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ブハリ日記(ブハリとは末の嫁)の意味

2012/9/1 (土)
営業開始955日

 朝7時過ぎ日本語教室に行く。5年生は奈良の法隆寺、薬師寺の再建についての話。歴史的背景がわからないと先に進めないので、歴史のまんが本を読んでもらうことにした。
 そのままツーリズムボードの「日本・ネパール児童画交流展」の会場に行く。展示作業を手伝い、昼に開場。親が刑務所に入っている子どもの施設の子達や、毎回出品している天才少年シャム・ライ君などが来た。施設の子どもの絵が巧くなっているのに感心した。
2012/8/31(金)
営業開始954日 宿泊のお客さん

坂さんたちは、親が刑務所に入っている子どもの施設に行く。タクシーはニルマルさんを呼ぶ。ドライバーのニルマルさんも子どもと一緒に遊んだそうだ。子どもたちはジャンケンをやっていたそうで、こっちでは「シーザー(はさみ)」「ペーパー(紙)」「ストーン(石)」というのだそうだ。
 夕方展示の準備作業をする。
2012/8/30(木)
営業開始953日

カトマンズの人に言わせれば、「バンダだけど、ツーリストバスは動くから大丈夫」という。7時に坂さん、Kさんがオムタラゲストハウスに訪ねてくれて、朝ごはんを食べる。そこでも「ツーリストバスが動くから、移動は予定通り明日で問題なさそうだ」と話す。
ところがその後、ポカラの「ロンリー」の社長に電話をかけて様子を聞くと、「バンダで移動は無理だから、今日のうちに来てしまったほうがいい」という。Mさんの調べてくれた様子でも、同じだった。そこでまた急遽「移動は今日」ということになった。明日借りる予定だったバンを、Mさんが今日の午後に変更してくれた。
9時半ころ全員タクシーでパタン美術館に向かう。パタンは市に入るのに外国人観光客は1人500ルピーとられるが、私はネパール人の配偶者ということを口頭で伝えただけで無料だった。
パタン美術館に坂さんの版画をメインに展示作業をする。坂さんの詩の言葉をネパール語に直す作業に少し頭を悩ます。13時ころ作業が終わり、受付の女性に後を頼んで美術館を後にする。
タメルの「ムスタン タカリチュロ」で昼食を食べ、15時にバンでカトマンズを出発する。
車は6時間半でポカラに到着した。ところが、もう日が暮れたころ、その道中で「バンダ中止」の連絡が入る。ストライキはなくなった。なんだよぉ。。こんなにバタバタと移動してきたのに。翻弄されるなあ。
ポカラに着いたのは夜9時半過ぎ。顔なじみの「DB MOMO」に閉店間際なのを何とか聞いてもらって、坂さんたちに食べ始めてもらい、私とクリシュナは我が家「空ゲストハウス」に戻る。ガレージで、見張り番のバジが小さく蚊帳を張って仮寝する場所を作って、番をしていてくれた。これからお客さんが来るのだというと、急いでその蚊帳などを片付け箒で掃いてくれた。細かなことを言わなくてもわかってくれる。
私とクリシュナは大急ぎで部屋の掃除とベッドメイクを済ませ、坂さんたちがいる「DB MOMO」へ向かった。
2012/8/29(水)
営業開始952日

朝8時40分ジェットエア、デリー行きに乗る。インドの空港が雨だったためか若干到着が遅れた。12時50分ジェットエア、カトマンズ行きに乗り換え。定刻どおり、カトマンズに14時半ころ着。
ネパールに降りると、日本より涼しい〜。16時ころタメルのオムタラゲストハウスに着。着く早々にポカラのMさんから電話がかかる。私たちは明日坂さんたちと合流し、パタン美術館の坂さんの個展の準備をし、明後日ポカラに移動の予定だった。それが「明後日はポカラがバンダ(ストライキ)で移動は無理かも」という。31,1日とバンダだから、ポカラに移るなら、明日出るしかない。その旨を書き、坂さんが宿泊予定の宿にメモを残してきた。
2012/8/28 (火)
営業開始951日 日本発

午後1時家を出る。京成線で成田に向かう。
18時発バンコク行きJALにチェックインする。このカウンターでマイレージを登録しようとして問題発生。私のは問題なくできた。ところがクリシュナのカードができない。チケットナンバーとカードではミドルネームの有る無しが異なるから、という。これまで普通に使えていたのに。カウンターの女性はテレフォンサービスに聞いてくれ、という。そのカウンターの近くに「マイレージ入会キャンペーン」のブースがあったので、そこでも聞いてみる。そこの人は私たちに同情してくれて、「今まで使えていたのが使えないのはこちらのミスだから」といって、新規に作り直し、そこでこれからのバンコク行きの分を登録してくれた。日本に来た際の分は、クリシュナがカードを持っていなかったために登録できていなかったが、これもテレフォンサービスで掛け合えば登録が可能かもしれない、という。そこでテレフォンサービスにかけるが、これが40秒ごとに10円かかるやつで、しかもいつまでも待たされた。やっとオペレーターが出て事情を話すと、「新しいのを作り直すと二重登録になる。新しく作るというのはブースの人間のまちがい」といった。あまりに腹が立ったので、ブースに戻る。もうどうでもよくなったが、そこの人は再び同情してくれた。会社の電話でテレフォンサービスにかけてくれたが、さきほどと同じことを繰り返すのみ。ただ、クリシュナの旧カードのほうはもう何年も使っていなくてマイレージが0なので、新規に作り直しても問題ない、とのことになり、来た際のマイルはネットで登録するということになった。入会を勧誘しておきながら、会社の不利益は避けたい、という。まちがっている。
成田で不愉快な思いをしたが、バンコクまでの機内食はサービスが良かった。デザートにハーゲンダッツのアイス、夕飯のほか着陸前には菓子パンもくれた。まあ、いいか、と思った。
機内で映画「岳」を見た。残念なことにクライマックスで着陸態勢に入ってしまった。続きは次回日本で見たい。登山者の遭難とか怪我とか、他人事ではない。
タイの空港で、また約10時間待ち。4階はクーラーが冷えるが3階はそうでもないことがわかった。
2012/8/27 (月)
営業開始950日 日本

ネパールに戻る準備を始める。餅、エプロン、柿の種など、買って帰りたい物を買う。100円ショップが便利だ。日本は100均が充実しているから助かる。ネパールで同じような物を買えば、もっと高い。
夕方銭湯に行く。一緒に湯船に浸かっていると話かけられる。「熱かったら水出すのよ、おばちゃんなんてこんなに水出してんの。大丈夫?」「お風呂に入ってんのに蚊に刺されちゃって・・。あたしがまたよく刺さされんの」。脱衣所で「すいません」と言われたので、何かと思ったら蚊に刺されたところにキンカンを塗ってほしい、と言う。私も刺されましたよ、とあいづちを打ったら「そお? じゃあ使う?」とキンカンを差し出された。下町人情は残ってるんだな。ネパールのおばさんとおんなじだ。
2012/8/26 (日)
営業開始949日 日本

納骨。上野のお寺に行く。お寺が450年前の創建で、関東大震災や大空襲で被災した話などを住職に聞く。お寺で飼っている烏骨鶏がインド産の鳥だということも話されていた。暑い1日で寺内の蝉の声が耳に残った。
2012/8/25 (土)
営業開始948日 日本

司馬遼太郎『坂の上の雲』を読み終える。明治の、日本が開国して数10年の頃の日露戦争がテーマ。まだ武士の精神が生き、不平等条約などにより欧米諸国に軽視され、ロシアに「猿 ヤポンスキー」と呼ばれていた日本。満州や日本海を戦場に、これほど多くの人が死んだのか、と思わされる。
戦争とは言え、国際法を遵守し、敵に「武士の情け」をおくる日本人はけなげに思え、それが救いだ。何のためにこんな戦争をしたのだろう、と思えるが、さらにこの後、軍を神格化し第二次世界大戦へと突き進んでいく日本の歴史の特異性を痛感する。
 瀬戸内寂聴『烈しい生と美しい死を』も読み終える。最近出たばかりの新刊だ。明治44年に平塚らいてうが創刊した女性のための雑誌『青鞜』を巡る人々の話。こちらも過激で壮絶だ。優秀な人々が輩出され、その人々の犠牲の上で、今日の日本がある。
2012/8/24 (金)
営業開始947日 日本

