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ブハリ日記(ブハリとは末の嫁)の意味

2008/11/10 (mon)
家建築42日目 水のタンク 外壁 チョウキダル交代

今日の仕事がどうなるか? 朝から行ってみることにした。クリシュナは石を買いにプリティビチョークまで行っている。昨日のうちに電話で石をオーダーしていたのだが、「すぐ来る」と言っておきながら、来なかった。トラックが壊れたとかで、今日の朝10時になると言う。10時と言っても、実際に何時になるかわからない。「それでは遅すぎるから要らない」と言うと、いろいろしつこく言われたが断った。結局直接行ってオーダーしないと動いてくれないのだ。
8時半頃に現場に行くと、テクダルもいてかなり大勢の働く人が集まっていた。新しい人4人を含めて8人の人がいた。昨日ちょっとテクダルに言ったせいか、今日はちょっと気合が入っている気もする。新しい人たちは早速鉄を切る作業に取り掛かっていた。でも、人が多過ぎたのか、その後2人は帰ってしまった。新しい人たちはお茶を飲みに行った。
午後また現場に行ってみる。昨日からいなくなったチョウキダル(見張りの人)は真夜中に戻ってきて、代わりに泊まっていた人に「なんでここで寝ているんだ!」と怒ったらしい。朝またどこかへ行ってしまったそうだ。
水のタンクの中に鉄格子を入れている。それを新しい3人がやっていた。かなり進んでいた。この鉄格子は普通は1重らしいが、うちはダブルにして組んでいる。そうエンジニアのお兄さんが指示していた。「だから時間が掛かっている」と働く人は言った。前からいるバジ、仲村トオル似の若者、バリバリ働く人の3人はセメントで外壁を造る仕事をしていた。新しい人たちは4時頃お茶を飲みに行ってしまった。私はタンクの鉄格子の組みあがるのが早いなぁ、と思っていたが、バジたちは「仕事が遅い」と言っている。結局今日バここまでで仕事が終わった。
今日からチョウキダルはバジがやることになった。セメントの水まきもバジがやったが、タンクの中にバシャッと水を浴びせるのは、クリシュナの方が力強くうまかったので、クリシュナがやった。
7時半頃もう一度バジの様子を見に来た。小屋から話し声が聞こえる。あのチョウキダルが戻ってきたのか? と思ったら、近所のお茶屋の男性で、なんでもいなくなったチョウキダルがツケで飲食していた分のお金を取りに来た、ということだった。「ここで働いていると思っていたから信用していたのに、いなくなったと聞いたから」とのことだった。それについては彼を雇っているテクダルに聞いてほしい、と言った。チョウキダルは皆の仕事が終わったあと来て、自分の荷物を引き上げて行ったそうだ。
バジはマガルというモンゴル系の民族で、60前後くらい見える。細い手足をしているけど、足腰はかなりしっかりしている。話をすごく丁寧にする。半ズボンとTシャツに毛糸の帽子。良いのは家がすぐ近いこと。ご飯などは家族が作って持ってきてくれるそうだ。前のチョウキダルが小屋の鍵を持って行ってしまった。「違う鍵を買った方がいい」とクリシュナに入念に話していた。
2008/11/9 (sun)
チョウキダルがいなくなる。仕事は休み

朝チョウキダルから電話がかかってきて、「鉄がないと仕事ができない」と言う。クリシュナが家建築現場に行くが、「2人しか人が集まっていない」とかで、今日も仕事が中止になった。テクダルも来ていない。さらにチョウキダルが「バス代100ルピーでもいいからくれ」と言ったという。クリシュナが断ると「私を信じられないなら、他の人に仕事を代わってもらって」と怒ってどこかへ行ってしまった、と言う。クリシュナは親切で早めに給料を払ったりしていたのに、こういうことになって、かなり落ち込んでいた。この男性も人間は悪くない。でもネパール人は金の価値観が日本人なんかとはまったく違う。人に親切にするのは当然、ていう感じで、自分が貧しくても人のために力になろうとする。金なんか、持っている人が持っている人に貸すのは当たり前、みたいだ。だから、ちょっとお金を貸すと、「もっと貸して」となる。もちろん、みながみなそうじゃないけど。
 テクダルに電話すると「今日はエカダシ(ヒンドゥー教の暦で、肉を食べないとか決めた日)だから人が来なかった」。テクダル自身は「オートバイが壊れて修理に周っている」から来れないと言うのだった。ほんとか? 
 仕方ないので、いつもより長くネパール語を勉強し、3時半頃2人で家建築現場に行ってみる。やっぱりチョウキダルはいない。私たちでセメントに水をまく。もう終わりかけた頃、チョウキダルが帰って来た。額の前で手を合わせて謝った。ネパール人がこんな風に謝るを見たのは初めてだ。でも、私もクリシュナも何も言わず仕事を続けた。彼は酔っ払っていた。表情がまったく違っていた。話は普通にしていたけど、また金の話になった。朝彼はクリシュナに電話してきて、鉄や石が必要だと言ったけど、テクダルに確認すると「そんなことは言っていない」とのことだった。今度は朝かけてきた電話代が欲しい、と言うので、「テクダルに言ってくれ」と言って、携帯でテクダルに電話し、その場で話してもらった。
 クリシュナとチョウキダルとの話のらちがあかないので、「ジャンジャン(行こう行こう)」と私が言って、その場を去った。ムーンライトホテルでトイレを借りて現場に戻る。案の定チョウキダルがいない。一応電気は点いていたが、小屋に鍵をかけて出掛けてしまっている。テクダルに電話する。テクダルはまだ彼を信じたいみたいだったけど、現に今いなければならないチョウキダルがここにいない。「他の人を送る」ということになった。もう日が落ちているので、誰もいないまま帰るわけにもいかず、風が涼しいなか、2人で待っていた。7時近くにテクダルから電話があり、「バガルから人を連れて行く」と言う。それから7時半くらいになってテクダルが代わりの男性を連れてきた。テクダルは来るなり「(チョウキダルの)彼が足の骨を折ったとき病院に連れて行ったり、薬も買ってあげたり、いろいろ面倒を見てきたのに、こんなことをするなんて!」とかなり興奮していた。裏切られてテクダルもがっかりしているようだった。前払いした分の給料はテクダルが清算してくれることになり、明日からはバジ(おじいさん)に頼むことになった。
2008/11/8(sat)
家建築42日目 人が来ないため休み

朝8時頃クリシュナが土地に行くが、「今日はサンニバール(土曜日で休日)で人が来なかった」と言って、休みになった。チョウキダル、グルンの女性、新入りの若者は来ていたらしい。テクダルも来ていたと言う。石を割るとか、何かできることはあっただろうに。基本的に休みはないので、たまにこういう日があっても仕方ないのかな、とも思うが。1時半頃、窓を頼んでいるネワール彫刻の職人が「サイズを測り忘れていた」と言って、測りに来た。
2008/11/7 (fri)
家建築41日目 トイレ ミス発覚

4時頃土地に行く。あの仲村トオルに似た若者が戻ってきていた。テクダル(建築の監督)も来ていた。バジが石をハンマーで割り、グルンの女性がドコ(背負い籠)で石を運び、新しく入った仕事の上手な男性がセメントを混ぜ、チョウキダル、シブイ男性、仲村トオルが溝に石を置きセメントを入れている。外側の壁の作業は終わっていた。今はなにをやっているのかと思ったら「トイレ」とのことだった。2室の部屋のトイレの壁を造っているのだった。ちょっとずつ間取りが見えてくるのは楽しい。
 5時に仕事が終わり、6時頃エンジニアのお兄さんが来た。テクダルに今後の指示を出す。ここで1つのミスが発覚した。正面のパーキングのところにも外側の壁を造っていたが、なんとこれがいらなかったので、造ったところを壊すと言うのだ。クリシュナがそれではもったいないので、「そのまま壁を残してここも部屋にしてしまってはどうか?」と聞くが、「計画を変えるのは難しい」とのことだった。ここのセメントは無駄になってしまった。
2008/11/6(thu)
家建築40日目 バリバリ働く人が入る

 借りているアパートの隣りの部屋の赤ん坊(アブラム君)がうちに入ってくるようになった。隣りの奥さんとも少し話をした。カトマンズの生まれのネパール人なのだが、ムスリム(イスラム教徒)だという。私が8年前にクリシュナと結婚したというと「ラブ・マリッジ?」と聞かれた。
 家建築現場に行く。今日は以前からいるチョウキダル、バジ、シブイお兄さん、グルンの女性、それに加えバリバリと働く若い男性が1人仕事に入った。この男性はセメントの混ぜ方や土を入れるときのシャベル使いが力強くうまい。今日私たちが不在の間に、オーダーしていた窓やドアの木枠が届いた。この木枠を物置小屋に運ぶとき、他の人の手が空いていなかったのでクリシュナが手伝いに行くが、2メートル四方の木枠はかなり重たくて、クリシュナは持ち上げられなかった。仕方なく、この男性が肩にかついで1人で運んだ。クリシュナも小柄なわりにけっこう重たい物を持てる。が、この働く人たちは、コツもあるのだろうが、相当な力持ちだ。この新しい人はなかなか気も利いて愛想がよく、たとえば見慣れない子どもが土地の近くに来たのをクリシュナが心配して見ると、こちらが聞く前に「遊びに行く近道にしてるだけだよ」と教えてくれる。私にも「バイ」と言って帰って行く。女性が入ったせいもあるのか、雰囲気が和やかになった。
 今日は外側の溝に割った石を入れ、セメントで固めた。仕事が進む前に窓やドアの木枠(18個)が届いてしまったので、一番大きな窓枠は物置にしまい、あとは外に置いてビニルかぶせておくことになった。チョウキダルや新しい男性がビニルをヤスリで切り、クリシュナも手伝ってかぶせ、風で飛ばないようにレンガを置いた。すでに5時半くらいで暗くなりかけていたので、私とクリシュナもチョウキダルのお兄さんを手伝ってセメントに水をまいた。
2008/11/5 (wed)
家建築39日目 チョウキダル戻ってくる

