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ブハリ日記(ブハリとは末の嫁)の意味

2012/5/1 (火)
営業開始832日 宿泊のお客さん

 1人の女性のお客さんは、知り合った日本人ご夫婦がタクシーでダンプスに日の出を見に行くという誘いに応じて、朝4時に再びダンプスに行かれた。今朝は山が見れたそうだ。そして、同じように日の出を観に、タクシーをチャーターしてきてる人がけっこういたそうだ。
 1人のお客さんは午前中観光されて、1時ころチェックアウト。ネパールで作った私の本を買ってくださった。天候がいまいち不順なので、みなさん飛行機が無事飛ぶかどうか不安げな様子で出かけられていく。
 女性のお客さんは引き続き宿泊されている。
 昨日夕方いらしたお客さんは実はお坊さんで、袈裟を着て現れたのでちょっとびっくりした。ダンプスに出かけられ、そちらに1泊される予定だったが、早く着いてしまったそうで戻ってこられた。いろいろなお話をうかがった。
 ダンプスに1泊で行っていた女性のお客さんがガイドのスベリさんと戻られた。山は少し見えたそうだ。
 夜8時くらいにラフティングでカトマンズから来た、という女性のお客さんが到着された。すでに日が落ちてからの到着で、少しおどろいた。ラフティングで靴がびっしょりになっていた。すぐにバスタブ付の部屋に入られた。ずいぶん前にメールをくれていたお客さんだった。その後メールがなかったので、いらっしゃらないのかと思っていたが、来ていただいて嬉しかった。
 朝は3時半に起き夜は12時まで、長〜〜い1日だ。
2012/4/30 (月)
営業開始831日 宿泊のお客さん

 朝5時前に起き、お客さんの朝ごはんを準備する。6時にお出しする。6時半にガイドのディレップさんが来て、ゴレパニトレッキングに向かわれた。
 8時前にトレッキングガイドのスベリさんが来る。予約されていたお客さんが9時頃到着されて、荷物を置いてダンプスに向かわれた。
 昨日ダンプスに行かれた2人の女性のお客さんが戻られた。山が見えなかったのを、とても残念がっていた。昨日の早朝5時半ころはとても山がきれいだった。マナスルの方面から朝陽が上がるのが見えた。あまりに早い時間なので、寝てるかと思い声をお掛けしなかったが、起こしてさしあげればよかったかなあ。
裏のガイドさんとゴレパニへ行っていたお客さんが戻られた。ガイドさんも問題なく、山も見えたらしい。「ベテランのガイドさんでねえ」と言っていただいた。ほっとした。
予約されていた女性のお客さんが到着された。
仕事が忙しく、ちょっと気分転換にと湖を見に行っている間に、もうお一人お客さんがいらっしゃった。クリシュナがバスタブ付の部屋にお通しした。男性のお客さんだった。お風呂から出て「良いフロでしたー」と言ってくださった。
「カトマンズポスト」紙は毎週1回読者からの写真投稿を掲載している。毎週テーマがあり、優秀作品は1面の半分くらいの大きさで掲載される。今週のテーマは4月21日の「母の日」だった。優秀作品に選ばれていたのは、自分を生んで5日目に亡くなった母親の写真にティカ(祝福の色粉)やマラ(花の首飾り)をつけている息子たちを撮ったものだった。憂いを含んだ若くて美しい母親の実物大くらいの写真にティカやマラを飾っている。毎年母の日にやっているのだそうだ。写真の中の母親はあまりに若くて美しいが笑顔ではない。薄幸な母親に華やかな飾りを贈る息子たち。思わず、この写真に感動してしまった。
2012/4/29 (日)
営業開始830日 宿泊のお客さん

 朝5時、親子のお客さんがタクシーで出発。7泊もしてくださっていたのと、お話したり、子どもさんと触れ合う時間が長かったので、すいぶん親しくさせていただいた気がした。なんか同じアパートに住んでいたみたいな、昔から知り合いだったみたいな・・・。あとは無事の帰国を祈りたい。
 9時、5月2日に予約されているお客さんがトレッキング前に荷物を預けにいらっしゃった。
 9時、女性2人のお客さんがダンプスに出発された。
 午後3時ころ、予約されていたお客さんが到着。すぐにトレッキングガイドのディレップさんを呼び、打ち合わせをする。ディレップさんの紹介する店に、上着、杖などを買いに行った。
2012/4/28 (土)
営業開始829日 宿泊のお客さん

日本語教室に行く。新しいお子さんが加わり賑わっていた。
 私が出かけている間に、トレッキングに行くお客さんが来て、ガイドさんと出発された。
 11時頃戻り、親子のお客さんのお会計をする。12時前タクシーで空港に向かわれた。入れ違いで女性のお客さんが到着。その後、もう1人若い女性のお客さんが来て、ご一緒にダンプスに行くことになった。
 12時前に空港に向かい、ブッダエアでカトマンズに行くはずだった親子のお客さんは、16時頃戻ってきた。飛行機が欠航という。確かにひと時強い風が吹いた。でも、雨は降っていない。他の航空会社、イエティエアは飛んでいたらしい。ブッダだけが飛ばなかった。明日の空席もないことから、チケットは払い戻し。タクシーを予約した。払い戻しはチケットを買った旅行会社にクリシュナと一緒に行き、返金してもらった。お子さんたちはもちろん元気だが、お母さんはさすがに疲れていた。夜は、うちで野菜カレーを注文いただいた。作り方に興味をお持ちだったので、作る過程も見ていただいた。オクラとじゃがいものカレー。お子さんたちも2杯くらいおかわりしてくれて、鍋がカラになった。クリシュナが「僕の食べる分までおかわりしてくれたよ!」と喜んでいた。
2012/4/27 (金)
営業開始828日 宿泊のお客さん

親子のお客さんは今日はどこへも出かけずにのんびりされていた。晩御飯は宅配ピザをとっていた。息子さんたちは人懐こくて可愛いし、お母さんも子どものために体を張っている良いお母さんだ。
うちは良いお客さんばかり。話していて勉強になる。日本にいる頃からけっこう仕事好きだったが、ここでも仕事やお客さんが気分転換や張り合いになっている気がする。多くの日本人が恐らくそう考えるように、私もネパールでの仕事や暮らしはのんびりしたものと思っていた。でも、住んでいるのはネパールでも、お客さんが日本人である以上、仕事は日本の会社でしているのと変わらないんだな、と今しみじみ実感している。「貧乏ヒマなし」はどこに行っても同じみたいだ。
2012/4/26 (木)
営業開始827日 宿泊のお客さん

親子のお客さんは朝5時くらいからおきていらっしゃる。ベグナス湖に行きたいとのことでタクシーを呼ぶが、運転手はご飯を食べてから来た、とのことで遅れてきた。お客さんをお待たせしてしまった。11時頃出掛けていく。コーヒー農家にも寄ってこられた。
晩御飯はうちで食べていただいた。野菜カレー。作り方を熱心に尋ねられた。ネパールは野菜が安く、家庭では料理が自然の素材のみで、手作りなのが良い、という話になった。日本の原発問題の話題にもなった。
2012/4/25 (水)
営業開始826日 宿泊のお客さん

1階の部屋のトイレが壊れた。水道の職人を呼んだ。明日の朝直しに来てくれることになった。2階の部屋のファンが壊れた。昨日電気の職人を呼んで直したが、停電中だったので、直ったかどうか確認できなかった。今日になってつけてみたら、まだ動かない。夜になって職人が来て部品を交換することになった。最近、ネット、電話、トイレ、ガス・・・と壊れた。次はなんだろう。
お客さんの息子さんはとても人懐こい子で、いろいろ話しかけてきてくれる。道に捨てられている電話のリチャージカードの紙を集めていて、それで遊んでいる。この間までどこかで拾ったらしい、黒いゴムバンドで遊んでいたが、それを無くしてしまった。クリシュナが家の裏の空き地に落ちていた、似たようなゴムバンドを拾ってきてあげていた。私が庭のトマトを採っていると、一緒に手伝ってくれた。親子のお客さんがいると、ムードが和やかになる。
この間ほどではないが、また強い風が吹いた。急いでドアを閉めたりしたが、今日はすぐに止んだ。その後は、ヒマラヤがきれいに見えた。雲が払われ、マチャプチャレがくっきりと見えていた。
修理に出していたガス台が直った。お店の人は、なるべく早く使えるようにと、夕べのうちに直してくれていたらしい。外食や出来合いの総菜屋がある日本とは異なり、炊事はネパールでは大変重要な用事だからだ。こちらの電話番号がわからないので連絡できなかったが、とのことだった。その修理の店まで行くのにガス台が重いので、知り合いのタクシーを呼んだ。ドライバーはお金を受け取ろうとしなかった。みな、良い人だな、とつくづく思う。
2012/4/24 (火)
営業開始825日 宿泊のお客さん

