼けのヒマラヤも、今朝のサランコットのヒマラヤも見て、私にも写真を見せてくださった。しかも最後にわざわざ私たちと撮ろうとカメラを出して、その後に紛失してしまうなんて。周辺を探したが見つからない。なんとも気になって、見つかっていればいいがと、夜タメルの宿泊先に連絡してみるが、やっぱり見つかってないとのことだった。なんかうまく出てこないかなあ。
 お客さんはカトマンズ在中に地震を経験されていて、どの程度だったか話をうかがった。お客さんの感覚では震度3くらいな気がした、という。ネパールでも地震があるんだ、くらいな感じで食事を続けていたが、周辺の欧米人は驚いていたり、ネパール人は建物から逃げていたそうだ。カトマンズもバクタプルも、壊れている家とか見なかったそうだ。
 もう1人のお客さんがチトワンにバスで行かれた。今朝も山が見えたので、出発まで見ておられた。
 トレッキングに行っていたお客さんが戻ってこられた。うちから紹介したディレップさんというガイドさんとゴレパニに行き、ジヌーという温泉、モディコーラを通って帰ってきたそうだ。ガイドさんは「とても良い奴だった」と言ってくださったので、ホッとした。なんでもよく知っているとのことだった。昨日のお客さんがガイドとうまくいかなかったようなので、心配していたが今回は問題なかったようだ。お客さんは疲れたとは言っていたが、すっきりと良い顔をされて戻ってきた。残念ながらあんまりヒマラヤは見れなかったようだが、無事戻られてよかった。いろいろお話をうかがった。
 昨日から宿泊されている女性のお客さんは朝8時頃出掛けて、そのままタクシーでサランコットなどを周り、山も見え、午後はアーユルヴェーダに行ってこられた。「Women’s Skills」にも行かれ、満喫されたようだった。
 夜はお客さん同士で、会話に花が咲いていて、こちらも楽しくなった。
2011/9/21 (水)
営業開始612日 宿泊のお客さん

朝、お客さんの洗濯物などをする。曇っている。洗濯物が進まない。
 うちの場所を尋ねる電話がかかってきた。そして予約はなかったが、日本人の若い男性のお客さんがタクシーでいらっしゃった。「15ドルの部屋でいいんですけど」ということで、用意してなかった1階の部屋を急いで掃除する。今日は15ドルの部屋は空いていない。最近「地球の歩き方」を見て来る若い、単身の方からは15ドルの部屋を求められることが多くなった。大橋さんは間もなくに日本山妙法寺へと出かけて行った。
 午後、予約をいただいていたお客さんが飛行機で到着。タクシードライバーに「他のホテルに案内された」と言っていた。お客さんは仕事でネパール製の服を売っており、カトマンズではその工場に見学に行くとのことだった。ポカラには「Women’s Skills Development Organization」という女性自立支援で織物や雑貨を造っているところがありますよ、と案内した。
 2日前にうちからガイドを紹介して、ゴレパニに行ったお客さんが帰ってきた。ガイドがあまりよくなかった、とのことだった。説明を求めても何も言ってくれないし、自分のずっと後ろを離れて歩いたり、そうかと思えばずっと先に行ってしまったり、と。そおか・・。落ち着いた雰囲気のガイドだと思ったんだが。「急に頼んだのがいけなかったんだと思ったけど」と言ってくださったが。私たちがトレッキングに行ったときも、ガイドと話の合っていない欧米人とか、かなり距離を置いて歩いているガイドというのをよく見た。しょうじき、気に入ってもらえるような良いガイドを探すのは難しいよ。でも、頑張って探すしかない。これまで2,3人は良いガイドを見たことがある。
 今日ポカラに着いたお2人は、着いた時点で天気が悪かったので「ダメもとでサランコットに行ってみようかと思います」と言っていたし、トレッキングに行っていたお客さんもまったくヒマラヤは見えずに帰ってきた。ところが! 夕方になって、急に晴れだし、夕陽にあたるヒマラヤがとってもきれいに見えた。みなさん、喜んでおられた。マチャプチャレ、アンナプルナともに見えた。夕方にこんなにきれいに見えるのは珍しい。見てもらえて本当に良かった。
2011/9/20 (火)
営業開始611日

 朝から雨が降り続いている。この間まで雨季は完全に終わったと思っていたのに、また降り出した。ヒマラヤは今日は見えていない。
 明日予約の客室の準備をした。
 
 新聞にはおとといの地震のことが一面に出ている。1934年以来の大きな地震(マグニチュード6.8)だったそうだが、首都カトマンズではけが人が68人、家の破損が22軒、英国大使館の塀が倒れて3人が亡くなったそうだ。インドの震源地に近い東ネパールのタプレジュン、サンクワサバ、サンサリ、バラ、ジャパで計6人が亡くなったそうだ。76年前の地震では3400人が亡くなったというから(カトマンズポスト9月21日)、今回被害は少なかったようだが、それでもこれを警告としないといけない、と記事に出ている。70年、80年に一度しか来ない大きな地震が今年来るなんて・・・。
2011/9/19 (月)
営業開始610日

