戻る - 参加 

ブハリ日記(ブハリとは末の嫁)の意味

2009/1/1 (木曜日)
家建築88日目 天井 ベランダ 窓直し 丸い柱

朝6時半頃起きて初日の出を見ようと思ったが、雲っているせいなのか、7時過ぎまで太陽が出なかった。残念ながらヒマラヤも終日見られなかった。夕方はまた少し雨が降った。
朝サリーを着てお寺にお参りに行こうかと思い、部屋で着替えているとクリシュナが現場から電話してきた。「ベランダをどうするかって、働く人に聞かれている」。えっ! 今日ベランダやるの? 設計図では2階の左右の部屋が1つのベランダを共有する造りになっていて、隣りから人が侵入してくる恐れもある。どう変えようか、迷っているところだった。クリシュナがエンジニアのお兄さんに電話すると「2つの部屋の間に低い壁を造るから大丈夫だよ」と言って、そこで電話が途切れてしまったという。低い壁では意味がない。クリシュナと相談して、間にはメタルで仕切りを立てることにした。この辺をエンジニアもテクダルも理解してくれていない。隣りの家の人がいつでも出入りしていられるネパールと、いつでも鍵をかけていなければいられない他の国とは違うのだ。午前中は天井、ベランダの板張りと窓の直しをした。
窓の直しは石を外した部分にまた石を加工してはめなおす。時間のかかる作業だった。大きさを測り細かくした石を積み、窓枠の周りに大理石をはめセメントで固める。窓の片方が終わると職人さんは「ああ、やっと1つの病気が治った」とためいきをついた。3時頃ようやくこの作業が終了した。丸い柱をこの時間から始めることになった。バジも石やセメントを運ぶ仕事をしている。石と水を混ぜてセメントを造り、丸い筒の型を設置する。足場のない場所にどうやって型を置くのかな、と思っていたら、まずその辺にある木に釘を打って踏み台を造った。またショベルの持ち手の木の部分が折れてしまったとき、バジは木の部分を火で燃やし、鉄製のショベルの先端部分を残して、他の木を使って持ち手を造り直した。日本のように壊れたり、足らない物はお金で買ってくるのではなくある物で工夫するのだ。
テクダルと一緒に、以前働いていたバンダナがトレードマークのお兄さんも来ていて、私たちを見つけると手を振ってくれた。私たちは働く人たちとはわりと友好的にやっている。普通はけんかになることが多いそうだ。
丸い柱の型が曲がっているとかで、このバンダナのお兄さんがクリシュナの自転車で近くの店に代わりの物を買いに行った。すぐに戻ってきて「長さが合う物がなかった」と言うが、テクダルが「その長さがあればそれでいいんだよ」と指示し、また出掛けていった。買ってきたものはアルミの3メートルくらいの板だった。それを円の長さをメジャーでは測って丸め針金で巻いた。その後はバジや天井をやっていたスタッフ、たまたまテクダルと一緒に来たバンダナのお兄さんも一緒になって、セメントを流し込み、機械でかき混ぜた。5時半頃作業終了。
テクダルに、私たちが日本に帰ったあと、いつフィニッシュの作業が始まり、いつ戻ってくればいいのか聞いてみる。「半年くらい日本にいても大丈夫。フィニッシュは2ヶ月間やる。11月頃には完成するよ」。クリシュナが慌てて「11月では契約の1年を超えちゃうよ」と言うと、「えっ! いつ始めたんだっけ?」「9月だよ」「あぁ、そお、じゃあ9月で大丈夫かもね」。思わず腰が砕けそうになる。。。でも、今日はけっこう仕事が進んだ。
2009/12/31 (水曜日)
家建築87日目 天井 窓直し

家建築87日目 天井 窓直し
夕べは熱があるので、水浴びはできず頭がかゆいが我慢した。12時少し前からダルバートをつくり、3時に土地に行く。
窓の造り直しが始まった。周囲のセメントをかなづちで叩いて壊して大理石を外す。1つの大理石は割れてしまった。丁寧にやり直してくれてはいるが、やはり石が割れているのは気になる。あぁ、失敗してしまったなぁ。
4時頃から雨が降り始めた。チョウキダル(見張り役)のバジが自分の畑で取れた大根を2本くれた。バジは、今朝畑に行ったら大根やいもがたくさん盗まれてしまったことを話した。ひどいことをするな。
せっかくのフェスティバルなのに雨が降って、屋外にきれいにだしていた店のテーブルが片付けられている。プログラムも中止になっていた。
年越しはチベタンのおじさんのお店でトゥクパの年越しそばを食べた。日本でそういう習慣があるのだと話すと、おじさんは「中国でもロングライフを願って、長いそばを新年に食べるって聞いたよ」と教えてくれた。お祭りで夜遅くまで人が出ていて良いムードだ。
2009/12/30(火曜日)
家建築86日目 天井

 朝ごはんのダルバートを食べ3時頃現場に向かうと、クリシュナから電話があり「もう今日の仕事は終わった」と言う。今日はネパール暦のプース月15日の祭日で、壁を直す職人さんは来なかった。天井を造る仕事は続いていたが、その2人も板が足らないとかで2時過ぎに帰ってしまった、と言う。
レイクサイドではニューイヤーフェスティバルが続いている。ライ族の踊りを初めて見て、現場に行くと2人の天井の職人さんがテクダルが来るのを待っていた。給料をもらうのだという。でも結局テクダルは来なくて、クリシュナが1人200ルピーを立て替えた。バジにも200ルピーくらい前払いしている。
ムーンダンスレストランの前あたりでネパール人画家の展示会をやっていた。ホテルができたら絵を飾りたいと思っていたからちょうど良かった。ハランチョークの方まで行ってみる。遊園地もあり賑やかだった。いたるところで民族衣装を着た人たちが踊っている。輪投げや綱引き、早食い競争などをやっている。目隠しして歩き的を棒で叩いたら勝ち、という「すいかわり」をやっていて、見物人が大きな声で「もっと前だよ!」「あー、もう少しだよ!」と教えている。本気でハラハラしてるみたいで、なんて素朴で微笑ましいんだろう、と思う。トゥクパがおいしいチベタンのおじさんの店に行く。なんとモモを25ルピーで売っている。量はいつもと同じだ。他のレストランも露店で多少安く売っているが、その分量が少ないのに、ここは量は同じで値段を半額以下で売っている。こんなに安くていいの? と尋ねると、おじさんの奥さんが「だって今日はお祭りだもの。何でも安いんだよ」と言う。何でこんなに心が善いんだろう! 部屋に返ってくる。道で近所のお姉さんたちが話していた。私がお祭りを見てきてもうすぐドホリ(歌の掛け合い。超おもしろい)があることを言うと「えっ、ドホリやるの? どこで?」と聞かれた。みんなドホリが好きなのだ。私が風邪気味だとわかると、「あなたは痩せすぎなんだよ。もう少し太らないと」と言われる。他のお姉さんが冗談気味に英語で「スリムでok!」と言うと、本気で怒って「そんなこと言うんじゃないよ! もうちょっと、もうちょっとで良いから太りな」と言ってくれる。
2008/12/29 (月曜日)
家建築85日目 天井

クリシュナが現場を見てくる。2人が天井をやっている。今日は窓の位置を直すため壁を壊す予定なので、それだけはどうしても見ておきたい。1時に現場に行くと、ダムサイドのおじさんとエンジニアのお兄さんのお父さんが来ていた。壁のことで見に来てくれたようだが、クリシュナによれば壁の職人さんは忙しくて今日は来れないとのこと。この作業は明日になった。天井のスタッフが階段の続きを造り始める。ババから電話で「日本に帰る前に2回ほどこちらに泊まりに来て」と言う。引き続き監督をしてもらうため、今の私たちのアパートに越してくる。その荷物運びやお金の受け渡しなどに行く。しか し、今の状況から言って、いったいいつ天井が終わるのか、また任してしまって大丈夫なのか、いまひとつ不安だ。
2008/12/28 (日曜日)
家建築84日目 天井

朝起きて現場に行く。テクダルに窓枠のやり直しで壁を壊すときは自分たちで見たいので、教えてくれと言う。「天井を造る人手が足らないので連れてくる」と言って、1人の職人さんをバイクの後ろに乗せて行った。壁を壊すのは明日になった。現場にはグルン民族らしい小太りの若者が残って、天井に張る板のくぎを抜いたり打ったりしている。バジもいたが、ここで仕事がないので一度家に帰る。昨日病院で親戚が亡くなった話をしていた。母親方の兄弟で80何歳かだったらしい。「1人1人親戚が減っていくよ」みたいな話をしていた。街の大きな病院に出掛けたらしく、新しいトピーと私たちが渡したジャケットを着ていた。水道工事をやる職人さんが来て、トイレ・バスの天井が低すぎるとテクダルに連絡する。ここで私たちはいったん部屋に帰った。
今日からレイクサイドで「ストリートフェスティバル」が始まった。部屋で朝ごはんを食べて現場に戻る道で、いろいろな民族衣装を着た団体が次々に踊りながらパレードをしていた。先頭は象が歩いていた。道端のレストランは屋外にテントなどを張って飾りテーブルを出していた。観光客の数はいまひとつだけど、お祭りムードは少し高まっている。
現場に戻ると、働く人の数は増えていなかった。2人の職人さんで天井をやっている。水道の人が必要な材料のメモを残していった。テクダルも来て、仕事を指示しているので私たちは、その材料を買いにプリティビチョークに行く。トイレ・バスにつなぐ水道のパイプなどと、電気のコンセントなどを買いに行く。事前に以前お風呂を見に行った店に電話で聞いてみるが「直接店に来て」と言われてしまう。パンフレットやウェブの商品情報みたいな物はない。値段も行くたびに交渉する。こういうところはとても非効率的だ。水道は2軒回って2700ルピーとか2500ルピーと言われ、結局いつも大理石を買う店で2300ルピーでオーダーした。電気は職人から勧められた「GC」と言う店に行ってみる。そこはなんと私たちがガスレンジを買った店だった。確かにこの店は安かったし、物も悪くなかった。今回私たちが訪れると、お店の人は私たちのことを覚えていた。職人に紹介されて一緒に買い物すると紹介料を取られることがあるとか、いろいろ話してくれた。交差点の向かいに同じ店の電気工事道具の店があり、そこで注文した(計2500ルピーくらい)。配達もしてくれることになった。
2008/12/27 (土曜日)
窓の相談 バジの家に行く

朝いちで窓を直す人に電話して何時に来るか確認する。珍しく「これからすぐに送る」とのことだった。8時半頃現場に行くと、窓の店の社長がオートバイの後ろに職人を乗せて帰るところだった。窓を切ろうとしたが、テクダルが来て「エンジニアと相談するから待て」と止めたらしい。大変な問題だ。しかも現場に行くと働く人がいない。テクダルに聞くと「土曜日だからと言う理由で人が来なかった」とのことだった。造り直すことになった窓を見ながら途方に暮れてしまった。そうしているうちにクリシュナのババ(父)が来た。どうすれば安く造れるか、いろいろと話をした。エンジニアのお兄さんの家に行って話をしてくれると言う。一緒に行こうか考えたが、細かな話はあとで私たちだけですることにして、ババに1人で行ってもらった。部屋で朝ごはんを食べて現場に戻る。今日はチョウキダル(見張り役)のバジは、親戚が病気とかで1日出掛けている。物が盗られていないか、一応見ておいた。
エンジニアのお兄さんに電話して窓のことを相談しに行く。3時半に来ていい、と言うので歩いて行った。テクダルも用事で呼ばれているらしかった。テクダルはバイクで来ていたが、別件なのか、私たちとは話をせず帰ってしまった。それからエンジニアのお兄さんと話をした。「何の問題?」と聞く。窓はどうなるのか聞くと、窓の上の部分を5,6センチ切ると言う。それは格好悪くて嫌だ、というが、「変には見えない」と言う。いっそのことデザインを変えられないか、と聞くと、「できるけど、壁を壊さないといけない」とか、そのデザインは格好悪いと言う。親戚で良心でやってもらっているから贅沢言ってはいけないが、まったくこちらの話を聞いてくれないのには閉口してしまった。窓は窓の職人と相談しようと、クリシュナと日本語で話した。それからまたお金の話になる。ババも話してくれて、いろいろな贅沢をカットしたはずなのに、やっぱり45〜50ラックかかると言う。自分たちの意思が反映されないことに、ちょっと嫌になる。
5時過ぎに現場に戻る。窓の社長に電話すると「直すには壁から一度窓枠を外さないといけない」と言う。窓枠の上の部分を5,6センチ切るだけではダメ、だというのだ。それをエンジニアのお兄さんに電話すると、あんなに上を切るしかない、と言っていたのに「じゃあそうしよう」となった。結局テクダルとの相談になり、窓枠のデザインは変えず、少し周囲の壁を壊して窓枠全体を下に下げることになった。
暗くなってきたがバジが帰ってこないので、持っている鍵をバジの家まで届けることにした。バジの家は知らないが、近所だということはクリシュナが聞いていた。近所の人に聞いて行ってみたら、うまい具合に着いた。親戚に1500ルピーで部屋を借りている、とのことだったが、びっくりした。すごい大きいきれいな家なのだ。親戚が外国で働いている、と言っていたが、こんなお金持ちの家に住んでいるとは。出てきた少年がバジの12歳の息子だった。愛想の良い、良い子だった。バジ家族と1人の女性が住人らしくて、この日は親戚の見舞いにバジ家族が行ってしまったので、息子と女性1人しかいなかった。電話でバジ達がいつ戻るか聞いてくれた。会話を聞いていると、病気の親戚は亡くなったらしい。葬式の話をしていた。息子さんは「ちょっと待っててね」と言って、何かの用事で女性と一緒に10数分程度外に出掛けてしまった。私たちは停電中のきれいなキッチンで彼らが戻ってくるのを待った。初めて会った私たちに留守番を任せて出て行ってしまった。戻ってきた女性は、バジ達が帰ってこないかもしれないので、私が見張り役をする、と言ってくれたが、今日は盗まれそうな物はなかったので大丈夫だと言った。バジの息子に見張り小屋の鍵は預けた。現場に戻るとバジ夫妻が小屋の前で待っていた。2人で座ってたばこを吹かしていた。お金を持っているのは親戚とは言え、2人で働くバジ夫妻は偉いなぁ、とつくづく思った。高いカーストの人なら嫌がるような力仕事を奥さんまでがやっているのだから。 
2008/12/26(金曜日)
家建築83日目 天井 窓ミス発覚