親子のお客さんはお母さんが少し疲れ気味で、今日は外出されずに休まれていた。いろいろお話させていただいた。
その後近所に住む日本人の方がポケットダイアリーを買いに来てくださった。
夕方お客さんに注文いただいたダルバートを作っていると、ガスが切れた。そして新しいのに付け直すと、ホースからシューッとガスが漏れ始めた。急いでガスをはずし、修理してくれるお店に持っていった。お客さんには申し訳ないが事情を話し、料理ができないので宅配ピザを取っていただいた。よくもまあ、次から次へと物が壊れる。日本でこんなことあったっけ、と思う。
2012/4/23 (月)
営業開始824日 宿泊のお客さん

クリシュナはこの間入院されたお客さんの検査のつきそいで、8時頃出掛けていく。検査の結果はどこも異常なしとのことだった。クリシュナは通訳代として、保険会社からお金をもらっていたが、お客さんは気をつかってさらに2000ルピーくれてしまった。
親子のお客さんは、朝6時に妙法寺に出かけていった。次男の男の子は山登りはしたくない、と言って、部屋で留守番していた。お母さんとお兄ちゃんは、早足で登り降り、9時半には戻ってきた。午後は山岳博物館にタクシーで出かけた。暑い中、山登りしたので、お母さんは疲れぎみだった。晩御飯はうちで、野菜モモを注文いただいた。お母さんはぐったりして食欲がないみたいだったが、男の子たちがその分もペロリと食べていた。みなさん、朝5時頃起きていて、夜は9時には就寝されている。
2012/4/22 (日)
営業開始823日 宿泊のお客さん

11時過ぎ、お母さん、2人の男の子どもさんのお客さんが到着した。上のお子さんは山登りをしたい、下のお子さんはあんまり歩きたくない、というので、お母さんはどうしたもんか、ちょっと考えていた。次男のお子さんはとても人懐っこい。私にもいろいろ話してくれる。
午後、ものすごい風が吹いた。私は3階から見ていた。砂嵐が舞い、周囲が黄色っぽく煙った。かなり空中高いところをビニール袋が飛ばされていく。風のうなる声がちょっと怖いくらいだ。うちのそばの5階建ての家は、最上階に屋根として置いていたトタンの板が、風にあおられ、吹き飛ばされた。幅1m、長さ3mくらいはある鉄板。5枚くらいあった板がまず3,4枚、前の畑、隣りのうち、路上にガッシャーンと音を立てて落ちた。向かいのロンリーゲストハウスの息子さんはちょうど学校から帰ってくるところで、落ちてきたトタン板を見て、走って家に逃げ込んだ。そばに止めてあった車は急いで違う場所に移動された。私は思わず口に手をあててハッと言っていた。息を呑む、とはこういうことなんだ、と思った。
そのうち、クリシュナと親子のお客さんも3階に上がってきた。私が今見た光景を説明していると、まだ1枚残っていたさきほどの家のトタン板が、また風にあおられ、見る見るうちに屋根からはがされた。そして、勢いにのって、うちの方に向かって飛んできた。銀色の鉄板が数10メートル向こうから迫ってくる。ガッシャーンとうちの隣りの裏庭に落ちた。まるで映画で見るかのような光景だった。
幸いうちにも、近所の家にも被害はなかった。嵐もまもなく止んだ。鉄板が落ちてきた畑は、少しとうもろこしが倒れていた。ただ、屋根が飛ばされた家はトタン板がぶつかったのだろう、ソーラーが壊れてしまっていた。奥さんが顔をしかめていた。クリシュナが言うには、その家はドアか窓を閉め忘れていたのだろう。そこから室内に風が入り、屋根のトタンを持ち上げたんじゃないか。人に怪我がなくてよかったが、とにかくこういう場合はネパールでは外に出てはいけない。
2012/4/21 (土)
営業開始822日 宿泊のお客さん

朝7時過ぎ日本語教室へ行く。
午後3泊してくださったお客さんが空港に向かわれた。日帰りでダンプス、ベグナス湖など行かれ、楽しまれたようだった。この後ミャンマーを旅行して戻られるそうだ。いいなあ、みなさん旅行してるのを見ると、私も行きたくなる。
久々にお客さんがなかったので、晩御飯は外食した。「DBモモ」に行った。いんげんごまあえ、やきとり、親子丼など、お腹いっぱいで満足した。
2012/4/20 (金)
営業開始821日 宿泊のお客さん

朝7時少し前お客さんがグリーンラインバス乗り場に向けて出発された。今回で訪ねてくださること4度目、6泊もしてくださった。いろいろおもしろい話もしてくださり、こちらにも気を遣っていただいた。ポカラが大好き、と言ってくださる、こういうお客さんをネパール旅行関係者は大事にしないといけない。
男性のお客さんはベグナス湖の方へ出かけられた。夜クリシュナとずいぶん話をしていた。
急に気温が上がって暑くなった。蚊も少し出るようになった。
2012/4/19 (木)
営業開始820日 宿泊のお客さん

1人のお客さんが朝5時にタクシーでサランコットに出かけていく。無事、ヒマラヤの日の出は見えたようだ。午後チェックアウトされた。
1人のお客さんは日帰りでダンプスに出かけていかれた。
もう1人のお客さんは、トロンガ・パス(アンナプルナラウンド)のトレッキングに行った経験を書いたものをくださった。交通事情、宿事情、ガイド、高山病、道の様子など、行った方でしかわからない詳細が書かれている。今後、トレッキングに行きたい方の参考になるようにと、クリアファイルにはさんで閲覧できるようにした。
宮城県松島のお客さんがメールの続きをくださった。被災地の様子をみていただきたい、とのことだった。
電線が切れて不通になっていた電話とネット。意外に早く今日修理の人が来てくれた。NTCの修理人のラクシュミ・パウデル氏は、クリシュナと「同じ名字(同じバウンカースト)、同じ村」と言って、割合早く修理に来てくれたようだ。本当は火曜日の晩には来てくれてたらしいが、私たちは外食していて不在だった。よく、袖の下を渡さないと早く修理に来てくれない、と聞いたが、別にお金は不要だった。同族意識がモノを言うのだろうか? 意外に早く直ってよかった。
2012/4/18 (水)
営業開始819日 宿泊のお客さん

1人のお客さんは6時過ぎにここを出てウルトラライトプレーンに乗りに行かれた。天気は上々。ヒマラヤの本当に近くまで行ってこられた、との話だった。ずいぶん前から予約し、楽しみにされていたから、よかった。
1人のお客さんはDBモモの料理が前より美味しくなった! と言って満足されていた。
午前中に1人のお客さんが来られた。バングラデシュのダッカから来たそうだ。ビーマンバングラデシュ航空のリコンファームを頼まれ、カトマンズの会社に電話するが、1度目は昼休憩中で担当者がいない、しばらくしてかけなおすとファックスなってしまった。
 夜はみなさんで食事に行かれた。
2012/4/17 (火)
営業開始 818日目 宿泊のお客さん

 1人のお客さんは引き続き宿泊されている。
 予約されていたお客さんが到着された。
 夜お客さんに誘っていただき、みなさんとともに「タカリキッチン」で食事をさせていただいた。そこで、「ネパールには会社で配れるような手ごろなお土産がない。ぜひマチャプチャレクッキーみたいなものを作ってほしい」という話になった。
2012/4/16 (月)
営業開始817日目 宿泊のお客さん

 まためんどうなことが起こった! 電話線が切られた。午後になってネットをやろうとしやたら通じない。電話を見たら、電源が切れている。クリシュナが表に見に行ったら電信柱から切れていた。バスが電話線にひっかかって切れてしまい、電話会社の人がはずしているところだったという。その会社の人に電話会社のコンプレーンに電話するように言われ、かけると音声が応答し、それにしたがい修理を要請した。修理は順番待ちという。また電話とメールが通じなくなった。なんて、運の悪い人間なんだろう! 私たちって。
 親子のお客さんは6時半に朝ごはんを食べて空港に向かわれた。ご夫妻もその1時間あと空港へ。今朝はヒマラヤがきれいだった。みなさん出発前に写真をとっておられた。
 1人のお客さんは引き続き宿泊してくださっている。
2012/4/15 (日)
営業開始816日目 宿泊のお客さん