 朝5時半に起きる。6時半にお客さんに朝食を出す。7時に1人のお客さんがトレッキングに出発した。ガイドさんが時間より早めに来てくれるだけで、ホットする。もう1人のお客さんも8時に出発。みなさんゴレパニに向かう。ポカラは曇り。朝はまだ小雨が残っていた。夕べは激しい雷雨だった。ゴレパニで山が見えれば良いんだけど。
ご夫妻のお客さんもいったんカトマンズに戻る、とのことでチェックアウトされた。「素敵なところですねえ。また来ます」と奥さんが言ってくださった。ローカルバスで行かれた。
 
 9月に入ってメールでけっこう予約をいただいている。「地球の歩き方」に載せていただいてから、1人の女性のお客さんの予約が増えた。以前は地元で働く人以外で、女性1人ということはほとんどなかった。女性1人でも安心して来てもらい、こちらもウエルカムで、役に立てていればうれしい。

 昨晩、インドで地震があった。ネパールの国境近かったので、ネパールの東の方や、カトマンズでも少し被害があった。カトマンズの日本大使館から安否確認のメールが来た。ポカラは問題ない。被災地はここから確かに遠い山やタライの村で、実態がわからない。日本のように、すぐに映像や情報が入ってはこない。
2011/9/18 (日)
営業開始609日目 宿泊のお客さん

昨日の夕方地震があった。私は外を歩いていてまったく気がつかなかったが、家にいたクリシュナによれば「震度4くらいはあった。鉄のゲートがガタガタ音を立てた」。インドのシッキムという、ネパールの東国境付近が震源地だった。カトマンズでは英国大使館の壁が壊れたとのことだった。テレビのニュースではカトマンズなどの街頭インタビューをやっていた。ポカラのうちの近所では、みな表に飛び出して、ざわめいていた。うちの辺りはとくに被害は見当たらない。
 朝6時半にお客さんに朝ごはんを出し、トレッキングに出発していった。雨はなく、ガイドさんは半そでシャツに短パン。その軽装ぶりにお客さんが驚いていた。荷物になる、というので寝袋は置いていかれた。
ご夫婦のお客さんと話をする。ご主人は何冊も本を出されている著名な写真家の方だった。山岳写真家が撮っているのとは違うヒマラヤを撮りたい、とのことだった。
 朝9時頃、飛行機でお客さんが到着された。明日からトレッキングに行きたい、とのことで、相談を受ける。昨日と同じパターンだ。クリシュナが知り合いのガイドに話をしに行くが、昨日と同じでまた当人はスケジュールが空いてなくて、他のガイドを紹介してもらう。ティルカムさんという40代くらいの方で、落ち着いて物静かそうなので安心した。条件も昨日と同じ。お客さんがご自分でトレッキング許可証などを取りに行き、戻られたらガイドさんに打ち合わせに来てもらうことにした。夕方お客さんとガイドさんを引き合わせ、希望のコースを話し、プランを立てた。1つ大きな仕事が終わった。
 午後、ツーリストバスでお客さんが到着。お客さんも明日からトレッキングに行かれるが、日本であらかじめ予約をされていた。大学院生の方だった。
 今日はいろいろな仕事をした。クリシュナも忙しそうに動いていた。
2011/9/17 (土)
営業開始608日目 宿泊のお客さん

 朝食を済ませた後、畑や庭の雑草を取る。陽が薄かったので、いまのうちに、と思ってやっていると、お客さんがいらっしゃった。「部屋ありますか?」。クリシュナに案内してもらい、部屋が決まると、急いで寝具のセットをした。明日2部屋予約が入っている。それも考えつつ、部屋を用意した。
 お客さんは明後日から4泊くらいでゴレパニまでトレッキングに行きたいとのことだった。「カトマンズでいろいろ言われたんですが、こちらに頼もうと思って」と言ってくださった。さっそく家の裏に住んでいて、クリシュナがよく知っているガイドさんを訪ねる。そのガイドさん自身は他用が入っていて、甥っ子でガイドをやっているという方を紹介してくれた。間もなく打ち合わせに来てくれた。ガイドさんは感じの良い30代くらいの方だった。ガイドさんの宿、食費込みで1日20ドル。お客さんは自分の宿、食費は別途負担する。早く行って帰ってきてポカラでゆっくりした方がいい、との意見で出発は明日になった。これで話がまとまった。ガイドさんはお客さんのトレッキング許可証、TIMSを代行しに行った(50ドル)。お客さんは若い男性なので、女性1人に比べたら、少し気が楽だ。女性にガイドを紹介する場合には気を遣う。
 夕方、もう1組ご夫婦のお客さんが、やはり「部屋ありますか?」といらっしゃった。あります、と言うと「良かったぁ」と奥様が仰った。また慌てて部屋の準備をした。日ごろからやっていれば、とも思うが、クリシュナは「用意しておいたままにすると、湿気や埃がつく」と言う。それでなるべく、太陽に干したばかり新鮮、ホカホカの布団をセットすることに心がけているが、お客さんを待たせるという、いけない点もある。
 今日はけっこう忙しかった。
2011/9/16 (金)
営業開始607日目 塀