クリシュナが8時頃、家建築現場に様子を見に行くと、あのチョウキダルの男性が戻ってきていたと言う。夕べ戻ってきて、バジの代わりに小屋に泊まった、ということだった。どうなるのか、部屋に戻ってクリシュナがテクダルに電話してみる。テクダルは相当怒っているらしく「もう彼は雇わない。チョウキダルはバジにする」と言った。いつも人が来なくてものんびりしているテクダルが珍しく厳しいことを言うな、と思った。
 4時頃現場に行く。働く人が3人しかいない。チョウキダル、バジ、昨日来ていた女性1人の計3人。外側の壁を造るための穴を掘り、石を割ってそこに入れる、そこまでしか進んでいなかった。チョウキダルは結局戻ってきた男性がまたやることになったらしい。テクダルには相当怒られたらしい。甲高い声でしゃべる人なのだが、この日は心なしかテンションがさがっていた。5時になり他の人は帰って行ったが、チョウキダルはセメントに水を入れた。黙々と作業していた。クリシュナが「ちゃんとやるのか、信用できない」と言い、その作業の様子をずっと2人で見ていた。
2008/11/4(tue)
家建築38日目 壁造り チョウキダルをバジに頼む

 4時頃、家建築現場に行く。以前からいる男性と、グルンのバジ(おじいさん)、昨日から来るようになった女性2人。人が少ない。タライで「チャット」というお祭りだったせいか、人が集まらないのだそうだ。今日は、水タンクの中の赤いレンガの壁と、正面の壁を造るための溝を造った。石を置いたりセメントをまいたりするテクニックが要る仕事は、以前からいる男性がやり、女性やバジたちは彼に指示を受けながら、石などを運んでいる。女性たちは携帯で誰かとおしゃべりしながら、のんびりと働いている。でもドコ(背負い籠)に石をたくさん入れて頭で支えて運んだり、力がある。
 チョウキダルの男性は今日も姿を見せていない。クリシュナがテクダル(建築の監督)に電話する。他の働く人々がちょっとシリアスな表情になる。テクダルは他のスタッフの中から泊まってもらう人を選ぶと言う。グルンのバジはこの近くに住んでいるらしいので、彼が良いのではないか、と皆言っていた。テクダルも同じ考えらしかった。「今ここにバジはいますよ」とクリシュナが言い、テクダルからバジに話をしてもらうことになった。
 バジは携帯電話を使うのが初めてらしく、ちょっと緊張していた。「最初は“ハロー”というものなのか? ん?」。周りのスタッフたちが大笑いする。
 結局この晩はバジに泊まってもらうことになった。「1回晩御飯を食べて、5時半か6時に戻って来る」と言っていったん家に帰って行った。
 チョウキダルがいないので、夕方のセメント水撒きは私とくクリシュナの仕事になった。私がバケツを運んでいると、働く女性2人が帰り仕度を終えて、小屋から出てきて「バイ!」と私の肩をポーンと叩いて帰って行った。愉快で豪快な人たちだ。クリシュナによれば、男性がタンクの穴の中で作業をしていると、この女性たちは「私のスカートの中、見たでしょ?」と、ちょっと下ネタっぽい冗談を言うのだそうだ。見ていてもおもしろい。
 バジは5時半ちょっと過ぎに戻ってきた。御飯は食べずに家族に持ってきてもらうことにした、と言う。「サウジ(雇い主。私たちのこと)を待たせてはいけないから」。クリシュナは「バジは信用できる」と言う。
 あのチョウキダルはどこへ行ってしまったのだろう? 荷物が置いてあるから帰っては来るのだろうが。テクダルは珍しく相当怒っていた。あのチョウキダルの男性が病気のときに薬を買ってあげたり、これまでずいぶん面倒を見てきたらしい。信用もしていた。クリシュナが他のスタッフに聞いたところによれば、「また酒を飲み始めて、悪くなった」と言うことだった。
2008/11/3 (mon)
家建築37日目 水タンク チョウキダルが不在

 3時半頃、家建築現場に出掛ける。見慣れない4人と以前からいる1人の男性が働いていた。今日は水タンクの中に赤いレンガの壁を造った。盛られていた土をならした。新しく来た4人のうち、2人は女性。モンゴル系のような、タライの人のような顔をしていて、まるまると太っている。頭に布をまき、長いスカート姿。レンガを乱暴に投げる。ちょっと働いては休み休み、のんびりと働いている。4時半前からもう仕事が終わってしまいそうな雰囲気だったが、以前からいる男性(他の人より少し年長でシブイ)が何やら指示を出して、女性たちがだるそうに働き始める。それでも5時10分前くらいにテクダル(建築の監督)が来ると、おしゃべりをやめてドコ(背負い籠)に土を入れて運び始めた。
 テクダルが「ラクシュマンは? いないのか?」と、チョウキダル(見張り役)の男性がいないことを怒っている。クリシュナが「今日は朝から見ていない」と言うと、どこかに電話して、「他の人を来させます」と言った。あのチョウキダルはどこへ行ってしまったのだろう? 荷物は物置小屋に置いたままだから、逃げてしまったわけではないだろうが。他の働いている女性たちによれば、「結婚しようとして今いろいろ頑張っている」のだそうだが、なんだかよくわからない。
 みなが帰ったあと、私とクリシュナでセメントに水をまいた。6時頃、代わりのチョウキダルが来た。これまで時折働きに来ていた男性だ。彼に鍵を渡し、私たちは帰る。
2008/11/2 (sun)
家建築36日目 セメントの板はがし

ネワール彫刻のドアをオーダーした職人と連絡を取る。4時半ころフィッシュテイルロッジのゲートの前で待ち合わせ、彼が乗ってきたタクシーに乗せてもらい、土地まで行く。ドアのデザインは自由に決められるというので、私とクリシュナでなんとなく考えてあった。神様の柄が中心になる。クリシュナにちなんで、クリシュナ神は入れてもらおうと思っていた。あとはブッダとかガネーシャ(象神)とかシバ神とか、日本人が見ても説明しやすそうな神様を選んだが、職人にそれを言うと、「ガネーシャの隣りにクリシュナがいるのはおかしい」と言う。その辺はこちらは詳しくないので任せることにした。「クリシュナ神を入れるなら、その奥さんのラダ神がいたほうが良い」と言う。ラダがどんな神様なのかよくわからなかったが、その通りにしてもらうことにした。
家建築は、働く人は2人だけで、セメントを固めた周りの木の板をはがしていた。朝クリシュナが来たときはもう少し人がいたらしいが、仕事がたいして進まないためか2人しかいない。かなづちでガンガン叩いて、板をはがすのだが、一緒に土台のセメントも割れてしまわないのか心配になる。
 どこかの子どもがやって来て、鉄くずを拾っている。集めて回収する人に売ると小銭がもらえるのだそうだ。それで子どもが拾いに来る。クリシュナが「やめなさい」と注意する。そして私が拾い集め始めると、その男の子は私の手伝いを始めた。いたるところから小さな鉄くずを拾っては「ハイ」と私に渡しに来る。5時になって働く人が仕事を終了してしまい、チョウキダルもどこかに行っていていないので、私たちでセメントに水をまく。それでも男の子はずっと鉄くずを集めてくれていた。5時半を過ぎて、最後の鉄くずを私に持ってくると「バイバーイ」と言って笑って帰って行った。
 私がバケツに水を汲んでクリシュナがまく。けっこう重たいのと、でこぼこの土や板が散らばった上をサンダルで歩くので、そうホイホイとは運べない。セメントの水は土台の表面に軽くまき、下に垂れるようにするのがコツだそうだ。この水はケチってはいけない。バケツを10数回運んだ。
もう仕事が終わるころチョウキダルが帰ってきた。どこかに自転車で夕飯の買出しに行っていたらしい。雇い主である私たちが水をまいているのを見てさすがに「すみません」みたいなことを言っていた。そのうちクリシュナと何か話し始めた。プジャ(お祈り)がどうとか、昨日は何か用事ができて他へ泊まってしまった、とか言い訳っぽいことを言っていた。クリシュナも厳しい表情で何か言っている。昨晩仕事をせずに不在にしたことは注意していた。話が長いので、私が「もう暗くなるから帰ろうよ」と言うと、クリシュナはいくらかのお金をチョウキダルに渡した。帰る道、クリシュナに「さっき渡したお金はなんなの?」と聞くと、「困っているから貸して欲しい」と言われたので200ルピー貸したと言うのだ。返してもらえない場合は、次回の給料から差し引くことにしたらしいが、こんなことして大丈夫なのか?
2008/11/1 (sat)
働く人が帰って来ない

クリシュナは8時半頃土地に行ってみるが、「働く人が誰も来ていない」と言って帰ってきた。さすがのクリシュナもちょっと憤慨した様子で、即座にテクダルに電話して「今日は仕事ないの?」と聞くと、「みなティハールからまだ帰って来なかった。明日から始めます」と言う。こういうことがあっても、もう驚きもしなければ、腹も立たなくなったけど。
 
 夕方6時半頃、家建築現場に行ってみる。が、チョウキダル(見張り番の人)がいない。日が短くなって、もう辺りは暗い。しかも停電している。「こんなときにいないなんてね! セメントに水も入れてないし!」と、クリシュナがムッとしている。昨日の晩、「プジャのために」と言って、給料を前借りしに来たので、それを払っている。それでいてこれでは困る。朝晩、セメントに水を入れないと、土台が強くならないそうで、それをやってもらう意味もあって、チョウキダルを雇っている。いったん買い物に行き、7時半頃戻ってみるが、やっぱりチョウキダルはいない。クリシュナはいったん部屋に帰ってもう一度来る、と言うが、それも大変だろうと思い、私たちでセメントに水を入れることにした。電気もない闇の中、懐中電灯を使って、クリシュナが水を入れる。私はバケツに水を汲んで途中まで運んだ。この作業を10数回繰り返した。そんなに大変なことでもなかったけれど、チョウキダルがいない、ということが問題だった。
2008/10/31 (fri)
ティハールが終わり帰る

朝5時頃目が覚める。よく寝た。1回も目が覚めることがなく、布団から出るのが嫌になるほど快適だった。外ではもうお姉さんが何かの仕事をしている。
 6時半頃起きて、お茶とロティをいただく。話をしたり、果物を食べたりして過ごし、11時頃、米とタルカリ(野菜炒め)を食べる。長男のシババンジャ(大学生)が昨日作ったそうだ。ティカを授ける日はお姉さんは包丁などの鉄製のものを触ってはいけないのだそうで、代わりにシバが作った。ちょっと私には塩辛いが美味しい。あとで知ったことだが、実はお姉さんは生理になる予定だったそうで、そうなるとティカを授けられない決まりのため、薬を飲んで生理を止めていたそうだ。
 次男のガネシュは近所に米の刈り入れを手伝いに行った。「もう行きます」と言ってから、違う話が始まってすでに30分が過ぎ、ようやく出掛けて行った。
 シバはもうすぐ始まる大学の試験のため、ポカラで1ヶ月間借りる部屋を探すため、私たちと一緒に出掛ける。私たちはみかんとシンコウリ(月桂樹の葉)などをお土産にもらって帰る。登り道は相当きつかったが、下るのはわりと楽だった。15分くらいで街まで降りてきた。昨日は地面しか見る余裕がなかったが、今日は稲刈り風景などを写真に撮りながら来た。て帰る(1人15ルピー)。帰りのバスはけっこう混んでいたが、途中から座れた。
 夜は外食して、部屋に戻ってくると、階段を上ったところになんとチョウキダル(うちの建築現場の見張り役の人)のお兄さんがいた。「ケ バヨ?!(どうしましたか?。思わず聞いた。クリシュナはちょっと遅れて出たので、まだ来ていない。何かあったのかと思い、私の携帯でクリシュナにかけ、話をしてもらう。何があったのかよくわからなかったが、話が済んだようなので、コップに水を出した。誰かが来たとき、水やお茶を出すものなのだ。相手も急いでいるみたいだったので、水を出した。
 その後まもなくクリシュナが戻ってきた。なんでもチョウキダルのお兄さんの弟が突然来て、ビンドゥバシニ寺院でお祈りをすることになったから、給料の一部を受け取りたい、と言うのだった。ネパールでは前借りはよくあることなので、クリシュナは支払った。
2008/10/30(thu)
ティハールで村のお姉さんの家へ行く!