 憲法制定に関してあり政治団体がバンダ(ゼネスト)をやるという話があった。今日移動してくるお客さんはどうなるんだろう、と心配したが、結局バンダは中止された。
ほかのお客さんは引き続き宿泊されている。予約されているかたが「食事はできますか?」とたずねてこられた。あいにく朝ごはんを一通り出したばかりで何も準備できなかった。申し分けないがお茶だけ飲んでいただいた。
 夕方空がまっくらになり、雷も聞こえたがとうとう降らなかった。夜も更けたころ、空は一面の星になった。こんなに星が見えたのは久しぶりだ。お客さん全員屋上で星を鑑賞した。
2012/4/14 (土)
営業開始815日 宿泊のお客さん 日本語教室

 朝7時過ぎ日本語教室に行く。
 8時半時頃タイ在住の親子のお客さんがいらっしゃり、スベリさんのガイドでパタナーに出かけていった。
 11時頃予約のお客さんもいらっしゃる。朝食を済ませたご夫妻と話が弾んでいた。
 ダンプスに行かれていたご夫妻が戻られた。天気が良くヒマラヤの見栄えが最高だったことから、「行ってよかった。宿のだんなさんは善い人だった。部屋もきれいだった。2500ルピーは安い。あそこに行かないで帰るのと行くのとでは全然違った」と、褒めていただいた。よかった。
部屋を見に来た女性がいて、その後電話で予約をいただいた。
午後4時から「マリアカフェ」で日本人会の会食だった。初めて会う方もたくさんいて、ちょっとびっくりした。料理はものすごいたっぷり出て、朝から仕事が忙しくて何も食べていなかった私は、お腹を満たさせてもらった。
2012/4/13 (金)
営業開始815日 宿泊のお客さん ポケットプランナー完成!

 ネパール新年元日。フェスティバルは大勢の人で賑わっている。夜8時過ぎにまた花火が上がった。庭から見た。やっぱり良いものだ。仕事があって、お祭り会場まで行けなかったが、花火は見れてよかった。よく考えたら、自宅の庭から花火が見れるなんて贅沢かもしれない。
 1組のご夫妻はジープでダンプスに出かけて行った。ジープが道に迷って20分遅れてちょっとやきもきした。今日のヒマラヤはかなりの良い見栄え。今日行っていただいてよかった。
 もう1組のご夫妻はゆっくりされている。
夕方、トレッキングに行かれていて17日にこちらに来る予定だった方がいらした。もしかして体調を壊して早く戻られたのか?と心配したが、そうではなく早く戻ったので、明日から宿泊可かを聞きに来てくださったのだった。無事戻られてほっとした。これまで何度か体調の悪いお客さんが夕方駆けつけてこられた。じゃっかんトラウマになってるらしく、夕方うちの前にタクシーが来ると顔がひきつる。
在ネパール日本人会商工部会の手帳「ポケットプランナー」が今日届いた。今回電話帳は別冊になった♡ 完成を待っていたお客さんにさっそく連絡させてもらった。
宮城県松島のお客さんから久々にメールをいただいた。震災後にメールをいただいている。6月に帰国する際、被災地でもあり、観光地でもある松島方面を訪ねようか、ネットで状況を調べようか、と思っていた矢先のメールだった。クリシュナが「帰るって知らせてないよね? 呼ばれてるんだね」と言った。
2012/4/12 (木)
営業開始814日 宿泊のお客さん

 入院されたお客さんも今朝はだいぶ元気になられ、たくさんお話してくださった。ネパールの病院でいろいろな経験をされたことを聞かせてくださった。朝食、昼には野菜カレーを食べていただいた。もう1組のご夫妻とも話が弾んでいた。
 みなさん今後の旅程をどうしようか、迷っておられる。トレッキングには行きたいが、体力に不安を感じられるようだ。ご夫妻は、ジープを使ってうちからダンプスの宿まで行くことに決められた。
 Mちゃんが来て、昼ごはんを食べていった。お客さんはネパールの意外に厳しい教育環境を聞いて驚いていた。
 新年のフェスティバルで、深夜12時はカウントダウンの後、30発くらいの花火が上がっていた。
 今日もけっこう忙しかった。
2012/4/11 (水)
営業開始813日 宿泊のお客さん

 クリシュナとお客さんは奥さんの退院準備のために7時半に病院に出かけていった。午後戻られた。たべものやで食事をして歩いてこられた。問題なく退院されたが、かなり疲れたようで、部屋ですぐに休まれた。
 もう1組のご夫妻は観光に行かれた。今日は朝から曇天。小雨も混じっている。ヒマラヤが見えていないので、残念そうだ。温厚な良い方々だ。
 トレッキングガイドのスベリさんにトレッキング許可証を作ってもらいに行った。
 ある日本人の方に見せてもらったと言って、私の日本語の本を買いに来てくださった方がいた。ラム・グルンさん。日本の各地で7年くらい働き、日本語が堪能なことから、ポカラの日本語学校で先生をしている。雨が降り始めたことから、雨が止むまでいろいろなお話をさせていただいた。漢字は難しいが、勉強したい、私の本をとても良い本だと言ってくださった。
2012/4/10 (火)
営業開始812日 宿泊のお客さん

 朝5時に起き病院に行くお客さんのおにぎりを作る。おにぎりは「美味しかった。ぺろっと食べた」と言ってくださった。石をつぶす手術をされた。手術は30分程度で終了したそうだ。
クリシュナは今日も立会い、通訳をした。保険会社が通訳の人を連れてきたが、それほど日本語ができるわけではなく、結局クリシュナが通訳をすることになった。保険会社の人というのは「ホテルグランテ」の人で、クリシュナが知っている人だった。クリシュナは「また通訳の仕事をしますか?」と尋ねられたという。薬を買ったり、会計したりのシステムが日本と異なる。クリシュナが家にいると病院から電話がかかってきて「早く来てくれないと薬の説明もできない」と呼び出される。クリシュナは今後「病院ガイド」になるんじゃないか、と半分冗談、半分本気で話した。
 男性のお客さんは8時頃チェックアウトされた。もう1組のご夫妻は引き続き泊まってくださっている。
 隣りの家が工事を始めた。
 曇り空でヒマラヤは朝少ししか見れていない。
2012/4/9 (月)
営業開始811日 宿泊のお客さん

 昨日いらしたご夫妻の奥さんが調子が悪い、という。ご主人が急病の場合フォローしてくれるという日本のカード会社に連絡し、カード会社のほうで日本語が通じる病院を探す、とのことだったが、そんなものはポカラにはない。それなら病院で領収証や医師の診断書をもらい、後で請求、ということになった。
クリシュナの付き添いでチャラクホスピタルに行かれた。夕方もう日が落ちる頃、クリシュナとご主人が戻ってきて、エコーで見た結果、小さな結石があるとのことで、1時間程度の手術で取り除ける、という。それで明日手術、明後日退院、2日安静、という話になった、とのことだった。ご主人も、クリシュナも疲れたようで、食事もせずに夜は寝てしまった。
 クリシュナはこの2月にも凍傷にかかった方の付き添いで、チャラクホスピタルに行った。医師や看護士がクリシュナのことを覚えていて、「また来たんですね」と言ったそうだ。呼んだタクシードライバーも「え、また病人?」と言っていた。日本人がやっている宿だから、と頼りにされてるんだよね、良いこと?なのかな?
 もう1組のご夫妻、男性のお客さんは観光に行かれた。
 朝6時にノルウェーのお客さんと少年がカトマンズにバスで向かった。少年の行動に任せてていいのかなあ、とは思うが、今日は余裕がなくて、任せるしかなかった。
 Mよさんが出発された。見送りに行けなかった。
 忙しかった。寝不足だ。
2012/4/8 (日)
営業開始810日 宿泊のお客さん

