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ブハリ日記(ブハリとは末の嫁)の意味

2012/7/3 (火)
営業開始895日 日本

 クリシュナは北千住で横浜フライデーズで一緒に働いた仲間に会う。2人とも遠いところからわざわざ会いに来てくれた。クリシュナはとても喜んでいた。
 東京湾を震源とする地震があった。東京と神奈川で震度3,4。日本に来て以来地震は3度目。九州大分では大雨で家屋が浸水したり崩壊する被害があった。日本はこんなに災害が厳しい国だったか、と思う。
2012/7/2 (月)
営業開始894日 日本

 夕方渋谷で、仕事仲間だったFさん、Oさんにお会いする。短い時間でしかお会いできそうになかったので連絡を迷っていたが、どうしても会いたかったので、勝手ながら連絡させていただいた。
 編集・出版業界もそんなに芳しくないという話を聞く。今のところを辞めれば、さらに条件が悪くなることが見えているから、保守的なのはわかっているけど、現状を維持しているとのことだった。震災で価値観が変わった、ということも言っていた。お一人は福島県の方で、そこに住み続けるご両親とのあまりの考え方の違いに、今後はどうすればいいのか、と話していた。
私には「良いときに外国に行った」と言ってもらった。そおか。。。私は、そもそもネパールは日本より経済的には貧しい国、という認識だったと思うが、今回日本に来て日本の方が環境が厳しい、「外国でのほほんと生きてていいのだろうか?」と、考え方、見方が変わってきたように思わないでもない。
2012/7/1 (日)
営業開始893日 日本

 11時に新宿・紀伊国屋前で友達と待ち合わせ、落ち合う。小雨が降っている。2年ぶりくらいの新宿は三越が無くなりビックカメラに変わっていた。友達とは、この新宿でしょっちゅう飲んでいた。街の雰囲気は大して変わっていないが、駅に通じる地下道がきれいになっていたり、店が変わっていたりはする。景気が悪いせいか、大型量販店が目立つようになった気がする。中国人観光客の姿が多いのは、ネパールと同じだ。
 この北海道の友達から、北海道にもネパール料理店が増えていることを聞く。数年前に行った山中の温泉・定山渓にも人気のネパール料理店があると聞き驚いた。なんでだろう?
 12時にネパール料理店「サンサール」で、ポカラでお世話になっていたHさんとお会いする。Hさんは日本に戻ってのち、厳しい会社に勤めているそうだ。この景気の悪い、あんまり良い話を聞かない日本で、わりと楽観的な雰囲気なのは、さすが「ポカラ帰り」と感心した。
2012/6/30 (土)
営業開始892日 日本

朝11時に池袋でポカラに来てくださったお客さんと待ち合わせ。3人でお茶をしたのち、クリシュナは渋谷の仕事仲間に会いに、私とお客さんはランチと再びお茶をする。ネパールの話、いろいろに話題が及ぶ。ポカラに来ていただいたお客さんとこうして日本でもお会いして、会食できる。ありがたいものだと思う。こういう素敵な縁が生まれていくことは、開業時には考えていなかった。今度ポカラに来るときは「親戚のうちに行く感覚」と言ってもらった。日本でお客さんに会うのはちょっと不思議で、とっても楽しい。お客さん一堂に介してなんかやりたいものだ――。そこまでの存在感はまだないか。
その後学生時代の友達に会い、飲む。それぞれ様々な状況を抱えているが、みな変わりなく話せるのがいい。ただ、震災の話、とくに福島第一原発から近いところに家がある友人の話には、みな一同に憤る。震災の情報はやはり海外にいる私とは入ってくる量に大きな差があり、日本人の胸にどれだけ深い傷を残したかを思い知らされる。
2012/6/29(金)
営業開始891日 日本

実家に家庭菜園用のなすとトマトを植えていこうと考え、ホームセンターに行く。土、肥料、鉢、苗、底石、添え木(プラスチック)などを買う。ゴーヤもいいが、うちには適当な場所がないためやめた。畑はクリシュナは自称「プロ」なので(子どもの頃だけだが)、土をかきまぜたりするのはお手のモンだった。お父さんがもらってきて以来咲いているというヒヤシンスもきれいに植え替えた。
花もいいが、食べ物の成長は楽しみが多い。うまく育ち実ってくれることを願う。
2012/6/28 (木)
営業開始890日 日本

朝11時半に銀座でポカラに来ていただいたお客さんとお会いする。昼食にお誘いいただいた。連れて行っていただいたのは貴舟という和食のお店だった。予約をして待つ人で賑わっていた。個室で刺身定食をいただく。とても美味しかった。
お客さんの奥様からメッセージ付でお菓子の贈り物をいただいた。ポカラでの入院時へのお礼の言葉をいただいた。
食事を終え、抹茶のお店にも連れて行っていただいた。ここは茶葉を売るお店で、その2階、3階をお茶を飲めるスペースにしている。お茶と言っても、和室に正座して飲むのではない。アーティスティックな空間で、メタリック、コンクリート打ちっぱなしの建物に横すわりのベンチ、陶芸家の作品がシンプルに飾ってある。まず冷たいほうじ茶、濃い茶、マカロンが出てきた。そしてお茶をたてて抹茶をだしてくれる。「どうぞご経験してみてください」とのことで、クリシュナが自らお茶をたてさせてもらった。そして、お店の方とクリシュナのと、両方のお茶を飲み比べてみる。「やっぱりこっちの方が美味しい」とクリシュナも言うように、お店の方のたてたお茶は当然味が違った。
素敵なお店にご案内いただき、申し訳ないほどご馳走になってしまった。来年あたりまたネパールへ来たい、と言ってくださっている。
ポカラでお会いしたお客さんたちに、日本でもお会いし、縁が生まれている。こういう素敵な縁が生まれることがたまらなく楽しいので、頑張って続けていこうという気になる。
2012/6/27 (水)
営業開始889日 日本

クリシュナは白楽の歯医者に行く。今日で治療がすべて終わった。全部で5000円くらいで済んだ。
この間、近所の道端で高校時代の同級生に会った。話し方などは高校時代とまったく変わっていない。10数年ぶりなのに、向こうもすぐわかってくれた。古い友人というのは本当に良いもんだな、と思う。ふるさとはいいな、などと感傷的になる。
2012/6/26 (火)
営業開始888日 日本

クリシュナの再入国手続きをしに港南の入国管理局へ行く。震災時には帰国をする外国人で長蛇の列になったと報道されていたが、今日はガラガラだった。確かに外国人は多くが去ってしまったのかもしれない。以前は再入国手続きにさえ1日を費やしたのに、今日は30分で終了した。数人しか待つ外国人がいなかった。外国人登録のシステムが7月9日から変わる。クリシュナのような永住権を持つ外国人は再入国の期限が3年から5年にまで延長されるそうだ。担当の人はこの辺をすごく丁寧に説明してくれ、今、再入国を数次にするより1回にしておくほうが料金的に得だと教えてくれた。クリシュナが「以前だったら、何の説明もされずに数次の手続きをしてたけど、窓口が暇になったので安い1回の方にしてもらえた」と言っていた。
そこからの帰り、日暮里にいらっしゃるお客さんにお会いする。2月に凍傷に遭われクリシュナが入院時のお世話をさせていただいた。本当は「銀座で食事でも」と誘っていただいていたが、そこまで気安くさせていいものか迷い、とりあえずごあいさつだけでも、と考え、今日日暮里で落ち合う連絡をさせていただいた。凍傷の入院治療、回復されつつある状況をお話してくださった。何はともあれ回復されていたので、安心した。谷中周辺をご案内いただく。改めて明後日銀座での食事に誘っていただいた。
2012/6/25 (月)
営業開始887日 日本

区役所にクリシュナの外国人登録証を取りに行く。この7月上旬から外国人登録についてのシステムが変わる。永住権を持っている場合は3年以内に現在の外国人登録証からの切り替えが必要だそうだ。イミグレーションで手続きする。
役所の屋上に屋上ガーデンがある。芝生や鉢が並べられている。節電の薦めもあってだろう、ゴーヤの鉢がネットにきれいに伸びていっているサンプルがある。工夫次第で屋上も楽しいものになる。参考になる。
2012/6/24 (Tue)
営業開始886日 日本 横浜