クリシュナは現場からダムサイドのおじさんの家に預けているお金を取りに行く。鉄に払うお金が計算があわなかったところを確認して、払いに行く。仕事は天井造りが進んでいる。前のガレージ部分の不要なコンクリートを壊すのも続いている。午後ババ(クリシュナのお父さん)が来た。予算の相談をしていった。ババはなるべく安く造ろうと言ってくれる。他の親戚とは違い、子どもたちが日本で働く苦労を考えてくれているのだ。明日エンジニアのお兄さんと話をすることにして、ババはダムサイドの家に泊まることになった。
そのあと私はいったん部屋に戻り、現場に戻ると、大きな問題が起きていた。すでに壁に埋めた窓枠のサイズが大き過ぎたのだ。エンジニアのお兄さんが見に来てわかった、と言う。お兄さんは働く人に窓枠の上の部分をカットするように指示していたと言うが、長方形を6つの格子で仕切ったものの上の2箇所だけ幅を狭くしたら、あまりにもかっこ悪い。今更壁を壊すこともできない。なんで? いまごろになって? 明日窓の左翼人が来て相談して直すことにした。
2008/12/25(木曜日)
家建築82日目 天井

朝8時頃現場に行く。新たに3人が加わって天井を造る仕事をしている。板(セメントを流すためのパネル)を張るのにくぎを大量に使う。クリシュナが何回も買いに行く。バジは今うちの仕事がないので、ほかの現場に仕事に行っている。
4時頃現場に戻る。天井に板を張る作業が続いていた。糸を張って高さを確認して、適当なサイズに板を加工する。支えの竹の棒を置く。難しい作業らしくて慎重に進めていた。また、前のガレージ部分の間違って造ってしまったセメントを壊すことも始まった。
20時から停電なので、せっかく買ったイルミネーションが使えないのはもったいないので、早めに帰りご飯を作る。クリシュナはチョウキダルのバジが帰ってくるのを待ってから、戻ってきて「ネパールも変わったよ! ネパール人が道で“メリークリスマス!!“ってさわいでるもの」と少々興奮気味に言う。ラジオでクリスマスソングが流れているのを期待したけど、それはなかった。
2008/12/24(水曜日)
家建築81日目 天井

 朝ごはんを作って食べ、1時頃現場に行く。働く人1人がタンクの水を使って、パンツ1枚で体を洗っていた。石鹸を使って全体を洗っている。私たちが来ると、さすがにちょっとまずいと思ったのか、「(職人の)友達が木が足らないので、それをバグルンまで取りに行っている」と今仕事が止まっている理由を話した。しばらくしてバジが来た。バジも仕事がないので、今日は畑に行っている。「大根食べる?」と言って、1本くれた。体を洗い終わった職人さんが板を運び出した。1時間くらいして、トラックの木と一緒に職人のリーダーが帰ってきた。荷台から乱暴に木を投げて下ろす。3時くらいから天井の木のパネルを造って、今日はそれで終わった。「明日から人が増えるから」と若いリーダーは言って、帰って行った。大根などをくれたお礼にバジにみかんをお返しする。バジと26歳の娘さんがまだ結婚していないことなどを話した。私が持っていたパソコンで、いつ壁を造ったかを調べた。日記に毎日工事の進捗状況を書いているので、壁のセメントを造った日から10日たっていれば、もう水を入れなくて良いのだ。バジが「これは(パソコンは)水をあげろって言ってる?」と言って笑った。
  
8時半頃イタリアンレストラン「マンマミーヤ」に行った。ウェイターさんがサンタの格好をしていた。ピザ、ラザニア、バーガー、フランスの赤ワインなどを飲食して1700ルピー以上も使った(88ルピーディスカウントしてくれた)けど、お腹いっぱいになったし美味しかった。
2008/12/23(火曜日)
家建築80日目 天井

クリシュナが現場に行くと5人くらいの人が来て働いていた。少し高く造ってしまった壁(石1個分)を壊し、セメントをつめるための木のパネルをくぎを打って造り、天井の位置を測って糸を垂直に張り、竹の棒で天井の支えを造る。スタッフは新しい人が3人増えていた。
メジャーとハンマーが必要というのと、作業中に足にくぎがささったので病院で注射をするためといって、働く人に計600ルピーを貸す。またテクダルが買う竹の棒のお金3000ルピーもクリシュナが立て替える。これはすべてテクダルに了解済みで、あとで払うテクダルの給料から差し引くことになっている。
UTLに電話して、セットが買えるかどうかを聞く。今来れば、明日には渡せるというので、ちょっと現場に行って様子を見たあと、バスに乗っていく。申し込みはナガリクタ(市民証)のコピーと写真2枚が必要。書類の記入はお店の人がやってくれた。プリペイド式の支払いのためか、使用者の所在確認のために、簡単に家の地図を描く。セットの代金は約3500ルピーだった。
せっかく街まで来たので、クリスマスのイルミネーションを探しに行ってみる。レイクサイドは欧米人観光客が多いので、多少クリスマスの飾りがあるが、それ以外にはほとんどクリスマスムードはない。ネパールでは1月1日も祝わないので、年末ムードもまるでない。おもちゃ屋の倉庫で250ルピーでイルミネーションは買った。スーパーではクリスマスグッズを少し売っていた。
5時過ぎに現場に戻る。働く人があがろうとしているところだった。最近できた階段の上に上ってみると、気分がいい。
2008/12/22 (月曜日)
家建築79日目 天井造りの準備 予算は元通りでokだった!!

「ポカラ ホテル サング(ポカラホテル協会)」に行く。「ホテルは10客室がいるが、ゲストハウスは5個の客室でいい。レストランをやる場合も特別な決まりはない」とのことだった。「ポカラ パリョタン オフィス(ポカラ 観光役場)」に行く。こちらでも同じ話だった。他に申請に必要なことを聞いてきた。以下の書類が必要。1.ジャガコ ナピ ナクサ(土地の間取り図・コピーは不可)2.ナガルパリカコ ゲストハウス サンパンナ パトラ バワンコ ナクサ(役所でもらう証明書のコピーと建物の間取り図) 3.ラルプルジャ(土地の権利書) ティロティレコ バルパイ ラッシ(土地の税金の領収書) 4.Scheme(建物の詳細やお金のことを専門家に書いてもらう) 5.5ルピーのチケット(収入印紙みたいなもの) 6.ナガリクタ(身分証明書)。
なんだ! それなら無理に部屋を増やす必要はない。予算も当初の45ラックで行ける! 日本に行ってまた稼がないといけない、というのがものすごく負担になっていた。100万、200万円はそう簡単にためられるものではないことをネパールの人はわかってくれない。「ああ、足らない分は日本で働いて持ってくるんだね」と、当たり前に言う。本当にホッとした。それにしても、ネパールの人はみなそれぞれ言うことが違うから、鵜呑みにしないほうがいいと、改めて思った。最初から役所に聞くべきだった。
UTLに行く。昨日はすぐに買えるといっていた電話機のセットが今日は「システムの問題で買えない。明日来てくれ」と無愛想に言う。今朝は停電が6時間もあったせいか知らないけど、こういうことがあるから本当に買って大丈夫なのか、迷ってしまう。せっかくマヘンドラプルまで来たついでに、昨日いつも行くインターネット屋さんで教えてもらった「ポカラ インターネット ケーブル」に行く。こちらはケーブルテレビの会社で、ネットのサービスもしていてワールドリンクより安いのだそうだ。行ってみると雑居ビルの狭い1室に若い男性たちが5,6人電話したりパソコンを見ていて、本当にここが会社なのか? と不安になったけど、いちおう話は聞けた。しかも2週間あとには新たにワイヤレスインターネットのサービスも始める、と言う。それならそのほうが良いだろう。2週間後に改めることにした。
今日は土地の仕事は、前回階段造りで活躍した若い目つきの鋭いお兄さんが1人で竹の棒を運んだりしていた。たった1人で、今日も大して仕事は進まなかった。
でも、今日は予算が少なくて済みそうなこと、ネットの環境つくりも良い情報が入ったことで少し良い1日だった。
夕方部屋で日記を書いていると、裏側の部屋に住んでいるお姉さんが話をしに来た。だんなさんが酒好きらしく、卵を売って稼いでいる金を全然家に入れない、自分はホテルで掃除やベッドメイクの仕事をしているがその給料も安い、と言っていた。
2008/12/21 (日曜日)
家建築78日目 天井造りの道具が届くだけ。。。

前の日の夕方からテクダルに電話して「早く天井を造る仕事を始めて」と言ってきたが、まだ道具などが届いていない。壁という1つ大きな仕事が終わって、ちょっと仕事が止まりそうだな、と思っていたけど、案の定止まった。
朝ごはんを食べて、まずイミグレーションに私のツーリストビザの延長に行く。延長すると、ビザ代が2倍に高くなるから、いったんインドに出て、新年に再入国しようかと考えてきたが、工事が思ったように進んでいない。30ドルのために1週間くらい外出するのもどうかと考えて、延長することにした。待っている観光客は1組だけで、すぐに手続きが終わった。1か月分4410ルピー(30ドル)を払った。
鉄で手すりや門などを造る店を3つ訪ねる。1フィート65ルピーくらい。3階までの階段の手すりで2万ルピー代くらいだった。ニューロードにある大きな店が大きく、デザインなどの融通も利きそうだった。
電話とインターネットのために「UTL」と「ワールドリンク」を訪ねる。ワールドリンクは2ヶ月前に訪ねたときよりだいぶ値下げしていた。UTLは以前は電話サービスだけだったのが、最近インターネット、メールサービスも始めたという。でもパソコンにつなぐケーブルを自分で買わなければならず、どこでそれが手に入るか、どんなものが必要か、お店の人もわかっていない。ワールドリンクは逆に電話サービスがない。そして1年で15000 ルピーとかなり高い。ワールドリンクの店の下にパソコンショップがあったので入ってみた。パソコンは思ったより安くて、サムソンのデスクトップのなるべく安いものならモニター、本体などひとそろえで2万8000ルピーくらい。モニターを薄型のにしても3万ルピーくらいだった。ネパールではもちろん高価なものだけど、日本で買うよりかなり安いので、こちらで使うなら1台買ってもいいかなと思う。

5時過ぎに土地に行く。途中でバジに会う。「今日はどうだった?」と聴くと、「道具は届いたが働く人が来なかった。今日も私は畑の仕事をしたよ」とのことだった。7時半ころテクダルに電話がつながるが、いい調子で酔っ払っていた。
2008/12/20 (土曜日)
休み。

今日も建築の仕事は止まる。朝テクダルは来たが、天井工事のための物は届かなかった。働く人も来なかったみたいだ。チョウキダルのバジだけがいて、仕事がないので自分の畑の仕事に行ってしまった、と言う。クリシュナがシババンジャ(甥っ子)が村からたくさん持ってきたみかんを1個渡すと、バジは「うちの畑でいっぱい採れたほうれん草といもを持っていく?」と聞いたという。

ムーンライトホテルでダージリン行きの話を聞く。今はコシの橋が壊れていて、舟に乗って川を渡るか、遠回りをして24時間かけてカカルビッタまで着くかしかないという。ドルが今下がっていて、ビザ延長料金分30ドルを払っても、ダージリンに旅行するより安くつく、と言われる。天井の仕事もいつ始まるかわからないし、年末年始はレイクサイドもストリートフェスティバルがある。クリシュナはそれをたのしみにしているので、このままビザを延長するか、と考えるようになった。
2008/12/19 (金曜日)
休み。

仕事は今日も休みだった。天井をつくるために必要な道具が届かなかったためだそうだ。いつもきっちりと働く職人のリーダーも昼から酔っ払っていた。ずっと働いていたから壁が一段落して飲みたくなる気持ちもわからないではない。でも、あと10日で終わると言っていた天井の仕事はいつから始まるのだろう? テクダルの言う「10日」は1か月くらいに見ていたほうがいいみたいだ。テクダルは夕方に来た。「明日から仕事が始まる」と言って帰っていった。
2008/12/18 (木曜日)
休み。

 今日は、昨日造った部分の壁のセメントが固まらないと次の作業に移れない、とのことで仕事が休みになった。

サヒチョークにある役所に結婚の申請について聞きに行く。私たちは日本で結婚をし、以降ネパールには短期滞在だったので結婚ビザの申請をしていなかった。珍しく3人の係りの男性職員が丁寧に説明してくれた。まずカトマンズにある日本大使館で結婚している証明書を持ってくる、それをここに提出する。「あなたたちと同じ例があるよ」と言って、他の日本人の書類を見せてくれた。さらにクリシュナが独身かどうかを村の役所に確認するのに16日間くらいを要する。親などに手続きを代行してもらえるのか、尋ねると、指紋捺印などがあるのでそれは無理とのことだった。
役所にいる間にダムサイドのおじさんから電話がある。今ババと一緒に土地にいるとのことだった。予算の話をしたいので、会いに行くことにした。バジは仕事が休みなので朝から酔っ払っていた。酒を飲むことを好まないバウンカーストのババやおじさんはバジにからまれて苦笑していた。ババは私たちが帰ったあと、近所に部屋を借りてそこに泊まり、工事を見てくれることになっているが、工事中の家の1つ部屋ができたらそこに住む、と言っている。そうしたらチョウキダルを雇わないで済むだろう、とのことだった。ババにどこに泊まってもらうか、がちょっと悩みどころだ。予算については、贅沢はいらないことを言うと、ババもおじさんも理解してくれた。
2008/12/17 (水曜日)
家建築77日目 壁