 朝、ヒマラヤが全景望めた。こんなにきれいなのは、雨季が終了して初めて。もう完全にシーズンに入った感じ。
 昨日約束したとおり、塀の職人を連れてパウデルおじさんが7時半ころ来てくれた。職人は30歳くらいの人だった。いろいろ話をし、パウデルおじさんが間に入ってくれて、見積もりを出した。「2万5000ルピー」と彼は言った。セメントなどの材料はいくらかかるのか、それもパウデルおじさんが細かく計算してくれた。石や砂、セメント、ブロック、こっちにお金が掛かる。材料代がだいたい1万5000ルピーくらい。計4万ルピーか。。そこで、職人の2万5000ルピーを値切る。「他の職人には2万2000ルピーと言われたから、2万2000にしてくれません?」。「いや、昨今、職人を数人雇ったら、このくらいは掛かるんですよ」。パウデルおじさんが「まあ、それは本当だ。私も嘘は言わないよ」「ええ、ええ、そおですね。わかってますよ」と言いつつ、「でも2万2000で」。クリシュナと私、パウデルおじさん3人で「2万2000にまけてよ」と押し、職人はしぶしぶ承諾した。
 で、いつ施工するか。本当は塀を壊す期限は今日だった。でも、まだ大半の家は何もしていない。あと10日間くらいで、ダサイン祭り休暇が始まる。その前にやったほうが良い、と言うが、どうせ道の工事自体がダサイン後になるだろう。そして私たちは、10月に銀行の定期預金が満期になって下りないと、資金繰りが厳しい。クリシュナは親戚のおじさんに一時的に借りればいい、と言うが、そこまでする必要もない。正直にパウデルおじさんたちに話し、それなら「ダサインとティハールの間くらいのときで。もし早まる場合は連絡します」ということになった。良かったあー。同じ料金で、レベルの高い仕事がやってもらえる。
ネパールでデザインなどの仕事を頼む場合、希望のデザインを実際に見つけ、それをやった職人に頼むか、他の職人に実際に見せて、「これとまったく同じに」とするしかない。
 しかし、この国はお金が貯まらないようにできてるなあー。周辺の家もみな壊し始めてる。うちはまだ良いほうで、もっと大きい塀を直してたり、ほんとついこの間、造ったばっかりの家なんか可哀想だよ。
 近所で、ヒンズー教のお祈りに非常に熱心な家があり、そのうちの人のことを私とクリシュナは「宗教のお兄さん」と呼んでいる。その宗教のお兄さんにクリシュナが、塀を直すのにお金がかかって困ると話に行った。そのうちは前庭が狭かったので、塀を壊されたら、もう直接玄関になってしまう。さぞかし困ってるのかと思ったら、「いや、うちは何もしなきゃいけない仕事はないよ。壊されるだけ」。こう考えたらいいのか、と思った。
 
 カトマンズで「Japanese Education Fair」というイベントをやっているのを新聞で見つけ、本の宣伝にならないか、と出版社のデベンドラさんに連絡した。
2011/9/15 (木)
営業開始606日目 塀