横浜に出かける。昨年お客さんとして来られた方の勤められているお店コレットマーレの「マザーハウス」を訪ねた。ネパールの素材を使い作られた服や雑貨を売っている。お店はナチュラルで洗練された物を並べていた。洋服はサラサラとした手触りと軽快な素材感。社長さんが洋服の文化のないネパールで奮闘されて、デザイン性の高いものを作られているようだ。店長さんとしばらく話をさせていただいた。楽しかった。
4時、6時にネパール関連の知人の方とお会いする。肉まんを買って帰る。
2012/6/23 (土)
営業開始885日 仙台、松島

 朝6時頃起き温泉に浸かりに行く。吹く風が少々冷たい。温泉の湯が体を芯から温めてくれる。朝食を済ませ、チェックアウト。9時に宿のロビーに昨年うちのポカラの宿に来ていただいたIさんが迎えに来てくださった。
 まずIさん宅へ連れて行っていただく。Iさんのお住まいは、天然の風合いのある明るい、大変素敵なおうちだった。庭では2匹の犬がはしゃぎ、畑にねぎ、トマト、ぶどうなどが実ろうとしていた。
 今日は朝から晴天。海に陽光がきらきらと輝いている。
 Iさんは車で津波の被災地を案内してくださった。まずは仙石線の隣り駅「野蒜」へ向かう。途中で橋を1つ渡る。松島は島々の景観に守られ大被害を免れたが、その隣り町から津波に襲われた地域となる。「被災地とそうでない場所とで線引きがされている」とIさんは仰った。この辺りから、津波に襲われ壊れている家がぽつぽつと現れる。壊れている家が少ないのではない。がれきの処理は済み、更地になっているのであって、以前はお店や家が建ち並んでいたのだそうだ。また以前は畑だったような一帯に、地盤が沈下して水が溜まっている。まるで昔からあった自然の沼のようだ。
 「野蒜」駅に着いた。駅の鉄柱はぐにゃりと曲がって倒れている。線路上には草が生えてしまって、この区間はまだ運行を再開していない。駅の向こう側には乗り上げたままの船がそこに放置されている。その向こうでは家が修復工事されている。この駅の様子を見学に訪れている人がけっこういる。工事の業者の人もいるし、観光の人もいるようだ。この駅の前のコンビニもめちゃくちゃになったまま。壊れた家の写真を撮るのは、なんとなく申し訳ないような気がする。
 鳴瀬川、野蒜海水浴場へ。景観の良いところだ。サーフィンをする人や釣りをする人がいる。本来は海水浴で大賑わいをしていたところで、浜辺にはお店がずらっと並んでいたそうだが、今は1軒もない。
 Iさんの本来の赴任先の小学校へ行く。ここの3階部分に避難した人も多かったそうだ。今は学校としては使われていない。先生が機転を利かし、すばやく生徒を屋上へ避難させたため、亡くなった児童はいなかったそうだ。時計は3時10分前くらいをさしたまま止まっている。校庭の滑り台など金属がよくここまで曲がったなと思うほど、痛ましい姿に壊されている。この小学校の子どもたちは今は他の学校に間借りする形で授業を行っている。
 奥松島の展望台「大高森」へ行く。本当に眺めが良い。松があり、青い海があり、牡蠣やほたてを養殖する竹のいかだが少し浮かんでいる。
 昼食を済ませ、松島から塩竈方面へ向かう。もう1か所の展望台へ登る。そこで茶屋を営むご主人が話を聞かせてくれた。「海が青い」、と何度か書いた。実はこれは津波の影響で、本来、今の時期には茶色く見えるはずなのに、海底の砂がさらわれてしまい、この時期に在り得ない青さになっているのだそうだ。また、牡蠣やほたてを養殖する竹のいかだ、実はこれも残骸だそうだ。ご主人は、「津波が竹のいかだを巻き込んできた。雷が鳴ったかのような音だった。怖かったよお」と言う。松島には270くらいの島があるそうだが、人が住んでいる島もある。住居は島の南側に建っていた。北側の湾の内部は波が緩和されたそうだが、南側に家があったので津波を受け100人くらいが亡くなったそうだ。
 ところどころ道には白い線が引かれている。これは地震で地割れしたところだそうだ。
 
1日中車で案内していただき、16時過ぎ仙台行きの電車に乗る。Iさんには大変お世話になってしまった。とてもお疲れになっただろう。でも、私は「来てよかった」と心から思った。簡単には言葉で言い表せない。Iさんに尋ねた。「率直に言って、今ここで一番欲しいものは何ですか? お金? 人手?」、しばらく考えられたのち「仕事ですね」と返答された。働いていた工場自体が無くなってしまった人が大勢いる。そして、壊れてしまった家の修復。その費用をみながみな捻出できるわけがない。復興と言ってもどこから手をつければよいか? そして被災地以外に住む私のような人間は何をすればよいか? そう考えたとき、「とりあえずは観光地を再開させ、人を呼ぶことでしょうか」と私は言った。私もポカラという観光地に住んでいるので、観光客が来てくれることが一番の活気を呼ぶことという感覚は理解できる。私のような一庶民は支援するにも限りがあるが、松島を訪れることで少しでもお金を落としていければ、と思った。今回の松島の旅、本当に来てよかった――。
2012/6/22 (土)
営業開始884日 仙台、松島

 朝4時起床、5時家を出る。松島旅行への出発だ。5時でもすでに明るく、けっこう表を歩いている人がいる。電車も座る席がないくらいに混んでいた。上野駅には1時間前くらいに着き、20番線の東北新幹線乗り場に向かう。6時26分上野発、やまびこ。天気は雨。仙台に近づくにつれ、小雨になってきたが、途中はけっこう激しく降っていた。栃木、福島をとおっていく。特別、様子に変化はない。新幹線は空いていた。8時44分きっかりに仙台着。日ごろネパールの異動に慣れているから、日本の電車移動はなんて早くて快適だろう!と思える。
 仙台も小雨が混じっていた。気温は若干東京より涼しい。仙台は取材で何度か来ている。緑が多く清々しいうえに、洗練された良い街だ。歩いて青葉城へ行く。青葉城は震災の影響で城壁が壊れ、途中車両通行止めになっていた。上の展望台まで歩いた。クリシュナは城壁の石の造りに妙に関心していた。
 仙台駅に戻り松島へ向かう。松島海岸までの電車仙石線は高城町まで開通していた。電車は内陸部から海側へ向かう。途中の街は、ところどころ修繕が行われていたが、地震のみではそれほど大きく崩壊してはいなかったように思われた。外観のみだけれど。
 正午過ぎ、40分くらいで松島海岸駅着。高いところにあるホームから青い海が見える。何て良いところだろう。クリシュナがどうしてもラーメンが食べたい、と言うので、小さな食堂に入る。何年か前、九州宮崎を旅行したとき、そこの小さな食堂で食べたラーメンがすごーく美味かった。それ以来、クリシュナは旅先ではラーメンが美味しい、と思うようになったようだ。ここの醤油ラーメンも美味しかった。
 さっきまで悪かった天気が松島に来て好転してきた。五大堂、福浦島へ行き、松島湾遊覧クルーズに乗る。空はすっかり青。島々がきれいに見える。遊覧船にはかもめが群がってくる。こんなに間近で羽ばたく鳥を見たのは生まれて初めてだ。この遊覧船も再開したのは4月29日とのことだった。震災のとき、船内ではつきあげるような地震を感じ、まもなく陸に戻り大事にはならなかったようだ。津波でいくつかの島の景観が変わってしまったそうだ。
 その後観覧亭、瑞願寺(修復中なので入らなかった)などへ周り、宿へ。宿の「新富亭」では露天風呂、魚介類たっぷりの夕食を堪能し、大満足で気持ちよく床に着いた。
2012/6/21 (金)
営業開始883日 日本

 クリシュナは横浜の歯医者に行き、その後渋谷フライデーズの仕事仲間に会いに行く。クリシュナはあわよくば、この短期滞在期間に以前の職場でバイトをさせてもらえれば、と思っていたようだが、私たちが日本にいた頃より労働条件が厳しくなったようで、しぶしぶ断念していた。
2012/6/20 (水)
営業開始882日 日本