 朝8時頃クリシュナが現場に見に行くと仕事は問題なく続いていた。私の結婚ビザをとるために役所に手続きに行く。これまでは短期滞在だったので観光ビザしか持っていないが、今後は必要だ。まず結婚の届出を済ませ、カトマンズのイミグレーションでビザを申請する。ネパールの役所はいろいろな難くせをつけたり、袖の下を要求するのでうんざりする。10時半頃ベグナスのナガリクタ(役所)に着く。田んぼの真ん中に建っていた。建物は新しくきれいだった。外にクリシュナの顔見知りの人がいて声をかけると、部屋の番号を教えてくれた。そこに行くと、バウンらしいいかつい顔をした男性が「何の用?」みたいな感じで聞く。クリシュナが話すと、外国人の結婚の手続きはレイクサイドのサヒチョークに行かないといけない、と言う。レイクサイドのイミグレーションで聞いたときは、ここへ来るように言われたのに。結局ムダ足。もう慣れたけど。せっかく来たので観光地のベグナス湖まで行って、ダルバートを食べる。このあたりは静かで、ヒマラヤも大きく見える。ネパールの村は本当に良い。

 4時頃土地に行く。壁の仕事は明日で終わる、と職人さんが言う。柱はあと10日で終わるという。
2008/12/16 (火曜日)
家建築76日目 壁

朝9時まで停電していて水が来ないので、8時半頃まで布団でごろごろしてしまった。
テクダルに電話でマシーンを持ってきたことを確認する。初めて日本からもってきた海苔を食べる。久しぶりに食べたら美味しかった。
 スリジャナチョークに窓の店やシステムキッチンなどを見に行く。私たちの家も黙っていれば、これを使われてしまう可能性があるので、値段や物を調べに行ったのだ。システムキッチンは案の定高くて2ラック(35万円くらい)という。システムといってもオール電化とか、そういうわけではない。ガスはプロパンガスには変わりない。こんな贅沢は要らない。窓の店はいくつか見つかった。ステンレスで階段の手すりやスライド式の窓を売る店もみつけた。木の窓をつくるのと、そんなに値段は変わらなかった。手すりは1ランニングフィート1300ルピーだった。セメントで作る手すりの店も見つけた。1個35ルピーだった。この値段は交渉前の値段だ。
 4時半ころ土地に行く。まだ壁の仕事が続いていた。丸い窓枠のところをやっている。ここは時間がかかるらしい。でも明日には壁が終わって、あさってから天井が始まるそうだ。チョウキダル(見張り役)の小屋を作り直したお金を払う。400ルピーだった。
2008/12/15 (月曜日)
 

家建築75日目 壁

 朝おきてダルバートを作る。仕事は普通に進んでいる。クリシュナが「今日はポカラ全部がバンダ(ゼネスト)だ」と聞いてくる。バジが近くの学校で火事があったため、と言ったそうだが、それがどう関係あるかわからないが、実際はコングレス(民主主義派)の政党支持者が政治的に抗議したもので、学校に火をつけた学生や警察と衝突した怪我人もいたということだった。
 ダンスに行こうと思い、1時になってもまさよさんが来ないので電話すると「バンダだからないでしょう」と言う。あまり行く気がないのかなとも思う。仕方なく部屋に戻ってくると1階の部屋のクリシュナの友達の奥さんが「今は暇? グルンフィルム見る?」と聞く。ダンスに行かなくなったので、部屋におじゃますることにした。グルンフィルムというのはグルン民族が作る映画のことで、そのDVDを見せてもらうことをずいぶん前に約束していたのだった。映画は「ナヌ(グルン語で名前の意味)村の娘さんが親の病気などを乗り越えて好きな男性と結婚するというストーリーだった。言葉がグルン語なので、ネパール語の字幕が出る。全部言葉を理解することはできなかったが、なんとなくはわかった。
全部で2時間くらいの映画だった。この家のおばあさんがずっと部屋で一緒に見ていた。あとは友達の奥さんほか、アパートのいろいろな人が出たり入ったりした。奥さんは「カジャ(軽食)」を出してくれたが、本当にお腹が空いていなかったのでアチャール(漬け物)
だけもらった。
 映画を見終わり4時頃土地に行く。今日は石を切るマシーンというのがなかったため昼くらいには仕事が終わってしまったという。バジのセメントの水まきも無事終わり、部屋に戻る。テクダルに電話して「明日マシーンを持ってきて」と念を押しておく。
 
2008/12/14 (日曜日)
家建築74日目 階段 予算の相談 日本にいったん帰る?

 クリシュナは8時に現場に行った。今日は階段にセメントを入れる大事な仕事なので、見ていたほうがいい、と言うのだった。セメントには良いものと少し安いものとがあって、大事なところには良いものを使わないといけない。壁を造るときにちょっとその失敗があったということだった。テクダルも見に来ていた。
朝ごはんを食べ、12時半頃土地に行く。階段は昨日の若い職人がてきぱきと進めていた。2時くらいには終わる予定とのことだった。セメントは女性がまぜていた。私を見るとにっこり笑う。セメントを混ぜるシャベルが力強い。
4時頃土地に行く。階段は終わっていた。1段1段の幅が広く、勾配がゆったりしている。幅を広くしたのは欧米人対応だ。このセメントが固まったら、明日この周りの壁を造る。そして手の空いた職人さんが、壊れかかっているチョウキダル(見張り役、物置)の小屋を造りなおした。クリシュナが1人50ルピー、計4人分を払った。
エンジニアのお兄さんに電話してお金の件の相談をしたいと言うが、オートバイが壊れていてこちらに来れない、と言う。私たちの方で出向くことにした。バスでサヒチョークまで行き歩く。学校の左の道を入ったら間違えてはいたが、親戚の家だった。そこの娘さんが案内してくれた。お兄さんのお父さんがまず迎えてくれて、ネパール語ができるのかと言う話を少しする。ハジュールアマも来る。しばらくしてお兄さんが帰ってきた。「何の問題?」というので、クリシュナが3階も部屋を増やすことになったが、どうしてもお金が足らない。予算を削れないものか、相談に来た、と告げた。去年話を聞いたときは45ラックということだったが、今の物価の高騰から60ラック以上にもなるかもしれない、と言われていたが、それでは予算オーバーだ。飾り屋根や棚ばかりたくさんついたキッチンなどは要らない、塀も鉄やきれいな石で造るプランになっていたが、ブロックや木にしたいと言った。「キナ?(なんで?)」と言われたが、「そんなにお金がない。私たちは早くネパールに住みたい。日本で働いても10ラック(150万〜180万円くらい)を貯めるのは簡単ではない」。私たちはそんなにお金を持っていない、ということを強調した。「ちょっとお金がかかっても最初に良い物を造った方がいい」と言われる。それは正論だけど、ないものはない。「なんとか50ラックで終わるようにトライしてみるけどね」みたいなことにはなった。
また、天井を造り終えたらそのセメントを固めるのに28日仕事を止める。それが1,2,3階と3回ある。計3か月仕事がないことになる。2,3階は1階を造ったのと同じ繰り返しなので、品物の値段や発注先を教えておいてお父さんに見てもらえば大丈夫、その間日本に帰って働いたら? との話が出てきた。ネパールの人は「日本のような国へ行って働きたい」、という考えを持つ人が多いので、私たちが日本へ行けるならその方がいい、と思うみたいなのだ。
私の観光ビザは後2週間で切れる。結婚ビザへの切り替えをしたいというのもある。でもその前に日本へ帰ることになるか? こちらで買った家具などはどこに置くか? どうしようかな?
一昨日ブトワルの方で、スクールバスの交通事故で子どもを含む37人が亡くなった。哀悼のため今日ネパールの学校が休校した。
2008/12/13 (土曜日)
家建築73日目 壁 階段

 朝おきてダルバートを作り、インターネットなどをして2時頃現場に行く。今日は階段を造るためのスタッフが来て、壁と階段の鉄柱を造っている。バジはする仕事がないため、そこに来てはいるが休み。朝から良い気分で酔っ払っている。
 階段を造るのは若いグルン民族のような男性で、仕事が早い。木と鉄板で階段のセメントを支えるものと足場を造り、自分で鉄を必要な長さに切り、それを運び、鉄を格子にしていく。これを1人で5時前には終わらせてしまった。壁の方もほぼ終わろうとしている。テクダルが来て、階段の手すりをどうするか聞かれた。木にするか、鉄にするか、デザインも自分で決める。木の方が少し値段が高いとのことだった。みな木のほうがカッコいい、みたいなことを言っていたが、別にそうも思わないので鉄にすることにした。デザインはお店などで選べるのか? と尋ねたが、「できている家を見て選ぶしかない」と言われた。
 ちょっとお茶を飲んで帰ると、バジが自慢げに「どうぞ見て、もうセメントに水をまき終わったよ!」と言う。酔っ払っているので、ちゃんと撒けたのかよくわからないが、一応あちこちに水がたまっていた。今日のバジはおもしろかった。テクダルが来た時に、クリシュナが貸していた500ルピーをテクダルから受け取ると、「私にも100ルピーくれ」と言う。テクダルは厳しく「お金を見るとすぐに欲しがって! 1ヶ月に1回払うことに決めているんだから、それ以外に上げることはできないよ」と言う。バジはちょっと不服そうに「お金くれないって」と言う。最後に使い終わった鉄をかたづけるときには面倒くさがって「私の仕事ではない」みたいなことを言う。階段造りの若者が「そんなことないよ。これは私たちの仕事でしょ」と言って怒るが、どうしてもバジがやりたがらないので彼1人でかたづけた。「はい、私の仕事は終わったよ」と若者が言うと、「シャーバス!(おめでとう)」と言うので、一堂力が抜けてしまった。若者が冗談でよくお金をねだるバジの真似をして「バジ、仕事をしたから、私にも10ルピーください」と言った。バジはいつも自分が言われるように、「それはテクダルからもらうものだ!」と手を激しく振って言う。これにもみな爆笑。酔っ払ってはいるが、一応最後に鉄を鉄線で結ぶまではやって仕事を終えた。
2008/12/12 (金曜日)
家建築72日目 壁 結婚式に行く

 今日はナンダさんの妹さんの結婚式だ。ネパールは今結婚シーズンで、日々結婚の祝いの演奏や、花嫁を待つ女性が踊るラトゥリダンスや、テープで飾った車が見られる。
現場を見に行くと、壁の仕事が続いていた。朝7時にテクダルに電話すると階段を造るための道具は今日持ってくる、とのことだった。
 
 クリシュナに手伝ってもらいながらバタバタとサリーに着替えた。バスに乗ってマヘンドラプルに行き、バスを乗り換え7,8分でガンダキ病院のバス停に着く。そこから歩いて3分くらいのところに教会があった。ナンダさん家族はクリスチャンだ。ネパールでクリスチャンの結婚式に出るのは初めてだった。100人くらい収容する教会だった。そこにナンダさんの民族のグルンの人を中心に招待客が集まっていた。ヒンドゥー教の結婚式では赤い垂れ幕や、赤いサリーと赤がキーポイントなのだが、垂れ幕はピンク、サリーもピンクを着る人が何人かいた。他の女性はグルンの民族衣装だった。11時開始予定が11時40分頃式が始まった。教会の人が司会で、ギターを演奏する人が2人いた。まず新郎がお兄さんらしい人と一緒に入場する。次にベールを被ったまま(白いウエディングドレスだった)新婦がお姉さんや家族と一緒に入場する。神父が「苦しいときも楽しいときも一緒に頑張っていきますか?」と尋ね「チュ(します)」と答える。このひと言チュというとき、客席から笑いが起こった。それから新郎新婦で手をつなぐ(これはヒンドゥー教の式でも同じようなことをする)。指輪の交換、「マラ(花輪)」と言っていたが金のネックレスを花嫁にかける。ギターで歌をうたう。そこまでは良かったが、その後の宗教的な話をする人が2人いて、1人は40分以上しゃべっていた。2人あわせて1時間話が続いて、年配の人や子どもは外に出て行ってしまった。ほかにもキリスト関係者が6,7人いたので、まだ話が続くのかと心配したが、この人でようやく終わった。新郎新婦がヴァージンロードを歩いて外に出ていき、そのまま写真撮影したり、お祝いを渡したりした。ナンダさんから紹介してもらって新郎新婦と写真を撮り、500ルピーずつ渡した。新郎は銀行員、新婦のナンダさんの妹さんはカトマンドゥで医者をしているそうだ。ヒンドゥー教の結婚式よりはかなり時間が短く、花嫁さんの涙もなかった。庭でバイキング式のご飯が出て、おいしいのでおかわりして食べた。2時半頃退席する。
 バスでレイクサイドに戻り現場に行く。壁はもう終わりそうだった。珍しくテクダルに電話がつながったので、ちょっとびっくりしながら「明日階段を造る人が来ますね?」と確認する。

 
2008/12/11 (木曜日)
家建築71日目 壁 

 仕事は壁が続いている。職人さんたちは早く仕事を終わらせたいみたいで、5時半から6時くらいまでは毎日働いている。
 4時半頃現場に行く。壁は順調で、もうすぐ終わりそうだ。次に階段を造るための道具が要るそうで、それをテクダルに頼まないと仕事が止まる、と職人のリーダーが言う。でも、テクダルへの電話は相変わらずつながらない。時々つながると、「えっ!?」とびっくりするくらいだ。
 バジにセメントの水撒きを頼むが水のモーターが調子が悪いので「明日の朝やる」と言う。珍しくクリシュナが厳しい口調で「いつでも明日やる、明日やるはダメです。うちの家が弱くなって壊れたら困るでしょ」と怒っていた。それからバジは不機嫌な感じで、バケツで水を撒き始めた。バジの奥さんが来て、私に「今日もダンスに行ってきたの?」と聞くので、ちょっと話をすると、バジが何て言ったのかわからなかったが怒った。それでバジの奥さんは黙ってしまった。クリシュナはモーターを使うための電気のコードを買いに行った。私は一足先に帰り、クリシュナはモーターのコードを直し酒を飲みに行ってしまったバジが帰ってくるのをちょっと待って、部屋に戻ってきた。
2008/12/10(水曜日)
家建築70日目 壁