 塀を直すのをどうしようか、夕方周辺を歩いて模索してみる。昨日見たカッコ良いエクステリアの家のおじさんと道でばったり会った。おじさんは、私たちがおじさんを頼ってきたものと考え、さっそく職人に電話し始めた。そして直接クリシュナに用件をしゃベらせ、その後、私に「あなたはここで5分待っていて。私は彼をバイクに乗せて、あなたの家を見てくるから」と言って、すぐにクリシュナをバイクのおしりに乗っけて行ってしまった。
 そして間もなく戻ってくると、うちの宿は「石が良かった」と感想を言ってくれた。パウデル姓(バウンカーストの苗字の1つ。クリシュナも同じ)のおじさんは、60歳くらいだと思うが、好奇心旺盛で、「日本人がやってるホテルを見てみたかった」と言っていた。小さなメモ帳にびっしり電話番号が書き連らねてあった。社長然とした感じ。その後、レストランの隣りの自宅にも案内してくれた。床が木で、内装もカトマンズの木の文化を取り入れている。よく高カーストで保守的なバウンが、こうモダンなデザインの家にしたな、と関心した。息子さんが海外にいろいろ行っているかららしいが、息子の意見を素直に聞けるというところが、大人物なのかもしれない。とっても素敵で快適な家だった。しかも、うちのことも褒めてくれた。たいていのネパール人は「あそこはもっとああできたのに」とか「そんなに金使っちゃったの」とか、否定的に言うものなのだ。
 「あなたもパウデル、私もパウデル」とクリシュナに言いながら、明日の朝7時半に職人を連れてきてくれることになった。おじさんに会ったことで、トントンと話が進んでしまい、後はお金がどれくらい掛かるかだが、なんとなくこのおじさんとは知り合いになって良かった気がする。
 夜は星がきれいだった。久々に満天の星を見た。
2011/9/14 (水)
営業開始605日目

 朝ごはんを済ませ、アイロンかけなどをした。夜に雨が降るが、陽が出ている日中は暑い。外に出る気にならない。
 Tさんが日本から昨日戻ってきた、と言って、のりをお土産に持ってきてくださった。今、日本は台風被害もあり、政治も経済も大変だ、という話になる。
 塀を直すのに、どれくらいお金が掛かるかなどを調べ始める。以前、うちを建てたとき仕事をやっていたバジ(年配の男性)の奥さんに聞いてみると、職人を紹介するという女性を連れてきた。ざっと見積もって、セメントやブロックなどの材料は別で2万5000ルピーという。えーーっ、そんなにすんのぉ? 全部で2万ルピーくらいで済むかと思ってたのに。いや違う、レンガは使わない方法で造る、と言うと「2万2000ルピー」とのことだった。もちろん即答はしなかった。
 クリシュナには塀を造るのに、アイデアがあって、なるべく安く見栄えよく、と考えている。それは、セメントで岩みたいに見せるやり方で、それを実際にやっているところが何本か向こうの通りにあった。それを見に行った。それはホテル&レストランで、「ヒマラヤン」というレストランを最近新しくオープンしたようだった。木や竹を使った民芸調の建物が、すごくカッコ良い。運よく、その塀の前に主がいた。「何? 何でも聴きなさい。この塀、金なんかかけずに造ってるよ、わかる? ブロックとセメントだけ」。よくしゃべるバウンのおじさんで、洒落た内装も説明しながら見せてくれた。この頭の固そうなバウン(僧になる高カースト)のおじさんが、よくこの斬新でナチュラルなデザインをしたな、と違う意味の感動をしてしまった。ただ、費用を尋ねると「それは造る人に聞かなきゃわかんないよ」と、わかんないままで終わってしまった。どうしたもんか。
2011/9/13 (火)
営業開始604日目

 朝寝ぼうをした。
 水道の役所に料金を払いに行った。いつも早めに払いに行っていたので10ルピーの割り引きだったが、今日はちょっと遅めに行ったので5ルピーの割り引きだった。
 郵便局にも寄って、最近出した日本語の本を日本に送った場合、いくらの郵送料になるか聞いてきた。重量で決まる。200gだから350ルピーとのことだった。本の値段が225ルピー。本より高くなってしまうのかぁ。
 うちの前の道を拡張することになり、塀を壊してその分の土地を提供し、造り直さないといけない。拡張すると言っても、そう大々的にではなく、車2台がすれ違えるようにする程度だが、今レイクサイド中でこの作業をやっている。機械はなく人力。外国人の私から見たら、何も各家の塀を壊してまで、ちょっと道を広げるなんてことしなくてもいいのに、と思うが、地主の人たちが先頭切って賛成している。彼らにしてみれば、役所が道を造ってくれる、それが「発展」に向かう、と信じている。一概に外国人の私なんかが、反対を述べても、発想が違いすぎて通じない。
 塀を壊しても何の保障もない。各家が自腹。金が掛かってヤダな、と正直、それだけなんだけど。でも、うちなんかはそんなに広くないからまだいいけど、地主なんかはもっと広い面積を直してる。これが発展、というものなのか?
2011/9/12 (月)
営業開始603日目