 近所の銭湯に行く。450円で入れる普通の銭湯だが、アルカリ温泉湯で、電気風呂、露天風呂もある。風呂を楽しむための店主からの文句があちこちに書かれてあって、数少なくなった銭湯文化を盛り立てようと尽力しているんだな、と思う。湯上りは体の温かさが持続され、良い気持ちだった。クリシュナも、男風呂で一緒になったおじさんとずいぶん話をした、と楽しんでいた。
 今日は私の誕生日だったので、寿司を買ってきて食べて、思い切り食べた。
2012/6/19 (火
営業開始881日 日本

図書館で借りた本を返し、新たに借りてくる。自分の貸し出しカードを持っていくのを忘れてしまったが、一緒にいたクリシュナの健康保険証で新たにカードを発行してもらい、借りることができた。クリシュナは自分のカードができてなんとなく嬉しそうだった。こういう図書館がネパールにはないから、新鮮な喜びがある。
本は1回で20冊まで借りることができた。便利だな、と思う。図書館がないのは、ネパールでは大きな問題だ。
 台風が夜半来た。それほどの大きな問題はなかった。
2012/6/17 (日)
営業開始879日 日本

クリシュナはゆうべ渋谷フライデーズでネパール人のかつての同僚に会い、その友人のところへ一晩泊まりに行った。
私は友人夫婦に誘ってもらい、上野にカラオケに行く。カラオケはこの友人と前回やって以来、何年かぶりだった。久々なので、声が巧く出なかった。が、楽しく歌えた。友人は最近ちょっと懐かしいフォークソングにはまっているそうで、夫婦でカラオケは微笑ましい。
だんなさんは一足先に帰られ、私と友達は不忍池周辺を散歩する。蓮の花が咲き終わって、池は大きな蓮の葉だけが一面に青々と浮かんでいた。
友達は京浜東北線で帰り、私は上野から浅草まで歩く。六区、花やしき、浅草寺を経て駅へ。浅草となりの業平橋駅は、最近オープンしたスカイツリーのため、駅名が東京スカイツリー駅に変わっていた。けっこうな人で賑わっていた。
2012/6/16 (土)
営業開始878日 日本

12時に銀座で待ち合わせてポカラに来てくれたKさん、Oさんにお会いする。和食のビュッフェの店で食事をする。ポカラであったいろいろな話を聞いてもらう。
その後はクリシュナは渋谷フライデーズに、私はコンサートに。アーティストの語る原発やつなみの話では会場がしんとしていた。「この日本で生きていこう」という一言に考えさせられるものがあった。
その一方で、ニュースでは原発の再稼動を報じている。雨が降ってこんなに気温が低いなか、ガンガン冷房が効いている東京のお店や電車。ネパールだったら窓開けてんでしょ。
2012/6/15 (金)
営業開始877日 日本

クリシュナは横浜の歯医者に行き、その後待ち合わせて六角橋の居酒屋に行く。久々に来た白楽はやっぱりほっとする。この街の雰囲気はいつでもリラックスさせるものがある。お店も変わっていなかった。楽しみにしていた自家製のキムチなどを食べる。やっぱり違う。2年以上前にここで会った常連さんがいて、私たちのことを覚えていてくれた。途中からクリシュナのかつての同じ仕事仲間の方が来てくれた。クリシュナがよろこんで話していた。楽しい時間だった。帰りにお店のお姉さんが自家製キムチやのり、コチジャンをお土産にくれた。私たちもお土産をちゃんと持ってくればよかった、と後悔した。
2012/6/14 (木)
営業開始876日 日本

 久々に晴れ間が覗いたので、洗濯をする。実家の洗濯機は注水から乾燥までが全自動で、最初使い方がわからなかった。デジタルやケーブルになったテレビの使い方も最初わからず、戸惑った。テレビコマーシャルを見ていると勝手に室内を掃除してくれる掃除機もある。手にしてないのでわからないが、携帯やパソコンなんて、どれほど進化したことだろう。
ネパールでは家電は日本の30年前くらいだろうか。いやもっと前かも。いまだに洗濯機は2槽式、テレビはアナログ。それすらもほとんど普及していない。ただ、それで十分やっていけてて、日本の家電なんてほとんどない。ネパールだけことなのか、他国でもそうなのかわからないけど。この間、成田空港のトイレでセンサーで水が出てくる洗面台の使い方がわからない欧米人の女性がいた。日本はこういう機械系のモノはすごいんだな、そしていろんなアイデアがおもしろい、と思う。
2012/6/13 (水)
営業開始875日 日本

 銀行に行き、クリシュナのカードを新しいのに作り直す。
髪を切りに行く。髪を切るのは前回日本で切って以来、約2年ぶりだ。前回も同じ美容師さんだった。長く切らないでいても、格好がつくような切り方をしてもらった。ヘアスタイルの雑誌を見て「こんな感じに」と言って切ってもらった。丁寧に切ってくれた。ちょっと切り過ぎた感じもするが、しばらく切れないことを考えたら、短めのほうがいい。何しろさっぱりした。これでちょっと明るめにカラーリングすれば、フツーの日本人に戻れそうだ。
2012/6/12 (火)
営業開始874日 日本

 銀行に行き通帳に記帳し、引き落としの状況を確認したあと、日比谷の生命保険会社を訪ねる。今まで契約中の保険、来年の2月に給付金が下りるのを待って解約するほうがいいか、いまがいいか、相談したところ、意外に「今いったん精算してしまうほうが良いかもしれません」、と言われ、そうすることにした。ネパールの医療費がそんなに高くないことを考えたら、保険料を払い続けるより得なようだった。解約金も返金となった。解約した途端に病気になったら、あーあって感じだけど。
 そのまま銀座まで歩いて使い捨てコンタクトレンズも買った。
 朝から雨模様で寒いっ! この間まで半そででないといられないほどの暑さだったのに、今日はみな上着を羽織っている。こんなに寒暖の差が激しかったら風邪ひきそうだ。ポカラに比べて、ここの気候は厳しい、と感じる。
2012/6/11 (月)
営業開始873日 日本

 銀行に行き、使えなくなっていたカードの状況を確認し、そのまま駅ビルにある旅行代理店で、宮城県松島に行く旅行を予約してきた。仙台はいまボランティアで訪れる人も多くホテルの空きがけっこう少ないようだった。そこから松島まで行くと観光地だけに代金が高くなるが、せっかく松島の方と縁あって訪ねるのだから宿は松島にしようと決めた。温泉のある和風旅館1泊2食付と行き帰りの新幹線がパックになっていた。家に帰ってさっそく松島のお客さんにメールで連絡した。
2012/6/10 (日)
営業開始872日 日本

 梅雨入りしたようだが、今日は予想に反して良い天気だった。
 ポカラにメールすると即座に返信が来た。日本語教室のほう、趣向を変えてやっておられるようだ。
2012/6/9 (土)
営業開始871日 日本

夕方駅で友達とお茶をする。話題が家族の病気とか、景気が悪いとか、ちょっと重たいものとなる。友達は、毎日私のブログを読んでいてくれて、「会うのが久しぶりという気がしない」と言ってくれる。こちらもポカラでの仕事が、想像以上に忙しく、その代わり充実感もあったという話をする。
 今日は朝から雨模様。昨日とはずいぶん気温差がある。ポカラに比べて湿気が多い。
2012/6/8 (金)
営業開始870日 日本

 クリシュナは以前住んでいた横浜の歯科医院に出かけていく。なるべく大仰な処置ではなく、歯を抜いたりすることなく、1か月の滞在期間に治療をしてくれることになった、とクリシュナは喜んでいた。私も滞在中に健康診断を受けようかと思っていたが、区役所によれば「3ヶ月以上の滞在が、住民票上の転入(それにもとづく健康保険、年金加入)になるから、1ヶ月の滞在では受理されないかも」と言われ、それ以上何も尋ねなかった。基本的な健康診断くらいなら、ポカラでも同様にできる。
2012/6/7 (木)
営業開始869日 日本