 
 朝クリシュナが現場に見に行き、仕事は壁が続いている。すぐ戻ってくるみたいなことを言っていたので、部屋で朝ごはんを作って待つが、お金を取りにダムサイドのおじさんの家に行ってしまった。1階の窓の上につける庇かたちを決めることもあり、テクダルのバイクに乗って一緒に行ったという。三角屋根の「ナマステ」というスタイルは今の流行らしいが、ちょっと派手な気がする。もっとシンプルが良い。クリシュナも同じ考えで、テクダルと一緒に何軒か参考になる家を見て、「こういうのがいい」と言ってきたという。
 
工事が28日の休みに入ったらいったん日本に帰ろうかと考える。天井のセメントが終わったら28日はしっかり固定させるために、ほかの工事をとめるのだそうだ。その28日の休みが1階の天井、2階の天井と2回ある。2ヶ月何もしないでいるのはもったいないし、2階の作業は1階の繰り返しなので、物を買う店、値段を知らせておけばババ(父)にまかせても大丈夫だろう。
一番悩ましいのは3階部分の部屋を足すために、もうちょっとお金が要りそうなことだ。昨日聞いた「ホテルをやるなら部屋が11個必要」というのは、クリシュナが調べたところによれば「ホテルは最低8個部屋が必要。レストランも併設するなら10個必要」というのだった。そうなるとさらに10ラック(170万円)くらいは要るだろう。エンジニアのお兄さんによれば、今は物価が動いているので、それによって全体の費用が「45ラックですむかもしれないし55ラックかそれ以上かもしれない」とのことだった。あとはどこの予算を削ろうか、と考える。
ホテルオープン前に一度日本に帰ることは、クリシュナも私も職場に言ってあったので、帰れば仕事はあるのだけど。帰る時期が予定通りに行きそうにない。。。
12月30日には私の観光ビザも切れてしまうので、一度インドに出国しようかとも考えていた。一方で28日の休みの間に結婚ビザへの切り替え作業をしにカトマンドゥに行こうか、という考えもある。でも、あとどれくらいで天井が終わるのか、微妙なタイミングになっている。どうしたもんかな?
 水タンクから水を直接引くためのパイプをつないだ。5時過ぎに職人さんが来てパイプをつないで帰っていった。バジは早速このパイプから水のモーターにホースをつないで、壁のセメントに水をまいていた。
 
2008/12/9 (火曜日)
家建築69日目 壁 

 昨日テクダルが給料を持ってこなかったので、働く人たちが怒って来ないのではないかと心配したが、仕事は普通に続いていた。バジも酔っ払うことなく働いていた。
 4時半頃現場に戻る。どうやらそのあとテクダルが給料を持ってきたらしく、スタッフのみなは落ち着いて働いていた。「お昼は自分たちのお金でお茶を飲んでたよ」とクリシュナが言った。5時になるがまだ壁の仕事は続いている。バジは石を運ぶ。バジの奥さんは時間を気にして私たちに何度か時間を尋ねた。早く仕事を終わりたいのもあるし、5時過ぎに停電が終わるので、それを待ってモーターで水をまこうとしていた。5時を過ぎてバジの奥さんが水をまき始める。一方まだ壁の作業は続いていて、壁の内側でまいている水が表側の作業中の壁にかかりそうになる。「バー! バー!(やめて やめて)」。職人さんが慌てて言う。バジは自分の奥さんに「そこには水をつけるなっ!」と厳しい口調で言う。電気を止めたと思ったモーターがまだ動いていて、ホースから水が飛び出してきた。それに慌ててて奥さんが、モーターを止めに走る。ネパールの人が走ったり、慌ててたりするところはあまり見かけない。その慌てる様子を見て、バジ以外の職人さんは笑っている。クリシュナがモーターを止めに走った。
 セメントがまだ結構残っていて、どこかに使おうか、と考えたが、結局使える場所が見つからず、ちょっと無駄になってしまった。
 現場にふらっと見にきたクリシュナの知り合いが、「最近の決まりで、ホテルにするには最低11個の部屋が必要だ」と言う。そんなの聞いていなかった。うちはキッチンまで入れて10個しかない。3階部分を広い1室にして増やすことはそう難しくない。でも、この情報は本当なのだろうか?
2008/12/8 (月曜日)
家建築68日目 壁

 クリシュナが現場に行く。働く人は7人いて、テクダルも石を切る機械を持ってきた。壁を造る作業が続いている。
 土地をちらっと見に行く。水タンクのなかのセメントを支えていた木が外されてあった。
 5時ころ土地に戻ってくる。まだ人々は働いていた。クリシュナがテクダルに電話している。今日は働く人がテクダルから給料をもらう日で、みなテクダルが来るのを待っていた。クリシュナはテクダルの代わりに「金を貸してくれ」と言われるのが嫌で、テクダルに電話している。が、電話はつながるが電話に出ない。ようやくつながるが「今日は来ない」とのことだった。それをみなに伝えると、さすがにみな困ったような顔をした。職人さんのリーダーからクリシュナは「テクダルが来なかったら3000ルピー貸してくれ」と言われていたが、それは額が大き過ぎるので、財布を見せて「私も今そんなに持っていないので、200、300ルピーなら貸せるけど」と言ってあった。200、300なら要らない、と言うので払わなかった。バジだけがそれでも欲しい、というので300ルピーを払った。
 7時頃グルンの友達の奥さんが料理を持ってきてくれて酒盛りをした。私たちがビールを用意した。お兄さんは私たちほど、食べ飲みしなかったが、10時くらいまで飲んでいろいろ話をした。シャイな人で、最初は私とあまり話をしなかったが、だんだん盛り上がった。子どもが2000グラムの未熟児だったこと(6ヶ月経っていまは元気)、年をとったおばあさんのことなどを話した。
2008/12/7(日曜日)
家建築67日目 壁

 クリシュナがナガルパリカ(建築関係の役所)に行くというので、早めにダルバートを作る。クリシュナは10時頃出て行く。そのあとティルセパッティに以前頼んだネワール彫刻のドアの進み具合などを確認しに行くことにしていたので、私も一緒に行けたら行こうかと思っていたが、用事をしていたら時間が中途半端になったので行かなかった。
 5時頃現場に行く。エンジニアのお兄さんが来ていた。クリシュナが今のプランの2階半(3階はキッチンのみで面積の半分だけ使う)ではなく3階すべて部屋にしたらどうか、と尋ねる。それには6,7ラック、将来部屋にできるように天井だけ造っておくと3ラックかかるそうだ。クリシュナは3階全部を部屋にしたいみたいだったが、私はまたさらに資金がいることを考えると、うなづけなかった。3人でお茶を飲んだ。あとでクリシュナに聞いたところによると、今日はテクダルが持っている石を切る機械がなかったため3時に仕事が終わってしまったそうだ。働く人は7人来ていた。水をまく機械の調子も悪くて、バジはバケツで水をまいていた。
 お金のことを考えてちょっと気分が落ち込んだ。
2008/12/6 (土曜日)
家建築66日目 壁 窓の社長に怒る

 そうじなどをして、11時頃現場に行く。朝から窓のお店に電話して早く直して持ってくるように言っている。昨日は朝一番に持っていくと言っていたが、今朝になって1時頃になると言う。現場では壁の職人さん2人とバジが仕事をしている。窓の店の人が来たら怒ろうと思った。だって、この窓の店はダムサイドのおじさんやエンジニアのお兄さんのお父さんも信用して、これまでずいぶん客を紹介してきたというのだ。おじさんたちも激しく怒ったらしい。それでいながら、腐った木を使った品物を持ってくるとは。
 職人さんたちが昼休憩に入ったので、私たちは最近オープンした桃太郎に食事に行った。私はコロッケ、クリシュナは卵どんを食べた。
 12時に戻るとみな仕事を始めていた。壁のセメントがはみ出したところをへらではがしていた。テクダルが今日運ぶ、と言っていた長い竹の棒がトラクターで運ばれてきた。窓の方は昨日言っておいた1つは朝のうちに直したものが届いていたが、あと2つはまだ来ない。1時に電話すると「停電になったら持ってくるので、2時15分くらいになる」と言う。自分のところの仕事が停電でできないときまで待ってくれ、というのだ。そして3時近くになってようやく来た。この間店で会った人より年配の社長、という人だった。でっぷり太ったブラーミン(バウン)カーストの男性で、親しげにこっちを見ていたが「遅いよ!」と日本語でまず怒った。次にネパール語で「なんでこんな悪い物をつくった? このためにうちの仕事が昨日止まったよ!」と言うと「仕事は止まってないよ」と、今働いている人たちをさして言う。「昨日止まったよ」。それから言い訳っぽく、「自分はこの仕事を見ていなかった。ほかの者がやったんだ」とか「バイニ(妹さん。私のこと)、聞いて。木がこうなるのは少し時間がたたないとわからないものなんだよ」とか言った。クリシュナに小さい声で「外人は停電で仕事が遅れる、というのをわかってくれない」と言っていた。バイクで連れてきた職人に作業をさせて窓の社長は帰っていった。クリシュナに「違う店を探そうよ」と言うと「どこに頼んでも同じだよ」とあきらめたように言った。
2008/12/5 (金曜日)
窓枠失敗のため仕事止まる

 朝起きて私はインターネットをしに行く。戻ってくるとちょうどクリシュナも帰ってきたところだった。「仕事が止まった」。また? 「なんで?」「窓の枠が届いていない。長い竹の棒も要るんだけど、それが着てないって」。
 昨日手抜きがわかった窓のやり直しがまだできていない。それを支える竹の棒が要るらしいが、それはテクダルから届いていない。なんか、そろそろ止まるんじゃないかな、と思っていたが、案の上止まった。まあ、基本的に休日というものがないので、たまには仕方ないのかな、とも思うが、今回は窓の手抜きのせいなので、ちょっと怒らないと。現場は止まったけど、窓のやり直しをさせたり、大理石の注文などクリシュナにはすることがないではなかった。
 クリシュナと一緒にマヘンドラプルに行き、電気をチャージしておいて使う電灯を買う。今は停電タイムが長い。これからもっと長くなるという。ろうそくも10本で50、60ルピーはするから電気代より高い。電灯は何千ルピーかするらしいが、長い目で考えればこちらの方が便利だ。隣りのうちの奥さんもそう言っていた。何軒かある電器店に入ってみる。1件目は中国製しかなかった。隣りの奥さんいわく「中国製はすぐ壊れる。日本製が良い」とのこと。4軒くらいの店で聞いてみるが日本製はないか、売り切れだった。イングランド製というのがあって、これが良いと勧められた。英国製の電器って、私は使ったことがない気がする。2300ルピーというのを2100に値切って買った(写真)。うちに帰って説明書を読んでみると英語とアラビア文字だった。どこにもイングランド製の表記はないが、そういうものなのだろうか。ちなみに中国製の電灯で、パワーの小さいものは500数ルピーだった。
 4時半頃土地に行く。やり直しの窓は着ていた。またクリシュナがいない間に、勝手に置いていってしまったらしい。残りの2つは明日早めに直して持ってくると言う。セメントにまく水がなくなり、クリシュナがオーダーする。あと1時間で持っていく、というので待つことにした。この間調子の悪かった水のモーターは新しいのに交換していた。バジが「200ルピー欲しい」と言い、それを払う。確かにバジがチョウキダルを始めて1ヶ月になる。前のチョウキダルに貸した前貸し分も含めて、テクダルに清算してもらうことにする。約束の時間が過ぎても水が届かないので、私は一足先に帰る。
2008/12/4 (木曜日)
家建築65日目 壁 窓枠失敗発覚

 12時半ごろ土地に行く。今日も壁造りが続いている。3人の職人さんとバジ夫妻が働いていた。今日は壁の職人のリーダーはいなかった。うちの裏側で、違う現場があり、そっちで屋根を造る作業があるそうで、今日はそっちに行っていた。お兄さんがその現場のテクダル(大工の棟梁)で、作業はすべて彼に任せているという。
 ダンスの帰り道、菜っ葉(10ルピー。10数円で大きな束が買える)とみかん(1キロ35ルピー、50円弱。赤ちゃんを横に寝かせて木の下で売っていた女性は25ルピーと言っていたが前回より5ルピー高かったので買わなかった。お店で買ったら値切ろうとしたのに35ルピーで譲ってくれなかった。ちょっと失敗した気分になる・・・)を買って、5時頃現場に行ってみる。クリシュナから窓の枠に失敗があったと聞く。エンジニアのお兄さんのお父さんが来て、「良い木を使っていない。やり直しさせろ」と怒ったということだった。もう窓をオーダーして1か月も経っていたから、すっかり窓に気を遣うのを忘れていた。明日やり直すことになった。確かにその木は柔らかく、手で簡単に表面がはがれてしまう。しっかり見なくては。頼んでいた水が5時半頃来る。機械の調子が悪そうなので心配したが、無事タンクに入れた(275ルピー、1500リットル)。
2008/12/3 (水曜日)
家建築64日目 壁

 クリシュナが現場に行くと、いつもどおりに仕事は進んでいた。ご飯を食べて12時頃現場に行くと、壁の作業が続いていた。
 4時頃現場に行く。とくに変わりなく作業が続いている。バジは今日は酔っ払っていなかった。
2008/12/2 (火曜日)
家建築63日目 壁 チョウコース

 8時半頃現場に行く。昨日の続きで壁の作業が続いている。近所の店でお茶を頼み、働いている人に出した。バジは昨日よりはマシだけど、少し酔っ払っている。壁の職人さんのリーダーが「酒を飲むと私たちの仕事の邪魔をするから、酒の金を絶対にあげないで」とクリシュナに頼んでいた。
 4時半頃現場に行く。仕事はけっこう進んでいて、窓やドアのチョウコース(枠)の設置がかなり進んでいた。だいぶ家の形が見えてきた。チョウコースの下に大理石を置き、その周りを赤いレンガを積み、その表側を白いブロックを積みセメントで固めていく。はみだしたセメントは細い木で取る。さらに最後に石を磨くのだそうだ。丁寧にやってくれるんだな、と感心する。
隣りの家でも昨日からまた仕事を再開した。壁にプラスタ(セメントと砂で表面をきれいに仕上げること)をした。壁にあった穴はただの明かり取りかと思っていたら、そこを足場にしているのだとわかり、それも感心してしまった。バジは多少酔っ払っていたが、大理石などはきちんとシートで隠して片付けてくれたので、私たちも部屋に帰る。酒代をくれ、とか、話が始まる前に帰ることにした。
2008/12/1 (月曜日)
家建築62日目 壁