大学院生の方が訪ねてきてくれた。環境関係の研修にネパールに来たのだそうだ。熱心にいろいろ聞かれ、勉強不足で答えられないこともいくつかあった。
「日本・ネパール児童画交流展」でJさんが個人賞で「フェワ セコンドリー ボーディングスクール」のビパナ・タパさんに、賞状と賞品を渡しに行った。先生がこちらのことをよく覚えていてくれて、お昼休み時間中で校庭にいたが、クリシュナが手を振るとすぐに駆け寄ってきてくれた。教室にいるというビパナさんを呼んでもらう。ビパナさんは可愛い女の子だった。友達と2人で事務室に入ってきて、「センキュー」と言って、賞状と賞品のリュックサックを受け取った。記念の写真を撮ると、これまで抑えてきた喜びを一気に弾けさせて、友達と2人肩を組んで「キャー」と言って、教室に走って行った。良かった、良かった。
夕方、「地球の歩き方に載ってたんで」と言って、部屋を見に来た女性の方がいた。9月に入り、また外国人の姿が増えてきた。観光シーズン到来だ。
2011/9/11 (日)
営業開始602日目

 朝8時半ごろ、カトマンズに出発する坂さん一行を見送りに行った。9時に出発。みなさん寝不足気味だが、元気そうで何よりだった。みなさん日本では勤めで働いている方だから、休みは1週間程度になる。また来年も会えますように! 今回はとても楽しかった。

みなさんがわたしの本を買ってくださると言ったが、カトマンズの出版社から送ってもらった冊数に限りがあり、「出来たらカトマンズで買ってもらえると・・」と失礼なことを言ってしまった。今後本の補充をどうやって行こうか、課題だ。
日本の図書館司書の友達にこの本のISBNが日本でも検索できるのか、やってもらったが、「出てこなかった」との返事。この国の出版事情はどうなってんのか、調べてみたい。

 昨日メールのチェックもできなかったので、今日まとめてブログを書き、メールの返信もした。最近は日々予約が入っている。ありがたいことだ。
2011/9/11 (Sun)
営業開始601日目 日本・ネパール児童画交流展 日本語教室

 朝7時過ぎ、日本語教室に出かけていく。いまは文法的なところをやっている。「あつい友情で結ばれている」「さかなをおろす」「根をおろす」など、日本語的な表現がちょっと難しい。来週から、Mちゃんも教室に来ることになった。4歳まで日本に住んでいたが、日本を離れてすっかり日本語を忘れてしまったという。A君、H君と一緒に私が受け持つが、内容は別で1年生の教科書をやることになった。うまく教えられるかなあ。
 教室をやっていたところ、Mさんの携帯に坂さんから電話が入った。湖の向こうの公立学校の子どもと会うことができ、今日「日本・ネパール児童画交流展」の会場に来るという。それはすごい! この湖の向こうのアナドゥ公立学校は、この5月坂さんがクリシュナをガイドに連れていき、そこで絵を描いてもらった。1人の女の子、ミナ・バスネットちゃんは、さらに山の向こう側からこの公立学校まで通っているとのことだった。別にそういう話に惹かれたわけじゃなく、この女の子の絵はほんとに上手だったので、私は「空ゲストハウス賞」に決めた(賞は参加者みなが、個人名で人気投票上位以外から選んだ)。そんな話から、今朝坂さんたちは湖の向こうまでボートで行き、彼女と連絡をとったのだという。
 家にいったん帰り、ごはんを食べたりしていると、Mさんから「人手が足らなくて困っている」と電話が入り、急いでクリシュナと行く。ミナ・バスネットちゃんとも会えた。15歳というが小柄。赤いクルタ・スルワルを来て、はにかんでいた。やっぱり村の子はかわいい。品が良い。今は、アナドゥの学校を卒業して、チョレパタンの公立高校に進んでいるそうだ。一緒に、村の御茶屋さんの息子さんも来ていた。2人にしゃぼん玉セットと、坂さんが買ってくれた私の日本語の本などを賞品に出した。
 今日は、子どもたちが大勢来て、みなかなり自由に遊んで賑やかだった。この雰囲気は坂さんのおおらかで、子ども好きの人柄が作り上げたものだろう。地元のマスコミにも取材を受けていた。
17時ころ、片付け終了。18時から「マムズ・ガーデン」で打ち上げをした。楽しい酒宴で、また一方天才少年、シャム ライ君の話題となった。坂さんは、「下手な方向に進むと、お土産やで売るような商業画家になっていく危険がある」と言い、「でも、それも本人次第で悪くないんじゃないか」とも皆が言う。わたし的には、まずはこの国の美術の教育機関がどうなってるのか? みたいなことを調べることからじゃないか、と思う。今日も内容の濃い1日だった。
2011/9/9 (金)
営業開始600日目 日本・ネパール児童画交流展 宿泊のお客さん