今日はいろいろなことがあった。
まず朝、一昨年の11月ころ、そして昨年と、うちに仕事がないか尋ねに来たタライの村の少年が三度やってきた。初めて会ったころは子どものようだったが、すっかり背が伸び、クリシュナより10センチくらい大きい。そして今回は住む場所は決めてきたのだという。「今すぐお金が欲しいわけじゃない。部屋代の1500ルピーと食費だけもらえればいいから、仕事をさせてほしい」という。クリシュナも好感を持っている。でも、うちは人をわざわざ雇うほどの規模でもない。で、「バスパークに毎日行ってもらい、お客さんを得ることができたら歩合制で若干の報酬を出す。でも、最初は部屋代と食費にそれを充てる」、と提案した。これならうちも大きな損はしない。少年は喜んで承諾した。そしてさっそくうちの名刺を持ってバスパークに行ってしまった。クリシュナはけっこう無責任で、ボードを渡すのとバスパークに客引きをしていい許可証を渡すのを忘れていたが、どうせそんな簡単に客は連れてこないだろう、とたかをくくっていた。ところが、少年は午後の超激しい雷雨の中、お客さんを連れてきてしまった! お客さんはノルウェーの青年だった。あとは少年がずっと英語で相手をしていた。いいかどうかわからないが、客室のもう1つのベッドに寝ることになった。お客さんのほうで、少年に好感を持ったようだった。「部屋代はいくらでもいいよ」と言ったらしい。これにはクリシュナも舌をまいていた。クリシュナも少年のころ、こうやって観光客と仲良くなり、ガイドなどの仕事をしていた。「すごいね、僕も負けた」と言っていた。確かにネパールには、人に好かれる、何かをもってる、そういう人が時々いる。
少年は私たちにも気を遣っていて、ベッドのシーツなどは「貸してください、僕がやります」という。お客さんに出したお茶碗は自分で下げ、洗う。言っちゃなんだが、クリシュナの甥っ子などはこんな気はまったく回らない。
昨日予約に来た男性の方、ご夫婦ともいらっしゃった。
昨日来る予定だったお客さんが到着された。何でも乗り継ぎの中国で天候が悪く、ネパールに入るのが遅れたのだそうだ。それではどうすることもできない。無事来られてほっとした。
夜は3組のお客さんがうちで夕食を録られた。肉じゃが、味噌汁、日本米を多めに作っていたので、皆さん分すぐにお出しできた。
2012/4/7 (土)
営業開始809日 日本語教室 日本語単語帳

朝7時過ぎ日本語教室に行く。女の子は日本語もわかるし、きちんとやるのでやりやすいが、男の子たちにいまいち集中力がない。
1人の日本人男性の方がきて、「ポカラに住んでいるに日本人に興味があった」と言って、明日、明後日の宿泊の予約に来てくださった。また夕方ご夫婦の方が部屋を見に来てくださった。
今日予約が入っていた方が来なかった。連絡もなかった。ただ停電が長く、午後激しい雷雨だった。そのためだろうか?と思う。
2012/4/6 (金)
営業開始808日 日本語単語帳

毎日激しい夕立がある。畑の菜っ葉はもう食べつくし、次のを始める時期だが、6月に1ヶ月日本に行く。この間を考えて種をまこうと思う。
日本語単語帳の作業をする。知らない言葉が多いもんだ。
最近停電は減った。雨量が増えたからだろう。その代わり、お客さんも減る。
2012/4/5 (木i)
営業開始807日 日本語単語帳

今日も夕立があった。
クリシュナのママ(母方のおじ)が事故で亡くなった、という話を聞く。ネパールガンジの人で、葬儀には間に合わないが、一度は訪ねたほうがいい、と話した。
ネットで日本のニュースを見ていたら、うちの実家のすぐ近所で事件があり、うちの駅周辺が画像で写っていた。あんなところで事件が起きるなんて。
2012/4/4 (水)
営業開始806日 日本語単語帳

昨日から激しい夕立が起こるようになった。ここんところ、まったく雨がなくて乾燥しっぱなしだったので、雨に洗われてほこりがなくなって気持ちが良い。私は雨季がそんなに嫌いじゃないらしく、雨が降ると気持ちが落ち着く気がする。丘の緑も青々として見える。
日本語単語帳の作業をする。
2012/4/3 (火)
営業開始805日 日本語単語帳

クリシュナがかつて「マンマミーヤ」レストランで一緒に働いたコックさんが、自分の店を持った。ハランチョークの先の「マンダップホテル」の前で、2軒分のシャッターをレストランにしている。ここをクリシュナが昨日たまたま見つけ、友人を訪ねた。今日の晩御飯はここのピザを持ち帰ることにした。クリシュナはキッチンに入ってピザの作り方を教えてもらっていた。
奥さんも知っている人だった。数年前家に呼んでもらいお茶をごちそうになった。その頃だんなさんは中東に仕事に行っていた。そのだんなさんが戻ってきて、11ヶ月前、ここに店を開いたそうだ。「ニュー ビューティフル レストラン」という。
ピザができあがるまでの間、テーブルに座って待たせてもらった。欧米人のお客さんが5,6人いてお店は忙しそうだった。奥さんが気をつかって話しかけてくれた。10歳くらいの娘さんも英語で話しかけてきた。
ピザはチーズたっぷりで美味しかった。自家製のトマトソースが美味で、ケチャップをのせているだけのピザとは格段に違った。
ウルトラライトプレーンを早く予約しておきたいというお客さんがいらっしゃり、「AVIA」に予約しに行った。
2012/4/2 (月)
営業開始804日 日本語単語帳 

 Mさんから在ネパール日本人会商工部会のマップの作成についての連絡を受ける。店舗などの場所の確認、広告の作成・校正など、本格的な編集作業も入る。こういう編集の仕事がもっとあれば楽しいのに、と話す。
 日本語の単語帳の作業をする。
 Mよさんが来た。ポカラで何かやりながら暮らすことを考えている、との話を聞く。
2012/4/1 (日)
営業開始803日

 またヒマラヤが見えなくなった。気温が上がり、空気がくすんでいる。
 シーツなどのアイロンかけをする。たくさんあって、肩が凝った。アイロンかけはぼぉーっとできるから、時々やるにはいい。
 5月27日が憲法制定のリミットで、また各政治団体からの動きがでてきた。燃料値上げ反対の抗議行動もあるようだ。そのためか、昨日チャイトダサインのお祭りだった影響なのか、車の通りが少なくて静かだ。
2012/3/31 (土)
営業開始802日 日本語教室 日本語単語帳

朝7時過ぎ日本語教室に行く。2年生の女の子が入った。内容の理解は容易みたいだ。「もう休憩?」と物足りないくらいかもしれない。
日本語単語帳の原稿チェックをする。
ずいぶんサリーを着てめかしこんでいる人が多かったり、ヤギを買っているうちが多いな、と思い、カレンダーを見たら「チャイト ダサイン」というお祭りの日だった。私も夕方からサリーを着て、いつもよりちょっと美味しいものを食べて、お祭り気分を味わった。
村上春樹の「1Q84」が、新聞「カトマンズポスト」読書欄の全面で取り上げられていた。まさに今読んでいるだけにタイムリーだった。
2012/3/30 (金)
営業開始801日 日本語単語帳

電気の役所の人がメーターをチェックしに来て請求書を置いていったので、料金を払いに行った。今日は役所がガラガラに空いていた。
アイロンがけをした。
乾燥しているので洗濯物がすぐに乾く。
2012/3/29 (木)
営業開始800日 日本語単語帳

お客さんが空港に向かわれた。雲南経由で日本帰国だそうだ。最近は中国経由でネパールに来る方が増えた。中国に詳しい方がここまで足を延ばしているパターンも少なくないようだ。
何度目かとなるお客さんがいらっしゃった。明日からトロンパス方面にトレッキングだそうだ。その果敢さに敬服してしまう。日本語の本を買ってくださった。
お客さんがなかったので、晩御飯は「大入り」で外食した。この前も行ったマンマミーヤの近くのインド料理屋さんに行った。この間はタンドリーチキンを食べて、いまいちだったので、肉はやめ、パニール(チーズ?)、ラジュマ(金時豆?)などの野菜カレーとナンにした。満足した。辛くなくそんなに油っこくもない。1皿40,50ルピーからなのが嬉しい。この店の前の通りが拡張工事をしている。ここもその範囲だそうだが、店の主人が「営業は続けるから、また来てね」と言っていた。
2012/3/28 (水)
営業開始799日 宿泊のお客さん 日本語単語帳

朝7時親子のお客さんが出発。午後女性のお客さんが出発された。今日は久々にヒマラヤが見えた。みなさん「やっと見れました」と仰っていた。サランコットに行っていたお客さんが戻られた。
ここんところ歯が痛くて手をつけてなかった日本語単語帳の作業を再開した。
2012/3/27 (火)
営業開始798日 宿泊のお客さん ポケットダイアリー