4時頃現場に行く。今日から朝働く人にお茶を出すことにした。近所の店で1杯7ルピー。バジたちが自分たちで買って飲んでいるのを見て、このくらいは私たちで出してもいいかな、と考えた。現場に行く途中でバジの奥さんに会う。なんかいつもほど元気がないような気もした。現場に行ってみてわかったのだが、バジが相当酔っ払っていた。クリシュナによれば、朝はまともに歩けないほど酔っていたそうで、今日は仕事ができなかったらしい。それでテクダル(大工の棟梁)にも怒られた。バジの奥さんともケンカになっていた。他の壁の職人さん3人は今日も6時近くまで残業していた。他に女性2人が石やセメント運びをしていたが、この2人は5時であがった。バジは酔っ払って何か言いがかりをつけている。職人さんたちは、適当にあしらっていた。バジがこんな感じなので、バジの奥さん1人が残ってセメント運びを遅くまでしていた。盗まれないように片付けなければならないものを片付けて、みな帰ることにした。バジ1人を残して。気になったので、クリシュナが8時頃来てみると、一応バジは物置小屋に泊まっていた。
 
2008/11/30 (sun)
家建築61日目 壁 大理石を買う

昨日壁の失敗があったので、それを取り戻すために壁の職人の人たちは朝5時、6時から働いていた。給料が時間でいくらではなく、「ここまで終わらせたらいくら」という「テッカ」と言うやり方なので、職人さんのほうも早く仕事を終わらせたいみたいだ。夕方も6時頃まで働いていて「オーバーワークだよ!」と笑っていた。でもよく働く人たちだ。
 今日は彼らに2万ルピー分の給料を支払った。本来はテクダルに払うのだが、「ここまで終わったら払う」という決まりが、通常よりうちは厳しくしていたらしく、それでは職人さんが困るというのでエンジニアのお兄さんと相談のうえ、全体の額は変えないまま、払う時期を少し早めた。テクダルに貸していた1000ルピー、バジに貸した2000ルピー、バス代と言って払った100ルピーはそこから引いて払った。壁の職人さんは物を運ぶだけの人より給料が良く、この人が私たちが支払ったなかから、賃金を振り分けていた。恐らく次の仕事が待っているらしく、うちの仕事も早く終わらせるべく急いでいるみたいだ。
クリシュナはテクダルから急に「ドアをつける周りに大理石がいる」と言われ、マヘンドラプルまで買いに行く。大理石は機械できれいに切って使われていた。壁の職人さんたちが残業しているので、セメントを混ぜたりレンガを運ぶバジとバジの奥さんも一緒に残っていた。日が暮れる頃、セメントを使い切って仕事が終わった。
2008/11/29 (sat)
家建築60日目 壁

現場では壁の職人さんが3人、バジとバジの奥さんがいた。バジたちはセメントを混ぜたり赤レンガをドコ(背負い籠)で運んだりしていた。昨日「金をくれないなら、見張りをしない」と言ったバジだが、今日は普通に働いている。こちらもとくに何も言わなかった。バジのほうから私に「今日はダンスを習いに行かないの?」と声をかけられたので「今日は休み」と答えた。
 2時半ころから4時ころまで現場にいた。みな普通に働いていた。でも来る道の途中に、やはり最近家を建て始めたところがあり、そこを見ていると働く人の人数は多いし、仕事も早い。うちが造るのに4,5日かかった鉄柱をあっという間に何本も造り上げていた。やっぱりうちは普通より仕事が遅いのではないだろうか? 壁は職人さんが糸を張って寸法を確認しながら1個石を置き、セメントを詰め、という作業を続けている。そのうちの若い1人は友達みたいな人が来て話をしながらやっていた。そのせいかどうか知らないが、最後になって、この人のやったところは石が倒れてやりおなしになった。
 
2008/11/28 (fri)
家建築59日目 鉄柱 壁

アパートに水が来る日なのに、朝10時くらいまで停電していて来ない。いつもタンク2つとガアグリ1つに水が溜まるのに、今日はタンク1つの半分しかない。もう次に来るのはあさってだ。洗濯ができない。「困ったね」と同じアパートの奥さんたちと話をする。
 現場の仕事は今日は人も増えて壁も柱も順調に進んでいた。夜、外で食事をしたあと、土地に行ってみる。バジは起きていたが、「起きて見張りをしないといけないから、酒の金をくれ。なくなっても責任を持たない」と言い出した。クリシュナがあきれて「最初は良い人だと思ってもダメだね。もうあの人は雇わない」と言う。どうしようか? 誰に頼んでも結局おなじだろう。大学の授業料のために働いているバンジャ(甥っ子)に頼んでみようか、と真剣に話した。
2008/11/27 (thu)
家建築58日目 鉄柱

朝クリシュナが先に現場に行き、私も少し遅れて行く。現場では昨日から壁を造るために来た3人とバジが仕事をしていた。柱につけるセメントを混ぜる仕事から始まっていた。それを見届け部屋に戻る。見つからなかった財布が見つかった。
 遅れて帰ってきたクリシュナが帰る早々「大変なことが起こった。インドでテロが起こってるって!!」。そういえばさっきネットを見たらヤフーで5つ星ホテル爆発というのをチラッと見た。「インドで何かあるとネパールに影響するんだよ」。知り合いのホテルの社長が「馬鹿なことしやがって!」と怒っていたという。またバンコクでも空港にデモ?の人が入り飛行機が止まっているという。それで来るはずのお客さんが来ていないそうだ。すぐにラジオをつけてみるが、ニュースでは最初にプラチャンダ首相が誰かと会ったとか、ナガルコットでストライキしてる、とかネパール国内のニュースが先で、3番目にそのムンバイのホテルで外国人を含む100人が爆発で死んだこと、まだ事件が続いていることを短く伝えているだけだった。あとでテレビを見ていたまさよさんに聞いてみると、昨夜の夜あった事件だと知ったが、まだ今朝の朝刊には出ていなかった。うちのアパートの隣りの部屋がカシミールから来ている人なので、事件のことを聞いてみるが「ムンバイであったことはわかったけど、まだよくわからない」と、さほど驚く様子もなく言っていた。
 4時半頃現場に行こうと思ってクリシュナに電話すると「今日は仕事が止まった」と言う。「なんで!?」「人が集まらなかった。壁をやれる人は来たけど、セメントを運ぶ人がいなかった」。壁を造れる技術のある職人さんは来ていたが、セメントや石を運ぶ人が足らなかったというのだ。あーあ、もう。。。それでも行ってみると、柱のセメントは進んでいた。
 現場に来ると、バジとクリシュナが物置小屋のところにいる。バジは水タンクの上に乗っかって、物置小屋の壁になっている石が崩れないように竹の棒を置いたり小石をつめたりしていた。私を見て「小屋が壊れそうだよー!」と言う。「危険だね!」と言うと、一同そろって苦笑いとなった。前のチョウキダルも言っていたが、石を積み上げただけの小屋なので、だんだん傾いてくるのだ。それで、ドアも開かなくなってしまった。ドアが開かないから中に入れないし、セメントに水を入れるためのバケツも取り出せない。ドアの鍵も緩んでダメになりかけている。それをなんとか開けるには開けた。小屋は明日直してもらわないと。人手不足なのにどうしよう。
 水のモーターでセメントに水をやってみた。このモーターというのが6500ルピーもした、2階まで水がまけるものを買ったというのに、力が弱い。ちょろちょろとしか出ない。これも明日またいろいろやってみることにした。
2008/11/26 (wed)
家建築57日目 鉄柱 壁

9時半頃土地に行って仕事が始まるのを確認したあと、ツーリズムボードに行く。版画家の知人の坂さんがやりたいといっている絵画展の会場として借りる話をする。とってもきれいな女性が対応してくれた。1日3000ルピーとのことだった。
仕事は壁と柱が続いている。働く人は7人来ている。赤い煉瓦を積んでいる。特に問題はなく進んでいる。テクダルが現場に来ていた。昨日バジにお金を貸した話は話題にもならない。あえてこちらもしなかった。
 いったんダンスに行って戻ってくる。坂さんも現場に来ていた。3人くらいが壁の仕事をしていた。柱はもう終わっていた。表側の白い石を積み始めていた。ああ、もう表に見える部分が始まったんだな、とつくづく思った。
2008/11/25 (Tue)
家建築56日目 鉄柱 壁

クリシュナの古くからの友人で版画家の坂さんの泊まっている「ホテル サクラ」に会いに行く。
仕事は壁が始まった。働く人は9人になった。まず赤い煉瓦を積んでセメントを塗っていく。また鉄の柱に板をつけてセメントで固める作業も続いていた。
4時前に土地に戻る。仕事は順調に続いていたが、またちょっと困ったことがあった。バジの奥さんが2000ルピー貸してくれと言うのだ。しかもテクダルにもらおうと思ったら、「今持ってないのでサフジ(社長。クリシュナのこと)からいったん借りてくれ」と言ったというのだ。2000ルピーと言ったら、学校の先生の給料が5000ルピーというネパールではけっこうな額だ。えーっ、と思ったけど、「信じてくれ」と言うものだから、仕方なく払い、あとでテクダルに支払う給料からマイナスすることにした。これはテクダルにも珍しく電話が通じたので、そう話した。ちなみにテクダルにはさらに1000ルピーも貸してある。一緒にいた友人の坂さんが心配してくれた。水をまくモーターを買い、その遣い方をお店の人が教えにきてくれた。最初電源を入れても動かないので、心配したが、なんとか動き始めた。1年以内に壊れたら交換してくれるそうだ。
2008/11/24(mon)
家建築55日目 鉄柱

朝6時15分に部屋を出る。道の途中でOKバジに会った。OKバジと会うのは7年ぶり、渋谷で会って以来かも知れない。最近はパルパのドゥリマラ村も学校ができて水も電気も来るようになった、と言っていた。時の流れを感じるものだ。最近は違う村で、活動をしているそうだ。マオイストの問題があったときは大変だった、と言っていた。マオイストがNGOが不正をしていないか、領収書を全部チェックして、ちょっとでも不正があるとそれを理由に金を請求したそうだ。OKバジは1人で活動しているので、組織的な不正などなく、また村の人たちがOKバジをかばってくれた、と言っていた。でもマオイストがいたときは、大勢で村に来て「飯をつくれ」というので、村の人たちはとても困っていたということだった。OKバジには一緒に現場を見てもらい、その後別れた。明日タンセンに帰るそうだ。
仕事は今日は柱造りだそうだ。石を買ってきたのに、壁は今日はやらないということだった。
5時近くに現場に戻る。柱のコンクリートは全部終わっていた。
2008/11/23 (sun)
家建築54日目 鉄柱

クリシュナが朝一番でテクダルと連絡を取り、壁の石を職人さんとともに買いに行く。電話がかかってきて、「全部白にするのはカッコよくないってみんな言う」。結局白となるべく薄い色を1000個買った。1個17ルピーだったのを15ルピーにしたと言う。仕事は今日は鉄の柱を造るのと、柱のセメントをやった。
4時を過ぎて現場に行く。もう作業は終わっていた。バジの奥さんが「ダンスはどう?」と聞くので、「なんで私がダンスを習っていることを知っているの?」と聞くと「バイ(弟。クリシュナのこと)から聞いたよ」とのことだった。鉄を片付けて帰る。
2008/11/22 (Sat)
家建築53日目 鉄柱 石探し

朝8時頃現場に行ったクリシュナから電話がかかってくる。「石をおろしに行かないといけない。早くご飯を食べて(私も)一緒に行った方がいい」と言う。外側の表に見える壁の石を選びに行くそうで、色や形を決めることになる。ほかにバジたちは今日は柱のセメントをやっていると言う。いつものよく働く2人は今日は休みだそうだ。2人だけはずっと働いているものね。
ダムサイドのおじさんに電話すると、「じゃあ先に石の店に行っている」ということだった。それから私たちはご飯を作って食べて1時頃でかける。本当は職人さんと一緒に行かないといけなかったそうだが、事情はよくわからなかったが、このとき現場に職人さんはいなかった。私とクリシュナででかかる。
 おじさんはバグルンバスパークの近くで石を見ているらしかった。そこまではゼロキロメーターという場所まで歩き、バスを待った。でもこのバスが来ない。トレッキングのスタート地点のバグルンまで行くバスはあるが、バグルンバスパークまでは3キロ弱で近いので止まらないのだった。1台来たマイクロバスは満員で乗れなかった。おじさんを待たせているので仕方なくタクシーに乗る。50ルピーだった。でも歩くと30分以上は掛かりそうだった。
 バスパークで降りて、バグルン方向に道沿いに歩く。ここからもヒマラヤがきれいに見える。石の店が何軒かあった。石はすでに長方形にカットされたものが大きさ、色別に並んでいた。と言っても、幅が3センチ、4.5センチの2種類と、色は黒っぽいもの、赤っぽいもの、白いもの、このなかからのチョイスしかなかった。もっとも他の店に行けば形はダイヤ形や普通の石の形そのままとか選べるし、壁自体もセメントや赤煉瓦だけにして色を塗るとか方法はいくつかある。ただ石を使ったほうがシンプルだし、また色を塗りなおすなどのメンテナンスも不要、とのことだった。私たちは白い壁がいい、と思ったが、おじさんたちは白1色は良くない、と言う。でも黒っぽいのは重たく見えそうだし、白と黒の2トーンは目にうるさく思う。
テクダルと電話がつながると、やっぱり職人さんが一緒でないと石は選べないと言う。結局今日は色と形を見るだけで終わった。ゼロキロメーターまで、他の店やいろいろな家の壁を見ながら帰る。いろいろ見ても、結局みな大して変わらない気もする。もうどれでもいいか、という気もしてきた。
4時半ころ現場に戻る。もう作業は終わっていた。4本の柱に木の板の囲いがあり、そこのセメントが詰められていた。予定の仕事は終わったらしい。バジの奥さんがセメントに水をまいていた。
2008/11/21 (fri)
家建築52日目 鉄柱 水タンクのふた