使い捨てコンタクトレンズと地ビールキットを買いに池袋に行く。人の多い池袋の地下街に少し疲れる。コンタクトレンズは買えた。ポカラでも買うことはできるみたいだが、安定的に入手できるかわからないので、こちらでまとめて買っていくようにしている。
地ビールキットを買いに東急ハンズに行くが、今はバーゲンセール中でセール品以外は売っていないという。普段なら売っているらしいが。なんてツイてないんだろう! でもまあお金を使うなってことか、どうしても必要なものってワケでもないし。ビール作りはネパールでどうやってるのか、そこから調べることにしよう。
2012/8/23 (木)
営業開始946日 日本

読書する。そろそろネパールに戻り、仕事のことを考えるようになる。ネパールは、私にとって「仕事の場所」という感覚になってきている。
クリシュナは近所のネパール料理店に遊びに行く。まかないをタダで食べさせてもらっちゃった、と言っていた。
暑い。テレビでは高温注意報というのを流している。ネパールも暑いけど、暑いのがキケン、という感じはない。家の中に居ても汗が出て、雨が降らない、暑さがつらい、というのは今の日本だなあ、と思う。
2012/8/22 (水)
営業開始945日 日本

キリンビールの生麦工場に工場見学に行く。夏休みのためだろう、家族連れ、夫婦、学生の団体などで賑わっていた。ひととおり製造過程を説明して、案内してくれる。最後はビールの試飲ができる。今の時期だけ、一番絞りフローズンというのを飲むことができた。無料で、おつまみつきで3杯もビールが飲めるなんて感激! 
先日、ある方と話したときに、ポカラの宿で地ビールを作ったらどうか、という話で盛り上がった。とりあえずハンズとかで売っている地ビールキットを買っていくことにした。クリシュナはビールの製造工程を知らないというので、ビール工場見学をしてみた。1分間に瓶ビールが600本、缶ビールが2000本注入されて蓋をされる、という話に驚いていた。ネパールにもビールはあるが、行けば工場を見学させてくれるんだろうか?

 ネパールの日本大使館からの在住者へのお知らせメールで、23日はポカラの空港が終日閉鎖との情報がある、と知る。ポカラの国際空港建設がなかなか進まないことへの抗議だそうだ。31日以降も抗議活動の可能性があるという。確かに国際空港はできてほしいけど・・・。
2012/8/21 (火)
営業開始944日 日本

坂さんの「日本・ネパール児童画展」の日程に関して、ポカラのMさんからメールが来る。少し仕事モードになる。
私は読書にいそしんでいる。ネパールでは日本の活字に触れることが少ないので、図書館を利用して好きな本がいくらでも読める。大変幸せなことと思う。
クリシュナはじゃっかん時間を持て余している。次回の帰国時はバイトをする気でいる。
2012/8/20 (月)
営業開始943日 日本

ポカラでクレジットカードで買った航空券。8月16日に引き落としとレシートにあるが、引き落とされていない。知り合いのところで買ったものだし、すでに航空券は手元にあるので妙な心配はないが、引き落としが遅れ利子とかが着いてしまったらやだな、と不安になり銀行に行く。銀行の人は、カードを作る際にはクレジット機能付を勧めるくせに、こういうことで訪ねると「それはクレジット会社に連絡してください」という。
クレジット会社に電話すると長々と待たされ、暗証番号が識別できないとアナウンスされ、結局オペレーターにつながれる。確認すると、引き落としは9月5日だという。オペレーターはさっさと電話を切りたがって、暗証番号が識別できない理由も、引き落とし日がレシートと違う理由も教えないまま切った。銀行の受付も、クレジットのオペレーターもパートタイマーで、会社に対しての大きな責任を持たされていないのだろうが、なんか今の日本の会社は心がないな、と思う。リスクを相手に持たせようとする。
ただよかったのは、円高。ポカラで買った額は2人分で19万数千ルピーだったが、日本の銀行で引き落とされる額は17万数千円だった。当初カードで買ったために手数料がかかりソンした、と思ったが、ネパールの街の両替屋で替えると10円=10ルピーくらい。ほぼ同じ額が日本円でも引き落とされると思っていたから、2万円くらいトクした気分。
2012/8/19 (日)
営業開始942日 日本

妹と母親が野球観戦に行き、留守番をする。クリシュナが愛犬のレオを散歩させにいく。クリシュナは、レオに「フリーダムにさせる」と言って、首輪をひっぱらないようにつなを持つ手を高めに掲げ、つなを緩めて持ち、レオの速度で歩く。走りたいときは走り、行きたい方向に自由に行かせる。ユニークな散歩のさせ方だなと思う。
ネパールでは犬を飼うとしたらだいたい番犬が目的で、庭に自由にさせていて、ひもにつないでいないことが多い。首輪をして散歩させている人もあまりいない。クリシュナは、日本で散歩中のフンを始末したり、お尻をウェットティッシュで拭ったりするのを見て、最初のうち少し驚いていた。
2012/8/18 (土)
営業開始941日 日本 児童画展

横浜で友達に会う。中華街でお昼を食べる。お店の客引きが「麺類は500円」と言っていたが、実際会計の段では630円だった。ネパールで、こういうケースに妙に慣れてしまったのか、まあそんなもんか、と思ってそのまま払ってしまった。山下公園や赤レンガ倉庫あたりをぶらぶらし、横浜駅でお茶をした。浜の風がときおり涼しかった。横浜の風情も良い。各地でイベントをやっていて、日本はお金をかけずに楽しめる機会や場所があっていいな、と思った。
横浜駅周辺で、クリシュナがかつての仕事仲間2人に会う。
6時半にヨドバシカメラの前で待ち合わせをし、坂さんに会う。作業をした児童画展の子供の絵を渡す。ネパールに着いてからのスケジュールの話になる。29日にカトマンズに着き、30日にパタン美術館で展示を始めるそうだ。私とクリシュナは30日にポカラに戻る予定だったが、坂さんが「30日はパタンで手伝ってくれ」、と言うので、もう1日カトマンズに泊まることになった。そおすると、31日に坂さんたちがうちに宿泊する客室の掃除を、私たちも31日に帰り31日にすることになるが、間に合うのだろうか? まあ、なんとかなるだろう。
2012/8/17 (金)
営業開始940日 日本

猛暑。外に出ると危険な気がする。本を読んで過ごす。
クリシュナはかつての職場に出かけていく。もしも来年、シーズンオフに一時帰国したらアルバイトをさせてもらえるか、話をしてきた。
2012/8/16 (木)
営業開始939日 日本 児童画展

不動産の登記書き換えというのをやらねばならず、法務局に行く。除住民票というのが足りてないとかで、区民事務所にも行くが、同じ世帯の者でないとれないとか、なんとか言われ、ほぼ1日仕事。この区民事務所では、来所者がとる番号札の機械のところに「受付申請書を書き終わる前に番号を呼ばれた場合は、申請書を書き終わってから再度番号札を取り直してください」という旨のことが書いてあった。申請書を書くとか番号を呼ばれる順番やスピードなど、向こうの都合だろう。一方的な言い分だ。戸籍や住民票、印鑑登録など、よくわかんないいろんな書類が要ると言われるが、これらだってもらうのにいちいち金がかかるんだもの。役所の人はねぎらうように「2回の来所で済めば早いほうですよ」と言った。さらに、もしも今ネパールにいたとしたら、これらの手続きをカトマンズの日本大使館を通じてやらないといけないらしい。不可能だ。ありえない。

坂さんに頼まれた子どもの絵の名前、タイトル付けの作業をする。クリシュナは深〜く考えずに、タイトルを決めていってしまうので、サクサクと、案外早く作業が終わった。あとは坂さんと相談だ。
2012/8/15 (水)
営業開始938日

坂さんから宅急便で「日本・ネパール児童画展」の絵が届く。この絵の題名や作者名をネパール語、日本語に翻訳する。さて、どうやって作業しようか。
ライブシネマに行く。すぐ近所の映画館で観れた。よかった。
役所に、戸籍謄本などを取りにいく。必要な書類をぜんぶそろえるのに手間のかかること。
2012/8/14 (火)
営業開始937日