 暑い。半袖でないといられないくらいの暑さだ。東京の6月ってこんなに暑かったっけ?
 父親が入院している病院に行く。
 図書館に行って本を借りてくる。5月28日のネパールの憲法制定ならずの日の新聞を閲覧する。朝日新聞の5月29日の朝刊に出ていた。情報、論調はネパールの新聞と変わらない。
 また日本では東電OL殺人事件のゴビンダ氏の再審決定と釈放が決まり、夕方以降のニュースで大々的に取り上げられていた。ネットで「Nepal news」を見ると、ネパールでも記事が取り上げられていた。
 クリシュナは以前の勤め先だった「渋谷FRIDAYS」に行き、あいさつしてきた。
2012/6/6 (水)
営業開始868日 日本

 朝8時頃起きて納豆と味噌汁の朝ごはんを食べた。
 足立区役所に行き、クリシュナの国民健康保険、外国人登録証の手続きをする。クリシュナは2年間日本に来ていなかったが、この間、銀行引き落としで健康保険料を払い続けてきた。それを今回の申請で還付してもらうことになった。外国人登録証はネパールにいる間に更新期間が過ぎていたので、それを今回更新した。スムーズに終わった。
2012/6/5 (火)
営業開始867日 日本着

 朝8時頃成田着。機内では「HELP!」というアメリカ南部の黒人差問題を描いた映画を見た。飛行機はずいぶん空席が目立った。空港も人が少なかった。
 空港からまず実家に電話した。
 そのまま京成電車に乗り、途中で乗り換え、11時ころ実家に戻る。
 気温はカトマンズとより少し涼しいくらいだろうか。ポカラは30度を超えた夏なので、それよりははるかに涼しい。
 夜は寿司を買ってきて食べた。豆腐も久々に食べた。美味しい。テレビで野球中継を見た。テレビはデジタル放送に完全に切り替わっていた。ネットはケーブルで接続できる。システム的にはネパールのADSLやWIFIと同じだ。接続がすんなりと行く。
2012/6/4 (月)
営業開始866日 ネパール出国

 朝5時半に起き、6時半にタクシーでゲストハウスを出る。空港までのタクシー代金は500ルピー。途中の道が拡張工事をしている。がれきが脇道に積み重ねられ、中央部分は土で埃っぽい。ポカラも拡張工事しているが、カトマンズのほうが元の道幅が狭いのか、車も人も通行に難儀している。タクシーはがれきや水溜りを避けながら、ものすごい神経を使って運転していた。
 空港には7時頃には着いた。ところが、空港が珍しいほど混んでいた。まず空港の入り口で列になっていた。チェックインカウンターもセキュリティチェックも長い列。もっとも大変だったのが、イミグレーションだった。外国人が多いのではない。ネパール人の出国者が多いのだった。イミグレは外国人の私はさっさと通過した。クリシュナはネパール人用の窓口に並ぶ。ここに何重にも渡って人が並んでいた。フロア中に人が溢れていた。SOSという人材派遣会社の名前入りの白いCAPをおそろいで被った団体、赤いCAPと首から黄色いB5サイズくらいの大きな名札を下げた団体。出稼ぎに行く団体が一気に今日集まってしまったそうで、こんなにネパール人の出国者が多いのも稀だったそうだ。クリシュナはこの団体の後に並び、しかも前年ネパールの日本大使館でした再入国のビザが手書きだったために、余計に窓口担当者に引き留められた。私たちが乗る「JET AIR」の担当者がクリシュナと私を呼びに来て、私たちだけに特別に搭乗口までの車を用意してくれ、飛行機まで運んでくれた。私たちが最後の搭乗者だった。
 JET AIRはインドの飛行機会社だが、実に時間にきっちりしていた。カトマンズ発デリー行きは定刻ぴったりだった。そしてわずかデリーまでの1時間半程度ながら機内食も出てタンドリーチキンが美味しかった。私たちのチケットを手配してくれた旅行会社のジャビさんは、デリーからバンコクまでの飛行機はカトマンズから乗ったのと同じ、つまり機内待機だと言っていたが、そうではなかった。トランスファーカウンターでバンコク行きのゲートを聞き、そこまで移動して乗った。これが1時間足らずでけっこうぎりぎりだった。幸い天候がよく、飛行機は揺れもせず目的地に到着した。
 バンコクには18時頃着。23時55分の出発まで食事をしたりして時間をつぶした。タイのファーストフードみたいなレストランに入ったら、2人でヌードル2食ミネラルウォーター2本で20ドルもした! 20ドルだよ! タイも物価が上がったのか。もちろん空港だから特別高いんだろうけど。
 バンコクの空港で、今朝カトマンズの空港にいた赤いCAPの韓国へ出稼ぎに行くネパール人の団体に再び会った。バンコクの都会的な空港で、赤いCAPに大きな黄色い名札を首からぶら下げたネパール人の団体。おそろいのいでたちに黄色い名札って、このネパールの人々を外国に斡旋してる会社、ちょっと彼らをバカにしてないか。旅行で行くんならいい、どんなダサイ格好だって。でも、普通に外国に行くよりはるかに高い斡旋料を取って、こんな十把一からげの格好させて・・・。何の疑問も持たず、そのいでたちに応じて、ティカ(赤い祝福の粉)やカタ(同様の黄色い布)を家族にもらい、わくわくとしているネパールの人を見るのはなんとも言えない気分だった。
 23時55分発成田行きはANA。ひさしぶりに「いらっしゃいませ」という響きを聞いた。
2012/6/3 (日)
営業開始865日 カトマンズ 再入国手続き

 朝8時に「ノルリンゲストハウス」に移動する。荷物だけ預け、私の再入国手続きのためにイミグレーションに行く。
 再入国手続きだけなので、すぐに終わると思ったが、2時間半くらいかかった。みんな賄賂ででも捕まったのか、窓口担当者の顔ぶれが一新していた。そして作業に慣れていない。「えーと、再入国というのは・・○○さん、これはどういう意味だっけ?」という感じだった。
 イミグレーションが昨年から場所が移動して、建物や設備も新しくなったようだが、みな椅子が壊れてしまったようで、修理の人が来ていた。事務担当者が、業者の人に「ぜーんぶの椅子をチェックしてよ」と言っていた。
2012/6/2 (土)
営業開始864日 カトマンズ

 特にすることもなし、ゲストハウスから「ムスタンタカリチュロ」にダルバートを食べに行き、ゲストハウスに戻ってパソコンをやったり、日本語単語帳の作業をしたりする。
1年前に比べて物価がずいぶん上がったな、と感じる。あの安くて美味しかった中華料理屋も100ルピーだった空芯菜が160ルピーになっている。ビールはスーパーで一番安いゴルカビールが180ルピー、ポカラでは140ルピー。以前はポカラよりカトマンズのほうが物価が安いと思っていたのに、何時の間にこんなに高くなったんだろう。
2012/6/1 (金)
営業開始863日 カトマンズ

 朝5時に起き日本米でおにぎりを作る。窓ガラスに日本で買ってきた窓開閉防止のストッパー、防犯ブザーを取り付ける。
 見張り番のバジがあいさつに来てくれた。
 客室の窓が閉まっているのを確認し、水の栓を締める。
 7時頃バタバタと出発。帰国時には荷物は軽い。
 7時40分ころ、ツーリストバスパークから「ホリデイ」のバスで出発。バスは外国人が半分くらい乗っていた。天候は曇りでそんなに暑くない。途中順調に運行。それが「ガガガガガガガガッ!!!」と激しい音と揺れで止まったのは11時半頃。何かの部品が外れてしまったそうだ。ちょうどラフティングのポイント近くで、ラフティングをやる欧人のグループがここでバスを降りた。が、1人の人の荷物を閉まった場所の鍵を、壊れた部品を買いに行ったスタッフが持っていってしまったそうで、気の毒にその欧人の女性はスタッフが戻るのを1時間半近く待っていた。この修理が終わるまでの時間、インド人の家族はどこか遠くまで散歩にでかけていた。一本道だから、先に進んでいる分には置いていかれる心配はない。1時間半後に彼らはゆっくり戻ってきた。クリシュナによれば「インド人はこういうトラブルには何も困らないよ」。むしろ楽しんでいるようだ。
 13時過ぎにようやくバスが再出発。しばらくすると、助手席の窓ガラスが割れた。スタッフの座る席だったので、壊れたガラスを片付けて運転再開。今日のこのバスはツイていないみたいだ。
 遅れがあったので、バスがカトマンズの終点に着いたのは17時だった。定宿の「オムタラ」に宿泊。夜は、近くの中華料理屋「重?味」に行って、白菜の炒め物、マーボー豆腐などテイクアウトした。よくこの周辺を見ると「黄山大酒店」という大きなホテルがあったりする。ネパール名を中国語にしているんじゃなくて、中国のホテルそのものだ。中国の進出が目に見えて進んでいる。
2012/5/31 (金)
営業開始862日