 朝8時半頃現場に行ってみる。働く人はいつもの2人とバジとバジの奥さんがいる。今日も結局他に人手はないのかな、と思っていたら、テクダルがバイクの後ろに1人乗せて連れてきた。以前チョウキダルがいなくなったときに、急遽連れてきた男性だ。それから早速セメント混ぜが始まった。バジたちはドコ(背負い籠)で石を運んでいる。私はいったん部屋に帰るが、クリシュナは残り、またテクダルも今日はずっといる、とのことだった。
 ダンスに行く前にちょっと土地に寄る。水タンクのふたのところにセメントを流していた。その上に鉄柱が長く伸びている。これはこの後切るのかな? 曲げるのかな? と思っていたが、「ここは階段になる」ということだった。ほぉ、そうなのか。ちょっとずつ家の輪郭が見えてくるのは楽しい。
 ダンスの帰り道、ひさしぶりに雨が降ってくる。またまさよさんのホテルの人の車でレイクサイドまで送ってもらう。5時に現場に戻ると作業は終わり、みな物置小屋で雨宿りしていた。テクダルも残って、バジたちとたばこを吸っている。鉄柱をやるいつもの2人もいて、年長でいつも頭にバンダナをしているお兄さんが、物置小屋のドアが閉まらないのを調整する。インドの人のような顔をした若い人のほうは物静かで、黙って私の肩を叩き、1個しかないイスを私に勧めてくれた。5時半ころ雨は止み、みな自転車やバイクで帰って行った。帰り際テクダルから「じゃあ行くから、バイニ(妹さん)」と親しげに声を掛けられた。みなが帰ったあと、バジと3人で鉄を盗まれないように1箇所に集めたりする。日が暮れて、みないなくなったあとのこの作業は1日の終わりをしみじみ感じる。
 
2008/11/20 (thu)
家建築51日目 鉄柱 水タンクのふた

クリシュナが現場に行く。今日から人を増やして仕事が始まる、と言っていた。が、戻ってくると「今日は人が来ない。鉄柱に失敗があった。それをいつもの2人でやり直している」と言う。
 なにそれっ!
 クリシュナはダムサイドのおじさんや、エンジニアのおじさんに電話し、私も怒りのあまり、速攻テクダルに電話した。
「明日から人がたくさん来ます」
「何のミステイクがありましたか?」
「人が2人しかいなかったので(技術的なことでよくわからない)・・・」
「明日、あなたも来ますね? 何時に来ますか?」
「はい、はい、8時には行きます」
 まったく! でもまったく仕事が止まるわけではないので、一応ゆるす。。。失敗というのも鉄が曲がっているのを直す、というだけらしい。バジの親戚で不幸があったらしく、それでなお人がいないらしい。

 ダンスから急いで帰るが、現場に着いたのは5時だった。もう1人が片付け作業をしていた。でも水タンクの上に、鉄の格子ができていた。こんなところにも、しっかり鉄を使うんだ、と感心した。鉄板の上に鉄の格子を造り、そこにセメントを流し込む。親戚のエンジニアのお兄さんが技術的にしっかりしたものを造らせていて、それでできる人がいないため、人手が足らないのだそうだ。私がぼおっと見ていると、バジが話しかけてきた。奥さんの親戚の家で不幸があったらしいが、バジ自身はここにいて出掛けたりはしないらしい。「今は時間がかかってるけど、これからあとはどんどん仕事が進むよ」。私が今朝電話でテクダルに怒っていたのを、もしかしたら側で聞いていたのか、バジは気を遣ってそう言った。結局今日は仕事はなかったそうだ。ロキシーをひっかけてたらしい。でも、何も言わなくても、こちらを想って話しかけてくれる。こういうところが、マガル民族の良いところなのかな。
2008/11/19 (wed)
家建築50日目 鉄柱 水タンクのふた

クリシュナが朝現場に行く。今日も結局いつもの2人で鉄柱を造る作業が続いている。テクダルは今日から人を増やす、と一昨日言っていたが、「必要な道具が届かなかったから明日から」と言ったそうだ。ただ一部道具は届いた。
ダンスから帰って、5時に現場に行ってみる。もうちょうど働く人があがるところだった。クリシュナはダムサイドに行っていて、少しあとに来た。あまり仕事が進んでいるようには見えない。鉄柱が少し進んだが、あの失敗したところはそのままだ。水タンクの上にかぶせる鉄の板はできていた。
2008/11/18 (thu)
家建築49日目 鉄柱

6時前にガネシュバンジャ(甥っ子)から電話があったり、水がタンクに来る日だったりで、早く目が覚めてしまい、ちょっと寝覚めが悪い。でも吐き気は治まってきた。
今日も現場はいつもの2人で鉄柱の作業が続いている。テクダルに電話で「うまくいっていない柱はどうするのか?」と聞くと、「エンジニアさんと相談する」とのことだった。日本語を教えてほしい、と言って12時に来るはずだったバジの娘さんは用事ができて来なかった。
11時頃レイクサイドのホテルに長く滞在しているまさよさんに電話する。まさよさんは、マヘンドラプルでネパールダンスを習っている、とのことだったので、一度見学させてもらいに行くつもりだった。1時少し前にまさよさんのいる「ラブリーマウントホテル」に行った。バスに乗ってマヘンドラプルへ。ダンス教室はネパールの電話会社(NTC)の近くにある、雑居ビルの3階だった。レッスン場は木の床で大きな鏡張りの立派なところだった。事務所みたいなところに入ると、客らしい男性が1人と、机に肩肘ついて退屈そうにしている若い女の子1人がいた。2時からのレッスンだが1時40分には着いていた。他の人が練習しているのを見ていようかと思ったが、だれもやっていなかった。しかも今日は先生が3時にならないと来ないと言う。「どうしようか?」と考えていると、もう1人の先生がちょうどやってきた。まさよさんは、本来来るはずの女性のグルンの先生より、このブラーマンの男性の先生の方が良い、ということだった。先生は今からレッスンしてくれる、と言う。なんてラッキー! そして部屋の新聞記事などを見ていると、なんと私が以前ダンスを習っていた「ダンフェ・ニワス(ダンスカンパニー)」で会ったことのある男性が写っていた。「私この人知ってる」と言うと、「ここのサール(社長)だよ」と女の子が言う。しかも私の大好きな先生、マイナさんのこともみな知っている、というのだった。
「ヘェーッ!!」
 サールは今では映画の振り付けやプロデュースもしているらしい。8年前からずいぶん出世している。あと2,3日でここで会えるらしい。楽しみだなぁー♪
 教室が始まると先生は私にも「一緒にやりますか?」と聞いてくれた。体調が悪いのも忘れて、一緒に始めてしまった。練習は曲に合わせて先生がやるステップを真似てやるもの。最初からけっこうハードだった。いろんな曲をやった。ちょっとやりにくいステップは曲を止めて繰り返した。だいたいできた。やっぱりマイナ先生の振りを継いでいる。息があがり、汗びっしょり! 途中疲れた。でも楽しかった!
 
4時頃土地に行く。相変わらずいつもの2人で鉄柱の作業が続いている。テクダルからお金をもらいにあと他の2人も来ていたが、結局テクダルは来なかった。鉄の作業をしている、シブイ雰囲気のお兄さんがクリシュナに「困っているから100ルピー貸して欲しい。明日の朝には必ず返す」と言う。迷ったが、クリシュナが「返してくれなければ、テクダルに払う給料から引けばいい」と言うので貸した。この人まで臍を曲げて来なくなってしまったら困る。それにしてもテクダルとは相変わらず電話がつながらない。
2008/11/17 (mon)
家建築48日目 鉄柱

仕事の進捗状況がどうも遅い、とダムサイドのおじさんも(ようやく)言い出し、朝テクダルが現場に来たときに「ちょっと怒る」と昨晩の電話で話した。7時半くらいにおじさんから電話があり、もう現場に着いたと言う。クリシュナが自転車で現場に行く。
 それからクリシュナが部屋に戻ってきたのは、いつもよりかなり遅い12時すぎだった。おじさんは「こんなに遅くては困る」と言い、それに対しテクダルは「今は鉄柱の仕事をうまくできる人がいないから働く人を増やしていないが、あさってから増やす」と言うのだった。そのあと、エンジニアのお兄さんも来て、1階のバスルームには浴槽がいるのか、などをクリシュナと相談していった。結局今日も働く人は3人のみ。鉄柱と1回のバスルームの壁部分のセメントを造った。うちのスタッフのはずのバジは今日も向かいの家の壁を造る仕事を手伝っていた。
 
 4時半頃現場に行く。4人が鉄柱の周りにいるが、作業はあまりしていない。もう終わるみたいだ。クリシュナがおくれて5時近くに来ると、スタッフが「テクダルに電話してくれ」と言っている。4人のうち2人はテクダルから給料を受け取りに来たらしい。作業的には1本の柱が鉄の重さのバランスが取れないため、どうすればよいか、テクダルに相談しないといけないのだと言う。また失敗、やり直しなのだろうか。。。でもテクダルとは電話がつながらず、スタッフはみな帰って行った。
 チョウキダルのバジは奥さんと一緒に来ていた。セメントに水をまき終わると、バジの奥さんに話しかけられた。バジ夫妻は日本人と良く似たマガル民族で、奥さんはたばこを吹かしながら、26歳の娘さんがいて、外国に行きたがっている、私に日本語を教えてくれ、ということを言った。どの程度のことを習いたいのか、図りかねたので、とりあえず明日会って話して相談しましょう、ということにした。12時に現場で会うことにした。
 
2008/11/16 (sun)
家建築47日目 鉄柱

朝からお腹の調子が悪い。布団から出られず、クリシュナが1人で家建築現場に行く。今日も鉄柱の作業が続いている。昨日の2人に加え、仲村トオル似の若い人の計3人でやっている。バジはうちの仕事でできることがないので、向かいの家の塀造りに加わっているそうだった。
 今日はアパートの1階のグルンの人のうちで、赤ん坊が生まれて6ヶ月になるお祝いがあってそれに呼ばれていた。12時頃行った。親戚の人がたくさん集まっていた。まずビールを出してくれた。辛いにがうりの料理が出て、つぎに米と魚と鶏肉が出た。人々が赤ん坊に赤いティカと数100ルピーのお祝いを渡す。親戚の男性は赤ん坊の足に頭をつけていた。
 それからクリシュナは土地に行き、私はまだ具合が悪くてそのまま3時半頃まで寝てしまった。4時に現場に行く。着くとすぐに8年前からの友達のグルン民族のナンダさんから電話があった。近くに来ているので、現場を見に来てくれたのだった。ナンダさんは土地を見て、「山も見えて良いところじゃないですか?」と言ってくれた。近所の女性が話をしにやってきて、いろいろみなで話した。ナンダさんに「隣りの家は何のカースト?」と聞かれたので、さっきから話をしているこの女性の親戚だと教えた。この女性は下位のカーストだ。ナンダさんは「あ、そおなんだ」という顔をした。
2008/11/15 (sat)
家建築46日目 インド人の職人 日本人にほめられる

 朝土地を見に行く。バジと鉄柱を造る2人だけが来ている。2人は昨日と同じ鉄柱にスクエアのパーツを針金でつける作業をしていた。テクダルにクリシュナが電話して「2人しか人が来ていない」と言う。9時になったら他の人も来るということだった。いったん部屋に戻る。歩いている途中でテクダルから電話があった。「クチョ(ほうき)が2本要る」とのことだった。うちで使っている2本があったので、それを持っていく。

3時半頃土地に行ってみる。水タンクの仕事が進んでいた。クリシュナが日本人の男性としゃべっていた。60歳くらいの人で建築関係の仕事をしていたそうで、「いやぁ、上手に造ってるなぁって感心してたんですよ。職人さんたちが、いわゆる教科書どおりにやってる」。そおだったんだ! 正直言って、私は素人なので建築技術はまったくわからない。でも、ネパールは服など何でも手作りで、それがしっかりしたものを作っているから、多分大丈夫だろうなと思っていたが、こう日本語で言ってもらうと安心する。「これだけしっかり造ってれば大丈夫ですよ」。日本だったら1坪60,70万円くらいかかる仕事だそうで、「日本で同じことやろうと思ってもできない。円高っていうのは日本に住んでる日本人には関係ないからさ。お金の使い方がうまいよ」とほめてくれた。あぁ、安心した!
水タンクは壁や床にきれいにセメントを塗っていた。この仕事をしているのがインド人で、年長の男性と10代前半くらいの子どもだった。この人たちの仕事は見事だった。コテみたいな物できれいにセメントを均すのだが、もうツルツル! 塗ったところに手足が触らないように、上に竹を2本渡し鉄棒の逆上がりのように上に上って来る。さらに感心したのはちょっと余ってしまったセメントをどうするのかな、と思っていたら、若い子の方がそれを外壁に塗り始めた。「ああやって練習してるんだよ」とクリシュナが言った。この人たちにもご祝儀をねだられたがクリシュナは断った。でも仕事は確かに上手だった。
2008/11/14 (fri)
家建築45日目 鉄柱のパーツ付け