朝7時お客さんがバスパークへ向かわれる。滞在中ヒマラヤが見てもらえなかったのは本当に残念だったけど、また来ていただけそうな気がする。
もう1人の女性のお客さんは和食の朝ごはんを食べ、観光に出かけられた。
昨日ダンプスに行ったお客さんはサランコットにもう1泊泊まられることになった。
ポケットダイアリーの4校がでた。停電でプリントアウトができないので、Mさんのところに行き、パソコンの画面で確認させてもらった。
2年前にここに宿代を尋ねに来たという男性の方と、トレッキングについて話を聞きたいという女性の方がいらっしゃった。トレッキングについて一通り話すと、私に「商売っ気がないですね」といわれた。でも、トレッキングというのは人の命がかかってるので、安易に勧めることもできないのだとお話した。
2012/3/26 (月)
営業開始797日 宿泊のお客さん ポケットダイアリー

男性のお客さんに朝ごはんをお出しする。ガイドとダンプスに出かけていく。
女性のお客さんはタクシーでブルジュンコーラ温泉に行かれた。トレッキング許可証は要るが日帰りならTIMSは要らなかったそうだ。サリーを買ってこられ、見せていただき、簡単に着付けを説明した。薄い赤い生地にビーズをあしらった素敵なサリーだった。
カトマンズのノルリンゲストハウスからの紹介で、女性のお客さんがいらっしゃった。ヒマラヤは今日も見えていない。
夕方Mさんがポケットダイアリーの4校を持ってきてくれた。いまだ直しがある。
朝ごはん中に歯医者から電話がかかってきて、「いますぐ銀をかぶせるのに来てくれないか」とのこと。え、そんなに急に、と思ったが、確かに早くやってしまったほうがいい。急いでごはんを食べ、出かけた。歯医者には前に治療を受けている人がいた。リクライニングのシートに男の人が寝ていて、その周りでジーンズ姿の男性がせわしそうに動いている。最初、隣りのバーバーがいっぱいなので、こっちで髭でも剃っているのかと思った。まもなくそちらの作業が終了すると、欧米人の男性がシートから起き上がってきた。私に「ナマステー」と言い、「ほらっ」と抜けた前歯を指差して見せた。やはりここには外国人観光客もよく訪ねてくるらしい。シートが空くと、助手の女性が私を呼んだ。さっきせわしなく動き床屋かと思ったジーンズの男性は歯科医だったようだ。ネパール人だった。えーー、いつものインド人のサダジット先生じゃないのぉ、と思った。どうやら前の外国人の患者があったので、ついでにこのネパール人医師に私の銀のかぶせもやらせてしまおう、ということで電話で急遽呼び出されたようだった。
このネパール人医師はやっぱり落ち着きがなかった。携帯が絶えず鳴り、しまいには「もうすぐ行く。もうかけてくんなっ」と怒っていた。私の銀はなかなか巧くはまんないらしく、チッと舌打ちをし、「ああ、うまく着かねえな」とイライラしながらやっていた。ただ、設置した銀のかみ合わせを気にしていて、何度もチェックの紙を噛ませ、「まだ高い? 噛んで、口を開けて」と10回くらいやりなおした。少し削って上下を合わせた。でも、インド人の先生とはまったく物腰が違って、落ち着きがなくて、この人だったらここで治療しなかった、と正直思ってしまった。
でも、どうにか設置が済み、助手に「もし銀がとれてしまったら、すぐ来て」と言われ、医院をあとにした。銀はきれいにできていた。日本のとまったく同じだ。まだちょっと痛みがあるものの、歯に違和感はあまりない。あんなにイライラしなくても、そんなに問題ないのに、と思った。これが外れて、飲み込んでしまったら7000円ソンしちゃうけど。
2012/3/25 (日)
営業開始796日 宿泊のお客さん

今日も空がすっきりしない。ヒマラヤは見えていない。
男性のお客さんがチェックアウトされ、バスパークに向かわれた。「多分また来ます」と言ってくださった。
ダンプスに行っていた女性のお客さんがガイドのスベリさんと戻られた。山道は想像していたよりはハードだったようだ。スベリさんがお土産にラリグラスの花を持ってきてくれた。ラリグラスは花が薬になるそうだ。お腹の調子がわるいときに良いらしい。
予約されていたお客さんが午後到着された。ガイドを呼んで明日のダンプストレッキングの打ち合わせをした。
歯医者に行った。薬を飲み終え、痛みも退いた。もうあの痛みはない。歯も意識しないでかみ合わせできる。先生はすごいものだ。あの痛みがすっかり退いたのだから。受付兼助手の女性や先生に会うと、「痛みはどう?」とまず聞かれ、いまはない、と答えた。歯を抜くかどうするか聞かれ、「日本でやったのと同じように、残った歯を生かして、銀をかぶせたい」と答えた。「抜かないとまた痛みが出る可能性もあるけどいいですか?」と聞かれ、とりあえず痛みは退いたのでいい、と言った。歯をかぶせる方法にはいくつかあって、クラウンがいいか、メタルがいいか、などを聞かれた。「クラウンて何ですか?」と聞くと、セラミックの歯を持ってきて「これです」と見せてくれた。「前歯ならクラウンがいいけど、奥歯なので銀でいいでしょうね。クラウンより銀のほうが少し費用も安い」と言われた。セメントに1000ルピーかかり、総計クラウンなら6000ルピー、銀なら5000ルピーとのことだった。「チューインガムのようなもので歯形をとります」「はい、日本でも同じです」。そのチューインガムみたいなのをこねるのに、今日はもう1人のインド人女性の助手がいた。速やかに処置が終わり、明日の同じくらいの時間に来て、といわれた。5000ルピー以外の費用はかからないとのことで、支払いも済ませた。もう明日で治療が終了なんだ、日本より早い。費用も国保で払うのと同じか、何度も通わなくていい分安い。ひとまずよかった。
近所で「バルタバンダ(男の子の成人のお祝い)」があり、クリシュナが出掛けて行った。一晩中歌い踊り、クリシュナも朝まで帰ってこなかった。この儀式に酒はない。ミルクティだけでよくあそこまで盛り上がれるものだ。
2012/3/24 (土)
営業開始795日 宿泊のお客さん

親子のお客さんがトレッキングにでかけていった。
女性のお客さんがガイドのスベリさんとダンプスに出かけていった。
男性のお客さんはバイクで出かけた。
気温は上がったが、天気がすっきりしない。空がくすんでいる。ヒマラヤが見えないので、お客さんたちは残念がっている。
2012/3/23 (金)
営業開始794日 宿泊のお客さん ポケットダイアリー

1人のお客さんはお友達と一緒に7時に空港に向かわれた。
昼くらいに2人の息子さんとお母さんのお客さんがいらっしゃった。トリプルの部屋に宿泊されることになった。楽しそうだ。
男性のお客さんはバイクで観光に出かけられた。ベグナス湖などに行かれた。空がくすんでいて、ヒマラヤがいまいちはっきり見えないのが残念そうだ。
午後、女性のお客さんが到着した。民族衣装に興味があるそうで、サリーを買いに行かれた。明日から1泊でダンプスにいく。そのガイドさんスベリさんを呼んで打ち合わせをした。
「ポケットダイアリー」の3校が出てそのチェックをした。この期に及んで間違いがみつかった。Mさんがきてその確認作業などをした。
2012/3/22 (木)
営業開始793日 宿泊のお客さん

お客さんに和食の朝ごはんをお出しする。ロンリーに泊まるお友達とご一緒に山岳博物館、ウーマンズスキルに出かけられた。タクシーはニルマルさんで、一昨日カーレまでの運転を頼み、親切だったので気にいられたようだ。お客さんが興味のあったシスヌ(いらくさ)の咲く場所やフェディの場所などを丁寧に教えたようだ。ニルマルさんは善い人なので気に入ってもらえるのは嬉しい。
朝、夕べスノウリから着いたというお客さんが部屋を見にいらっしゃり、今日から泊まっていただくことになった。インドを旅してきて疲れているとかで、ポカラではゆっくりしたいとのことだった。バイクを借りて、観光に出かけれらた。
ここ数日で気温が上がった。夏のような日差しだ。夜も冷えなくなった。数匹蚊が出始めた。
2012/3/21 (水)
営業開始792日 宿泊のお客さん ポケットダイアリー