 7時にお客さんに朝ごはんをお出しし、9時に「アジアンアート交流会」のメンバーが集合。「日本・ネパール児童画交流展」会場に出かけて行く。
坂さんは6時頃からJさんとヒマラヤを見たりしていた。Jさんは障害を持っている。とても気の優しい、まじめな性格で、イベント会場で私が彼の似顔絵を描いたとき「Jさん、笑ってください」と頼むと、「ハハハ」「ヒヒヒ」「フフフ」と描いている間、言ってくれていた。また、坂さんが隣の建物のべランダで洗濯物か何かしている女性を指して「ほら、あの女の人の絵を描こう」と言い、描こうとしたら、その人が屋内に姿を消してしまった。「あれ、いなくなっちゃったなあ」と坂さんが言うと、Jさんは「コラーッ」と女の人に向かって怒っていた。
 みなが会場で展示作業をしていたときは、申し訳ないが私たちは参加できなかった。12時の開場直後に「フェワボーディングスクール」の50人くらいが来たそうだ。開場には日本とネパールの子どもの絵が各50点強くらい展示してあり、来場者に好きなのを日・ネ1点ずつ投票してもらう。Mさんが言うには、「フェワボーディングスクールの子たちは、自分たちの学校に投票するかと思ったら、そういうのなくて、純粋に良い絵を選んでいた」。ネパール側の絵は、圧倒的に天才少年・シャム ライ君が選ばれていた。毎年常連で、トップ。今回は写真か何かで見たらしい欧州の宮殿を描いていたが、その色使いがやっぱり才能を感じる。坂さんは「今回の絵は気に入られようとして描いたのが見えて、それが気がかり」と言っていたが、茶系と紫系をベースにちょっと光沢感のある色合いと、全体の重厚感で、他とは断然レベルが違う。坂さんも、この子のことは本気で考え始めたようで、カトマンズの大学の美術学部に入れるように支援しようか、なども話題になった。でも、そこまで彼の将来に責任を持てるのか? などなど、Kさんと論議になっていた。ただ、まだ彼は13歳なので、今すぐどうこうということではないが。
2011/9/9 (木)
営業開始599日目 日本から予約の電話 宿泊のお客さん

 1年半くらい前、ネパールにいて、地元の青年と結婚したJICAの方から予約の電話をいただいた。今月末にネパールに来るので、自分たちは親戚の家に泊まるが、一緒に行く方々の宿をうちにしてくれると言う。覚えていてくれたんだ!と嬉しくなった。楽しい方なので、会えるのが楽しみだ。

今日宿泊予定のクリシュナ旧知の版画家・坂さん一行「アジアンアートの会」を迎えるため、客室の準備をする。そして坂さんと同行しているMさんから電話が入り、もうすぐポカラに着くが、坂さん一行は毎回訪ねている、親が刑務所に入っている子どもの施設に寄ってから来る、とのこと。宮本さんは少々疲れた表情で戻ってきた。
そして坂さん一行は、5時半ごろ到着。今回で3回目となるKん、Yさん、宿は他にとっておられる女性の方の計4人。夕食ダルバートのオーダーも入り、クリシュナと2人で準備する。Mさん親子も来て、食事を取りつつ、明日からの「日本・ネパール児童画交流展」のための展示の作業もする。全員で作業し、子どもの絵に名前、年齢、タイトルを書いた紙を張り、それを台紙に貼るだけの作業なのだが、枚数が多いのでなかなか終わらない。9時半になって、ようやく一段落し、帰る方は帰って行った。この頃は雨が降り出していた。
 その後、私とクリシュナもごはんを食べながら、坂さんたちとビールを飲む。坂さんの飄々としたムードに翻弄されながら、みんなネパール的には「深夜」まで作業をした。内容の濃い、長い1日が終わり就寝。
2011/9/7 (水)
営業開始598日目

 出来上がった本のチェックをする。結果的に大きな間違いは3箇所。英語で「Japan」としなければいけないのを「Nepal」にしてしまっているところ、それとネパール語のローマ字表記が抜けていたところ、そして「Sea of Japan」の位置が違っていたところ。もちろん1個のミスも許されないんだけど、全体を通して読んだ感じとしては、思ったより良く出来てたように思う。200ページの本でまちがい3箇所なら、まあ良いよね。内容もそれなりにあるし、自信を持って売りたいと思う。
 出来上がった本についてたナンバー「ISBN(International Standard Book Number)」9789937848206について、日本の図書館司書の友達に聞いた。これって、日本でも取り寄せ可能ってこと?