朝6時半頃起きる。今日は水が来る日。でもちょうど6時くらいから停電になり、水が来なかった(水をくみ上げるのに電気が必要)。クリシュナの様子がちょっとおかしいと思ったら、ゴミ箱に向かって吐いている。そのあとトイレで吐いた。何かにあたったらしい。しばらく調子が悪そうだったので、土地には私が見に行った。今日は働く人が来ていた。テクダルも来ていて、柱に鉄の四角いパーツをつける作業の指示をしていた。電話で人集めもしている。作業は結構難しいものらしくて、丹念に指示していた。作業をするのは以前から来ているほかの人よりちょっと年長のシブイ男性と、水タンク造りから来るようになった男性の2人。この水タンクの人は来るなり、酒を飲みに入ったりしていたので、クリシュナは気に入っていなかった。しかも、この人はテクニックも持っていなさそうだった。結局他の人が見つからなかったようだ。でも、この人は1人だと静かで、黙々と作業をした。
 他にバジとバジの奥さん、仲村トオル似の若者は外壁造りをした。テクダルに聞くと、明日の作業のために「ウォータープルーフ」というものが必要だそうで、電話でクリシュナに連絡をした。
 クリシュナは調子が悪そうだったが、鉄も必要と言うので、バスでビロウタに出掛けて行った。
 4時に土地に行く。2人が鉄の四角いパーツ造り、あとの3人が外壁造りをしていた。外壁はもう石を積みセメントもつけ終わっていた。うちの物置小屋に知らない人たちが出入りしている。なんだろう、怪しいナ? と思ったら向かいの土地で壁を造っている人たちだった。その持ち主がクリシュナに話に来て、セメントをうちの小屋に置かしてほしい、とのことだった。シャベルなどはすでに共有されていた。そのかわり水などを貸してくれるらしいので、クリシュナも快諾していた。5時で作業が終わるころ、クリシュナと私は近くのハードウェアの店にウォータープルーフというものを買いに行った。
2008/11/13 (thu)
仕事また休み テクダルを少し怒る

朝クリシュナが現場に行くが、「人が来なかったので、仕事ができないって」と言って戻ってきた。テクダルは現場に来ていたらしいが、テクニックのいる仕事ができる人が来なかったらしい。
「またぁ?!」
 クリシュナも怒ったと言うが、即座に私も電話した。テクダルは、「昨日1段階終わったことで今日はブレイクで、明日から始める」、みたいなことを言っていた。「私たちは昨日(ボーナスのような)お金を渡した。その次の日、休みというのでは困る」言うと、通じたかどうかわからないが、こっちが怒っていることは伝わったらしい。その後、部屋にいるとクリシュナにダムサイドのおじさんから電話がかかってきた。現場の方に行ったらしく「今日はどうなってるんだ?」と聞いてきたのだ。クリシュナが今日も仕事がない、ことを話すと、さすがにおじさんもちょっと頭に来たようで「テクダルに電話する」と言った。おじさんはここ3回続けて、現場に来たときに仕事が止まっていたらしい。この後電話でテクダルに怒ったようだ。
 ただテクダルも今回はサボっていたわけではなく、実際に働く人が集まらなかったようだ。昨日「明日は来るように」と何人かに確認していた。
 どうなるのかな、と不安になるも、どうすることもできない。「人手が足らないなら私たちで働こうか」と真面目に考えないでもない。
2008/11/12 (wed)
家建築44日目 水タンク終了

クリシュナは朝8時頃現場に行って様子を見てきた。7人くらい人が来て働いていると言う。仕事をしている、と聞くだけでホッとする。
私も3時頃現場に行ってみる。今日は昨日まで来ていたメンバーに、グルンだかマガル民族だかの中年くらいの女性が1人加わっていた。この人が女性なのによく働く。シャベルを持ってセメントやジャリをかき混ぜるのがうまくて力強い。男たちがチンタラやっていると「あたしがやるよ、ほら貸してっ!」みたいな感じで、ガァーッと働き、ひと汗かいてたばこを一服する。カッコいい。
行ってみて知ったのだが、今日は水のタンクのセメントを終了する日で、ここまではまた一気にやるのだそうだ。それでそれが終わったらまた「1人80ルピーずつ」祝儀を出さないといけないのだそうだ。これは一昨日から来た酒を飲んで喧嘩していたうちの1人が言った。こんなに仕事が止まっているのに余計な金まで払わないといけないなんて冗談じゃない! と思った。ただ、この金を欲しがった人は、セメントを混ぜるテクニックがあり、仕事も割合早かった。クリシュナはこの人たちが「すぐお茶しに行ってしまう。仕事が丁寧じゃない」と気に入らない様子だった。
4時頃になってセメントを混ぜ始めたので、また余っちゃうんじゃないか、と心配したが、ここまではやりきるということだった。4時半頃テクダルが来たので、「タンクの壁の厚みが薄くなっている場所は大丈夫か?」とクリシュナが確認して、やり直させた。「お腹が空いたよー」と言って、ビスケットを買ってきて食べていた女性やバジたちもセメントを運び始めた。皆が働いているので、私とクリシュナでセメントに水をまいた。チョウキダルや酒を飲んで喧嘩していた3人にツケがあった近所のお茶屋の奥さんが帳面を持って、お金を精算しに来た。テクダルにいなくなったチョウキダルのツケのことを言っていたが、結局それは返ってこなかったようだ。
5時半頃作業終了。テクダルに確認すると「ご祝儀は出した方がいい」というので、1人80ルピーを7人分出した。560ルピーは日本円にして700円ちょっと(今は円高で10円が7.6ルピー)。それでもみな喜んでいて「ナマステ!」と、あのバリバリ働く人に合掌してお礼を言われた。「これでロキシー(酒)が2ボトル呑めるよ!」と嬉しそうだった。
みなが帰ったあとチョウキダルのバジが近所まで、停電のためのろうそくと1杯のロキシーを呑みに行った。バジが帰ってきて少し話をした。バジは57歳で家族は近所に住んでいる。まだ息子が12歳で小さくて学校へ行かせるために働いているそうだ。チョウキダルの仕事はこれまで7年くらいやっていたそうで、「あなたたちの物が盗まれたら私の責任。私がお金を払うから」と言った。バジはマガル民族で、姿も物腰も日本人にそっくりだ。寒いので欲しいと言っていた布団は、自分の家から奥さんが持ってきたということだった。
2008/11/11 (Tue)
家建築43日目 水タンク 外壁 新人が喧嘩する

朝8時くらいに家建築現場に行ってみる。バジと仲村トオルに似た若者と昨日入った新人3人がいる。バジたちが新人の3人に「水タンクの鉄格子造りが遅い」と文句を言っている。それに気を悪くしてか、3人は「お茶を飲みに行こう」と出掛けてしまった。私は一度ご飯を作りに部屋に戻り、クリシュナもあとから戻ってくるが、「そのあといろいろあった」と言う。なんでもお茶を飲みに行った3人が喧嘩して戻ってきて帰ってしまった。酔っぱっらっていたらしく、鉄格子造りは仲村トオルとあのバリバリ働く2人でやっていると言う。テクダルに電話するがつながらない。今まで「ネパールではこんなもの」と言っていたクリシュナも「うちは仕事が遅い。3人しか働く人がいないなんて」と軽く怒っている。
 クリシュナはご飯を済ませて現場に戻る。私は日記を書いてインターネット屋へ行ってから現場に行く。怒って帰ってしまったという新人のうち2人は戻っていて普通に働いていた。ひげ面の一番酔っ払っていたらしい1人はもう戻ってこなかった。私が来る少し前までテクダル(建築の監督)が来ていてクリシュナが「うちの仕事は遅くないか?」と言ったという。すると「今やっている水タンクの仕事は人を増やし過ぎると、すぐ仕事が終わってしまう。これがあさってくらいに終わってから人を増やす。(うちの仕事は)遅い方ではない」と答えたそうだ。仕事が早く終わった方がいいんじゃん? 言ってること、よくわかんねぇな!
 でも、水タンク造りの方は、私の目にはけっこうはかどって見える。鉄格子造り、床のセメント敷きは終わり、壁に板を張っていた。大きさがばらばらの板をいちいち釘を剥がし、大きさにあった場所に張りなおす。二重にする壁の外側の壁は4方のうち3方が石、セメント詰めが終わった。
 途中、近所のお茶屋の女性がやって来た。ここでは野菜も売っていて、私たちもよく利用している。女性は「いなくなってしまったチョウキダルから飲食したもののお金を全部もらっていない。昨日も酔っ払ってやってきたから、何も上げられないよっ!って追い返したよ」と言っていた。テクダルの電話番号を教えるから彼から返してもらって、と皆が言うと「80ルピーだから、わざわざ電話するほどでもないよ」。一応様子を見に来たらしい。「小さな店なんかやってても儲からないから、私もこういう(家建築)仕事しようかな」とつぶやいて帰って行った。
 チョウキダルのバジが「寝泊りするのに寒いから、古い掛け布団1枚でもあれば」と言う。うちは買わなければないし、どうしたものか? クリシュナに「知り合いのホテルで捨てるような布団があったらもらえないかな?」と言うと、「ネパールでは布団は捨てない。物を簡単に捨てない。それに人から物をもらいたい、というのもはずかしいことだからしない」と言う。私が「でもいろんな国から援助をもらってるじゃない?」と言うと「相手からくれる場合はいい」と言うのだった。
 
2008/11/10 (mon)
家建築42日目 水のタンク 外壁 チョウキダル交代

今日の仕事がどうなるか? 朝から行ってみることにした。クリシュナは石を買いにプリティビチョークまで行っている。昨日のうちに電話で石をオーダーしていたのだが、「すぐ来る」と言っておきながら、来なかった。トラックが壊れたとかで、今日の朝10時になると言う。10時と言っても、実際に何時になるかわからない。「それでは遅すぎるから要らない」と言うと、いろいろしつこく言われたが断った。結局直接行ってオーダーしないと動いてくれないのだ。
8時半頃に現場に行くと、テクダルもいてかなり大勢の働く人が集まっていた。新しい人4人を含めて8人の人がいた。昨日ちょっとテクダルに言ったせいか、今日はちょっと気合が入っている気もする。新しい人たちは早速鉄を切る作業に取り掛かっていた。でも、人が多過ぎたのか、その後2人は帰ってしまった。新しい人たちはお茶を飲みに行った。
午後また現場に行ってみる。昨日からいなくなったチョウキダル(見張りの人)は真夜中に戻ってきて、代わりに泊まっていた人に「なんでここで寝ているんだ!」と怒ったらしい。朝またどこかへ行ってしまったそうだ。
水のタンクの中に鉄格子を入れている。それを新しい3人がやっていた。かなり進んでいた。この鉄格子は普通は1重らしいが、うちはダブルにして組んでいる。そうエンジニアのお兄さんが指示していた。「だから時間が掛かっている」と働く人は言った。前からいるバジ、仲村トオル似の若者、バリバリ働く人の3人はセメントで外壁を造る仕事をしていた。新しい人たちは4時頃お茶を飲みに行ってしまった。私はタンクの鉄格子の組みあがるのが早いなぁ、と思っていたが、バジたちは「仕事が遅い」と言っている。結局今日バここまでで仕事が終わった。
今日からチョウキダルはバジがやることになった。セメントの水まきもバジがやったが、タンクの中にバシャッと水を浴びせるのは、クリシュナの方が力強くうまかったので、クリシュナがやった。
7時半頃もう一度バジの様子を見に来た。小屋から話し声が聞こえる。あのチョウキダルが戻ってきたのか? と思ったら、近所のお茶屋の男性で、なんでもいなくなったチョウキダルがツケで飲食していた分のお金を取りに来た、ということだった。「ここで働いていると思っていたから信用していたのに、いなくなったと聞いたから」とのことだった。それについては彼を雇っているテクダルに聞いてほしい、と言った。チョウキダルは皆の仕事が終わったあと来て、自分の荷物を引き上げて行ったそうだ。
バジはマガルというモンゴル系の民族で、60前後くらい見える。細い手足をしているけど、足腰はかなりしっかりしている。話をすごく丁寧にする。半ズボンとTシャツに毛糸の帽子。良いのは家がすぐ近いこと。ご飯などは家族が作って持ってきてくれるそうだ。前のチョウキダルが小屋の鍵を持って行ってしまった。「違う鍵を買った方がいい」とクリシュナに入念に話していた。
2008/11/9 (sun)
チョウキダルがいなくなる。仕事は休み

朝チョウキダルから電話がかかってきて、「鉄がないと仕事ができない」と言う。クリシュナが家建築現場に行くが、「2人しか人が集まっていない」とかで、今日も仕事が中止になった。テクダルも来ていない。さらにチョウキダルが「バス代100ルピーでもいいからくれ」と言ったという。クリシュナが断ると「私を信じられないなら、他の人に仕事を代わってもらって」と怒ってどこかへ行ってしまった、と言う。クリシュナは親切で早めに給料を払ったりしていたのに、こういうことになって、かなり落ち込んでいた。この男性も人間は悪くない。でもネパール人は金の価値観が日本人なんかとはまったく違う。人に親切にするのは当然、ていう感じで、自分が貧しくても人のために力になろうとする。金なんか、持っている人が持っている人に貸すのは当たり前、みたいだ。だから、ちょっとお金を貸すと、「もっと貸して」となる。もちろん、みながみなそうじゃないけど。
 テクダルに電話すると「今日はエカダシ(ヒンドゥー教の暦で、肉を食べないとか決めた日)だから人が来なかった」。テクダル自身は「オートバイが壊れて修理に周っている」から来れないと言うのだった。ほんとか? 
 仕方ないので、いつもより長くネパール語を勉強し、3時半頃2人で家建築現場に行ってみる。やっぱりチョウキダルはいない。私たちでセメントに水をまく。もう終わりかけた頃、チョウキダルが帰って来た。額の前で手を合わせて謝った。ネパール人がこんな風に謝るを見たのは初めてだ。でも、私もクリシュナも何も言わず仕事を続けた。彼は酔っ払っていた。表情がまったく違っていた。話は普通にしていたけど、また金の話になった。朝彼はクリシュナに電話してきて、鉄や石が必要だと言ったけど、テクダルに確認すると「そんなことは言っていない」とのことだった。今度は朝かけてきた電話代が欲しい、と言うので、「テクダルに言ってくれ」と言って、携帯でテクダルに電話し、その場で話してもらった。
 クリシュナとチョウキダルとの話のらちがあかないので、「ジャンジャン(行こう行こう)」と私が言って、その場を去った。ムーンライトホテルでトイレを借りて現場に戻る。案の定チョウキダルがいない。一応電気は点いていたが、小屋に鍵をかけて出掛けてしまっている。テクダルに電話する。テクダルはまだ彼を信じたいみたいだったけど、現に今いなければならないチョウキダルがここにいない。「他の人を送る」ということになった。もう日が落ちているので、誰もいないまま帰るわけにもいかず、風が涼しいなか、2人で待っていた。7時近くにテクダルから電話があり、「バガルから人を連れて行く」と言う。それから7時半くらいになってテクダルが代わりの男性を連れてきた。テクダルは来るなり「(チョウキダルの)彼が足の骨を折ったとき病院に連れて行ったり、薬も買ってあげたり、いろいろ面倒を見てきたのに、こんなことをするなんて!」とかなり興奮していた。裏切られてテクダルもがっかりしているようだった。前払いした分の給料はテクダルが清算してくれることになり、明日からはバジ(おじいさん)に頼むことになった。
2008/11/8(sat)
家建築42日目 人が来ないため休み