ティハールの「バイ・ティカ(お姉さんが弟にティカを授ける)」の日。村のお姉さんの家に行く。朝7時にバスに乗り、シャングジャ近くのバルコラにバスが着いたのが8時半だった。そこから車の通る道を30、40分くらい歩くと、途中で下の2人のバンジャ(甥っ子)たちが迎えに来てくれた。もう近いのかと思ったら甘かった。。。。。ネパール人が言う「すぐそこまで」はすごく遠いのだ。そこから田んぼのあぜ道を歩き、2つの小川を渡り、麦畑の中を通り、誰かのうちの庭みたいなところも通って、あとは険しい山ののぼり道。ネパールの人々にとっては普通の生活道なのだが、私には登山の感覚。サンダルで来たのもちょっと失敗だった。観光用になっているトレッキングコースより遥かにきつかった。さっきまでは寒かったのが、日がさしてきたら急に暑くなって、もう汗だく、心臓が飛び出しそうになりながら、周りを見る余裕もなく道だけ見てのぼった。9時50分ころやっとディディ(お姉さん)の家に到着!
山の中に建つ一軒家で、ちょっと下まで降りないと近所の住人はいない。家の後ろは山の上の方まで、ディディの家の畑が続いている。左手は緩やかな坂だけど、下までは相当深い谷になっている。家の前からはヒマラヤが真正面に見えた。はるか下の方に家々が小さく見える。向かいの山肌にも家々がある。ティハールで、歌ったり踊ったりしている音が聞こえてくる。すごく近くに聞こえるが、実際は遠いところの音なのだそうだ。ネパールでは、道から見上げて山のものすごい上の方にポツンと家が建ってたりする。いったいどういう風に暮らしてるのかなぁ、とずっと前から思ってた。ここがまさにそうだった。
家は2階建てで、土の壁と床、木の柱。電気は5年前から来た。ガスや水道はない。水は山の方から落ちてくる湧き水をタンクに貯めている。ガスはないので、山で木を切ってそれを燃やして調理などに使う。
こういう暮らしを「発展が遅れていて大変だろう」と言う人もいるかもしれないけど、この家がほんとーに気持ち良かった。土の壁や床はひんやりとしている。木の窓から心地良い風が入ってくる。目の前に緑の山、その向こうに白銀のヒマラヤ。山の上だから虫もいない。いつでもきれいにしているから、土の床も裸足でいられる。
バンジャたちが、木に実ったグァバやみかん、トゥルシ(ハーブ)などを次々に持ってきてくれる。家の前に大きなみかんの木があって、その上に登ってみかんをもいで投げる。2匹の牛もいる。そこで取れた牛乳で、ギウ(油)をつくる。ここでは食事にはほとんどお金を使うことがない。ほうれんそう、じゃがいも、たまねぎ、イソラ(形は緑の果物っぽく、味はだいこんみたいなもの。日本にもあるのかな?)、辛子・・・なんでも畑や周囲の木で取れる。

ティカは11時から始まった。他に2人の親戚も来ていた。本当はお姉さんが弟(実際の弟だけではなく親戚も含めて年下の男性)のところに訪ねて行くものだが、お姉さんがバス酔いがひどいので、みなからお姉さんのところにやって来たのだ。まず牛の糞を水に浸して土に塗る。その上にむしろを敷いて、そこに3人の弟が立ち、その周りをお姉さんが油、そして次に水を地面にまきながら時計回りに3周する。次に1人ずつお姉さんと向かい合って座り、耳に油を入れる(子どもはとても嫌がる)。6色の色粉を額に縦につける。最初に米をつけ、次に色粉。お姉さんからトピー(帽子)やマラ(花の首飾り)をくれる。弟はお金を渡してお姉さんの足に頭をつけてお礼を言う。これで完了! 私もやってもらい、サリーをもらった。
 その後は、ロティ(米の粉をドーナツ状にして油で揚げたもの)やタルカリ(野菜炒め)などを食べる。ターシ(トランプ)でジュア(賭け事)をして遊ぶ。私は一番末のバンジャ(9歳)と簡単なルールのトランプ遊びをした。
 トイレやお風呂は日本のようなものはない。小便はその辺で、大便は山を少し降りたところにビニルで囲い、土を掘ったところを作りそこにする。
 私とクリシュナはその晩は泊まった。星の数がものすごかった。夕方7時くらいにダルバートを食べ、チヤ(ミルクティー)を飲み、8時半頃布団に入った。山の下の方から、ティハールを祝っての歌が聴こえてくる。この歌を聴きながら寝た。気持ちの良い布団だった。
2008/10/29 (wed)
家建築35日目 下の柱のセメント入れ終了

ティハールの2日目、家建築の仕事は今日までで明日から2日間休みになる。働く人たちは今日は6時から働いている。今日中にDPC(下の柱のセメント入れ)まで終わらせなければならないのだそうだ。まだ暑い。しかも周りではティハール祭りで、歌ったり踊ったりでお祭りムード一色。そんななかまだ暗い朝6時から働いてくれているのかと思うと、なんとも申し訳ないような気持ちになる。彼らの給料は5000、6000ルピーくらいらしいので、一般の人たちよりはちょっと良い。セメントをかきまぜたり、シャベルで砂利をすくうのが特別うまい人が1人いて、小柄ながら引き締まった体つきで職人風情を漂わせている。ネパールでは太っているのが良くて、こういう肉体労働はあまり好まれないらしい。クリシュナはちょっと変わったネパール人なので、こういう仕事をしたことがあったそうだ。こういう仕事をする人が、将来成功するといいな、となんとなく思う。仕事は3時半頃終了した。ここまでが仕事の1つの区切りで、テクダルにも今日お金を払った。仕事の終了時に働く人々に1000ルピーを渡した。ここまで終了したら、ボーナスとして渡すことになっているのだそうだ。今日は10人くらいで働いていたので、1人あたりわずか日本円にして100円ちょっとくらいなのだけど、みな喜んでくれた。グルンのバジ(おじいさん)はもわらずに帰りかけて、呼び止めると嬉しそうに笑って戻ってきた。1人だけいる女の子も「アーナンダ パ???(聞き取れなかった) タパインライ」と、気分が良いみたいなことを言ってくれた。
2008/10/28 (tue)
家建築34日目 鉄柱の周りと水のタンクにセメント

朝9時頃、部屋を出て建築現場へ行こうとしたら、表の通りでうちの現場のチョウキダル(見張り役)のお兄さんがいた。どうしたのかと思ったら、「スタッフはみな集まっているのにテクダル(建築の監督)が来ないから仕事が始められないので(クリシュナを呼びに)来た」と言うのだった。テクダルは昨日、スタッフの失敗を怒って「なんとしてもティハールの前に下のセメントまで終わらせるゾッ!」と言っていたのに自ら来ないとは。。。まあ、それでも最初の頃のように人や物が集まらなくて急に休みということはなくなったので、そんなにやきもきしなくなった。
1人現場で働くスタッフのなかに若い女性がいる。外国人が珍しいのか、いつも私の顔を見ているので、今日初めて話しかけてみた。「あなたの生まれた村はどこ?(どこの出身?)」と聞くと「サルラヒ」と言う。サルラヒは私が初めてネパールに来たときに取材で行ったタライの村だ。私が行ったことがある、と言うと嬉しそうな顔をした。良いところだね、お米が美味しかった、と言ったけど、これは通じたかどうかわからない。
午後になって、また現場に戻る。スタッフが12人に増えていた。今日は柱と柱を横につなぐ鉄のなかにセメントを流す作業。鉄の両サイドを木の板で留め、そこにセメントを流し込む。すごく大事な作業らしくて、テクダルがずっとついて見ている。失敗しそうになると、かなづちで叩くアクションをする。口ひげをはやしたこわもてのテクダルが真剣な表情で、こういうアクションをするからおもしろい。他の人たちは水のタンクを掘っている。グルンのおじいさんはレンガを運び、若い女性はセメントを運んでいる。
6時頃現場に戻るとまだ仕事が続いていた。今日どうしても水のタンクのセメントまでやることになったらしく、日が暮れるなか、2人がタンクの中に入ってセメントをまき、他3人くらいでセメントをまぜて運ぶ。クリシュナが「ろうそくで照らしてあげなきゃ」と言って、ろうそくを買いに行く。近くではティハールで家の前をろうそくや米で飾ったり、歌や踊りで盛り上がるなか、うちのスタッフの人たちは働いていた。なんだか申し訳ない気がする。ろうそくの灯りもとに1人が木のへらで、もう1人が機械を使って、セメントをまいた。時間が遅いので、みないつもののんびりムードはなくせっせと働いている。6時半に作業終了。
私たちも買い物をして部屋に戻る。夜、バルコニーでろうそくをつけて、ラクシュミ(お金の神様)が来てくれるように祈りながら、食事をした。
2008/10/27 (mon)
家建築33日目 ドアの枠が届く。鉄柱を造る