夕べニュースを聞いていたところ、またバンダが始まるかもしれない、という噂があった。私たちはあさっての土曜日カトマンズに向かうことにしていたが、バス会社などに確認すると「いつまたバンダになるかもしれないから、明日にでも行ってしまったほうがいい」と言う。バンダになっても、ツーリストバスや飛行機は動く。が、バスは外国人以外、つまりネパール人は乗れない。私はいいが、クリシュナは飛行機になるか、もしくは行けないことになる。それで慌てて移動を明日にすることにした。すでにここでする仕事はない。別に明日出ても営業上の問題はない。
電気と水道の役所に行って、今月分の料金は払った。遅れると追徴金が取られるからだ。銀行に行きお金をおろす。カトマンズのイミグレーションで再入国手続きと、7月の帰国時に結婚ビザの延長手続きをしないといけない。その書類を用意する。
あさっての予定が急遽明日からになった、家の見張り。見張り番をお願いするバジに来てもらい、ひととおり仕事の説明をする。バジはこの家を建築中に見張り役をやってもらっていた(写真)。ちょっと酒好きなのが問題だが、こちらから何かを騙し取ろうとかそういうことは心配ない。家も近所なので、用があるときは家に戻ってきてもらってもかまわない。クリシュナに言わせれば「家が近所だと逃げられないから、悪いことをする心配がない」。
バジにゲートの鍵の開け方、畑のこと、電気、配達されてくる新聞のことなどを説明した。こちらの話を丁寧に聞き、自分でも確認する。建物には鍵をかけて、中には入らないようにしてもらい、夜間ガレージでガードマンのように座っていてもらう。バジにしっかり仕事を頼めたので、かなり落ち着いた。
残っている野菜をロンリーに持っていった。もしも日本帰国時に税金を払うことになったら、ロンリーの社長がうちの分も払っておいてくれるということになったが、カレンダーを確認するとそれはまだ大丈夫そうだった。
バタバタと忙しい1日だった。
2012/5/30 (水)
営業開始861日

日本語単語帳の作業をする。日本に行くまでにやっておきたい作業も終わりそうにない。
憲法制定ならなかったのに、バンダ(ゼネスト)はなくなった。決まろうとするときには、いろんな政党、民族がうるさくバンダをするのに、決まらない場合はいいんだ。事前から抗議活動してればいいのに、決まろうとする直前になって反抗する。だからいつまでも決まらない。近所の食堂のご主人はまじめな顔をして冗談を言う人で、「私はヤキソバは作れる。でも、私は憲法は作れない」。
夜ごはんを作ろうとしたら停電する。インバーター(充電器)に切り替える。すると停電が終わる。インバーターを消す。すると停電する。こんなことを5分おきに4,5回繰り返された。ふざけている。
2012/5/29 (火)
営業開始860日

日本語単語帳の作業を続ける。日本から持ってきたプリンターで印刷したものに、チェックをしている。先は長いが、とりあえず日本に行くまでに辞書を使わなくてもできる作業までは進めておきたい。
すごく暑い。雨季の前なので、雨もなく蒸し暑い。
2012/5/28 (月)
営業開始859日

リパブリックデイで休日のためもあってか、バンダもなく、静かだ。昨日憲法が制定されなかったという大きなニュースがあったのに、今日は新聞が来ない。祭日のせいかな。こういうとき情報が欲しいのに。首相のバブラム・バッタライを辞めさせるの、させないの、というのが話題になっている。
隣りの家が2階を建て増ししている。3階で私が日本語単語帳の作業をしていたら、突然「ナマステー」という声が聞こえたのでびっくりした。見ると、その工事の仕事をしているインド人らしい少年がうちの窓ガラスにピタッと鼻をくっつけて、両手を合わせてナマステしている。なんだ、なんだ!? 一応会釈は返したが、思いがけない行動に驚いた。しかもその子、それから10分以上そこでジーッとこっちを見ている。そういえば村ってこんなだったな、と思いながら、やっぱり見られているとやりづらい。「向こう行って」と言っても意味が通じるかどうかわかんないし、仕方なく階下にいたクリシュナを呼ぶと、少年はそこを離れた。でも、クリシュナが来てもその少年はクリシュナにナマステしていた。クリシュナも思わずナマステを返していた。礼儀正しいと言えば、礼儀正しいのだろうけど。この人たちが、手を休めてはうちの中を眺めるので、私も変なことはできず、思いがけず単語帳の作業が進んだ。
2012/5/27 (日)
営業開始858日

5日宿泊するとメールで予約をしていた日本人の方が来ない。朝から部屋の準備をし、来れないのはバンダのせいか、電話が普通なのか、天候のせいか・・と、気をもんでいた。19時になってメールをチェックすると、その人からほんの数時間前にメールが来ていて、予定を変更するのでキャンセルしたい、とのこと。日本だったらこういうこと通用しないだろう、ネパールだから平気でこういうことがやれるのか。料金が安いから軽んじられるのか。こっちも(ネパールの小さなゲストハウスも)ボランティアでやってるんじゃないってことをわかってもらわないといけないのか。
憲法制定期限日。夜12時まで検討されたようだが、結局制定はならなかった。明日はこの辺はバンダはないようだが、ネパール全土では何かしらかの抗議活動は起こり得る。
2012/5/26 (土)
営業開始857日 日本語教室

日本語教室にいく。子どもの数が増えて盛況だ。
午後は畑の仕事をした。今日は朝から珍しく陽の薄い曇天だったので、庭仕事にはちょうどよかった。それでも暑くて汗を流したけど。私が草むしりをし、その後クリシュナが土を掘り返し苗を植えた。やっぱり畑で野菜を作ってそれを食べるのと食べないのとでは、日々の出費が違う。経済的だし美味しいし、畑の野菜は良い。
日本人の方からメールでトレッキングのポーターについて問い合わせをいただいた。トロンガパスと言って5416mまで行くコースについてで、それはこの2月に凍傷にかかった日本人の方がうちに駆け込んできて入院・手術騒ぎになった、あの難所のコースだ。その方は経験不足のポーターを雇って処置も見誤っていた。
メールにはうちで紹介した場合のガイド、ポーター料金をお知らせしたが、その返信でこれまで何度もネパールでトレッキングしてポーターしかつけていない、と言う。うちとしては目の前で、大怪我をした方を見ているし、安易に、経験不足の信用できない安いガイドやポーターをつけてこのコースに行かせることはできない。人の命がかかっていることなので、このようなご要望にははっきりお断りする。
2012/5/25 (金)
営業開始856日

今日はマヘンドラプルへ行き、役所系、街でしかできない買い物などをまとめてした。いつまたバンダになるかわからないからだ。電話会社に行き、電話料金とADSLの料金を払った。1ヶ月日本に行っている間の料金について聞いてみた。電話は一時中止というのはできないらしい。ADSLはプリペイドカードを買ってその金額だけチャージできるようだ。うちはあと10日間使うので、月額約1000ルピーをフルに払うより500ルピーくらいをチャージしたほうがお得だ、と窓口の人は教えてくれたが、もしそれがうまく行かず、またここに来るというようなことになった場合のほうが手間なので、月額を払ってしまった。
マリアカフェでお茶をし、帰る。今度の畑のための苗を買った。ギロウンラとかぼちゃを買った。
2012/5/24 (木)
営業開始855日