宿の問い合わせのメールが来る。久々に仕事モードになる。やはりポカラの仕事も大いに魅力的だと思う。
今日は雨、曇りだった。それでも蒸し暑い。日がな読書をする。
2012/8/13 (月)
営業開始936日

12時に友人と会う。わざわざ会いに来てくれた。
友人たちと、1年中ネパールにいなくてもいいかもしれない、という話をする。6月から8月までは雨季でヒマラヤも見えづらく、バス、飛行機の交通手段も滞りがちで、カトマンズはともかくポカラには観光客はほとんどいない。閉めていたり改装している店なども多く、私たちがこの時期閉めていたとしても、それほど違和感はないと思う。日本人は夏休みがあるので、その時期に来てくれたお客さんもこれまで多少いたが。もっとも日本の景気も良くはないし、航空運賃が高いので、それがネックだけど。。何かもっと有意義に過ごせないものか?
2012/8/12 (日)
営業開始935日

池袋で友人と会う。お茶をし、葬儀でのことなどを話す。
たまたまだが、この日、池袋西武で障害者の美術展というのをやっていた。そこに昨年ポカラに来てくださったじゅんさんが絵を出展しており、それを絵の師である坂さんが観に来るとのことだった。美術展を私や友人も観て、その後坂さんと食事をしながらお話する。
坂さんはこの31日にまたネパールに来て、パタン美術館での展覧会とポカラでの日本・ネパール児童画交流展を主宰されるとのことだった。私とクリシュナも坂さんのこのイベントの時期に合わせてネパールへの帰国を決めている。よく話を聞くと、坂さんたちのフライトも私たちと同じ28日で、坂さんたちの方が1日早くネパールに着くらしい。29日からうちの宿に泊まってくれるつもりだったというが、えっ?私たちまだ29日はカトマンズに着いたばかり。29日の宿の手配はどうとでもなるだろうが、うちでやるつもりだったという展示の準備はどうするんだろう? それで、日本にいる間に日本側の絵のタイトルづけなどの作業はやることになった。客室の準備は間に合うんだろうか?といううちもうちだけど。
同席していた私の友人が「日本にいる間も忙しいんだね」と言っていた。
2012/8/11 (土)
営業開始934日

朝、陽が出ていたので洗濯物を干していたら、突然の豪雨となった。最初、大型車が通る物音かと思った。しばらく耳を澄まし、それが激しい雨の音と気づいた。さっきまで気温が高かったと思ったら、急な豪雨。道に水がたまって流れていく。ポカラのような雨の降り方だ。あわてて洗濯物を取り込んだが、こんな熱帯地方のような雨の降り方は前からあっただろうか。雨はしばらくして止んだが、また激しく降り出した。夕方には止んであの大雨の後にも関わらず、道はきれいに乾いていた。こういうところが、さすがにネパールとは違うところだ。
2012/8/10 (金)
営業開始933日

火災保険会社の人が来て、契約更新や登記変更などの話をしていく。
読書、オリンピック鑑賞をしている。女子のサッカーは負けたけど、良い試合だった。
夕方近所の新しくなった銭湯に行く。施設がきれいで、牛乳風呂や露天風呂もある。風呂上りに生ビールが飲めるようになっている。70歳以上だと100円で入浴できるそうだ(地域住民だけかな? 普通は450円)。風呂から出て、脱衣所で濡れた手ぬぐいを絞っていると、「絞ってあげる。やりかたがあんのよ」と言って、そばにいた人が私の手ぬぐいを絞ってくれた。
2012/8/9 (木)
営業開始932日

商店街に買い物に行ってみる。食べ物の匂いがし、活気があっていい。物の値段が安く感じる。ポカラで食品や衣料品を買うほうが高い気がするのだ。収入に対しての物価がネパールは高く、品数豊富、デフレの日本は割安に思える。
2012/8/8 (水)
営業開始931日

役所や年金事務所に手続きに行く。役所の対応は丁重だったが、年金事務所はいまひとつ親切心にかけていた。そこに着いたのが正午過ぎで、まず相談受付の紙を渡され「この辺書いといて」と言われた。年金対象者のことなのか、相談に来た者のことなのかよくわからない。そして、おそらく昼休憩だったのだろう午後1時になってようやく窓口に人が来たが、私たちの順番よりもほかの後の番号を先に呼ばれた。おかしい、と思って受け付けあたりにやたらと何人もいる男性に聞くと「ちょっと待って、いま確認するから」と言う。結局間違いだったが謝るでもない。窓口の女性は、父親が入っていた老人ホームにどれくらいの割合で何をしに訪ねていたか、紙に書くように言い、最初に私が書くと「それじゃ足りないから、もう少し書いて」と言った。何をしに訪ねていたって、見舞いや日用品の補充以外、何があるんだろ? そして誰が、そんなくだらない理由をいちいち読むんだろ? こっちの身元を疑ってんだか知らないが、こっちが払っていた年金だぞ。
オリンピック、日本では主に決勝戦が深夜になる。見たいのだが、どうしても起きていられない。眠い。今頃になって疲れがでてきたのだろうか。
2012/8/7 (火)
営業開始930日

クリシュナは品川の入国管理局に再入国手続きと在留カードの発行手続きに行く。7月の上旬に制度が変わり、日本人と結婚して永住権を持っているクリシュナは再入国の期限が3年から5年までに延長された。在留カードは1ヶ月後くらいに自宅に郵送されてくるそうだ。
2012/8/6 (月)
営業開始929日

クリシュナは風邪をひいて寝ている。
今日はかなり雨が降っている。
オリンピックを見て過ごす。葬儀屋の人が会計に来る。親戚のおばさんの家に行く。
2012/8/5 (日)
営業開始928日

日本は暑い。よく最近の日本は東南アジアのように暑い、と言われるが、確かにポカラより東京の方が暑く感じる。ポカラは太陽が出ていないときや日陰は涼しい。ここは夜中でも雨が降っていても暑い。
ポカラからじゃがいもを持ってきた。飛行機で果物はいけないらしいが、野菜はだめとは聞かなかった(おそらく)。それで母親が肉じゃがをつくった。おいしかった。ほかに豆も持ってきた。豆類は日本では高いので、良いお土産と思うが、どうだろう。
2012/8/4 (土)
営業開始927日

朝9時半葬儀のため再びホールへ向かう。お坊さんが来て初七日の分の経まであげてもらった。お経はネパール語のような言葉がいくつかあった。戒名に「峰」の字があった。お坊さんによれば、ネパールのヒマラヤも少しイメージしてくれたらしい。火葬場に向かう車でお坊さんと、ネパールやインド、スリランカの仏教の話などをした。お坊さんはスリランカには行ったことがあるが、インドやネパールはまだないとのことだった。
火葬する。50分の待ち時間だけだった。骨はしっかり残っていた。のどぼとけがこんなにきれいに残っているのは珍しい、とのことだった。これもよかった。
またホールに戻って会席料理を食べる。クリシュナがけっこう親戚の人としゃべっていた。すべて予定通り葬儀が終わり、みなさんを見送って16時ころ家に戻ってきた。
基本的には老衰で、大きな痛みを伴って亡くなったわけでもなかったので、出棺のとき以外は涙もなく、湿っぽくならなかった。ほっとした。父親も喜んでくれてるだろう。
夜、家族だけで話をし、ようやく息をひきとったときの様子や、葬儀にお金がかかったなどのことを聞く。
びっくりしたが、今は消防法などの問題があって、夜9時以降ホールでは線香がつけられないそうだ。一晩中寝ないで仏様のそばにいるものかと思ったが、それもなく、ガードマンがついていた。ネパールでは13日間寝ないで夜を過ごし、食事の制限もある。クリシュナが驚いていた。
2012/8/3 (金)
営業開始926日