朝8時頃クリシュナが土地に行くが、「今日はサンニバール(土曜日で休日)で人が来なかった」と言って、休みになった。チョウキダル、グルンの女性、新入りの若者は来ていたらしい。テクダルも来ていたと言う。石を割るとか、何かできることはあっただろうに。基本的に休みはないので、たまにこういう日があっても仕方ないのかな、とも思うが。1時半頃、窓を頼んでいるネワール彫刻の職人が「サイズを測り忘れていた」と言って、測りに来た。
2008/11/7 (fri)
家建築41日目 トイレ ミス発覚

4時頃土地に行く。あの仲村トオルに似た若者が戻ってきていた。テクダル(建築の監督)も来ていた。バジが石をハンマーで割り、グルンの女性がドコ(背負い籠)で石を運び、新しく入った仕事の上手な男性がセメントを混ぜ、チョウキダル、シブイ男性、仲村トオルが溝に石を置きセメントを入れている。外側の壁の作業は終わっていた。今はなにをやっているのかと思ったら「トイレ」とのことだった。2室の部屋のトイレの壁を造っているのだった。ちょっとずつ間取りが見えてくるのは楽しい。
 5時に仕事が終わり、6時頃エンジニアのお兄さんが来た。テクダルに今後の指示を出す。ここで1つのミスが発覚した。正面のパーキングのところにも外側の壁を造っていたが、なんとこれがいらなかったので、造ったところを壊すと言うのだ。クリシュナがそれではもったいないので、「そのまま壁を残してここも部屋にしてしまってはどうか?」と聞くが、「計画を変えるのは難しい」とのことだった。ここのセメントは無駄になってしまった。
2008/11/6(thu)
家建築40日目 バリバリ働く人が入る

 借りているアパートの隣りの部屋の赤ん坊(アブラム君)がうちに入ってくるようになった。隣りの奥さんとも少し話をした。カトマンズの生まれのネパール人なのだが、ムスリム(イスラム教徒)だという。私が8年前にクリシュナと結婚したというと「ラブ・マリッジ?」と聞かれた。
 家建築現場に行く。今日は以前からいるチョウキダル、バジ、シブイお兄さん、グルンの女性、それに加えバリバリと働く若い男性が1人仕事に入った。この男性はセメントの混ぜ方や土を入れるときのシャベル使いが力強くうまい。今日私たちが不在の間に、オーダーしていた窓やドアの木枠が届いた。この木枠を物置小屋に運ぶとき、他の人の手が空いていなかったのでクリシュナが手伝いに行くが、2メートル四方の木枠はかなり重たくて、クリシュナは持ち上げられなかった。仕方なく、この男性が肩にかついで1人で運んだ。クリシュナも小柄なわりにけっこう重たい物を持てる。が、この働く人たちは、コツもあるのだろうが、相当な力持ちだ。この新しい人はなかなか気も利いて愛想がよく、たとえば見慣れない子どもが土地の近くに来たのをクリシュナが心配して見ると、こちらが聞く前に「遊びに行く近道にしてるだけだよ」と教えてくれる。私にも「バイ」と言って帰って行く。女性が入ったせいもあるのか、雰囲気が和やかになった。
 今日は外側の溝に割った石を入れ、セメントで固めた。仕事が進む前に窓やドアの木枠(18個)が届いてしまったので、一番大きな窓枠は物置にしまい、あとは外に置いてビニルかぶせておくことになった。チョウキダルや新しい男性がビニルをヤスリで切り、クリシュナも手伝ってかぶせ、風で飛ばないようにレンガを置いた。すでに5時半くらいで暗くなりかけていたので、私とクリシュナもチョウキダルのお兄さんを手伝ってセメントに水をまいた。
2008/11/5 (wed)
家建築39日目 チョウキダル戻ってくる

クリシュナが8時頃、家建築現場に様子を見に行くと、あのチョウキダルの男性が戻ってきていたと言う。夕べ戻ってきて、バジの代わりに小屋に泊まった、ということだった。どうなるのか、部屋に戻ってクリシュナがテクダルに電話してみる。テクダルは相当怒っているらしく「もう彼は雇わない。チョウキダルはバジにする」と言った。いつも人が来なくてものんびりしているテクダルが珍しく厳しいことを言うな、と思った。
 4時頃現場に行く。働く人が3人しかいない。チョウキダル、バジ、昨日来ていた女性1人の計3人。外側の壁を造るための穴を掘り、石を割ってそこに入れる、そこまでしか進んでいなかった。チョウキダルは結局戻ってきた男性がまたやることになったらしい。テクダルには相当怒られたらしい。甲高い声でしゃべる人なのだが、この日は心なしかテンションがさがっていた。5時になり他の人は帰って行ったが、チョウキダルはセメントに水を入れた。黙々と作業していた。クリシュナが「ちゃんとやるのか、信用できない」と言い、その作業の様子をずっと2人で見ていた。
2008/11/4(tue)
家建築38日目 壁造り チョウキダルをバジに頼む

 4時頃、家建築現場に行く。以前からいる男性と、グルンのバジ(おじいさん)、昨日から来るようになった女性2人。人が少ない。タライで「チャット」というお祭りだったせいか、人が集まらないのだそうだ。今日は、水タンクの中の赤いレンガの壁と、正面の壁を造るための溝を造った。石を置いたりセメントをまいたりするテクニックが要る仕事は、以前からいる男性がやり、女性やバジたちは彼に指示を受けながら、石などを運んでいる。女性たちは携帯で誰かとおしゃべりしながら、のんびりと働いている。でもドコ(背負い籠)に石をたくさん入れて頭で支えて運んだり、力がある。
 チョウキダルの男性は今日も姿を見せていない。クリシュナがテクダル(建築の監督)に電話する。他の働く人々がちょっとシリアスな表情になる。テクダルは他のスタッフの中から泊まってもらう人を選ぶと言う。グルンのバジはこの近くに住んでいるらしいので、彼が良いのではないか、と皆言っていた。テクダルも同じ考えらしかった。「今ここにバジはいますよ」とクリシュナが言い、テクダルからバジに話をしてもらうことになった。
 バジは携帯電話を使うのが初めてらしく、ちょっと緊張していた。「最初は“ハロー”というものなのか? ん?」。周りのスタッフたちが大笑いする。
 結局この晩はバジに泊まってもらうことになった。「1回晩御飯を食べて、5時半か6時に戻って来る」と言っていったん家に帰って行った。
 チョウキダルがいないので、夕方のセメント水撒きは私とくクリシュナの仕事になった。私がバケツを運んでいると、働く女性2人が帰り仕度を終えて、小屋から出てきて「バイ!」と私の肩をポーンと叩いて帰って行った。愉快で豪快な人たちだ。クリシュナによれば、男性がタンクの穴の中で作業をしていると、この女性たちは「私のスカートの中、見たでしょ?」と、ちょっと下ネタっぽい冗談を言うのだそうだ。見ていてもおもしろい。
 バジは5時半ちょっと過ぎに戻ってきた。御飯は食べずに家族に持ってきてもらうことにした、と言う。「サウジ(雇い主。私たちのこと)を待たせてはいけないから」。クリシュナは「バジは信用できる」と言う。
 あのチョウキダルはどこへ行ってしまったのだろう? 荷物が置いてあるから帰っては来るのだろうが。テクダルは珍しく相当怒っていた。あのチョウキダルの男性が病気のときに薬を買ってあげたり、これまでずいぶん面倒を見てきたらしい。信用もしていた。クリシュナが他のスタッフに聞いたところによれば、「また酒を飲み始めて、悪くなった」と言うことだった。
2008/11/3 (mon)
家建築37日目 水タンク チョウキダルが不在

 3時半頃、家建築現場に出掛ける。見慣れない4人と以前からいる1人の男性が働いていた。今日は水タンクの中に赤いレンガの壁を造った。盛られていた土をならした。新しく来た4人のうち、2人は女性。モンゴル系のような、タライの人のような顔をしていて、まるまると太っている。頭に布をまき、長いスカート姿。レンガを乱暴に投げる。ちょっと働いては休み休み、のんびりと働いている。4時半前からもう仕事が終わってしまいそうな雰囲気だったが、以前からいる男性(他の人より少し年長でシブイ)が何やら指示を出して、女性たちがだるそうに働き始める。それでも5時10分前くらいにテクダル(建築の監督)が来ると、おしゃべりをやめてドコ(背負い籠)に土を入れて運び始めた。
 テクダルが「ラクシュマンは? いないのか?」と、チョウキダル(見張り役)の男性がいないことを怒っている。クリシュナが「今日は朝から見ていない」と言うと、どこかに電話して、「他の人を来させます」と言った。あのチョウキダルはどこへ行ってしまったのだろう? 荷物は物置小屋に置いたままだから、逃げてしまったわけではないだろうが。他の働いている女性たちによれば、「結婚しようとして今いろいろ頑張っている」のだそうだが、なんだかよくわからない。
 みなが帰ったあと、私とクリシュナでセメントに水をまいた。6時頃、代わりのチョウキダルが来た。これまで時折働きに来ていた男性だ。彼に鍵を渡し、私たちは帰る。
2008/11/2 (sun)
家建築36日目 セメントの板はがし

ネワール彫刻のドアをオーダーした職人と連絡を取る。4時半ころフィッシュテイルロッジのゲートの前で待ち合わせ、彼が乗ってきたタクシーに乗せてもらい、土地まで行く。ドアのデザインは自由に決められるというので、私とクリシュナでなんとなく考えてあった。神様の柄が中心になる。クリシュナにちなんで、クリシュナ神は入れてもらおうと思っていた。あとはブッダとかガネーシャ(象神)とかシバ神とか、日本人が見ても説明しやすそうな神様を選んだが、職人にそれを言うと、「ガネーシャの隣りにクリシュナがいるのはおかしい」と言う。その辺はこちらは詳しくないので任せることにした。「クリシュナ神を入れるなら、その奥さんのラダ神がいたほうが良い」と言う。ラダがどんな神様なのかよくわからなかったが、その通りにしてもらうことにした。
家建築は、働く人は2人だけで、セメントを固めた周りの木の板をはがしていた。朝クリシュナが来たときはもう少し人がいたらしいが、仕事がたいして進まないためか2人しかいない。かなづちでガンガン叩いて、板をはがすのだが、一緒に土台のセメントも割れてしまわないのか心配になる。
 どこかの子どもがやって来て、鉄くずを拾っている。集めて回収する人に売ると小銭がもらえるのだそうだ。それで子どもが拾いに来る。クリシュナが「やめなさい」と注意する。そして私が拾い集め始めると、その男の子は私の手伝いを始めた。いたるところから小さな鉄くずを拾っては「ハイ」と私に渡しに来る。5時になって働く人が仕事を終了してしまい、チョウキダルもどこかに行っていていないので、私たちでセメントに水をまく。それでも男の子はずっと鉄くずを集めてくれていた。5時半を過ぎて、最後の鉄くずを私に持ってくると「バイバーイ」と言って笑って帰って行った。
 私がバケツに水を汲んでクリシュナがまく。けっこう重たいのと、でこぼこの土や板が散らばった上をサンダルで歩くので、そうホイホイとは運べない。セメントの水は土台の表面に軽くまき、下に垂れるようにするのがコツだそうだ。この水はケチってはいけない。バケツを10数回運んだ。
もう仕事が終わるころチョウキダルが帰ってきた。どこかに自転車で夕飯の買出しに行っていたらしい。雇い主である私たちが水をまいているのを見てさすがに「すみません」みたいなことを言っていた。そのうちクリシュナと何か話し始めた。プジャ(お祈り)がどうとか、昨日は何か用事ができて他へ泊まってしまった、とか言い訳っぽいことを言っていた。クリシュナも厳しい表情で何か言っている。昨晩仕事をせずに不在にしたことは注意していた。話が長いので、私が「もう暗くなるから帰ろうよ」と言うと、クリシュナはいくらかのお金をチョウキダルに渡した。帰る道、クリシュナに「さっき渡したお金はなんなの?」と聞くと、「困っているから貸して欲しい」と言われたので200ルピー貸したと言うのだ。返してもらえない場合は、次回の給料から差し引くことにしたらしいが、こんなことして大丈夫なのか?
2008/11/1 (sat)
働く人が帰って来ない

クリシュナは8時半頃土地に行ってみるが、「働く人が誰も来ていない」と言って帰ってきた。さすがのクリシュナもちょっと憤慨した様子で、即座にテクダルに電話して「今日は仕事ないの?」と聞くと、「みなティハールからまだ帰って来なかった。明日から始めます」と言う。こういうことがあっても、もう驚きもしなければ、腹も立たなくなったけど。
 
 夕方6時半頃、家建築現場に行ってみる。が、チョウキダル(見張り番の人)がいない。日が短くなって、もう辺りは暗い。しかも停電している。「こんなときにいないなんてね! セメントに水も入れてないし!」と、クリシュナがムッとしている。昨日の晩、「プジャのために」と言って、給料を前借りしに来たので、それを払っている。それでいてこれでは困る。朝晩、セメントに水を入れないと、土台が強くならないそうで、それをやってもらう意味もあって、チョウキダルを雇っている。いったん買い物に行き、7時半頃戻ってみるが、やっぱりチョウキダルはいない。クリシュナはいったん部屋に帰ってもう一度来る、と言うが、それも大変だろうと思い、私たちでセメントに水を入れることにした。電気もない闇の中、懐中電灯を使って、クリシュナが水を入れる。私はバケツに水を汲んで途中まで運んだ。この作業を10数回繰り返した。そんなに大変なことでもなかったけれど、チョウキダルがいない、ということが問題だった。