朝11時に頼んでおいたドアの枠が届いた。職人さんが、テルサパッティという街からタクシーで運んできてくれた。チョウキダル(見張りの人)の物置小屋に置くことにした。職人さんから「材料の木を買ったり、作業をするため人を雇ったりするので5000ルピーをください」と言われ、それを払う。これは最初の見積もりの額29000ルピーの中に含まれている。
家建築では、今日は鉄柱を造った。柱というか、柱と柱の間に横に通すもので、長い鉄棒にスクエア型の鉄のパーツをはめ、それを細い針金で結んでいく。何かまた間違いがあったらしく、朝テクダルに怒られたらしい。明後日からティハールの休みに入るので、明日までに下の柱を終わらせることになったようだ。みな定時の17時を過ぎても働いていた。
ティハールのお祭りムードが高まってきた。子どもたちが家々を周って「バイロ!」と言いながら、歌をうたって5ルピーをもらっている。そのもらったお金で、屋台のカジャ(サモサなど)を買ってみんなで食べている。日が暮れてくると、バイロの子どもたちがもっと増えて、その声が響いている。
ティハールは灯りをともしたり、牛や犬にティカをあげたり、いろいろイベントがある。ちなみに昨日はティハールの「カラスにお祝いする日」だった。近頃、うちのアパートのバルコニーに炊いたお米が捨ててあった。なんでこんなことするんだろう? カラスが来て汚しちゃうのに? と思っていた。クリシュナに聞いたら、これがカラスへのお祝いで、食べ残しなんかじゃなくきれいなお米をカラスにあげているのだそうだ。日本では嫌われ者のカラスが、ここネパールではこんなに優しく扱われているのだ。
2008/10/26(sun)
家建築32日目 昨日と同じ作業。自転車を

4時ごろ土地に行く。昨日と同じ作業が続いている。
あちこち行くのに必要なので、自転車を買いに行くことにした。最初近所で見てみるが、4800ルピーとか言われて高かったので、やっぱり街まで行ってみる。プリティビチョークで3軒のぞいて、3軒目の店でインド製のギアなしの一番安いという3900ルピーのものを買った。他の人の話では、去年買ったとき3500ルピーだったというから、ちょっと高かったかもしれないが、もう時間も遅かったのでこれで手を打った。あとチェーンの鍵(60ルピー)とベル(60ルピー)も買った。ネパールではベルがないと警察に注意されるそうだ。電灯はない。中国製の方が安いのかな、と思ったら、5,000ルピーと言われた。実際に乗ってみると、サドルが高い。足が着かない。部屋に持ち帰り、鍵を掛け、窓にひもで結んでおいた。
あと2日で「ティハール」というお祭りが始まる。家に灯りをともして、ラクシュミ(お金を持ってきてくれる)を迎える、弟にティカを授けるなどがメインのイベント。もう巷ではその準備が始まっていて、子どもたちが「バイロ」と言って歌をうたいながら、いろいろな家にお金とお米などをもらいに行く。プリティビチョークで自転車を買った帰りの道でも、大勢の子どもが「バイロ」をやっていた。爆竹もそろそろ鳴っている。
2008/10/25 (sat)
家建築31日目 壁の板、鉄柱、水のタンク

 4日前から新聞を取り始めた。3か月、6か月、1年単位などで契約して家まで配ってくれる。「カンティプル」という全国紙が3か月で425ルピー。でも読むのはやっぱり難しい。辞書を引くだけでけっこう時間がかかってしまう。
 クリシュナは朝7時にダムサイドのおじさんのところへ出掛けていった。風邪をひいてのどが痛いと言っている。これまで真夏のように暑かったポカラも朝晩は涼しくなってきた。
 10時に鉄が届き、11時にイッタ(赤いレンガ)が届くというので、クリシュナはいったん部屋でダルバートを食べ、また建築現場に出掛けていった。イッタは結局一番良いのは見つからず、まあまあ良いというのを使うことにした。現場では今日は分業制で仕事が行われていた。3人が鉄を切ったり曲げたりして柱を造る、1人が木の板に釘を打って壁の周りにつける、あとはグルン民族のおじいさんが水のタンクの穴を掘っていた。クリシュナは水のタンクはもう少し大きい方がいい、と言って、エンジニアのお兄さんに電話で確認のうえ、少し横幅を広げた。
 ネパールでは水はけっこう大事な問題で、いま借りているアパートも水道から随時水が出ない。2日に2回くらいのペースで、建物のタンクに水が来るので、それが来たときに自分用のポリタンクに水をためておく。これをやり損なうと料理も洗濯も掃除もできなくなるから、水が来るときにはかなり気を遣っている。
2008/10/24 (fri)
家建築30日目 窓をオーダーする

クリシュナが朝7時にダムサイドのおじさんと一緒に赤いレンガと、昨日見に行った彫刻のある窓をオーダーしに行く。おじさんやクリシュナのババ(父)は過剰なほど、私たちを心配しているので、おじさんと行くことで、せっかく決まった話がまた振り出しに戻ってしまうのでは・・・。案の定クリシュナから電話が来て、「昨日ちょっとだけ見た店で、網戸をつけて35,000ルピーって言われたんだけど、どう思う?」。ちょっとだけ見た店って、あの直線が曲がっていたり、組んだ木にすき間がある、あの店のことか? 「テクニックが信用できないところはダメだよ」と断固、反対した。もしかしたら、よく見てみれば巧い職人もいるのかもしれないけど、クリシュナの電話1本でそこに決めるのはコワイ。あの2軒目に見た店の方が良い。結局その2軒目の店にした。予約金は15,000ルピー払った。
 赤いレンガ(イッタ)は何軒か見たが良いのが見つからなかったと言って、いったん保留にしてきたということだった。
 土地では水のタンク掘りが続いている。5フィート掘って、底と四方に石を置く。
 窓をオーダーしたことで、間取り図を(今頃遅いが)改めて見るようになった。正面玄関のほかにもう1つ正面に大きな窓があって、こっちも彫刻したのにしようか、とクリシュナと話す。そばにテクダルがいたので尋ねてみると、その窓の前にはトイレを造る予定だと言う。「え? そんなの知らなかった」。間取り図にもそれは描いてない。ただ、契約の中にはそれが入っていたのは覚えている。でも、ここにトイレはなくてもいいかも。クリシュナとその場で、「そのトイレは造らない」とテクダルに断った。知らないことがいろいろあるもんだ。
 
2008/10/23 (thu)
家建築29日目 水のタンクを造る 窓を探す

 現場を見に行く。床下の壁はほぼ終わり、水を貯めるタンクのための穴を造っている。あの仲村トオルに似た若い男性が、すでにセメントで固めた柱のセメント部分をかなづちで割っている。不要な部分のセメントを取り除いているらしいが、念の為クリシュナが確認しに行く。仲村トオルは無愛想に「そお」と答えるだけ。それを補うように若い女性のスタッフが丁寧に説明していた。
 ビンドゥバシニ寺院に近いティルセパッティに、ネワール彫刻のドアを探しに行く。ダムサイドのおじさんは他のところで「1ラック(15万円くらい)かかる」と言われたそうだ。そんなにするものなのか? バスから降りた真ん前が、たまたまそういうものを造る店だった。木にブッダやガネーシャ、ダンフェ(鳥)など6つの彫刻を施した観音扉があった。この模様のパターンはリクエストすれば何でもできるとのことだった。値段はサイズによるそうで、持ってきた設計図を見てもらい、見積もりを聞く。4万5000ルピーとのことだった。聞いていたよりずっと安い。人の対応も丁寧だった。ただ、この店の職人はネワール民族ではなく、ただ商売としてやっているみたいだった。ネワール彫刻はもちろんネワール民族の文化なので、本当はネワールが住むカトマンドゥで買うほうが良い。でも、私たちはあまりカトマンドゥにはつてがないので、取り合えずポカラで探すことにした。
 また別の店に行ってみた。こちらでは若いネワールの男性が作業をしていた。この店の彫刻の方が、神様の姿がふっくらと丸くかわいらしかった。値段を聞くと「2万6000ルピー」と言う。本当かどうかわからないが、先ほどの店にはこの店から品物をおろしているそうで、だからこちらのほうが値段が安い、とのことだった。取り合えず名刺をもらっておく。
 途中にもう1軒あった。ここでは4人くらいが作業をしていて、ネワールの職人もいた。でも、店先に置いてある窓などを見ると、直線が曲がっているし、木と木の間はずれている。値段は1軒目より少し安かったが、ここはやめることにした。他ではサンプルの写真も見せてもらったが、ここは名刺だけもらって帰ってきた。2軒目が良いような気がしたが、具体的なオーダーは明日に改めることにした。
2008/10/22 (wed)
家建築28日目 床下の壁と水のタンクを造る

 朝ひとりで掃除などをしていたら、隣りの部屋のカシミールからパシュミナなどを売る仕事でポカラに来ているお兄さんが「ハロー」と言って来た。「ボトル」がどう、とか言っているので、バルコニーに置いていたビールの空き瓶がじゃまだと言われるのかと思ったら、そうではなくて、空き瓶の回収が来ているからそれを売った方が良い、とわざわざ教えに来てくれたのだった。空き瓶の回収は自転車に乗ってインド人が集めに来る。ポカラには屋台で果物を売ったり、床屋、鉄や瓶の回収などを仕事にしているインド人がけっこういる。なんでわざわざインドの人がネパールに来て仕事をしているのか? クリシュナに聞いたら、こういった仕事はネパール人がやりたがらないことで、それをインドの(恐らく貧しくてカーストの低い)人たちが稼ぎにしているのだそうだ。
 ビールの空き瓶は2~2.5ルピーくらいで売れる。クリシュナは交渉して2.5ルピーで買ってくれる人にいつも売っている。カシミールのお兄さんもいろいろ言って交渉してくれたのだが、回収の人が手を合わせて「2ルピーで売ってくださいよ、どうかお願いします」みたいなひ弱な感じだったので、外国人の私がごねるわけにも行かず、OKした。50ルピー入った。「朝から良いビジネスしたね」とカシミールのお兄さんが笑った。
 
ネパール語教室に行き、一度部屋に帰り、家の建築現場に行く。今日は床下の壁を造りつつ、中央に水を貯めておくタンクを掘り始めた。ホテルなどをやる場合は、自分の建物内にタンクを造るのだそうだ。今日はちょっと穴を掘って終わった。今日は働く女性が2人になった。全8名になり人手が増えた。
2008/10/21 (Tue)
築27日目 窓をオーダーする