歯の痛みは少しずつ和らいできた。噛み合わせるとズキンッとするので、まだ物を食べるのに時間がかかるが、激痛はなくなった。Mよさんが来て、処方された薬について教えてくれた。一番大粒なのは抗生物質で、これはやっぱり飲んでおかないといけない、とわかった。薬の副作用なのか、こちらに来てなかったのだが、お腹が減ると胃がちょっとむかつく。夜は喉が渇いた。こんなに薬を飲むなんて、日本ではなかったのだけど、どうも日本とは体調が変わるみたいで、日本のように慢性的な下痢とか、やたらと抜けない風邪とかはあんまりない。でも、一回風邪をひくと高熱が出て数日でひく、下痢は嘔吐も伴うほど激しいが数日で治る。だから強い薬はあんまり飲みたくないが、効くのは確かなのでこちらの医者の言うとおりにするほうがいいような気がする。手術が必要なほどの大病の場合は、また考えるけれど。
女性2人のお客さんは12時頃チェックアウトされた。「過ごしやすかったです」と言ってくださった。
昨日トレッキングに行かれたお客さんはロンリーに泊まっているお友達とともに、オーストラリアンキャンプからノウダラ、サランコットを歩いて戻られた。「つかれたー」と仰っていた。
「ポケットダイアリー」の校正作業をした。Mさんが午後ポカラを出発してカトマンズに行かれた。印刷所に直しを出し、明日には戻るらしいので、今日の早いうちに私は校正をチェックしないといけない。それでもまだ直す箇所がいくつもあった。この直しをMさんに任せているのは申し訳ない気がする。
2012/3/20 (火)
営業開始791日 宿泊のお客さん

お客さんに朝ごはんを出す。今日は蒸しパンを食べていただいた。8時にカーレに向かわれた。
午後、私が出かけている間に、2人の女性のお客さんいらっしゃった。スノウリからバスでいらした。
まだ歯が痛いので、午前中にレントゲンを撮りにマヘンドラプルへ行った。ナヤバザールの方にあるその建物はすぐわかったが、受付で聞くと「16時でないと撮れない。あと4時間後」という。人が痛くて困ってるのに「タクシーでまた来ればいいんですよ」と笑顔で言う。でも、早く治療するには早くレントゲンを撮るしかない。いったん帰ってまた出なおした。
 午前中とは違う人が受け付けにいて、「16時と言ったんですか?」と嫌なことを言う。まさかまた出直せってんじゃねえよな、と思い、「ここの人がそう言ったからきたんだよ」と強く言い、この人は良心があったみたいで、すぐに技師を呼んでくれた。
技師は若い男性だった。OPGという種類のレントゲンで、個室に入らされ、あごを機器に載せ、日本で経験がないが、目の前の棒を口でくわえてくれ、といわれた。口に入れるのはやだな、と思ったが、仕方ない。口が開いた状態にしたいのだろう。機械は日本のと同じだった。顔の周りを勝手に機械が回って、1分足らずで撮影終了。部屋はネパールの普通の家の造りと同じで、セメントの壁に木のドア。技師は撮影中は壁で仕切られた向こう側にいた。放射能とかどうなんだろう、と思ったけど。
リポートが出るまで15分待ってください、と技師に言われた。待合室で待つ。3組の人が待っていた。1人は私と同じ歯のOPG。1人は中年の夫婦で奥さんがレントゲンをするらしかった。1人は初老の男性で見るからに具合が悪そうだった。家族が付き添って、CTの部屋に入っていった。ちらっとCTを見たが、これも外側の普通のネパールの家の造りとはまったくギャップがあって、最新のぴかぴかの施設だった。もう1つMRIの部屋もあった。
レントゲンのフィルムを渡され(600ルピー)、バスでレイクサイドに戻る。歯科医に行く。受付の女性はすぐに医師に電話し、まもなく医師も着てくれた。医師は表の陽の当たるところに出てフィルムをかざし、確認していた。隣のバーバーのインド人が来て、「これは歯のレントゲンなんですか?」と聞いている。医師も「そお、こういうところがセラミックでかぶせてるとこなんだよ」とか説明していた。
医師はやはり親知らずは問題なく、「その前の歯が根の方から問題がある。直す方法はいくつかあって、前と同じように金属で柱のようなものを立て、そこに銀を被せることもできる。ただ、根から問題があるからまた痛くなる可能性もある。抜くこともできる。どうするかよく考えてください」。クリシュナに電話し、通訳してもらった。簡単に抜く、とかいう話になったら怖いので。私のあごのあたりを触って、「ここも痛いでしょう。薬で痛みはよくなった?」と聞くので、「いやまだ痛いです」というと、「まず5日間薬を飲んで、元気になったら、治療を始めましょう」という。歯そのものを早く治療してもらったほうがいいんじゃないかな、とも思ったが、確かに痛い。日曜日に来ることになった。胃薬をもう1つ処方された。
2012/3/19 (月)
営業開始790日 宿泊のお客さん

 歯が痛い。上下の歯が触れると激痛が走り、ごはんを噛めない。親知らずのせいかと思っていたが、その前の被せた銀がとれたままの歯、こっちの問題じゃないかと思えてきた。もうどこの歯医者が良い、とか言ってる余裕もないので、レイクサイドの中にある歯科医院を訪ねることにした。
 間口一間くらいの店で、デスクで受付の女性が暇そうに携帯をいじっていた。私が事情を話すと、「ここ痛む?」とその患部を触った。「いたいですっ」と言うと、「あぁ」と気の毒そうに言って、洗面台で手を洗った後、外にいるらしい医者に電話した。医者は「銀を作り直さすと、1500ルピーの前金が要るが大丈夫か?」と尋ねてきた。最初、もっと高いかと思って、「5000ルピーですか?」と聞き直してしまった。そうじゃなくて1500だというので、「はい、そうします」と答えた。
 それからまもなく先生は車でやってきた。優しげな30代くらいのインド人の方だった。処置が始まった。やはり銀がとれてる歯の問題で、歯の両側面に問題があるという。機械で中途半端に残ってる金属をとる。クリシュナはネパールの歯の治療は痛い、と言っていたが、別にそんなこともなかった。先生は手袋をし、口をゆすぐコップも使い捨てのようだし、つばの吸引もしてくれる。こまめに口をゆすがせてくれて、起き上がるたびに、さきほどの受付の女性が背中をささえてくれる。日本ほどの設備の整い方ではないけど、正直、不満はなかった。
 銀を作り直さないといけないが、その前にレントゲンを撮る必要がある、と言う。レントゲンはマヘンドラプルまで行かないとないらしく、名刺を渡され、明日レントゲンを撮って、ここに持ってきてください、と言われた。
薬を出された。炎症を防ぐのと痛み止めと胃薬。薬が強いので胃薬も要るらしい。薬局で買う。こういう薬はなるべく飲みたくないけど、痛いから仕方ない。計400ルピー。薬が効くとちょっとラクになった。でも、上下がぶつかると激烈な痛みが走る。つらいなぁ。
お客さんは日本寺に行ってらした。
2012/3/18 (日)
営業開始789日 宿泊のお客さん

 右下の奥に親知らずがちょっとでてきた。それが前の歯を押しているのか、疼くように痛い。歯をガシッと噛み合わせることができない。ネパールでは親知らずのことを「ブッディ(知識) バンゲラ(親知らず)」と言うそうで、これが出てくると知恵がつく、みたいなことらしい。クリシュナに言わせると、この痛みは我慢するしかない、という。でも、痛い。何で急こうなったんだろう。何とかして、この痛み。
 向かいのロンリーゲストハウスの社長がバスパークでお客さんを連れてきた。1人はロンリーに泊まるが、もう1人の方はバスタブがほしい、とことで、うちを紹介してくれた。エベレスト街道に18日間行ったのち、こちら来られたそうだ。1泊のオーストラリアンキャンプのトレッキングを予定されている。
2012/3/17 (土)
営業開始788日 宿泊のお客さん ポケットダイアリー

 子どもたちの学校の試験のため、日本語教室は休みだった。
 お客さんは6時半にタクシーでうちを出て、ウルトラライトプレーンに行く。昨日ほどの見栄えではなかったが、ヒマラヤは見えていた。ちょうど飛行中が良い天気だった。お客さんも「よかった」、と言って戻られた。
 天気はその後、曇りになった。気温は下がっていない。
 凍傷で入院されていたお客さんから退院した旨のメールが届いた。
 Mさんが来て「ポケットダイアリー」の校正のつけあわせなどをした。よく見ると、まだ間違いが見つかる。再校も慎重にやらねば。
 近所の丘のラムさんが、Tさん発案の丘に建てる小屋の建築の打ち合わせで、わざわざ訪ねていらした。今後の仕事の予定とお金の見積もりの話で、クリシュナは通訳をしている。最初Tさんに電話したもののつながらなかったが、しばらくのち電話がつながり、Tさんもいらっしゃり、3人で打ち合わせをしていた。
2012/3/16 (金)
営業開始787日 宿泊のお客さん ポケットダイアリー