“ISBNとは国際標準図書番号(international standard book number)のこと。
要は本につけられた背番号のようなもので、13桁の数字で国籍、出版社などすべてわかります。だから本を注文する際にその番号を言えば本屋なら注文できるはずです。
日本では外国の本は輸入している書店が限られてるのと、輸入できない場合があるので、Amazonなどネットで購入する方法もあります。
いずれにしても、その本のISBNは原則世界にひとつしかないので、それがわかれば本を探すのは楽です。ちなみに、雑誌にはISSNというものがついています。“
 
 勉強になるなあ。ネパールにもISBNがあったとは、ちょっとおどろき。書籍、雑誌というのが、世界共通のルール上で動いているっていうのは、ダイナミックで夢があるなあ、と思う。

 夕方、JICAの方が手帳を買いに来てくれた。うちのカウンターの物販コーナーは意外に売れる。
2011/9/6 (火)
営業開始597日目

 暑い。33度はあるだろう。ヒマラヤはよく見えている。夕立があって夜半は気温が下がった。
 出版社のデベンドラさんから「訂正箇所はないですか?」 との連絡が入る。ドキッ。あるかも。そうやって出来上がったばかりの本を見ると、ああ、英語で「Japan」とするところを「Nepal」としてしまっているまちがいが見つかった。ああ。。。やっぱり校正は、何度見てもまちがいがみつかるもんだけど。ごめんなさい、ベデンドラさん。
 日本で本を出版してもらった「連合出版」の社長に、ネパールでも本を出した旨、メールすると「すごい、すごい、がんばってますね」と返信をくださった。やっぱり、編集の仕事はやめられない。
2011/9/5 (Mon)
営業開始596日目 本が出た〜!

 ここ2年くらいかけて作ってきた日本語の本、数週間前に出版されて今日、たった今手元に届いた。やっぱうれしい〜〜

 朝7時半ごろ、カトマンズの「RDN Publication」のデベンドラさんから電話。今出た『レインボーアドベンチャー』のツーリストバスに、私たちの日本語の本を載せてポカラに送ってくれたとのこと。そして午後2時過ぎ、バスが到着。夕方クリシュナがうちに本を持って帰ってきた。
 青緑色の寒色系の色合いの表紙、中のページはモノクロだが、思ったよりも鮮明に印刷されている。バーコードのISBN(International Standard Book Number)9789937848206もついていた。これがあれば、日本からも取り寄せできるってこと? 日本の友達に聞いてみよう。
2011/9/4 (日)
営業開始595日目

 朝ちょっとゲートの鍵を開けずにいたら、電気の使用量のメーターをチェックする人が来ていたみたいで、気がつかないうちに帰ってしまっていた。でも、請求書の紙だけは投げ入れられていた。メーターを見るにはゲートを開けて中に入らないといけない。「どうやって中に入ったんだろう?」。紙を見ると、最低料金が書き込まれていた。メーターの数字も最低使用量が書いてある。メーターは見ないで最低料金を書いてくれていたのだ。そういうことだったのか。先月8月4日の日記で「毎月最低料金を払ってきたにも関わらず、3か月分取られた」と書いたけど、使用量の数字は毎月分ちゃんと加算されていたようだ。前月の数字に加算された分だけを払えば良いので、多く払ったことにはならない。まあ当たり前と言えば当たり前なんだろけど、クリシュナが「ネパールの役所は、そこまで丁寧な仕事はやってくれないよ」と言うので、私もそう思っていた。でも、そうではなくてホッとした。
 電気の役所に料金を払いに行った。
 
 戻って来ると、クリシュナの親友のセル・バハドゥール・グルンさんが訪ねてきた。クリシュナがかつて日本語を教えたことがあり、私がクリシュナと会う以前からの旧知の仲だ。その後、カトマンズでホテルをやり、最近はポカラでサリーなどを売る店を始めたと
言う。商売を始めたときの借金や使用人に給料を払うために「毎月1ラック(10万ルピー)は稼がないといけないよ」。クリシュナより2歳年下だが、しっかりしている。ビールを飲んでもちゃんとお金を払って行った。こういう人にはおごっていいんだよ、と思った。
 
 9月9日、10日と版画家・坂さんの「日本・ネパール児童画交流展」がポカラである。5月にクリシュナが同行して、レイクサイドの私立学校の子どもに絵を描いてもらった。その私立学校にクリシュナが交流展のチラシを持って行った。「絵を描いた2クラスで行く」との返事だった。
2011/9/3 (土)
営業開始594日目 日本語教室

 朝7時過ぎ日本語教室に行く。「とる」という日本語に、いろいろな意味や使い方がある、という項目をやった。「でんわをとる」「出欠をとる」「ぼうしをとる」「ごみをとる」・・・。言われてみると、確かに意味が違う。英語ならそれぞれ違う言葉になるだろう。いろんな意味の「ひく」「かける」を使って詩を作りなさい、というのがあった。子どもたちに詩を作らせると、「ゴホン、ゴホン、かぜをひく」「ピン、ピン、ピアノをひく」など、韻を踏んでけっこう上手く作った。ネパールでは歌や文章で韻を踏んでるのがけっこうあるので、感覚的になじみがあるのかもしれない。
2011/9/2 (金)
営業開始593日目