ネパール語教室を終え、現場に見に行く。今日は昨日と同じ作業が続いている。そろそろ窓やドアを準備しないといけないというので、ダムサイドのおじさんが以前仕事を頼んだという店(作業所)に行く。空港から近い場所にあった。屋根の下に木材や塗料、つくりかけのベッドや窓、ドアなどが置いてあり、そこで5,6人の男性が作業をしていた。ネパールでは基本的に物をオーダーして買うことが多い。窓も大きさや形に決まりがないので、設計図に合わせて注文して造ってもらう。ここでは1フィート93ルピーというのが金額の目安になっている。昨日の晩、訪ねたレイクサイドの店は1フィート105ルピーと言っていたから、ダムサイドのおじさんが言う通り、ここはこの辺では安い。
 1人の経営者らしい男性が事務所(小屋)で、話を聞いてくれた。ネパールでは窓は観音扉式が多く、木の枠にガラスをはめて、内側に網戸や鉄の格子があるパターンが多い。この木の窓がピッタリ締まらないので、冬は隙間風が寒いし、夏は虫が入ってくる。レイクサイドで日本のサッシのような引き戸(こちらではスライディングタイプと言う)を見つけたので、それを写真に撮って行き、「これがいいと思う」、と言ってみるが、「これはセキュリティが良くない」「網戸もつけられない」「ガラスが弱い」などと言われた。網戸などはガラスの替わりに網を張ればいいのだから可能だと思うのだが、「ネパール イズ ノー」と言う。取り合えず今の段階では1階部分の窓枠だけ決めればいいということだったので、木の観音扉を頼んで帰ってきた。ドアはクリシュナが以前から木で彫刻した物が良いと言っていて、それは明日また別のところでオーダーすることになった。
 帰り道、ダムサイドのおじさんに「壁の形や色を考えておいて」と言われた。私やクリシュナは白いシンプルなのが良い、と思っている。でも、ネパールの今の新しい家は「ナマステ式」という三角屋根に宮殿の柱みたいな装飾を施し、派手な色のものが多いらしく、エンジニアのお兄さんやダムサイドのおじさんはこちらで考えているらしい。技術的なことはネパールの風土もあるのでそれに合わせて良いと思うのだけど、デザイン的なことはこちらの希望もある。こちらが考える「カッコいい」をどうすれば伝えられるかな。
2008/10/20 (mon)
家建築26日目 壁の作業続く アパート暮らし

家建築、今日も昨日と同じ柱にセメントを固める作業と床下の壁を造る作業が続いている。今日は、1人のスタッフ奥さんらしい若い女性と誰かの子どもらしい男の子が来ている。男の子の方は働きに来たわけではないのだろうが、セメントをかき混ぜたり、水を運んだり仕事を手伝っている。女性はスタッフとして雇われているのかはっきりしないが、ほかの男性たちと同じように真剣に働いていた。今日は四方の壁のうち、3つ目の途中まで終わった。
 16時半頃テクダル(建築会社の人)が来た。今日は給料日か締め日らしく、テクダルがスタッフそれぞれの名前や勤務時間を黄色いカードに書き込んでいた。勤務時間は自己申告制で、「ダサインの間は何日休んだ?」「5日休みました」「何日間働いた?」「3日です」といった感じだった。間違えたりごまかしたりで、損したり得したりはないのだろうか? 今日働きに来た若い女性は、朝9時から仕事を始めたらしく、テクダルに「朝8時から始めると言っても、7時半には来ていないといけないよ」と注意されていた。この辺は他のスタッフたちはちゃんと守っていて、7時40分くらいには仕事を始めている。ネパールというと「時間を守らずのんびり」、というイメージがあるが、彼らを見ているとそんな印象はない。
 
 今月の12日から、ホテルを移り、部屋を借りて住んでいる。本当は建築現場の近くが良かったが、今レイクサイドでは空いている部屋があまりなく、いろいろ探したうえで、フィッシュテイル・ロッジに近い、この部屋にした。この部屋をとっても気に入っている。この辺はクリシュナが以前部屋を借りて住んでいたところで、周りはみな知り合いばかりで安心感がある。3階にある部屋のすぐ隣りが広めのバルコニーで、ここからのヒマラヤの眺めが最高に良い!(写真) 窓からは緑濃い山が間近にある。ここには他に6つの部屋があり、グルン民族の若い夫婦や、カシミールから仕事できているイスラム教の家族などが住んでいる。この人たちがとっても良い人たちなのだ。そして水浴び場・トイレが部屋内にあり、家賃が1ヶ月1500ルピーと安い。ただ1つの問題は水。水道が随時出ない。2日に1回くらいタンクに溜まった水が各部屋の水道を通じて配られる。これをこちらで用意した2つの大きなタンクにためておき、洗濯したり食器を洗うのに使う。料理に使う水は「ムルコパニ(湧き水)」を汲んできて使っている。あともちろんお湯の出るシャワーはない。冷たい水を浴びている。真冬になったらどうしようか? でもここは住んでいて気持ちが良い。朝ごはんを作り、掃除をしてお茶でも飲んでいると、良い風が吹いていきて、つい昼寝がしたくなる。私など貧乏性だから、ホテルなど造らなくても、「この1部屋で充分」と思えてしまう。
2008/10/19 (sun)
家建築25日目 壁が始まった!!!

朝ご飯を作り、マヘンドラプルに行く。マヘンドラプルにある「ナガルパリカ(家建築関係の役所)」に書類を提出するのと、私の「ネパール語−英語」の辞書を買うためだ。レイクサイドは観光地なので、地元のネパールの人が使う辞書とか日用品はあまり売っていない。バスに乗って30分くらいかかるマヘンドラプルかプリティビチョークという街まで買いに行く。
 ナガルパリカはマヘンドラプルとプリティビチョークの中間くらいにあった。クリシュナは何回か来ているが私は初めて来た。3階建てくらいの、いわゆる役所っぽい地味な建物で、各セクションごとに小部屋に分かれている。1部屋で3人くらいの机が置いてあり、職務内容と役職名などが机に書かれ、木の札に個人名が書いてある。古ぼけてはいるが、わりと清潔な建物だった。壁に公共ポスターや何かの告知が張ってあった。親戚のエンジニアのお兄さんはここで働いている。まずここでお兄さんから書類にサインをもらい、1階の部屋に行き、別の人からサインをもらう。また2階に戻り、3つの部屋を回った。が、1つの部屋は誰もいなくて、1人の男性は「もう1時間も待っている」とうんざりした顔で言った。仕方ないので、先に辞書を買いに行くことにした。
 本屋が集まっているのはマヘンドラプルのバスストップから7,8分歩いたところにある。何冊か見て、365ルピーのものを買った。

 13時からネパール語教室に行き、その後家の建築現場に見に行った。昨日と同じ柱の周りをセメントで固める作業が続いている。チョウキダル(物の見張りをする人。建築作業も兼ねている)がてきぱきと指示を出し、ほかのスタッフも今日はなんだかずいぶん熱っぽく働いている。腰を下ろして休んでいる人がいない。声をかける隙もなかったので、タンクに水が届いているかを確認して帰ってきた。
 いったん部屋に戻り、日記を書いたりして16時ごろ現場に戻る。クリシュナも来ていた。見てびっくり! なんと壁が出来始めている! 床下部分の壁で、石を砕き、それを積み重ね、すき間にセメントを塗っていく。すごーい! 今日は劇的に仕事が進んでいるように思えた。ただ、もう仕事終了間際になって、放り投げられた石がまだセメントが固まっていない壁に当たって、ガラガラガラッと崩れてしまった。あの愛想が良く、仕事もできるのだけどちょっといい加減な彼だ。他のスタッフはシーンとなってしまい、彼だけがハハハ・・・と笑っていた。結局15分くらい残業して、これをやり直し、水に溶いてしまったセメントを使い切るところまでやって、今日の仕事は終わった。
2008/10/18(Sat)
家建築24日目 柱をセメントで固める 

朝7時前にテクダルに電話すると、ようやくつながって「朝8時から仕事をする」と言う。必要だというものは用意できたのだろうか? 
 ネパール語教室が終わって現場に見に行くと、鉄柱の周りを鉄の四角いもので囲い、そこにセメントを詰める作業をしていた。セメントや砂利を運び、水を入れて混ぜ、それを手渡しで柱まで運び、鉄の四角いものの中に入れ、最後に機械ですき間がないようにセメントを平らにする。全12本の柱のうち、4本まで終わった。17時にエンジニアのお兄さん(親戚)が柱がちゃんとできているか、チェックしに来てくれた。
 
ダムサイドのビロウタのスーパーマーケットまで米を買いに行った。ここでは日本のようにビニル袋に詰めたものを売っている。5キロで360ルピーくらいなので、他の麻袋に入れて売っているものより100数十ルピー高いが、石や虫が混ざっていない、とのことだった。
 部屋に帰ってネパール語の宿題をし、9時に停電が終わったころ、晩御飯を作った。
2008/10/17 (fri)
建築23日目 溝を掘る

 今日は柱と柱の間に溝(ジョガ)を掘った。でもテクダルが何かを持ってこないため、作業がこれ以上進まない、とのことだった。働く人は増えて7人になっていたけど、ほとんどの人が手持ち無沙汰で、16時にはできる仕事がなくなって、みな撤収してしまった。さすがに私たちが見ていると、堂々とは帰りにくいらしくて「テクダルに携帯がつながらない?」とか聞いてくるのだが、結局テクダルへの電話は「スイッチオフ」というアナウンスが流れてつながらず、働く人たちは帰ってしまった。「ペワ湖で泳いで帰ろう」とか言っている。1人年配のモンゴル系の「バジ(おじいさん)」がいて、その人は申し訳なさそうに「この後はセメントで固めます。ここに道を作って、穴を掘ります・・・・」とか、クリシュナに丁寧に説明していた。
 また仕事が止まってしまった。
 テクダルとずっと電話がつながらないこともあって、また嫌になってきた。私が「仕事が遅い」といえば「ここはネパールだから、日本のようにはいかない」で片付けられてしまう。
2008/10/16(thu)
家建築22日目 電気を引きなおす