 朝から「ポケットダイアリー」の校正をやる。世界の国際電話番号、ネパールの地図など、あらためて見ると勉強になるものだ。Mさんが来て、打ち合わせをした。
 午後早い時間に、予約されていたお客さんが到着された。今日は絶好のヒマラヤ鑑賞日和で、マナスルまできれいに見えていた。しかも1日中。お客さんはかなりラッキーだと思った。
2012/3/15 (木)
営業開始786日 宿泊のお客さん ポケットダイアリー

 「ポケットダイアリー」の校正をやる。ネパールと日本、両方の暦を合わせて見ていく。ネパールの暦には昨年まではなかった祝日が増えていたりする。いろんな民族、宗教の休みがあり、ほんとに多様な文化の国だなと思う。
 一昨日トレッキングに行かれたお客さんが予定より早く今日戻られた。天気が悪くなりそうだったので、早く戻ってきたのだという。
 午後の早い時間に、雲行きが怪しくなり、バチバチと雹が降った。気温がすごく下がり、冬に戻ったような寒さだった。冷たい雨も夜まで降った。 
2012/3/14 (水)
営業開始785日 ポケットダイアリー

 朝から電話の役所に行き、ADSLの料金支払い、国際電話、市外電話の手続きをやってくる。国際電話、市外電話の申請はずいぶん前にしてあったのに、その書類をなくした、と言われ、今日再度出直してきた。なのに、今日は違う部署にいったん廻され、写真が要る、と言い出す。そおなんだ、とあきれたが、クリシュナが「向こうが一度なくしてるから、強く言って写真なしでやらせる」と言い、ほんとにその通りになった。言わなきゃだめなんだ。
 その後、水道の役所にも行き、料金を払う。
 午後、Mさんのところに「ポケットダイアリー」のゲラを受け取りにいく。パッと見た感じ、古いデータが入っているページがあった。校正は慎重にしないと。
 Mよさんとお友達も来ていた。しばしいろいろな話題でもりあがる。
2012/3/13 (火)
営業開始784日 日本語単語帳

 1人のお客さんは午前中観光に行き、午後空港に向かわれた。「また来ます」と言ってくれた。
 もう1人のお客さんはトレッキングに行かれた。
 Mよさんとお友達の方が訪ねてくれた。お友達の方はソルクンブ地方のライ民族の村で水力発電を造ったのだという。ライ民族は6個の言葉を持つとか、その村までの道のりの遠さとか、興味深い話をいろいろうかがった。
 夕方、ものすごい風が吹き、雷雨となった。その風で近所の店の看板は落ちるし、ロンリーの家の大きな木が倒れていた。1時間半程度で止んだ。久々の雨で、気温がグンと下がった。
2012/3/12 (月)
営業開始783日 宿泊のお客さん 日本語単語帳

 昨日部屋を見に来たお客さんが宿泊にいらっしゃった。
 夕方トレッキングに行っていたお客さんが戻っていらした。最初ガイドをつけないで行くと言っていたが、結局どこかでガイドを頼んだらしい。無事戻って安心した。夜、明日からトレッキングに行くお客さんと情報交換していた。
 日本語単語帳、パソコンの入力は済み、プリントアウトしたものに辞書で調べてネパール語を書いている。
2012/3/11 (日)
営業開始782日 日本寺へ

 昨日日本語教室で一緒の方が「震災から1年なので日本寺に行ってきます」と言っていたのにならい、私も追悼の意味で日本寺に出かけた。上人もいらっしゃらず、お寺には観光の人も少なかった。わずかにネパール人とフランス人のグループが山まで登ってきていたが、ひっそりとしていた。合掌する傍ら、皮肉なほど、快晴の空にヒマラヤが美しかった。こんなに美しく見えるのも久々だと思った。遠くにいて何もできないのが申し訳ないが、6月の帰国時には松島を訪ねたいと思っている。
 日本寺にいる間にクリシュナの甥っ子からでんわが入る。これからうちに来るという。そういう話になった途端、クリシュナは私を置いてさっさと下山してしまった。クリシュナの薄情さに腹が立ち、山から下りてMよさんのところに行き愚痴を聞いてもらう。
2012/3/10 (土)
営業開始781日 日本語教室

 朝7時にお客さんに蒸しパンの朝ごはんをお出しする。トレッキングに行かれた。
 私は日本語教室に行く。新しく日本人の奥さんと娘さん2人が教室に申し込んできた。どういうやり方がいいか、考えることになった。
 荷物が届かないことでメールが来た日本の方から再度メールが来て、迷惑をかけて申し訳ない旨が書かれてあった。日本の側の会社に問い合わせたらしいが、記録がないのでネパールの支店に自ら連絡をとってくれ、と言ったという。なんか気になり、今日はお客さんもなかったので、表に出がてら、そのカーゴの店に行ってみた。店は普通に営業していて、店の人もその日本への荷物の手配については覚えていた。悪意は感じられない。メールアドレスを書いた名刺をもらい、そのアドレスを日本人の方にメールした。
 2人の男子大学生の方が、お昼ごはんを食べにきてくれた。将来外国でホテルをやりたいと思っており、私に話を聞きたかったとのことだった。飛行機出発前の2時間を使って会いに来てくれた。
2012/3/9 (金)
営業開始780日 宿泊のお客さん

朝カトマンズの「ノーリンゲストハウス」の方から電話が入り、今日うちに泊まりに来る予定のお客さんの荷物をポカラ行きの国内便の飛行機に載せたという。お客さん自体はチトワンからバスで今日ポカラに来るという。荷物だけを飛行機で送るなんて珍しい話だなあと思った。そんなに大きい荷物ではないとノーリンの方は言っており、カメラとかビデオとかよっぽど大事な忘れ物なのかと思った。12時半着のイエティ航空で、引取りを頼まれた。引き取り番号を教えてもらった。
私が空港まで取りに行った。イエティのカウンターのおじさんは親切に、荷物預かりの
部屋まで案内してくれた。サインをしてくれというので、空ゲストハウスとローマ字で書いていると「SORA GU・・・」のあたりで、「ああ、ソラ・グルンさんていうの?」と完全にネパールのグルン民族と間違えられていた。でも、外国人観光客だけでなく、ネパール人にも親切だということがわかった。
 荷物は小さいどころか、アウトドア用のリュック1個だった。さすがにこれを背負って歩いて帰るのはきついな、と思い、バスに乗った。
 その後、まもなくそのお客さんがいらっしゃった。まず荷物のことを聞かれた。事情を聞くと、日本から中国南方航空で来たが、荷物が広州からカトマンズに届いてなかったのだという。数日カトマンズで荷物の到着を待ったが来ず、ノーリンに頼んで、チトワンに旅している間に荷物が着いたら、ポカラ宛に送ってもらうことにしたのだという。無事荷物が届いてよかったけど、気が気ではなかっただろう、気の毒に。
2012/3/8 (木)
営業開始779日 日本語単語帳

バルマさんご一行に朝ごはんをお出しする。食事後、みなさん山岳博物館に行かれた。1時頃戻られ、空港に向かわれた。笑いの絶えないご一行だった。
バルマさんに、ネパールで簡単な日本語を習いたい人のための本を出したのですが、インドでこの同じ本が出せるかなあ?みたいなことをちょっと聞いてみた。力になりますよ、みたいなことを言ってくれた。インドの方が市場が大きく、また進出している日本企業も多いので、ニーズがあるんじゃないか、と夢のあることを言ってくれた。もっとも私はヒンディー語はできないんだけど。
賑やかなみなさんが出発されて、寂しくなった。実際は2泊だけど、それ以上いてくださったような感覚があった。
ある日本の方からメールで、泊まったのは他のホテルなのだが、ポカラから送った宅配便が届かない。日本語が通じる知り合いがポカラに他にいないので、力になってもらえないか、との主旨だった。いい加減なことは言えないので、申し訳ないが責任を持って対応できない、との返信をさせてもらった。
夜は外食した。新しいお店を開拓と思い、ハランチョーク近くにあるタンドリーチキンを売る店と、桃太郎そばのタカリレストラン2軒に行ってみた。カレーやナンはやすくて美味しかったが、タンドリーチキンはハーフで400ルピー、骨が多かった。ダルバートで締めたかったので、あるタカリレストランに入った。メニューはない、といわれた。ダルバートは180ルピー、これはまあまあ良しとして、ヤギの干し肉(スクティ)というのがほんのちょっとの肉で200ルピー。ふつうせいぜい50、60ルピーくらいのものだろうがっ。ふまんぞく。結局行く店はいつもと同じにしたくなる。
2012/3/7 (水)
営業開始778日 宿泊のお客さん 日本語単語帳