 朝から良い天気。洗濯物をする。
 クリシュナは、この間亡くなった親戚の家に行き、ごはんをごちそうになってきた。
 午後アイロンかけをしていると、ゲートが開く音がした。昨日チェックアウトされたお客さんだった。驚いた。勤務先のポカラ大学の学生さんとポカラの観光に来たとのことだった。仕事がある予定で荷物を持って歩いていたが、それがあまりに重いので、うちに置きに来たとのことだった。「自分のうちみたいに来て、ごめんなさい」。ここまで信用してもらえるのは嬉しいことだ。夕べから自炊生活が始まったが、夕べはほとんど何も食べなかったとのことで、少々心配になる。
 今日も「リシ パンチャミ」というお祭りだった。近所のお寺で、女性たちが歌ったり踊ったりしていた。
2011/9/1 (木)
営業開始592日目

 朝7時お客さんの朝ごはんをお出しする。昼食用のおにぎりもお渡しし、チェックアウト。24日間も泊まっていただいた。今日からブッダチョークのアパートに移られる。いろいろとびっくりすることの多いこの国で、シニアでボランティアでいらして。日本語も通じない、文化や慣習の異なる環境で、勤務し、1人暮らしをされる。ほんとうに頭が下がる。体調を悪くされないよう、私で力になれることがあれば、と思う。
 客室のそうじなどをする。 
 ヒマラヤはきれいに見えるようになった。
2011/8/31 (水)
営業開始591日目 宿泊のお客さん 「ティージ」

 今日は女性のお祭り「ティージ」。
 お客さんは朝ごはんを済ませたあと、イベントを見に出かけられた。ただ、日差しが強くて暑いため、しばらくして戻られた。
 夕方5時から、お客さん、Mさん、その娘さんとうちで「ティージ」のパーティーをやった。ドレスコードはサリー。みなサリーを何とか着て、写真を撮ったりした。Mさんは、やっぱり踊りたかったみたいで、来る早々、テレビでやってるティージの歌に合わせて踊り始めた。初心者のお客さんも楽しそうに踊っておられた。番組は延々と女性たちが歌い踊っていて、けっこう激しかったりする。日本人3人がサリーで踊ってるの見て、近所の人がとっても嬉しそうに笑っていた。こういう素朴なところが、ネパールの人って良いよね。人が、しかも外国人がサリーで踊ってるだけで、その家の人が集まってみてたもの。踊って、少し汗をかいた。「すっきりしますね」、お客さんが言っていた。
 踊った後は、酒を飲みつつ食事をした。娘さんがクリシュナの作った「ムラコアチャール」をいっぱい食べてくれた。
 会話も弾み、夜9時近く、お開きとなった。この国にはお祭りがいっぱいある。これまであんまりやってこなかったけど、これからは私もお祭りを楽しもうと思う。
2011/8/30 (火)
営業開始590日目 宿泊のお客さん

 急に雨が降らなくなった。秋の気配。でも、雨がなくなった分、暑い。ヒマラヤも見えている。
 お客さんは朝ごはんを済ませたあと、出かけて行かれた。明日はお祭り「ティージ」。お客さんのチェックアウトの前日でもあるので、Mさんも誘い、うちで食べて踊ってパーティーすることにした。Mさんは「え〜〜、ほんとに踊るの? みんなに見られて恥ずかしいー」とか言っていたが、顔は笑っていたので、内心踊りたいのに違いない。料理はちらし寿司の素があるのでそれと、肉じゃが、ムラコアチャールにしようと考え、にんじんをスリジャナチョークの八百屋さんまで買いに行った。
 みなお祭りモードで、実家に戻ってきた女性たちはきれいに着飾っている。夜はティージ前夜の「ダルカネ」で、向かいの「ロンリーゲストハウス」から「キール(牛乳で甘く煮たお米)」をお裾分けしてもらった。
2011/8/29 (月)
営業開始589日目 宿泊のお客さん

 お客さんに朝ごはんを出す。
 もうすっかり巷は女性のお祭り「ティージ」モードになっていて、小さな商店などは休んだりしている。通る車の量も減って、静かだ。
 若い日本人女性の方が「日本語の本はありませんか?」と、訪ねてこられた。私の本を買いに来てくれたのか、と思ったらそうではなくて、空港などで読む小説が欲しいと思っていて、どこかにないか尋ねたら、「空に行け」と言われてきたのだそうだ。以前、日本料理店・桃太郎の場所を探していた日本の人がやっぱり「空に行って聞け」と言われたそうだ。日本のことは何でもうちなのか。ちょっとうれしいけど。ただ、日本語の本はなくて、前日本人の人が置いていったトルストイの分厚い本しかなかった。でも、それでいい、と言うので、それを持って行ってもらった。