朝5時ころ朝食が出る。クロワッサン、オムレツ、ソーセージ、生野菜、ジャガイモ、マッシュルーム、生クリームのようなヨーグルト。ジェットエアの機内食に比べて、私の口に合わない。日本よりネパール、インドの味に慣れてしまったのだろうか。
飛行機は朝7時半ころ成田着。
11時前に自宅に到着。すでに家から父親は葬儀のホールに運ばれていた。妹によれば、「おくりびと」みたいな感じで、体を洗ってもらい、きれいに化粧したり着替えさせてもらったとのことだった。
母親も妹も通夜に向かうための準備でバタバタしていた。クリシュナは黒いスーツを持っていないので、あわててシャツとズボンだけを買いに行った。靴やネクタイは父親か親戚の物があった。クリシュナは式だけ出て先に帰るか、などと考えていたが、母親はクリシュナに受付を頼もうかまで言っていて、とにかく忙しかった。夕べ寝てもいなかったが、眠いと言ってる暇もなかった。
4時半ころタクシーでホールに向かう。
このホールのセレモニー会社がすべて段どっていた。にこやかに迎えられるのは、なんだか違和感がないでもなかった。祭壇もすべて用意できていて、進行担当者と会って簡単に打ち合わせした。父親の顔が苦しそうだったらつらいな、と思っていたが、実にきれいな寝顔のようだったので、よかったなと思った。
父親方の親戚、母親方の親戚、近所の人、妹の会社の人、友人が参列してくれた。お坊さんに経をあげてもらい、予定通り式は終了した。
2012/8/2 (木)
営業開始925日

朝4時半ころ起きる。前回、空港で韓国への出稼ぎの団体と一緒になり、クリシュナが飛行機に乗るのにギリギリになった。それを教訓に今日は朝6時前に空港に着いた。空港は朝6時に入り口が開くことがわかった。今日は空港は空いていた。難なく、ゲートまで行くことができた。
飛行機の経路は6月とまったく同じ。航空会社もまったく同じ。料金は往復半年有効で9万2000ルピー。カトマンズからデリー、デリーからバンコクまでがジェットエア、バンコクから成田がJAL。ジェットエアはデリーまでわずか1時間10分の飛行なのに、ドリンクも食事もついている。エライ。この便は混んでいた。インドに入る飛行機のチェックは非常に厳しい。空港内で荷物とボディチェックがあるが、搭乗前の飛行機に入る階段のところでもすべての手荷物、ボディチェックがあった。便は予定通り9時半発、発着した。飛行機の窓からヒマラヤがきれいに見えた。
デリーの空港もついこの間来たばかりなので、すべて勝手がわかっている。12時15分発、この飛行機は空いていた。イタリア人の若い男性のグループとか、西洋人が多かった。この飛行機も予定通り4時間ちょっとでバンコクに着いた。
デリーの空港は適温だが、バンコクの空港はクーラーが効きすぎて寒い。これも、前回つくづく学んだ。でも、深夜じゃないとそう寒くもないこと、3階よりも2階の方が少し冷えないことがわかった。待ち時間が5時間あったので、無料のネットなどをしたり、空港の隅から隅まで歩いて時間をつぶした。
ジェットエアはゲートが開くのが早かったが、JALは遅かった。11時10分ころバンコク発。機内サービスはドリンクとお茶菓子が出て、消灯。
2012/8/1 (水)
営業開始924日

 朝4時ころ起き、おにぎりを作り、戸締りなどをする。玄関に「事情があり一時帰国します。8月31日営業開始します。申し訳有りません」と書いた紙を貼る。7時、ロンリーの社長が車でバスパークまで送ってくれた。
天気は小雨。バスパークに人はあまりいなかった。完全なシーズンオフだ。びっくりしたのはバスパークのトイレが、中国式で隣との敷居なしドアなしの、ただコンクリートを浅く凹ませただけのものが4個並んでいる形になっていたこと。あとで気がついたら前の古いトイレも残っていたが、それにしてもトイレを中国人観光客のためだけに造りなおすとは!
バスは小雨の中、カトマンズに向かって走る。乗客は6月よりもさらに少なく半分ほどしか席が埋まっていなかった。途中の道は、新緑が青々と美しく、川の水かさが大きく増していた。ネパールの自然の美しさは、本当に人のココロを癒すな、と思う。
カトマンズに着いたら、雨は上がっていた。定宿の「オムタラ」に行く。夜は6時に晩御飯をルームサービスで済ませ、8時前に寝た。
2012/7/31 (火)
営業開始923日

朝4時59分日本の妹から携帯に電話が入る。折り返すと、父親がさきほど亡くなったという知らせだった。病院に長いこと入っていたので、ショックはあまりなかったが、思っていたよりは急だった。母や妹も、ほとんど動揺はなかった。
7時になって、知り合いの旅行会社のジャビさんに連絡を取り、早急に日本までの航空券の手配をしてもらう。クリシュナもともに帰国するか、少し迷ったが、外国人登録の切り替え手続きもあり、こういうときにこそ帰るべき、と考え2人分のチケットを用意することにした。
ジャビさんもなるべく早くそして安い航空券を探してくれたが、6月時よりは夏休みのためか1万7000円ほど高くなっていた。7月5日にネパールに戻ったばかりだが、まったく同じチケット、経路で明後日帰国することになった。カードで決済したら、手数料が7000ルピーもかかり、これはちょっとがっかりした。
チケットは半年有効とのことだった。どれくらい滞在するか迷ったが、とりあえず3週間後の復路ということにした。変更は効く。
見張り役のバジにまた同じ仕事を頼むことにした。バジ夫妻は「いつ亡くなった?」とか「(私が)泣いてた?」などとクリシュナに尋ねてくれたらしい。向かいのロンリーの社長も同情してくれた。日本人のお客さんがうちを訪ねてきてくださったが、事情を話して理解していただいた。
知り合いのマネーチェンジャーに頼み、ルピーをドルや円に換えてもらう。
 日本に、航空券の手配ができ、明後日出て明々後日日本に着くと伝える。「それならちょうどいい、3日が通夜で4日が葬儀に決まったとのことだった。
2012/7/30 (月)
営業開始922日

ポカラの郊外に、将来新たな観光地となりうる場所はないものか? そんなことを考えるうち、クリシュナがかつて住んでいたボブマラを思い当たる。この村出身の知人がレイクサイドでスーパーをやっており、最近はこのボブマラまでバスが走るようになったと聞く。ポカラからバスで1時間足らずという。おお、それならピクニックをかねて、1度訪ねてみてもいい。珍しくクリシュナが「今日行こう」と言う。あまり観光をしたがらないクリシュナが珍しいなと思った。確かに今はシーズンオフで時間もあるからいいかもしれない。
11時50分ころうちを出る。プリティビチョークまで行き、ボブマラ行きのバスに乗る。12時10分くらい。バスは空席がいくつかある程度の混み具合だった。右折し、小さな長屋のような家が集まったところを抜け、空港の裏側を走り、ビロウタチョークの内側を行く。さらに山岳博物館の前も通った。こんなところを走るバスもあるんだなと思う。そのまま白い川沿いを行き、すごい急坂を降り、1つの橋を渡る。セティリバーともう1つの川が入り混じる辺り、丘を登っていく。この道、帰りのバスの時間も抑えておかないと帰れないな、と思う。12時50分ころボブマラに到着。バスはさらに続くラムカディまでの道を走っていった。意外なことにこのバスは頻繁に走っていた。午後6時ころまではあるという。
ボブマラは、クリシュナのお母さんがかつてこつこつお金を貯めて、土地を買ったのだそうだ。バス停のところにクリシュナが通った公立学校があり、その学校の斜め向かいが家だった。ここでサモサなどを売る小さな店をやっていたらしい。こことは別にお母さんが買った土地があり、今のうちと同じくらいの広さで当時1万2000ルピーだったそうだ。結局お父さんがこの土地を気に入らず、ここを売って別のところに移ったという。
静かな村だった。村といっても、一応商店は数軒あった。今日は天気が悪かったが、クリシュナによればヒマラヤは一望できるらしい。クリシュナの同級生の家があり、そこを訪ねる。友達は不在だったが奥さんに連絡先を聞く。
バスで登ってきた側と反対側に丘を下る。ずっと向こうにカトマンズ・ポカラを結ぶプリティビハイウェイが見える。あそこまで地元の人の足で20分という。丘の上辺りより、この丘を下った辺りがよかった。広い野原に牛がいる。向こう側にはヒマラヤが連なっている、はずだ。ちょっと行くと、セティリバーが濁流となっており、水の音が大きくなっていた。近い将来ここもハイウェイから道がつながるそうだ。川に橋をかける工事をしていた。まだ橋はできていない。手すりはあるが、足元は鉄の板が渡されているだけで、何十メートルも下に川が流れている。工事の人は渡っていいというが、けっこう怖かった。クリシュナは相当ビビッていた。工事の人はこの足元のない鉄板の上で溶接工事をしていた。
ここを超えると少し商店がある。1時間くらい田んぼや村の中を歩いて、ようやくプリティビハイウェイに出る。ここでプリティビチョークまでのバスに乗った。頭がくらくらするくらい暑かった。
夕方うちに戻ってくる。近所で、人が突然亡くなり、警察が来て騒ぎになっているという。家を造る仕事をする若い男性で、身寄りがないそうだ。仕事を一休みしに大きな木の下の木陰に来て、サンダルを脱いで、横になろうとして、そのまま亡くなったそうだ。周りに群がってきた人々は「苦しみのない良い死に方だけど、若すぎるね」と言っていたそうだ。
2012/7/29 (日)
営業開始921日