インド人のバルマさんとご一行に朝ごはんをお出しする。バルマさんはベジタリアンだった。お客さんのお二人はパラグライダーに行かれた。楽しかったと仰っていたが、写真を撮るのに夢中になりちょっと気分が悪くなったとのことだった。昼ごはんのモモも注文を受け5人前を作る。クリシュナが朝ごはんも食べずに作った。モモは作るのに2時間近くかかるのだ。にんじんをたっぷり入れ、甘みがあって美味しくできていた。お客さんにも好評だった。
バルマさんは部屋でヒンズー教のお祈りをしたり、お線香を焚いたり、牛に菜っ葉やトマトを買ってあげたりしていた。バルマさんは政治家の通訳などもしているそうだ。息子さんとともに今年旅行会社を立ち上げるそうで、ポカラも紹介したいと言っていた。
夜、みなさんが、うちの宿を盛り上げるような話をしてくれた。お客さんは「1部屋20ドルは安すぎる」、個人的な感想としては40ドルまでは払うよ、と言ってくださった。
インド人のバルマさんはきちっとしきるが、マイペースなところもある方で、その人柄を反映してか、みなさんのんびりとされている。ゆっくり話をし、お茶を飲み、それから観光に出かけていく。
うちの宿泊とトレッキングガイドの手配を予約されていた方からメールで、突然のキャンセルとなった。ガイド代をシェアする人が見つかったからという。ただ、トレッキング許可証とTIMSの取得だけは頼みたいという。トレッキング許可証とTIMSの取得は、個人でとるか、ライセンスを持つガイドやトレッキング会社が代行するもので、うちはガイドに頼んでいる。トレッキング中に事故があった場合など、パスポートの代わりとなるものだ。個人でとるより、ガイドやトレッキング会社に代行してもらったほうが料金が安くなる。うちは、取得のためにツーリズムボードに行く時間がないお客さんに対し、「よければ、写真とパスポート番号などをメールしてもらえれば、こちらで事前にとっておきますよ」と言っている。お金もたてかえて、好意で無料でやっている。ただし、うちに宿泊してたりガイドを依頼されている場合だ。許可証、TIMSの発行に関われば、それなりにトレッキング中の安全に対しての責任もでてくる。信用できるガイドだからこそ、お客さんの安否を託すのだ。だから、見ず知らずのガイドとトレッキングに行くのであれば、こちらも責任が持てないので、「取得はこちらではできません」と、お断り申し上げた。
2012/3/8(火)
営業開始777日 宿泊のお客さん 日本語単語帳

3人の若い女性のお客さんは6時半前にバスパークに向けて出発された。
昨日ダンプスに行かれたインド人のバルマさんとご一行は午前中にジープで戻られた。日本語ガイドのプリムさんもうまくやってきたようだ。
夜、クリシュナも誘われて「マイリバンチャガーラ」にみなさん食事に行かれた。みなさん楽しそうに談笑しておられる。
バルマさんは通訳と旅行関係の仕事もされているそうで、インド〜ネパールツアーをするお客さんに、うちも紹介したいと言ってくださった。ちょっとうちの部屋代は安過ぎないか?と言っていた。
Mよさんのところに行って、MよさんのPCにネパール語のフォントをダウンロードした。
2012/3/5 (月)
営業開始776日 宿泊のお客さん 日本語単語帳

朝10時すぎ予約をいただいていた日本人の4人の方とインド人のお友達のバルタさんが飛行機で到着した。このままダンプスに1泊行かれた。日本語ガイドのプリムさんも同行した。呼んだジープがなかなか来ずにやきもきした。何とか無事に出発してホッとした。インド人のバルタさんはインドから今回の件の予約の電話をくれていた。「竹林精舎」という日本人でも使わないような単語をすらっと言うので驚いた。
昨日ダンプスに行った3人の若い女性のお客さんも昼すぎに戻ってきた。サランコット経由の道はけっこうハードだったようで、口々に疲れたあ、と言っていた。でも宿もガイドさんも問題なかったようでよかった。
2012/3/4 (日)
営業開始775日 日本語単語帳

朝6時に友達でもあるお客さんにクリシュナが蒸しパンの朝食をお出しする。ヒマラヤはきれいに見えている。クリシュナが途中まで送っていき、お客さんは飛行機でカトマンズに向かった。また日本に帰ったら会いましょう、とあいさつする。クリシュナは日本の仕事仲間が来てくれるのを心待ちにしていたので、この数日間は夢が叶ってとてもうれしそうだった。
若い女性3人のお客さんがトレッキングに出発。ガイドを予約してあり、ガイドは昨日嬉しそうに仕事を請け負い、今朝の8時前に来ることになっていた。ところが、ガイドが来ない! 電話は電源が入っていない。8時を回っても来ないので、他のガイドを急いで呼んだ。お客さんたちは、ガイドが来るまで朝ごはんを食べに行き、戻ってきて9時頃出発された。今日はバンダで車は走っていないが、お客さんたちは歩いてサランコットを超えてダンプスまで行きたい、という希望だったので逆によかった。でもサランコットまでの道のりはけっこうハードで、4時間以上かかる。そこからさらにダンプスまで行ったので、ガイドさんが宿に着いて電話をくれたのは夜8時頃だった。でも、まめに電話をくれるガイドさんなので助かる。
しかし、昨日予約していたのに来なかったガイド。若いし、ダンプスの宿と同じグルン民族なのでいいかと思って仕事を頼んだのに、来ず電話もなかった。しばらくしてクリシュナが電話すると、ようやく出て「下痢をして動けなかった。電源が切れていて電話もできなかった」。一応謝ってはいたらしいが。もうちょっと、頑張ればいいのに。とにかくガイドの手配には気を遣う。
2012/3/3 (土)
営業開始774日 宿泊のお客さん 日本語単語帳

日本語教室は部屋を他のセミナーに使うとかで休校になった。
クリシュナはフライデーズの友達と朝6時過ぎサランコットにタクシーで日の出を見に行く。きれいに見えたようだ。
蒸しパンの朝食をおだしする。午後になって、クリシュナの案内でチベタン村などに行き、夜はクリシュナがかつて働いていた「マンマミーヤ」レストランに食事に出掛けた。
私1人でいるときに若い3人の女性のお客さんがいらっしゃった。トリプルの部屋に入っていただく。明日から1泊程度でトレッキングに行きたいとかで相談を受ける。ガイドや宿の予約をする。
一方で明日はバンダ(ゼネスト)だという連絡が入る。
2012/3/2 (金)
営業開始773日 宿泊のお客さん 日本語単語帳

クリシュナが日本にいたときに働いていた「渋谷フライデーズ」の仲間の方がカトマンズからバスで到着した。「渋谷フライデーズでお世話になってました○○です」と挨拶してくれた。わざわざ渋谷のお店にいる仲間に電話をかけ、今ポカラに来てクリシュナと再開したことを報告していた。クリシュナも電話を替わり、店長さんたちと嬉しそうに話させてもらう。夜は、クリシュナがダルバートを作り、ビールで深夜まで大盛り上がり。クリシュナは朝から「友達が来た」とかなり張り切っていた。
2012/3/1 (木)
営業開始772日 日本語単語帳

 朝のうち電気が来ていたのでアイロンがけをする。  昨日来たネパール人の友人が、クリシュナは外国人登録証の申請期間が過ぎており、日本に行く際に、ネパール、日本両方のイミグレーションを出れない、というようなことを言っていた。クリシュナは日本の東京に住民票を残してきており、税金も国民健康保険も払い続けている。区役所で、再入国手続きをしている以上、一時的に外国に行くだけでまた戻ることを前提としており転出にはならないから、と言われたからだ。外国人登録証というのは区、市などの住民登録をしているところに申請して身分証明としてカードを受け取る。 確かにネパールのイミグレーションで、これを見せるように言われるが、漢字で書かれたものが読めるわけでもなく、恐らく単なる言いがかりで見させているのだと思う。もちろん不法者の渡航を防ぐ意味もあるだろうが。 これの申請期間が過ぎているから日本に入国できないなんてことがあるのだろうか? ちゃんと住民票にあって税金や国保も払い続けているのに。日本の永住権も持っている。  気になって、カトマンズの日本大使館に聞いてみる。すると、日本の住んでいるところの役所で出す外国人登録証は日本国内のものであり、外国人登録証は入国には関係なく問題なく日本に行けるという。ああよかった。すでに日本行きのチケットを買ってあるから、不安になったが、ああよかった。