夕方7時頃、レイクサイドの中ごろの湖沿いのチョウタリ(大きな木)のところで、欧米人のNGOらしい人たちがビデオを上映していた。スクリーンに映し出す形で、見学者がけっこう集まっていた。ビデオは、アメリカ、日本、モンゴル、ナイロビで、各1人の子どもの出産風景から立ち上がって歩けるくらいまでの様子をドキュメント風に映したもの。アメリカ、日本は似たような過程で、おもちゃに囲まれていたり、親と赤ん坊でカルチャーセンターで体操してたりする。モンゴル、ナイロビは自然に囲まれ、常に近い年齢の兄弟がそばにいる。日本の母子が団体でベビーカーで公園を移動している様子は、他の国と比べるとちょっと違和感を覚える。モンゴルやナイロビは子どもがかわいい。風景も絵になる。淡々と4カ国の子どもの姿を撮ったもので、特にどの国が良いとか悪いとかない。どこの国の人も子どもは大切にするものなんだなと。ネパールの人が見ても同じような感想だったんじゃないかな。2時間近くやっていたが、けっこう最初から最後まで見ている人がいた。
2012/5/23 (水)
営業開始854日

「Nepal Federation of Indigenous Nationalities(Nefin)」によるバンダは終了した。ジャナジャティ(少数民族)側と政府側の話し合いが合意に達したという。そして憲法制定はまたしても延期が濃厚となった。2008年以降4年と3か月の延長となる。
日本のお客さんからの2通の郵便物が届いた。1通はトレッキングが好きで各地を登られ、そこで撮られたヒマラヤの写真を使ったカレンダー。ご自身で撮られているヒマラヤの山々の写真は見事だ。特にトロンパスの雲上の山頂、一面の雪の光景は、人の手にあまり汚されていない、地球上の最も美しい場所の1つだろう。貴重なものだ。もう1通は昨年ガイドのアンキットさんとトレッキングに行ったお客さんからの写真。ガイドさんとフェイスブックでのやりとりが続いているようだ。うれしいものだ。
2012/5/22 (火)
営業開始853日

今日も「Nepal Federation of Indigenous Nationalities(Nefin)」によるバンダが続いている。ポカラは平穏。
日本語単語帳の作業を進める。この仕事まだまだ時間が掛かりそうだ。日本に行ったら図書館に通って本を読みまくりたい。
メイン通りも道を拡張することになったそうで、「Hotel Meera」とか大きいホテルも前庭部分を壊し始めている。「Hotel Meera」の前庭の大きな柳のような木が好きだったのに、あっさり無くなってしまった。最近できたばかりの建物も壊すのだろうか? ここメイン通りの店が一気に壊されたら、どうなるんだろう? 意外に簡単に造りなおせるとは言え、びっくりするようなことをやるもんだ。
2012/5/21 (月)
営業開始852日

各民族の主張を行う「Nepal Federation of Indigenous Nationalities(Nefin)」によるバンダが続いている。ポカラは平穏で、小さな商店は開いているし、メインどおりの大きな店も夕方からは開いている。うちは隣りの家が2階を建て増しし始め、そこで働いている人たちが大きな声で歌ったりしてるのが気になるくらいで、静かなものだ。
天気は良い。夕立があって気温が下がりすっきりする。山も星もきれいに見えている。
日本では日食だったらしいが、ネパールではタライのほんの一部だけだったようだ。今日が日食だということはネパールのカレンダーにも書かれていない。日食というのは地域によって違うのだと、初めて認識したような気がする。
日本に帰国する旨、日本の友人にメールすると、わざわざ北海道から会いに来てくれるとか、慰労を兼ねてカラオケ招待するよ、と言ってくれる。心から楽しみだ。
2012/5/20 (日)
営業開始851日

今日も「バンダ(ストライキ)」だった。カトマンズではこのストライキの主宰者である「Nepal Federation of Indigenous Nationalities(Nefin)」と警官隊が衝突して、けが人が出たり、マスコミの車が燃やされるなど、ここ最近ではもっとも暴力的なバンダとなったようだ。ポカラはプリティビチョーク辺りで人が集まったようだ。ここレイクサイドは特に変わりはない。
日本に行くため、6月2日にポカラを出ようと思っている。5月27日が憲法の制定期限だから、6月には状況が落ち着いていると思うが、ちゃんとカトマンズに移動できるのか不安だ。
2012/5/19 (土)
営業開始850日 日本語教室

 今日もバンダで日本語教室も十中八九休みとなるだろう、と思っていたが、朝から車が走っている。念のためWさんに電話で確認すると「バンダじゃないのでやる」とのことだった。Aさんにその旨連絡する。Aさんの住んでいる場所ではなかなかタクシーがつかまらないようなので、どうなることかと案じていたが、何とかタクシーをつかまえて少し遅れていらっしゃった。みなさすが日本人で、バンダかどうか不安定な状況だったにもかかわらず、ちゃんと時間通りに来ていた。
 また激しい夕立があった。ザーッと降る光景はシャワーを浴びているようで気持ちが良い。1時間半くらいでスキッと晴れるのも良い。今日は小粒の雹も混じっていた。
 夜は、宅配のピザを取った。楽なのでつい週に1回くらいはこれにしてしまう。日本では宅配ピザは高いし、油っこいものが好きじゃないので、ピザは1年に1回も食べない。でも、ここのピザは1枚200ルピーで、パン生地にチーズと具がちょっと載ったくらいだから、私にはちょうどいい。2枚頼むとコーラを1本サービスでくれる。
繁盛しているらしく、今日は注文から届くのに1時間近くかかった。そしてうちが大きい札しかなかったので、おつりが足りなかった。配達の人は「今度持ってくる」と言って帰ってしまった。クリシュナは「大丈夫でしょう」と言うが、日本人の私は「配達のバイトの人なんか、おつりのこと忘れてしまうでしょう」と疑った。ところが、その10分後くらいにさっきの配達の人がわざわざおつりを持ってきてくれた。疑って悪かった。こんなサービスは今の日本のほうが期待できないかもしれない。
2012/5/18 (金)
営業開始849日

 日本語単語帳の作業をする。この6月までに原稿を仕上げる予定だったが、そこまではかどらなかった。
 宮城県松島のお客さんとメールのやりとりをさせてもらい、この日本帰国時に被災地もお訪ねすることになった。松島は東北有数の景勝の地、お訪ねすることが1つの支援になれば、と思う。震災後、まだ帰国していない。今の日本はどう自分の眼に映るのだろうか?
 夕方はスコールのような雨があった。1時間半くらいで止んだ。
 今日もバンダだった。でも周囲の商店はやっていた。
2012/5/17 (木)
営業開始848日

 バンダ(ストライキ)となった。27日の憲法制定期限まで何かしらの団体がバンダをするかもしれない。夕方までタクシーが動いていなかった。大きな商店、学校も休み。タライ地方では4月27日からバンダで、薬が不足したりガソリン不足で救急車が出動できなかったり、治療が受けられずに亡くなった人もいるようだ。最近のポカラではタクシーがラリーをして、湖沿いのメイン通りを何百台もが目の色変えてスピードあげてびゅんびゅん走っていた。そんなことすればガソリンを無駄にするだけだろうに。
今回も憲法が決まらず来年に持ち越しになったら、来年はこの時期から日本に帰ろう。
 日本語単語帳の作業をする。
2012/5/16 (水)
営業開始847日

 今日はバンダを予告されていたがバンダではなかった。近所の日本人のYさんやHさんが来て「その日になって、バンダかバンダじゃないか決まるっていうのが困るよね」と話す。
 日本語単語帳の作業を進める。
 日本滞在中のスケジュールを考え始めた。会いたい人がたくさんいるが、基本的にみな土日しか空いていないので日程のやりくりを考えてしまう。行きたいところもいろいろあるが、予算にも限りがある。宮城県松島には行きたい。日本て時間とお金にキビシイ国だったな、とあらためて思う。
2012/5/15 (火)
営業開始846日