「明後日来てください」と言われたので、印刷会社シバサンカールプレスに行くが、当の社長が数日外出中。修正の希望と追加する写真をスタッフに渡すだけで帰ってきた。
「ウーマンズスキル」に行き、予約していたスリッパを買ってくる。
あーあ、スリッパも買い、3階に飾るボードができたら、正々堂々営業開始!の算段だったのに、そおもいかないか。
ネットでオリンピックの経過を見る。柔道で判定がくつがえるというのは、こんなこともあるのかなあ、と思った。
2012/7/28 (土)
営業開始920日

日本語教室に行く。子どもが多くてなかなか活況だ。5年生の男の子たちは毎週漢字の復習テストを課しているが、10問中パーフェクトということはまずなく、よくて半分くらいの出来。ただ新しいことを習いたい好奇心はあるようだ。出来なくてもどんどん先に進むべきなのか、上級になるとそれなりに考えるところもある。
夜、ネットでオリンピックの情報を得る。ネパールではテレビの中継はやっていない。選手団は送られており、新聞では報じられている。見たいときに日本選手の試合が映像で見れない。こういうところはつまらないな。仕方ないけど。
2012/7/27 (金)
営業開始919日

大雨で水道管が壊れ、飲料水が滞っていたが、今週には復旧した。先日までは泥水が流れてきたり、水そのものが来なかったりしたが、きれいな水がたっぷり来るようになった。警察や軍隊が懸命な復旧作業に努めたという。この復旧は意外に早かったような気がする。ネパールのことだから、もっと長いこと、復旧されないのかと思ったが、さすがに水はないと困るのだろう。早く直ってくれて本当に助かった。
印刷会社「シバサンカールプレス」に3階に飾るボードを頼みに行く。この際、昨年できた私の日本語の本も持っていった。日本語の本は、クリシュナはすでに持っていったと言ったが、まだ持っていってなかった。あれだけ作業に尽力してもらいながら、見本誌を持っていっていなかったなんて、申し訳ない。本を渡すと社長さんは嬉しそうに中を見て、「ありがとう」と言ってくれた。喜んでくれた。
ボードの相談をする。社長さんはMACで自ら作業してサンプルを作ってくれた。明後日までにそのサンプルを叩き台に検討してくる、ということになった。
「ウーマンズスキル」にスリッパを見に行く。スリッパは棚の中にあって、それを自分で探し出した。天然素材のものと、化学繊維のものがあって、化学繊維のものの方が安いという。品質はそんなに変わらないというので、リーズナブルな化学繊維のほうを買うことにした。在庫がそろっていないのか、同じサイズがあまり見つからない。時間をかけてようやく見つけ出したが、値段を見ると天然素材のほうが安い。どういうことか聞くと、天然素材のほうはずいぶん前に作ったものだから価格が以前のままなのだという。その安い以前の価格で売ってくれるというので、じゃあ天然素材のほうをということにした。いまいちよくわからなかったが、計2772ルピー。
2012/7/26 (木)
営業開始918日

 朝ゴミの収集が来た。やっと来た。「そんなにたくさんは持っていけないよ」と言われたら言い返してやろうと思ったが、他からも文句を言われているのだろう、何も言わずに全部持っていってくれた。すっきりした。
 3階に飾る絵。パソコンで写真を探してラフデザインしてみた。とりあえず印刷会社に頼んで、コンピュータでデザインしてビニールに印刷することにした。もっと良い案や飾れる絵が見つかったらそれに取り替えることにする。「Welcome Sora」の文字も入れておいて、
3階に不要になったら表に飾るボードにしてもいい。近所の看板を作る店の人には6000ルピーと言われたが、ちょっとそれは高い気がする。なじみの印刷会社「シバサンカールプレス」に聞くと2500ルピーだった。やっぱり。近所の店はアートを造るのと勘違いしたか? でもシバサンカールのデザイン力は高いので、恐らく遜色ないだろう。明日打ち合わせに行くことになった。
 晩御飯は、さといもの葉っぱと茎を煮るのと、またあのラジュマ(うずら豆)の美味しいタンドリーチキンの店でテイクアウトした。さすがにこの店も10、20ルピー値上げをしていたが、「前から来てもらってるので、以前と同じ値段でいいよ」とご主人が言い、100ルピー以上も割引してくれた。今の日本ではできないね、こういうこと。ご夫婦2人でやっている地元の人向けの小さな食堂。コツコツと働き、他人と分かち合う気持ち。ネパールに来てだまされただの何だの言う外国人は、たまたまそういう人と遭ったというだけだ。
2012/7/25 (水)
営業開始917日

 今日も雨、曇り。ゴミの収集も来ない。
 今日日本を発ちネパールに来る予定だった知人の方からメールで、身内の方が今日突然病院に運ばれたとのこと。ネパール行きは断念、という。一緒に村に行く計画だったので残念だが仕方がない。回復されて、早い訪ネパールを願うのみ。
 3階に描きたい絵。写真もいいか、とネットや自分の写真を見ながらいろいろと考えてみる。桜、蓮などの花、ヒマラヤ、ネパールの子どもたちなど、大きいスペースだけに悩む。自分が撮ったネパールの子どもの写真がいいが、拡大して耐えられるクオリティか? MACでの作業だから、補修は効くだろうが。でもなあ、しょせんビニールに印刷ではちゃっちくなりそうだなあ。お金を出せば、ネパールにも良い絵を描く人はたくさんいる。ずいぶん前ドゥリケルの宿で絵を売っている人に会った。優しい穏やかな表情の神様の絵だった。ああいうのが良い。ポカラからドゥリケル、遠いな。費用もかかるし。どうしたもんか。お金をかけずに良い方法ないかな? もうすぐクリシュナの旧知の知人の版画家の坂さんが来るので相談してみようかな。
 Tさんが来ていろいろ話をしていった。
2012/7/24 (火)
営業開始916日

 今日も日がな雨。午後薄い日が射した。洗濯物が乾かない。ゴミも収集に来ない。困った。
 朝ごはんを炊こうとガスを点けたら、ホースからガスがもれた。危ないので慌てて止める。クリシュナが友人のタクシーを呼んで、修理してくれる店に持っていった。幸い30分程度で修繕し、料理を作ることができた。
 Mさんが手作りのスコーンを持ってきてくれて、クリシュナも交え3人でお話した。
 テーブルクロスを買いに行く。2年半前に生地屋さんで生地を買い縫って作ってもらったときは1枚かなり安かったと思うのだが、今日聞くと一番安い布を使って1枚400ルピー以上する。悩んだが、それだったらもっと厚手の生地で手織りのデザインが入った既成のテーブルクロスをお土産屋さんで買ったほうがいい。結局クリシュナの友達のお土産屋さんで800ルピーのを買った。値段は張るが、物が良いので長年使えそうだ。ああ、シーズンオフに出費が痛い。
 