家の建築の仕事は鉄柱の周りにセメントを固める仕事だったが、午前11時くらいに終わってしまったらしい。私が見る暇もなく、働く人たちは帰ってしまった。テクダルにクリシュナが電話すると、何かやらなければならないことがあったのに帰ってしまったから「明日怒る」そうだ。よくわかんない。
電気を引いていた家から100ルピーくらいのものを900ルピー請求されたことで、ここから電気を引くのをやめることにした。クリシュナが「ビジュリコ・ダイ(電気屋のお兄さん)」に着いてきてもらって、その家に話をしに行った。酔っ払いの男性は不在で、そのお母さんがいた。「なんの問題があってうちから引くのをやめるの? 親切にしてるのに」と文句を言われたらしいが、とりあえずやめることになった。まだなんか言ってきそうでこわい。
代わりに斜め向かいに建つホテルから電気を引かせてもらうことになった。4階建ての屋上に電線があり、そこから取らせてもらうことになった。その電線をまきつける竹の柱が必要で、クリシュナがそれを近所から200ルピーで買ってきた。日本ではよくゴンドラみたいなのに乗って、電信柱の工事をしているのを見かけるが、ネパールにはそんなものはない。はしごもない。どうやってホテルの屋上と線をつなぐのだろう? 
うちの土地から歩いて1,2分のところに住んでいる「ビジュリコ・ダイ」はこの道22年のベテランで、確かに腕が良い。前回電器のメーターを付けてもらったときも、きれいに取り付け、しかも仕事が早かった。ただ、このビジュリコ・ダイはよくしゃべる。「自分に任せておけば電気のことは何でもok!」とずーーーっとしゃべりまくっている。だから最初はうさんくさく思えた。道を向こうから歩いてくる人にもいちいち声をかけている(女性などは苦笑気味)。ほんとに陽気な人だ。
ビジュリコ・ダイはうちの建築のスタッフに「ナイフ貸して」「縄持ってきて」「この線を持ってて」とズケズケと頼み、10メートルくらいある竹を半分くらいに切らせ、そのてっぺんに電線をまきつけた。建築スタッフが竹柱をうちの土地内に掘った穴に突き立て、周りを石で固める。ビジュリコ・ダイは手際よく電線にビニルテープを巻き、電気をもらうホテルの主人が不在にも関わらず、自転車に乗って遊んでいたここのホテルの小学生の息子さんに了解を取って、ホテルの屋上へと上って行った。電気を取る場所を確認し、うちのスタッフから借りた縄を屋上から下に投げた。その縄にスタッフが電線を結び、それを屋上に引っ張り上げ、ホテルの電源につなぐ。「電気つけてみてー」と屋上から声をかけ、うちのスタッフが物置小屋の電球が点くのを確認した。これで工事終了。電気を引くのに電力会社の了解も要らない。その代わり自分たちで電気を引く。
ビジュリコ・ダイはクリシュナから300ルピーを受け取り、クリシュナと何かしゃべっている。金額を交渉しているのかと思ったら、「給料は女房には渡さないんだ。夫と女房のふところは別にしておかないとダメだよ!」とクリシュナに言い、私にまで「セパレート セパレート、日本でもそうじゃない?」と笑い、ペンチ1本ぶら下げて帰って行った。

  
2008/10/15 (wed)
家建築21日目 電気代をボラれる

8時すぎごろクリシュナは電気を引かしてもらっている人のうちへ1か月分の電気代を払いに行く。私はインターネットの店に行く。そこでクリシュナから電話がかかってきた。電気を引かしてもらっている家の男性が、1か月分の電気代900ルピーを請求したというのだ。本当は、メーターは90キロワットをさしているので100ルピーくらいのはずだという。この男性はどうもアル中気味らしく、初めてここに電気を引く話をしに来たとき、ここで部屋を借りている欧米人の女性が「今酔っ払ってるから話をするのはどうかしら? グッドラック!」と言っていた。男性に「高いというなら使えなくしてやる」みたいなことを言われたらしくクリシュナはとりあえず900ルピーを払ってきた。電気工事をしてくれた知人に相談に乗ってもらう、ということになった。いつものほほんとしたクリシュナもさすがにイラついた様子で帰ってきた。
 その後、クリシュナはババ(父)が体調が悪いというので村に行ってしまい、私1人で現場を見た。家の仕事は鉄柱をセメントで固める仕事が今日6本終わり、計10本終了した。部屋に戻り停電しているなか、ろうそくの灯りでネパール語の宿題をやった。なんか嫌な1日だった。
2008/10/14 (tue)
ダサイン休暇明け再開 家建築20日目

今日から家建築の仕事が再開した。隣りの建築中の家はもう2日前からすでに仕事を始めている。クリシュナが昨日テクダルに「いつから仕事が始まるのか」と問い正し、「ほかの人を探して明日から始めます」ということになった。2人働く人のメンバーが変わっていた。20歳そこそこくらいの若い子と、ずっと来ていたリーダー的存在(ただ少々いい加減)の2人の姿が見えず、代わりにグルン民族らしい20代後半くらいと年配の男性2人が来ていた。
 仕事は鉄柱を地面に立てることから始まった。全部で12本の柱のうち、4本がまだ立っていなかった。それを立て、その柱の周囲をセメントで固める。砂と石とセメントを混ぜ、水を入れる。この砂や石や水を運ぶのも人力。セメントをまぜる機械があったが壊れていて、テクダルが修理に持っていっていた。ネパールは機械や電器がないから何でも人力。うちの家もこの働く人たちの手作りなんだなぁ、とよく思う。ちなみにこの日記は日本から持ってきたパソコンで書いているが、今停電中。ろうそくの灯りで書いている。新しく政権を取ったマオイスト(毛沢東主義派)の方針で、街の人にも、電気のない村の生活を知ってもらうため、政策として停電を増やしているのだそうだ。まあ、そういう考え方ももっとも、なのかもしれないけど、ただ停電の時間が不規則だから困ってしまう。一応、何曜日の何時から何時までと発表があるのだけど、必ずしもその通りでないのだ。
 セメントを柱の周りに入れる作業では、新しく入った2人とちょっと年長の1人が石などを運び、その後の水に混ぜ合わせる作業や、柱の周りに四角く塗りつける作業は、慣れているらしい他の2人がやる。1人は時々奥さんがお弁当を持ってくる20代半ばくらいの男性で、シャベルを使ってうまく水をセメントを混ぜ合わせる。この人は痩せていて小柄だが、物を運ぶときも重たい物を力強く運ぶ。セメントを塗りつけるのは、20代前半くらいの仲村トオルに似た男性で、働きぶりもまじめ。他の人が仕事が終わって早く帰りたがっても、彼が「もう少しやってからにしようよ」と言う。
 結局今日は4本の柱のセメント入れで終わった。
2008/10/9 (thu)
ダサイン ティカ

朝7時すぎにティカをもらう。このティカ(色粉)をババ(父)からもらうというのが、ダサインのメインイベントなのだ。まず、米、花、色粉を用意する。それを持って、裏の丘にあるお寺(カーリー神)に行き、それを神に捧げる。クリシュナのうちではやらなかったが、鳩や山羊をいけにえにして、捧げることもある。それから寺の外に出て、鐘を鳴らし、お寺の周りを左回りで3回周った。それからうちに戻り、家のドアに色粉や牛のふんをつける。ババと向かい合って座り、ババが「健康でありますように」「仕事がうまくいきますように」「家族が仲良く暮らせますように」などと唱えながら、頭に色粉や米をまき、最後に額にティカをつけ、ジャマラ(とうもろこしの粒を土に入れ芽をだしたもの。1週間くらい前に用意する)を頭や耳につける。
私とクリシュナは三男、四男のバンジャ(甥っ子)にティカを授けた。「日本語でいいから何か言って」というので、「勉強がうまくできますように」などと言って、ティカを授け、100ルピーずつ渡した。これでティカの行事終了。
それからしばし家族で談笑。ジャナキ姉たちが明日どうやって村に帰るか、という話になり、ババが段取りを決める。寝ていたジャナキ姉の次男ガネシュバンジャが起きてくると、「じゃあ、また最初から説明するよ」とババが言い、ガネシュが寝ぼけまなこで「わかった! とにかく明日、朝6時半に待ち合わせ!」。
ネパールでも他の民族はダサインの間、酒を飲んだりするらしいが、クリシュナのカースト(バウン)はこのティカを授ける1日のみ。家族でティカを授けるだけのことが、そんなに楽しいものかなと思っていたが、実際やってみると、和やかで、家族の絆を感じる良いものだった。
ご飯を食べ、クリシュナと近所に「ピン(ブランコ)」をやっているところを見に行く。ピンはダサインのときだけやるもので、大きな竹を組み、そこにひもと木の板でブランコを作り、それにみな交代で1人ずつ乗る。クリシュナの家の裏の丘の向こうまで行ってみると、広い空き地に高さ10数メートルはある大きなピンが立っていた。みな順番を守って乗るのを待ち、待っている子どもがブランコを押してくれる。広い青空に向かって、子どもたちが大きくブランコをこいでいた。
2008/10/8 (wed)
ダサイン

晩御飯はババ(父)の家でのダサインのごちそうがあるというので、朝御飯はインスタントラーメンにした。こういうところが日本人的でいけないのかもしれないけど、ネパールでは食べすぎが胃の調子を悪くする原因の1つだと一昨年くらいから気がついた。

サリーに着替えてババのところへ行く。サリーは自分で着たが、ちょっと着方がうまくないところを直してもらおうとすると、すぐに年配の女性が飛んできて、「ずっとサリーを着ている人間にとっては、ちょっとでも違うと悔しく思うから言うんだよ」と言って肩のところのひだを直してくれた。
6時近くにババの家に着いた。バスはそう思ったほど混んではいなかった。近頃はヒンドゥー教を重んじないマオイストの影響もあって、ダサイン祭りを楽しまない人も増えているのだそうだ。クリスチャンも増えていて、キリスト教の宣伝をさかんにラジオなどでやっている。クリスチャンになった人もダサインにティカをもらわない。
ババの家に着くとジャナキディディ(クリシュナのお姉さん)がさっそく「ロティ(ドーナツのようなパン)」を出してくれた。ダサインのときにつくる食べ物で、クリシュナは子どものころ、このロティを34個も食べたそうだ。日本にいたとき、夢を見ながら「ロティーつくって。ロティーが食べたい。丸いロティーでもいいよ」と日本語で言っていた。さすがに今回は5個くらいでやめていたけど。それからカシ(山羊肉)もたっぷりあった。ババが5キロも買ったのだそうだ。18歳の次男ガネシュバンジャ(甥っ子)は、「もう2キロくらい1人で食べているよ」と言っていた。ダサインは美味しい食べ物をたくさん食べるのが大きな楽しみで、みんな「朝からずーっと食べている」そうだ。ババが「ジャナキお姉さんは朝から晩までずーっと料理ばっかりしている!」と言えば、「ずっと立って料理してるから足が痛いよ!」とジャナキお姉さんが言って、みんな笑った。隣近所のおじさんやおばさんが3人くらい訪ねてきて、ひとしきりクリシュナと話して帰って行った。隣りの人がえんどう豆を持ってきてくれて、それをお姉さんがタルカリ(野菜の炒め物)に入れて調理した。甘みがあって美味しい豆だった。
2008/10/7(tue)
 