 5月27日が憲法の制定期限。それに向けてまた抗議行動やバンダ(ストライキ)が始まった。タライの方では4月27日からこれまでずっとバンダ、日本大使館によれば18日から5日連続で全国バンダだから旅行は控えて食糧を確保しておいてくださいとのこと。ポカラでは危険や危機はないだろうけど。
 日本に行っている間、見張り番を置くことにした。家を建築時に見張り役をやってもらっていた近所のバジ(おじさん)に頼もうと思っているが、このバジ、良い人なんだが酒好きなのが難だ。しっかり物の見張りはしてくれるが、酒を飲むと気が大きくなって「たばこ代くれ」「酒代くれ」となる。みな「このバジで大丈夫?」という。夜間起きて見張ってもらいたい、と言ったがそれを理解してもらうのに時間が掛かった。道でバジの奥さんに会ったので「バジ、ちゃんと仕事やれるかな?」と聞くと「まあ、1回ちゃんと話してみる」ということだった。仕事を頼めば簡単に請け負う人はいくらでもいる。でもそういう人が最後まで責任をまっとうしてくれるとは限らないことも知っている。どうしたもんか?
 夕立があった。
2012/5/14 (月)
営業開始845日

 近所の日本人の方が来ておしゃべりをしていく。
 洗濯物にアイロンをかけ終わる。停電が短くなったので助かる。
 すっかり真夏になった。暑い。それとともに観光客の姿もグンと減った。うちもそろそろ日本に行く日程が迫ってきた。1か月日本にいるが、今更ながら1か月日本にいるってことはそれなりにお金がかかるなあ、と思い始めた。タイ・バンコク、インド・デリーを経由する。ちょっとそこでも遊んで来たいけど、貧乏性だからどうも思い切れない。
今朝ポカラ発ジョムソン行きの飛行機アグニエアが墜落した。乗員3人、乗客18人(うち16人はインド人)、16人の方が亡くなっているようだ。ポカラはとても良い天気だった。ジョムソンの空港の近くの丘に墜落したようだ。この国は山が多く気候の変化が激しいので飛行が難しいのだろうか。日程に限りがある観光客にとっては飛行機が欠航になるのはジレンマだろうが、私個人的にはちょっとでも天候に不安がある場合は飛行機は飛ばないほうが良いと思う。
2012/5/13 (日)
営業開始844日 屋上修理

今日も朝9時頃から水道の職人たちが来た。工事で出たごみなど片付ける仕事を頼んだら、屋上に溜まっていたセメントの袋を片付けてくれたはいいものの、うちの桃の木の上にどさどさ投げ落としたものだから、木が折れてしまった。結果的には枝が数本折れただけだったが、セメントの袋の下に主幹が押し曲げられていた。私が見つけて、即刻怒って止めたが、職人もクリシュナも「大したことじゃない」「片付けてるんだから仕方がない」みたいなことをいう。頭に来た。それでもインド人の職人は黙々と最後まで掃除をしてくれたからお金は払ったけれど、どうしてもう少し気を遣えないのだろう? ちょっと片付ける場所を桃の木からはずせばいいだけのことなのに。
午後には屋上修理の作業が終わった。合計で1万ルピーを支払った。ついでに栓が緩んでいた客室の水道も直してもらった。
夕方、表を散歩する。最近、レイクサイドのメインの道も拡張が決まったらしい。ハランチョークからゼロキロメーターへ行く道、「桃太郎」「マンマミーヤ」がある道はすで道を壊し始めている。クリシュナと「マンマミーヤ」の前を通ると、お店の奥さんが「ああ、クリシュナげんきー?」と声を掛けてくれた。いつも元気で明るい奥さんだ。ここも看板がはずされ、テラス部分は道を掘り返されている。営業は1週間くらい止めているという。「ああ、営業は止まるし、修理にお金は掛かるし、テンションだよお。外しちゃった看板もねえどこにつけたらいいと思う?」と奥さんが嘆いている。うちもそうだったが、道を拡張するのに役所からの補償はない。あらかじめ役所は「将来道を拡張しますよ」とは言っており、それを多寡をくくってオーバー目に建物を造っている民間人の方も悪いのだけど。でもうちの前の道なんか、壊して1年近く経つがいまだに道路工事は始めていない。塀はペンキも塗れずカッコ悪いままだ。今後は湖沿いのメイン通りも拡張するとかで、クリシュナの知り合いが働く「ホテルムーンライト」で話を聞くと、道側の4mくらいは取られてしまうようだ。ほんとにそこまでやるのだろうか?
2012/5/12 (土)
営業開始843日 屋上修理

朝9時頃水道の職人(インド人の出稼ぎの男性)が5,6人でやってきた。屋上に水が溜まってしまうのを直すためで、この間1度来たのだが、お客さんがいるので工事を延期していた。今日来るとは予想していなかったのだが、ちょうどお客さんがいなくなった今日、うまい具合にやってきてくれた。クリシュナがパイプやセメントなどの材料を買いに行った。その間、若い人が屋上の手すりの壁に穴を開けた。屋根のスロープに傷がつかないように巧くやってくれた。途中で雨が降り出し、今日はそこにパイプをつなぐまでで続きは明日になった。サンダルのまま入ってきちゃったり、テーブルにのっかっちゃったり、見てないと、ちょっと怖いんだけど。でもネパール人に比べてインド人はよく働く。時間も物も無駄にしない。黙々と仕事だけをする。好感が持てる。
今日もバンダ。日本語補習校も中止となった。
2012/5/11 (金)
営業開始842日

親子のお客さんに肉じゃがとおにぎりと味噌汁の朝ごはんをお出しする。地球の歩き方に「日本食が食べられる」と書いてあるのだけど、食材に限りがあるのと、客数がそれほどないのと、私の腕前により、多くの物が作れない。でも、もう少し工夫してメニューを増やさないといけないと思う。空港に向かわれた。
Sさんのお兄さんたちは1時ころ出発。今日もバンダで車が動いていない。しかも天候が不安定で飛行機の欠航も懸念された。にも関わらず、みな空港まで所定の時間に到達しないといけない。親子のお客さんは息子さんを歩かせるのに気を遣っていたし、Sさんのお兄さんは60歳を超していて体調も悪いのに、重たいスーツケースを持って40分くらい歩くことになる。観光客には本当に迷惑な話だ。
Sさんのお兄さんはクリシュナが途中まで送っていった。歩いていると、見回りをしている「ツーリストポリス」の車が走ってきた。空港まで乗せていってくれるという。へえー、ネパールのポリスも良いとこあるね、と思ったら、「ガソリン代500ルピー」を求めたという! タクシーだって250ルピーなのに! まったく、あきれて物が言えない。
しかもSさんのお兄さんのカトマンズ行きのブッダエアは遅れた。3時10分発が18時10分発になった。さぞかしお疲れになったことだろう。ネパールは移動手段が問題だ。
久々にお客さんがなかったので、晩御飯はDBモモに食べに行った。
2012/5/10 (木)
営業開始841日 宿泊のお客さん

 Sさんのお兄さんと教え子さんは朝5時にサランコットに日の出を観に出かけるが、雨が降り出したのと、予告されていた通りに「チェットリによるバンダ(ゼネスト)」で通行を止められたため、途中で引き返してこられた。
教え子さんは初めてのネパールでありながら、昨日、今日と天気が悪くヒマラヤを見られていない。夕べ雨が降ったので今朝は快晴で山がきれいに見えると思っていたのに、朝から雨混じりの曇り空でヒマラヤはまったく見えていなかった。ところが、夕方、雷雨のあと、ヒマラヤが見え始めた。最初はうっすらとだったが、時間が経つにしたがい、マチャプチャレ、アンナプルナも青空をバックにくっきり姿を現し始めた。お客さんは「地球のまったく違う場所に来たみたい」と言うようなことを仰って感動されていた。盛んにカメラを撮っておられた。
親子のお客さんの息子さんは元気で活発な子で、近所の日本人の息子さん、裏の空き地で遊ぶ男の子、うちのほかのお客さんとも親しくなっていた。空き地にいたかたつむりをたくさん潰してしまった、と気持ちの悪い話を楽しそうに言っていた。
晩御飯はうちで野菜カレー、モモ、チキンカレーを食べていただいた。クリシュナが張り切って、てきぱきと料理を作っていた。 
2012/5/9 (水)
営業開始840日 宿泊のお客さん