隣家が3階を建て増ししたために、うちの窓ガラスからの眺めが悪くなった。ここに絵を描きたい。クリシュナにどんな絵がいいか、相談するが、いまいちセンスが合わない。クリシュナは、日本の展望台にあるような「なになに山と説明を入れたヒマラヤの写真にしよう」とか「そおだ!メニューを書こう」とか言う。そおじゃなくて、もっと見た人がわぁー♥と思うようなやつだよ、と言う。
確か「マンマミーヤレストラン」の壁に大きな絵があったことを思い出し、訪ねてみることにした。マンマミーヤは今大改装中で閉まっていた。いつも明るく働き者の奥さんが、向かいの店で世間話していた。こんなに暇そうにしているのは珍しい光景だ。私たちを見ると、向こうから手を振ってくれ、「工事中で暗いんだけど」、と言いながらも店内を見せてくれた。すべて壊して直している。道の拡張工事にもとづいて、どこもここのように大改装している。「いつ完成するかわからないし、営業にひびくわよ」ともらしていた。
 壁の絵はかなり大きい。ヒマラヤと村を描いた銭湯の絵みたいな感じだ。全部で55000ルピーかかったという。うちはこの5分の1くらいのスペースだ。この絵を描いた人の連絡先はわからなくなってしまったが、美術品を売る店で尋ねて見ては? と教えてくれた。
クリシュナの知り合いの絵を売る店に行く。でもここにあるのは本格的な絵画で、ここまでのクオリティは要らない。ここで頼んだら最低4万ルピーはかかる、とのことだった。そんなお金はないし、なんか求めてるものと違う。店の人が「看板を描く人のところに行ってみたら?」と教えてくれた。
 そして、近所の看板を描く人のところに行く。ここでも4万ルピーかかるし、額も要る、と言う。いやそうじゃなくて、と、隣りのローカル食堂の壁に描かれている「3つの眼」や「卍」の絵を見せて、あんな感じ、と言う。店の人がようやく理解して、「それならコンピュータでデザインしてビニールに印刷しては?」。それなら6000ルピーだそうだ。このやり方が現実的な気がしてきた。
2012/7/23 (月)
営業開始915日

 浴槽が付いている部屋の水道が壊れた。水道の職人に来てもらい修理した。
 階段周りを掃除する。観葉植物の鉢を庭に置いた。この時期虫がつくので、家の中には置けない。
 今日もゴミの収集が来なかった。毎月500ルピーも払っているのに、1週間に一度も来ない。税金としてかなり高いと思うが、役所がそれなりの仕事をしているとは思えない。
 晴れ間はなし。よく降る。
2012/7/22 (日)
営業開始914日

 インド人の廃品回収の人が知らない間にうちの庭に入っていた。「なんだ?」と一瞬警戒したが、ニコッと良い笑顔で、ゴミの袋の中を見ている。ゴミとして捨てるつもりだった紙や布、プラスチック系の物を見ていいか? ということらしい。すでに勝手に紙や布を仕分けしていた。これらのゴミだったはずの物を彼はかなり廃品回収していってくれた。10数ルピーのお金までくれた。これには本当に助かった。ゴミも開けてみると、紙、布、プラスチックと、外人だから出してしまう物のような気がした。ゴミの量が減って本当に助かった。
 クリシュナが「キリヤの店」(前出7月20日)でさといもの葉っぱと茎を大量に購入してきた。30ルピーでたくさん分けてくれたらしい。これを晩御飯にする。大きな葉っぱは40センチくらいある。クルクルと丸め、結ぶ。茎はすじをはがす。これに手間がかかり、手が黄緑色になってしまう。圧力鍋でクリシュナが調理した。塩、にんにくとクミン、唐辛子と酢を入れた。できてみると、青汁のように濃い緑の液体。ご飯にかけて食べる。思っていたより味がなかったが、体には良さそうだ。血糖値を下げるものらしい。パニール(チーズみたいなインドの食品)を入れると美味しいかも。
 今日も天気が悪かった。日本の梅雨のように、つねにどんよりしている。
2012/7/21 (土)
営業開始913日

 朝7時過ぎ日本語教室に行く。みなさんに「おかえりなさい。日本はどうだった?」と聞かれた。東京スカイツリーの包み紙のクッキーなどをお土産に配った。子どもたちの様子も顔ぶれも特に変わりはなかった。宮城県で買った震災の特集の雑誌を担当の5年生の男の子たちに見てもらった。神妙な顔で見ていた。
 教室の途中ごろから強い日差しが出た。家に戻って布団を干した。暑いときは日差しが痛いくらいに暑い。この後、夕立があって、気温が下がった。
2012/7/20 (金)
営業開始912日

レセプション周りの掃除の続きをやる。不要となった物はインド人の廃品回収の人へ、火を焚くのに使えそうな木などは見張り番をやってくれたバジに持って行ってもらう。バジの娘さんも来て、重たい鉄板を頭に載せて運んで行った。
ゴミの収集が来ない。ゴミばかりがたまっていく。
今は建築、改装ラッシュで、向かいのロンリーゲストハウスも4階を増築している。ここに働きに来ているインド人の職人は、うちを造ったときにも来ていた同じ職人たちらしい。1人の少年(ヒンディー語のみを喋る)が、私を見て「おい!」と呼んでにこにこ笑っていた。最初、気がつかなかったが、後になって、あぁ、あの少年だとわかった。少年が少し成長していたのだ。ベランダに出る度に、しぐさで「元気?」「変わりない?」と尋ねる。同じ街で生きてる住人同士、という親しみを覚える。不思議なモノだね、インド人の職人と数年来の顔見知りになるなんて!
近所の「キリヤの店」と呼ぶお店(お葬式の意味。たまたまお葬式をしていたからこう呼んでいる。店名がなくて似たような店ばかりだから呼び分けている)の野菜は畑から採ってきたばかりで美味しい。トマトの味が全然違う。ここのおばさんが、夫婦のことは「ジーバン サーティ」と呼ぶと教えてくれた。ジーバンは「人生」、サーティは「友だち」。なかなか良い言葉だな、と思った。
2012/7/19 (木)
営業開始911日

レセプション周りを掃除する。不要となった金具、鉄製品、プラスチックなどは廃品回収のインドの人が持っていってくれる。この人たちには本当に助かる。
今後は仕事に集中できる場所をきちんと決めたい。レセプションのカウンターのところを作業机にするか? もう1部屋空いているところにテーブルを運んでくるか? 
うちは使っていないスペースもけっこうある。今思えば2人でやるには広すぎた気がする。広い土地で平屋建てのこじんまりした宿がよかったかな、今思えば。
今日も雨だった。また洗濯物が乾かない。
また大雨で水道管に問題が起こったらしく、最近は水があんまり来ない。
2012/7/18 (水)
営業開始910日

昨日、朝10時までに必ず届けるという約束で買ったタンス。来ない。電話すると「雨で仕上げができていない。自分は体調が悪いので病院に行く」という。ああ、この人も信用しちゃいけなかったか・・。タンスが届かないことには片づけができない。
それでも結局夕方にはタンスが届いた。片付いていなかった服などをしまい、少し片付いた。
それにしてもよく降る。洗濯物が干せない。ポカラに戻ってきてからヒマラヤが見えたのは1日だけ。今日も厚い雲がかかっている。ウルトラライトプレーンも飛んでいない。
タンドリーチキンの店に行き、またテイクアウトした。見るとボードに「ラジュマ」と書いてある。やっぱりここはラジュマ(うずら豆?)が特別美味しい店なんだ! 野菜系のものは安いが、タンドリーチキンだけはちょっと高い。ハーフで400ルピーもする。でも100ルピーもまけてくれた。今後このお店はいろいろな人に紹介しよう。美味しくて安い。
クリシュナがロンリーの社長と一緒に、ゲストハウスの税金を払う「カル カリャラヤ」と観光協会に申請書を出す「パリャタン オフィス」に行ってきた。税金は3500ルピーだった。
2012/7/17 (火)
営業開始909日

天気が悪い。雨季だから当たり前といえばそれまでだが、しとしと雨が日がな続いている。朝のうちは厚い雲や霧がすぐ近くの丘にもかかっている。洗濯物が乾かない。
部屋を求めるお客さんが来て下さった。が、うちはいまだ掃除や片づけでお客さんが泊まれる状態になっていない。わざわざ来ていただいて、本当に申し訳ないが、お断りした。うちが悪い。はっきり言って悪い。申し訳がない。
その一方で、ポカラは今完全にシーズンオフ。道路拡張工事もあって、大きな店も営業はしているが改装工事中のところが多い。閉めてるところもけっこうあって、私たちが日本に帰っていたことを言うと「シーズンオフだもんね、もっと長く日本にいて働いてでもくれば良かったのに」と言われる。来年以降の検討材料にしたい。
この片づけを終わらせるために、収納家具が1つは必要だ。それをマヘンドラプルに買いに行く。以前からよく利用している家具屋さんのナラヤン・ゴウタマさんに連絡を取り、直接仕事場に出向く。木のタンスで、小さめのは1万500ルピー、大きめのは1万3000ルピーという。ここ数年木の値段が上がっていて、こういう物も高くなった。少しまけてもらって1万2500ルピーで大き目のを買うことにした。明日配達してくれることになった。
シーツや枕カバーも買うことにした。最初オープンしたばかりのバタ バティニスーパーに行くが、値段やサイズの表示がないので買うに買えない。結局ここでは小さな専門店の方が便利だな、などと思い、生地屋に行き、ベッドのサイズを伝えてシーツや布団カバーを仕立ててもらう。枕カバーの方は、バタ バティニスーパーができて今や危機状態にあるセールウェイズスーパーに行く。数えるほどしか客が居ない。意外なことにここの枕カバーが安かったのでここで買った。
2012/7/16 (水)
営業開始908日