 泊まっているホテルでは朝6時くらいからまた人々の声がかまびすしい。ダンッ、ダンッと何かを叩く音がして、その後は生々しいにおいが漂ってきた。買ってきた山羊を屠って、それを切って調理していた。

 昨日からなぜかクリシュナの携帯がつながらなくなった。ジャナキディディ(姉)やその子どもたちがシャングジャの村から来て、ババ(父)の家に帰る前に、私たちのポカラの部屋に寄って朝ごはんを食べて行きたい、と言っていたらしいのだが、うちの部屋は昨日から水びたしであまりきれいじゃない。水も溜まっていない。クリシュナは断るつもりでいたが、携帯が使えないために、お姉さんたちは朝9時にはポカラに来てしまった。食材も水もないので買いに行き、水で濡れた床の上でダルと米だけの朝ごはんを作り、洗い物や片付けをバタバタとした。その後、私はネパール語教室に出掛け、クリシュナはガネシュ(次男)とマヘンドラプルまで買い物に付き合い、ジャナキ姉と三男、四男は部屋を乾かすため窓を開けておきたいので、そのまま部屋で待つことになった。なんかとても疲れた。私たちも今日は買い物に行きたかったのだができなくなった。ネパールでは、親戚の家でも自分の家同様に使うものらしいのだが、日本人的はこういう急な対応はちょっとつらい。

 ネパール語教室では宿題が出た。宿題を終えて、ちょっと土地を見に行くと、近所の子どもたちがうちの鉄柱に乗って遊んでいる。形がかなり変形してしまっていた。私が近くまで行くとやめる。そのまま見ていると、12,13歳くらいの女の子が、自転車に乗っていた年少の女の子を転ばせたり、木でぶったりしていた。その木でケガをしたらしく、年少の女の子は泣いてしまった。さすがに年長の女の子もいけないと思ったらしく、誰のかわからなかったが母親らしい人を連れてきた。その母親らしい人は泣いている女の子の方を激しく怒鳴っていた。鉄柱はどうせまた直すらしいが、しかし造ったものを壊すというのは、いくら子どもとはいえ、どうだろう。鉄も子どもが持って行って、小遣い稼ぎに売ってしまうらしい。この辺りは、カーストの低いうちが集まっていて、物を持って行ってしまう人もけっこういるという。実はうちの塀のブロックもだいぶ壊されて盗られてしまった。
2008/10/6 (Mon)
ダサイン休暇に入る!

今日から家を造る仕事はダサイン休暇に入った。チョウキダル(小屋で見張りをする人)を残して、働く人々も村に帰ってしまった。一番大切なのは9日のティカをもらう日で、クリシュナの家などはその日1日しか、休みを取らない。民族によってはティカの日の後も、酒を飲んだり歌や踊りを楽しんだりする。
 午前中から借りている部屋へ行って、ご飯を作って片付けをする。組み立て式のベッドを大家さんが貸してくれることになり、それが届いていた。そして、うちの部屋の前のバルコニーを見て途方に暮れた。そこに昨晩激しく降った雨が、まるで池のようにたまっている。後から気が着くと、窓から雨が入って部屋の中もじゅうたんが水浸しになってしまっていた。クリシュナも私も、なんだか嫌になってしまい、けんかしながら、なんとか木製のベッドを組み立てた。カーペットを敷こうにも、布団を買ってこようにも、この水が乾いてくれないとなんにもできない。おまけにタンクに溜めておいた水も、もう底をついてしまい、ムルコパニ(湧き水)を汲んでこないといけない。バルコニーの水は、といに葉っぱが詰まっていたのを取り除いたら、一気に下に流れ出した。滝のように落ちる水に驚いて、下の部屋のイスラム教のお姉さんがやって来た。文句を言われるのかと思ったら、気の毒がられて「ここから水を流せば、もう大丈夫よ」と言って帰って行った。

 夜9時近く、ホテルの部屋の外で人々が騒ぎ出した。ここのホテルは家族経営で、いつもこの時間には静かなのに珍しい。「カンチャ!」「マミー!」。家族中の人が集まって大きな声で叫んでいる。どうしたのかと思ったら、明日ダサインのために買ってきた山羊が逃げてしまったというのだ。1時間近く大騒ぎしていたが、どうやら無事見つかったらしい。さっきまで必死な様子で叫んでいた声が、笑い声になり、やがてみな戻って行った。
2008/10/5 (Sun)
家建築19日目 柱8本立つ

朝8時前からジヤミ(働く人)は来て、昨日の続きの作業を始めていた。8時半頃テクダルが来て、「今日は柱を立てるところまでやります」と言ったが、ジヤミたちは「ダサインのための買い物があるから、フルタイムでは働けない」と言っている。自分たちの失敗で作業が遅れているのに、それを取り返そうなどという気持ちはない。ストレスのたまらない生き方だよなーと思う。
 部屋でご飯を食べて12時半頃帰って来ると、なんと柱が立っていた! 6人のジヤミが半分ずつ、昨日のやり直し作業班と柱立て班に分かれて仕事をしている。すでに4本柱が設置されていた。この働く人たちにはけっこう誠意を感じる、こともある。
クリシュナのババ(父)が来て、ちょっと様子を見て帰る。
 
2時半頃ネパール語教室から帰ってくると、すでに昨日のやり直し作業は終わっていて、全員で柱を立てる作業にかかっていた。100キロくらいの重さで、6メートルくらいの鉄柱を3人で肩にかついで穴まで運び、1人が穴の中に入ってそれを受け取る。柱はとりあえず、麻ひもで縛り、石に巻いて倒れないように支える。うまくバランスがとれずに倒れそうなのもあって、何人かで必死に支えつつ、ひもで固定していた。じりじりとやけるように暑い日で、若い人たちとはいえ、相当体力を消耗するだろう。1人の若い子が「明日村まで歩くのが楽じゃないよぉ!」と言って、笑いを誘っていた。みな仕事をする表情は真剣だけど、鼻歌なども交え、お互いに冗談を言い合いながら、のどかにやっている。
明日からダサイン祭り(ネパール最大のお祭り)の休暇に入る。そのためみんな誰が許可したわけでもないのに、3時半に仕事を上ってしまった。でも柱は全部で8本まで立ち、残り4本。昨日の時点では柱が立つまで行かないかな、と思っていたから、まあ納得。みなタンクの水で頭や体を洗って、いつもよりきれいな服を着て、気分良さそうに帰って行った。ひとまずおつかれさま! 次はダサイン開けの12日くらいから仕事が再開する。

夜、ご飯を作って帰ってきて、クリシュナがチョウキダル(見張りの人)の小屋に様子を見に行くが、なかなか返って来ない。どうしたのかと思って見に行くと、この物置であり、チョウキダルの寝泊りする場所でもある小屋が傾き始めたというのだ。これもジヤミたちが造ったもので、ブロックを積み重ね、その上にアルミ板を置いて重石をしただけの造りだ。とりあえずチョウキダルのお兄さんが、隣りの建築中の家の現場で使っている竹を2本持って来て、支えをして、明日直そうか、ということになった。
2008/10/4 (Sat)
家建築18日目 セメントを混ぜ、鉄柱を立てるはずが・・・

朝8時にテクダルが来るのを待って、7時半頃から洗濯をする。ジヤミ(働く人)はもう5人そろっていて、セメントのボックスが届くのを待っている。本当に来るのか? 8時半近くになって、また電話で文句を言わないといけないかな、と思っていたら、テクダルがバイクでボックスを持ってやって来た。ホッとした。今日からまた1人若い男性のスタッフが増えた。その代わり、穴を掘るときにいた14,15歳くらいのグルン民族らしい男の子は見かけなくなった。この子は、あまり働かずだいたい午前中で帰っていた。携帯電話や自転車を持っていて、たばこを吸っていた。近所の子どもがバイトに来ていたのだろうか?
 ボックスというのは木でできた40センチ四方くらいの箱のことで、正確にセメントの量を測るためにエンジニアのお兄さんが特別に作らせたらしい。セメントを2袋、砂4箱分、細かい石を2箱分を混ぜる。これを3回繰り返した。混ぜたものに水を混ぜた。これを柱を立てる穴に入れる。
 部屋でご飯を作って食べ、ネパール語を習いに行き、戻ってくると、珍しくテクダルが来ていて、セメントの作業はすでに終わっていた。あまりにサクサクと進んでいるので、ちょっと驚いたくらいだ。作業が進むと見ているのが楽しくなってきて、クリシュナも「見てるとおもしろいので、次なにやるのか、ずーっと見てる」。何十キロかある鉄でできたものを頭や背中にのせて運ぶネパールの人たちは体が強靭だ(日本の建設現場で働く人も同じなのかも知れないが)。ネパールでは何時間も山道を歩いたり、畑作業で重たい物を運んだりすることを子どもの頃からやっているからなのか、足腰に安定感があるような気がする。目や歯などは日本人よりずっと丈夫だ。どうやって5メートルくらいある鉄柱を運んで立てるのかなぁーと、クリシュナとわくわくして見ていた。
 2人のジヤミが鉄柱を運んで穴に入れようとしたその時。突然監督していたテクダルが怒り始めた。12本の鉄柱の作り方の何かが間違っていたらしいのだ。柱のてっぺんの方を段をつけるように曲げているのだが、それを内側に曲げなければならないものを外側に曲げていたらしいのだ。これは技術的なことなので、私たちが見てもよくわからない。「ちゃんと教えたじゃないか! どうするんだ!」。テクダルはモンゴル系の色黒の丸顔に口ひげを生やしたこわもてで、怒っているときはさらに厳しかった。クリシュナによれば、「これで俺の給料も減ってしまう。その分、おまえたちの給料からも引くぞ!」と言っていたらしい。でも、この鉄柱はずいぶん前に出来上がっていたのだから、テクダルももっと早く気がつけばいいのに、と思うのだが・・・。さすがにいつも談笑しながらのんびりと働いているジヤミたちも、シーンとしてしまった。チャカティを入れる穴もちゃんと決まった寸法になっていなかったらしく、チャカティがうまくおさまらない。「こっちの穴もちゃんとできてないぞ! 明日までにやりなおしておけ!」、6人のジヤミのなかでも年長の2人が若い方の4人にそう言った。結局5時半頃まで残業していたが、それで終了。明日1日を残して1週間くらいダサインの休みに入ってしまう。明日はこのやり直し作業で終わってしまいそうだ。。。
2008/10/3 (fri)
家建築17日目 作業休み