 親子のお客さんは10時頃から表に出かけていく。夕方学校から帰った近所の子どもたちとサッカーをしていた。積極的に子どもの中に入っていく。近所の日本人の奥さんとそのお子さんたちと会われていた。
 夕方6時頃、突然Sさんのお兄さんとその教え子さんがいらっしゃった。びっくりした。お兄さんはSさんと一緒に7年位前にネパールに来た。私とクリシュナは、その頃は旅行者として同行させてもらった。お兄さんに会うのはそれ以来。夜いろいろな話をさせていただいた。お兄さんの訪問はサプライズだった。「いろんな人が来てくれておもしろいね」とクリシュナは言っていた。
 夜久しぶりに雨が降った。
2012/5/8 (火)
営業開始839日 宿泊のお客さん

 親子のお客さんにダルバートと和食の朝ごはんをお出しする。息子さんは友達を作って遊びたいようで、ネパール語は話さないが、遊び仲間が現れるのを待っていた。
 蒸し蒸しと暑くなってきた。
 日本の方からメールで、うちの近所のホテルに泊まった。お礼のメールを送りたいが、うまく届かない。アドレスを知らないか? とあった。無責任に承諾できないので、申し訳ないが存じあげないと返答させてもらった。
2012/5/7 (月)
営業開始838日 宿泊のお客さん

 お客さんは11時半頃空港へ向かわれた。世界各地を旅行して、また数年あとにネパールにも来てくれるそうだ。
 午後ネパール人のだんなさんがいるお客さんと息子さんが来た。最近子ども連れのお客さんが増えた気がする。お客さんは、うちに来たのは日本人がやっている宿をガイドブックで知ったからのようだが、日本語を喋るクリシュナのことを昔から知っていたようで、そこにいたのが10年前会ったクリシュナだったことに驚いていた。晩御飯はうちでチキンカレーを食べていただいた。日本とネパールどっちに住んだらよいか考えている、とのことだった。
2012/5/6 (日)
営業開始837日 宿泊のお客さん

 お客さんが日の出を観にサランコットへ行く。タクシーはなじみのドライバーに頼むが、彼は韓国へ仕事に行くために自分の車は売ってしまい、旅行会社と契約してのドライバーになって、仕事を頼んでもあまり喜ばれなくなった。他のドライバーを勝手に送られ、その人も遅刻してきた。ただ、サランコットで日の出のヒマラヤは良く見えたらしい。ホッとした。午後にチェックアウトされた。
 もうお一人のお客さんは引き続き宿泊されている。
 お客さんがお土産にくれた‘こいのぼり’が風に泳いでいる。
2012/5/5 (土)
営業開始836日 日本語教室 宿泊のお客さん

 日本語教室に行く。
 今日カトマンズに戻るお客さんの飛行機のリコンファームを頼まれ、クリシュナが航空会社に電話する。アルファベットのナンバーを書いたメモ紙しかなく、リコンファームがすんなりいかない。チケットを買ったカトマンズの旅行会社に電話し、なんとかなった。
 1人のお客さんは妙法寺に泊まりに行き、そのままチェックアウトされた。
 男性のお客さんが来られた。本当は一昨日ポカラに来るはずだったのが、飛行機が飛ばなくて今日になったそうだ。
 1人のお客さんは引き続き宿泊されている。
 クリシュナの父から電話で、セティ川が溢れ、人がたくさん流されている、川に近い街の方へは行くな、とのことだった。最初、話がどの程度本当なのかわからずに半信半疑だった。が、近所の人に聞くとどうも事実らしい。朝9時過ぎに洪水になり、人が流され、上流からバガルというバスで1時間くらいの町まで死体が流されてきているという。停電中でテレビは見れず、ラジオを聴く。生放送で状況をアナウンスしていた。「タトパニ」で人が流されたというが、それが地名のタトパニなのか、温泉という意味のタトパニなのか、場所がいまいちはっきりしない。カスキ郡ともいうしミャグディ郡ともいう。原因もはっきりしない。近所の人々はマヘンドラプル辺りまでわざわざ観に行っていた。夕方5時に電気が来てネットを見ると、マチャプチャレの雪崩が原因のカスキ郡のセティ川の洪水のようだった。死者、行方不明者が多数出ていた。ガイドブックに出ている「ブルジュン温泉」も被害が出たらしい。ポカラのこの辺りは何も問題ない。でも、とてもショックだった。日本人にとって自然災害は他人事ではない。被害が少ないことを祈ることしかできない。
2012/5/4 (金)
営業開始835日 宿泊のお客さん

 朝7時前にジョムソンに行っていたお客さんが戻られた。天候が良くヒマラヤも見え、飛行機も問題なく飛んだ。ホッとした。トレッキングエリアは天気が良いようだ。
 1人のお客さんは引き続き宿泊されている。食事をうちでとっていただいている。
 もうお1人も引き続き宿泊されている。
 
※※※今日5日、ヒマラヤ・アンナプルナ辺りで大きく雪が解け、河が溢れ、タトパニ方面でたくさんの人が流されて行方不明になっているようだ。ホテルや家、車、1つの村が流されてしまったという情報もある。ポカラのバガルでも河で人が流されているという。警察が大勢出動し、ヘリコプターによる救助も行われているという。まだはっきりとした情報は入っていないが、河の流れは夕方の今現在も勢いが止まっていないという。
2012/5/3 (木)
営業開始834日 宿泊のお客さん

 朝5時前にお客さんがサランコットに日の出を観に行かれた。タクシー運転手はお客さんが4時半をリクエストしたのを知っていながら、15分くらい遅れてきた。結果的に良いタイミングで山が見えたから許していただけたけど、運悪く見えていなかったら・・・。まったくみんな仕事に慣れてくると時間を守らなくなる。お客さんは午後まで観光され空港に向かわれた。雨が降り始めていたが、ちゃんと飛行機は飛んだのだろうか?
 6時半に2人のお客さんに朝食をお出しし、その後空港に向かわれた。7時過ぎにはお1人、11時過ぎにはお1人も空港に向かわれた。5人の方がチェックアウト。短い滞在ながら、天気は良かったのでみなさんヒマラヤを見て帰られた。
 昨日いらしたお客さんは午前中に筋トレなどをされている。
 夕方バイラワ経由でルンビニからお客さんが泊まりにいらした。予約の電話を入れてくださっていたそうだが、うちの電話機の調子が悪く受信できなかった。申し訳ない。うちが悪い。夕方3階からヒマラヤが少し見え、それを見ながら食事をされた。
2012/5/2 (水)
営業開始833日 宿泊のお客さん

 今日は満室だった。
 朝7時半にジョムソンに行くお客さんに朝ごはんをお出しする。その後、空港に向かわれた。
 1人の女性のお客さんは7時前に妙法寺に行かれ、11時頃チェックアウトされた。香港で今日からうちに宿泊予定のお客さんに会ったという。その方宛てにメモを残していかれた。
 9時前お客さんが到着。蒸しパンを食べていただき観光へ。晩御飯もうちで肉じゃがを食べていただいた。
 お二人のお客さんは妙法寺へ行かれた。
 ファンの修理の人がきた。
 トレッキングに行っていたお客さんが戻られた。お客さんは昨年泊まりに来ていただいたお客さんの弟さんだとわかった。「ここが良い、と聞いたんで」と言ってもらった。
 ガイドのディレップさんとゴレパニトレッキングに行っていたお客さんも無事戻られた。ゴレパニ方面はとても天気が良かったようで満足されたようだ。晩御飯もガイドさんと出かけていた。
 女性のお客さんが香港で会ったというお客さんが到着。2年前に「DBモモ」でクリシュナと会いずいぶん話をしたという。こいのぼりと日本のカレンダーをお土産に持ってきてくださった。わくわくしながら、こいのぼりをさっそく飾らせてもらった。良い感じ。 
 私が日本で書いた「ネパールこんなとき何て言う?」を読んで、そのなかで紹介している「チベタンキッチン」に行きたいのだが場所を教えて欲しい、という方が訪ねていらした。残念ながらチベタンキッチンはなくなってしまった。その旨お伝えする