ずっと使っていなかったDVDやスピーカー、テレビをきれいに設置する。クリシュナは使えなくなっていたDVDとスピーカーはもう壊れているか、直せるのは親戚の男の子などだけだという。いやそうじゃなくて、出力側と入力側をしっかり確認してコードをつなげば直るんだよ、と私が言うと半信半疑だった。が、私がつなぎなおすとちゃんと音が鳴るようになった。クリシュナはへえと言う眼で私を見た。この国の人は電球1個切れても業者を呼んだりする。故障の原因が単に電気が切れただけじゃないことも多いからだが、電気製品にやはりなじみがないからかな。このくらいのことは日本だったら小学生くらいでもできそうな気がする。
音楽が鳴るようになり、聴きながら気分良く食事ができた。

 晩御飯はタンドリーチキンのお店で持ち帰りした。ここのラジュマ(うずら豆?)のカレーは40ルピーという超リーズナブルプライスにも関わらず美味しくて量も満足。ナンもその場で焼いてくれて、すべて持ち帰りした。こういう安くて良い店がどうか長く続きますように!
2012/7/15 (日)
営業開始907日

街の方に買い物に行く。「バタ バティニ スーパーマーケット」という大型スーパーがニューロードに昨日オープンした。4階建てでこれまでポカラにはなかった規模のスーパーだ。華々しくエントランスが飾られ大勢の客で賑わっている。ここ数日はオープンニングセールで10%オフだそうだ。家電売り場ではシャープの電子レンジ、エアコン、大型冷蔵庫なども売っている。服売り場では高級服はないが、サリー、クルタの売り場がちゃんと設けられている。食品は冷凍の魚もあった。品物の数は豊富だった。日本人的にはダイエーとかヨーカ堂みたいな感じかなと思う。いろいろな物が見れるのは、良いことだと思った。
エレベーターやエスカレーターがあって、ポカラのほとんどの人は初めて乗るのだと思う。エスカレーターの上り口、降り口に係員が立っていて、客がちゃんと乗れるかどうかを見守っていた。みなエスカレーターに1歩目を踏み出すのをためらっていたのと、降りるときにガクンとなるのに驚いていた。怪我しなければいいけど、と心配になった。私は外人で乗り慣れているので足がスムーズに出る。じゃっかんの優越感を感じた。
ここで大賑わいになっているので、気の毒なことに他のスーパーはガラガラだった。夕方の時間なのにムナルスーパーには数人しか客がいなかった。
家具を見に行ったが、知り合いのご主人が不在だったので明日以降に出直すことになった。
2012/7/14 (土)
営業開始906日

3階の食堂にいずれカウンターを造る予定で、コンクリートの壁だけそのままになっているところがあった。これを何とかしなくては、と今更ながら考え、作業をした。初めは竹を使ってと考え、クリシュナが竹にくぎを打つことにトライするが、竹は柔らかすぎて割れてしまう。クリシュナはいったんさじを投げ、今度は私がやってみるが、やっぱりうまく行かない。そこで、残っていた木目柄のベニヤ板を使うことにした。これをコンクリの壁にくぎで打ちつける。これも最初は巧くいかなったが、1度私がくぎを打つことに成功するとクリシュナもヤル気を出して、なんとかベニヤを貼ることができた。
次にあんまり使っていなかったキッチンテーブルをこのカウンターの台座にしようと考え、テーブルの脚の長さをのこぎりで切って揃える。のこぎりは赤いサビがついてしまっていて歯が悪い。これにもクリシュナが困っていたが、私が、力任せに切るよりひたすら歯をまっすぐにして切り続ければ切れやすいだろうというと、なんとすんなり切れた。クリシュナもけっこう汗をかきかき頑張ったので、何となくカウンターらしいものはできあがった。
隣りの家が3階を建ててしまったので、食堂の半分からは山が見えなくなってしまったが、このカウンター辺りからはヒマラヤが見える。ここを何とか工夫したい。
また隣りの家の壁になってしまった窓の部分、ここには何かネパールらしい絵を飾れないかと思案している。

お客さんが最近くださったメールの中で、「今の日本では、いじめによる自殺を隠蔽しようとしている事件などがある。こんなことネパールであるのだろうか?」との内容があった。そして今日ネットのニュースでいじめの事件の進展を読む。生徒に行ったアンケートの結果、という。確かに、ネパールではここまでの事件は聞いたことがない。
2012/7/13 (金)
営業開始905日

本来レセプションというか応接間にしようとしていた部屋を物置にしていた。その部屋の片づけを一気にやった。ここの雑多に置いてあった物を整理し、今後は作業机を置き、仕事場にする考えだ。主に事務的な処理や私の書き物、パソコン作業に集中できる環境にしたい。
ここでも埃や虫で、痒さと戦いながらの掃除になった。ネパールでは家の造りに隙間があるので、どうしても埃や虫が入ってきやすい。夕方までには何とか終わった。部屋がきれいになって、とても気持ちがいい。
2012/7/12 (木)
営業開始904日

ギロウラ(からすうり)のダルバートを作る。とても美味しい。私はネパールの味にすっかり慣れてしまったようだ。辛さと酸っぱさ。これを欲するようだ。
庭の草むしりと植木鉢の整理をする。虫にさされ、痒さとの戦いだったが、終わって少しすっきりした。
今日も夕立があった。かなり激しい雨となる。
2012/7/11 (水)
営業開始903日

昨日布団を打ち直した。街をインド人の職人が歩いている。道具をビヨンビヨンと鳴らす音で布団の職人が来たことがわかる。古くなって穴が開いた布団を直したかったので、職人を呼びとめ、うちに直しに来てもらった。職人は白髪の年配の男性とその子供らしい少年の2人だった。古い布団を引き裂き綿を天秤で測る。1キロ50ルピーという。綿を少年がパンパンたたく。すごい埃が出る。裁断した布に綿を詰め、また叩いて綿を均一にならし、年配の男性が縫製する。クリシュナが「このおじさんは、針をときどき頭にやるけど、なぜだろう?」と言うので、そういえば日本でもむかーし裁縫するお婆さんが頭に針をやりながら縫っていた光景を思い出した。テレビで見たのか、実際に見たのか、わからない。私はクリシュナに「たぶん、針を髪の油につけてるんだよ。そうすると針が布に通りやすいから」と言った。クリシュナがインド人の職人に尋ねると、やっぱり私と同じ説明をした。白髪の職人は「そおだよ、どこの国でもこのやり方は同じなんだ」と私に向かって笑った。
私は、こういうインド人の職人にたまらなく愛着を感じる。
寝るときの蚊の攻撃をさけるために蚊帳を張った。蚊帳は日本の物とまったく同じだ。扇風機を廻したり、蚊取りマットをつけるより体にいいかな、と思う。
庭や畑の草むしりをした。たった1か月なのに、雨のシーズンだからか、やけに草が伸びてしまった。
2012/7/10 (火)
営業開始902日

電気、電話、インターネット、水道の役所に行き料金を払ってくる。電気や水道、電話は料金を払っていなくてもすぐに止められないのだが、ネットは止まってしまっていた。ネットは早く使えるように戻さないと連絡が困る。また新聞も勝手に止められていたので、これも電話して配達してもらうようにした。ネットは夕方には使えるようになった。電気や水道は前回払ったときから1か月を過ぎていたが、支払期限は過ぎていなかったらしく、超過金は取られなかった。
今日は暑かった。日差しが刺すようだった。表を歩いたら袖のない部分が日焼けした。
2012/7/9 (月)
営業開始901日 ポカラ

朝5時20分に起き6時半過ぎにタクシーでオムタラを出発。バスは宿で予約してもらったグローバル何とかという新しいバス会社だった。バスは超順調に走り、1時頃にはダマウリに着いて、もうこのまま休憩なしでポカラまで行って欲しかったが、ここで昼休憩が30分あり結局ポカラに着いたのは2時半過ぎだった。
バスの外を流れるネパールの自然の光景は本当にきれいだと思った。雨季で水が増した渓谷と濃い緑の山々。日本だったらすべてが景勝の地と呼ばれるだろう。「ネパールで癒されてね」と言って送り出してくれた友人がいる。本当にこの景色には癒される気がする。
ただ、今回ほどポカラに戻るのに複雑な思いにとらわれたことはない。様々な事情が絡み、いまはポカラに戻るより日本に居たい、いや居るべきではないか、との思いもある。

1ヶ月ぶりに戻ったポカラの我が家。見張り番のバジ(おじさん)がちゃんと待っていてくれた。家はバジのおかげで特に問題は起こってなかった。どこも修理がいるようなところはなさそうだ。庭の草はぼうぼうで、室内もほこりだらけだったが、それは仕方ない。隣家が3階を増築していて、うちの3階からの見晴らしが相当悪くなった。ただ、こればかりはどうすることもできないのだが。
ちょっとびっくりしたのは1階の客室にヘビがいたこと! 黒い小さなヘビで逆にこっちに怯えていて、様子をうかがいながらすぐに外に逃げていった。隣の人に寄れば人間に害は与えないそうだ。不在にしていたので、隙間から入ったのか、いまドアを開けたときに入ったのか?ポカラのこの周辺は元来ヘビがいたようだ。ヘビは神様として祀られている。確かに、家の周辺にヘビがいてくれたので、ねずみが家内に侵入しなかったようだ。うちに神様が来てくれたんだ、と思うことにした。
2012/7/8 (日)
営業開始900日 カトマンズ

朝8時半にイミグレーションに向かう。早すぎるんだが、することがないので、早めに行ったほうがいいか、と思った。9時半少し前に着く。開館はしている。9時半ころにはぼちぼち役人が来始めた。でも彼らが席に着いて仕事を始めるのは10時半頃。「おっそいなあ」とにらんでいると、やっとファイルを出してくる役人が動き始めた。いくつかの部屋に行ったり来たりして、お金を払って、ビザのシールを貼ってもらい、数人の偉い人のサインをもらい、最後にスタンプを押してもらい終了。再入国シングルの手続きも同時に済ませ、計140ドル。11時半頃イミグレを後にした。
今日は晴れ間が出て暑い。
朝&昼ごはんは「ムスタンタカリチュロ」のダルバート。1日1食のダルバートは毎日ここ。お腹を壊す心配も無く、安心していっぱい食べられる。
2012/7/7 (土)
営業開始899日 カトマンズ

出版社のデベンドラさんのところに行って、買って売った分の本の代金を払う。本の価格のうち40%(1冊135ルピー)を払い、さらに印税ももらえることになっている。印税の精算があるので、もう少し売り上げがまとまった時点で精算しては? とデベンドラさんは言ってくれたが、払わずにいるとこっちも忘れてしまいそうなので払った。単語帳の編集にはもう少し時間がかかりそうだと言ったら、「参考になる本を送るから」と言ってくれた。がんばらねば。
今日は土曜日でイミグレーションは休み。特にすることがない。カトマンズで用事がないとほんと何もすることがない。細い道を車やバイクがびゅんびゅん走るので表は歩きたくない。この街、せっかくの歴史ある魅力的な古都なのだから、もう少し観光資源として大事にすればいいのに、と思う。単純に言うなら日本の京都みたいに。役所とか空港とか、公的機関をどっかに移せないのかな?
今日も曇り時々雨。涼しい。
「Nepal Ice」というビールのプレミアムが新発売され、初めて飲んだ。グリーンの爽やかなラベル、少し小さめの瓶。値段はカトマンズのスーパーで195ルピー。甘めの味だった。スーパードライのような辛口が好みの人には甘く感じるかもしれないが、確かに個性のある味だ。
2012/7/6 (金)
営業開始898日 カトマンズ

朝9時前にイミグレーションに向かう。私の結婚ビザの更新をしないといけない。
曇天で時々小雨、厚い雲がたれこめている。ちょうど今の東京の気候と似ている。晴れていると暑いが、曇っているので涼しい。蚊もいない。
イミグレーションは10時から営業だが、10時前から開いていた。役人はまだほとんど来ていない。申請用紙はあらかじめ書いてあり、他の書類もコピーを用意してあったので、役人が来るのを待つだけだった。201の部屋の役職者らしい人は10時40分くらいになってやっと来た。1ヶ月前に再入国手続きをした人とは違っていた。頻繁に異動するものなのだろうか。この人から書類にサインをもらい、次に過去のファイルというのを出してくる担当のところに行く。「明後日もう一度来て」、となった。明日は土曜日で休み。翌日になるのは許容範囲かな、とイミグレーションを後にした。
今日はこのイミグレがガラガラだった。この前はけっこう人がいたのに、今日はほとんど人がいない。役所の人はみなTシャツにパンツのカジュアルなスタイル。カジュアルフライデーなのか、クールビズなのか? そしてホテルに帰ってメールを見ると日本大使館からの通知で今日は「バンダ(ストライキ)」だったと知る。だから、人が少なかったんだ。でも、車は普通に動いていたし、店も営業していた。知らぬが仏で、イミグレも空いていて結果的には行ってきてよかった。
2012/7/5 (木)
営業開始897日 カトマンズ

 飛行機は順調にバンコク着。夜の11時頃着いて翌朝まで待つ。このバンコクの空港がクーラーガンガンで寒いこと! 少しベンチでうたたねしたが、冷えて冷えて仕方なかった。
 6時50分バンコク発。ジェットエア、朝ごはんが美味しかった。あったかいプレーンオムレツ、ハッシュドポテト、ソーセージ。3時間でデリー着。ここで3時間待つ。12時50分デリー発。乗っている時間は1時間20分だけなのにここでも機内食がついていた。ビールまで配っていた。このジェットエアは安いのに偉い! 機内に車とかの宣伝ポスターがあって、こうやって経費を捻出しているのだろう。
この飛行機も空いていたが、今回の経路で日本からネパールまで来ている人は1人もいなかった。カトマンズの空港も空いていた。
天気はバンコクは小雨で涼しいほど、デリーは乾燥していて33度、カトマンズは曇天で気温低めで日本と同じくらい。今回は上空、飛行機の中から、日本、タイ、インド、そしてネパールの町並みを見た。日本やタイは雨模様でしっとりしていた。インドは乾燥して茶色く見えた。ネパールは緑の中に赤い小さな家々が点在していた。公平な目で見てネパールが一番美しかった。緑の豊富さ、大きなビルはなく小さくてカラフルな民家がところどころに集まっている様は、かわいらしかった。クリシュナさえ「他の国に比べてきれい!」と言っていた。
16時頃カトマンズのホテル着。カトマンズの埃っぽさは相変わらずだが、ネパールに来てみると、人々が男も女も顔立ちがきれいだな、と感じる。ホテルでぐっすり眠った。
2012/7/4 (水)
営業開始896日 日本出発

 妹尾河童の「少年H」を読み終えた。今回はもっと本が読みたかったがいろいろあってあんまり読めなかった。
京成線で成田へ。バンコク行きのANAにチェックイン。チェックインが機械による自動受付になっていた。ANAの人は客に周知させるために客自身にこの機械の操作をさせようと努めていたが、実際よくわからない操作もあり、結局、係の人が代わりにやってくれた。またネパール人のクリシュナのパスポートでは機械で操作できなかった。チェックインしたら、バンコクからデリー、カトマンズまでのジェットエアのチケットも出てきた。航空会社が違うのにこういうことができるんだ、と思った。
2012/7/3 (火)
営業開始895日 日本

 クリシュナは北千住で横浜フライデーズで一緒に働いた仲間に会う。2人とも遠いところからわざわざ会いに来てくれた。クリシュナはとても喜んでいた。  東京湾を震源とする地震があった。東京と神奈川で震度3,4。日本に来て以来地震は3度目。九州大分では大雨で家屋が浸水したり崩壊する被害があった。日本はこんなに災害が厳しい国だったか、と思う。