夕べの辛い料理にややお腹の調子が悪い。少し横になっている。どうにも借りている部屋まで行ってダルバートを作る気力がなくて、チベタンキッチンへ行く。驚いたことに値段が上っていた。フライドライスなど以前は40ルピーくらいだったのが100ルピー以上になっていた。ビールも大瓶1本、昨年までは110ルピーくらいだったのが180ルピーに! 「全部値上げしちゃったよ」と店主のおじさんが言う。このお店が値上げするくらいだから、ネパールの今の物価高はハンパじゃないのだ。

ジヤミ(働く人)は8時前から来て、残り1個のチャカティを造る作業を続けている。この作業の後は、セメントを混ぜる。このセメントの分量を正確に測るためのボックスというのが要るらしく、それをテクダル(建設会社の人)が誰かに作らせている。それがまだ届かない。11時頃クリシュナがテクダルに電話すると、「ずいぶん前に頼んでおいたのに忘れられてた。停電があったので仕事が進まなかった。できたらすぐ持って行きます」。このボックスというのがないと、また仕事が止まってしまう。なんでもっと早めにやっておいてくれないのだろう? 1個のチャカティは朝1時間くらいで出来上がってしまって、ジヤミたちはボックスが届くのを待っていた。
 3時頃、今日から習い始めたネパール語教室から帰ってくると、先に戻っていたクリシュナが言う。
「セメントの箱がまだできないって。だから今日の仕事はない」
 どういうこと!? どうもあのテクダルの仕事のしかたはわからない。エンジニアのお兄さんに電話するが、彼も会社の仕事で忙しいらしく「今は外に出てるから」と言って、すぐに切れてしまった。クリシュナに「テクダルを代えるというのはどうなのか?」「これが普通のことなのか?」と言うと、「テクダルを代えても、また同じようなことになって、もっとお金がかかるかもしれない。時々仕事が止まるのはよくあることだって、みんな言ってるよ。日本のようには行かない。(私が)言ってくれっていうから、仕方なく何度も電話してるけど、言っても何も変わらない。テクダルを代えたいなら、それをダムサイドのおじさんにすぐ言うよ。それでもう僕に何も言わないで」と逆に怒り出す。どうしたもんかと思ったが、私自身でテクダルに電話してみることにした。
「ハロー」
 最初誰だかわからなかったみたいだが、「クリシュナの妻です」と言うと「ああ!」とやさしい口調で、こちらが「ナマステ」と親しげに言うと、向こうも「ナマステー」とほがらかに言った。
私「今日はセメントのボックスがなくて仕事が止まったみたいですが?」
テクダル「ええ、今日は仕事がありません」
私「明日は何時に来ますか? なぜなら私たちも明日用事があるので、予定を入れておきたいのです」
テクダル「朝行きます」
私「朝、何時ですか?」
テクダル「8時です」
私「ボックスも一緒に持ってきてくれますね?」
テクダル「はい、はい」
 電話の応対はけっこう感じが良い。一応、こちらも言いたいことは言ったので、すっきりした。これで明日の様子を見るしかない。
2008/10/2(Thu)
家建築16日目 チャカティを作る

ジヤミ(働く人)は鉄柱の下に敷く「チャカティ」を造る作業を続けている。初めてテクダルの方からクリシュナに電話がかかってきた。早くそちらに行けそうにない、10時か11時になる、とのことだった。この人の時間や約束のルーズさはどんなに言っても変わらないみたいだ。
 
スーパーでトイレットペーパーなどを買って、建築現場に戻ると、また鉄が足らないと言う。本当に足らないのかテクダルに電話するが電源を切っているのかつながらない。セメントを作る作業もあるが、それもテクダルの指示がないとできない。これではまた仕事が止まってしまう。仕方なくエンジニアのお兄さんに電話する。とりあえず鉄は買っても無駄にならない、というので電話でオーダーする。ジヤミたちは「電話がつながったら呼んでください」と言って、指示を待っている。テクダルは朝電話で10時か11時に来る、と言ったが来なかった。やっと電話がつながりクリシュナが「あなたが来ないので仕事が止まってしまっている」と言うと、「今から行きます」とのことだった。まったくこのテクダルときたら! 4時半少し前にテクダルが来て、鉄柱の方は追加で鉄が着たら、それで進めていい、ということになり、セメントの方は分量を計るボックスという物が必要とかで、それを明日テクダルが持って来る、とのことだった。テクダルは10分足らずで帰ってしまい、ジヤミたちもできる仕事がないので、早めにあがってしまった。
このテクダルの働きぶりは、本当に普通なんだろうか? クリシュナは「ネパールではこんなもの」と言うけど。私は以前ネパールでネパール人の先生からダンスを習ったことがあって、毎日同じ時間に通っていたけど、その先生が時間や約束を破ったことはなかった。たまに先生が用事がある場合は、前もって教えてくれて、違う先生を紹介してくれたりした。それに比べて、このテクダルは、客を待たせることを平気でして、何度同じことを言ってもこちらの意思が汲み取れない。私が直接何か言わない方が良いだろうと思っていたが、どうしたもんだろう。。。。。
2008/10/1 (wed)
家建築15日目 鉄柱12本ができる

 朝8時くらいに起きる。ジヤミ(働く人)はすでに来て働いている。ジヤミに話を聞くと、鉄が足らないかもしれない、という。テクダルに電話するが、電源が入っていないようだ。無駄にはならないというので、鉄を電話でオーダーする。45分後に届ける、といったが、結局来たのは3時間あとだった。
 鉄柱12本(6本の棒状の鉄に四角く折り曲げたパーツを2枚ずつ重ね、計23組つけたもの)はできた。深さ5フィート、縦横160cmの穴に石を置き、そこに柱を立てる。その柱の下に敷く「チャカティ」12個を造り始めた。これは縦13本、横13本に棒状の鉄を格子状に組んだ縦横140cmくらいのもので、各所を細い針金で留めている。この針金で留める作業くらいなら私でもできそうだ。5時ちょっと過ぎくらいまで仕事をして、最後に鉄をまとめて作業終了。
2008/9/30 (Tue)
家建築14日目 鉄柱を造る。鉄とセメントが届く

 昨日来なかったから今日はどうなのかと思っていたが、ジヤミ(働く人)たちは、ちゃんと8時前から来て仕事を始めていた。一昨日の続きで、鉄柱を手作業で造っている。これまでより人が1人増えた。ベテランぽい、他のメンバーより年かさの男性だった。テクダルに昨日少しきつく言ったからだろうか。それなりに言った意味があったのかもしれない。テクダルは8時半頃来て、ひとこと「ちゃんとやるように」みたいなことを言って帰って行った。
 
 2時半に鉄とセメントが届くはずが来ない。4時頃になってやっと来た。セメントは30袋。この配達作業をしている若い男性の給料は4,000ルピーだそうで、ホテルの会計の仕事をしている親戚の給料と同じだ、とクリシュナが言っていた。長さが違っていた分を持ち帰ることになったが、それが正確に何キログラムだったか書いてあったラベルはなくなってしまっていた。どうしようかということになったが、結局持ち帰って量るということになった。
 鉄柱は、支柱に四角くしたパーツをはめる作業が12本まで進んだ。高価だから絶対盗まれないように、と働く人がまとめてくれて今日の作業は終了。きっちりやってくれると気持ちが良い。
2008/9/29 (Mon)
家建築13日目 仕事をサボられる。契約書を改めて読む

朝9時すぎに長さの違った4本の鉄が届くという話だったが、10時近くになっても来ない。ジヤミ(働く人)も来ない。テクダル(建築会社の人)からはまた電話もないので、クリシュナからかけると「今日は雨だから12時からにした」と言う。「大して降ってないし、隣りの家の人は普通に仕事をしている」と言っても、それには答えなかったと言う。このテクダルに「1日1回は電話をくれ」と言っても、かかってきたことがない。意味が通じないのだろうか?
 鉄を待っていても来ないので、他の買い物のついでに直接店まで行くことにした。店主が「あとちょっとで届く」と言う。「あとちょっとって何時?」と聞くと「11時半」と言う。「鉄が届かないとうちの仕事が止まって困る」と一応言ってみたが、向こうが詫びることはない。
 クリシュナは鉄が11時半に来るのを待っていたが、時間通りに来ないので先に借りている部屋にご飯を食べに来た。食べ終わって、働く人々が勝手に休まないように一足先に帰るが、やがて電話がかかってきた。「働く人たちが来ない」。12時に来るはずだったジヤミたちが来ていないと言う。テクダルに電話して、さすがのクリシュナも怒ったらしい。テクダルは「明日彼らに、やらないなら、もう来ないでいい、と言う」と言ったというが。
 
私たちは部屋に帰って、家建築の契約書を改めて読んだ。これはダムサイドのおじさんやエンジニアの親戚が作って、テクダルとの間でサインを交わしたものだ。クリシュナがザッと約してくれたところによると、以下のとおり。専門用語でわからないところもある。

契約
1 家の壁の前に××(石の種類)をつけなければならない。
2 塀の2つの側にブロックと赤いレンガを使う。
3 少なくとも12,000リットルの水のタンクを造る。
4 排便をためておくタンクを7フィート掘る。
5 キッチン、ダイニング、ベランダ、階段に大理石を使う。
6 柱の4つを洒落たものにする。
7 屋外にもトイレを作る。
8 家の周りにはスロープを造り、屋根の形をナマステ(三角屋根のこと)にする。
9 トイレ・バスは雇用主の言うとおりのタイルを使う。
10 建築の最初から××(鉄の種類)を使わないといけない。
11 セメントは良質のものを使う。
12 建築は雇用主とエンジニアの言うとおりにする。図面のとおりに造る。
13 建築材料についてわからないことがあれば、雇用主と一緒に買いに行く。
14 1年以内に造る。
15 建築中に何か希望があればテクダルと雇用主で相談する。
16 賃金の払い方
1 ペスキ(手付金)20,000ルピー (全体の 以下同)4%
2 柱を造り終えたら 35,000ルピー 7%
3 1階の2つの壁を造り終えたら 35,000ルピー 7%
4 1階のセメントを終えたら 50,000ルピー 10%
5 1階の壁を造り終えたら 35,000ルピー 7%
6 1階の天井を造り終えたら 50,000ルピー 10%
7 2階の壁を造り終えたら 35,000ルピー 7%
8 2階の天井を造り終えたら 35,000ルピー 7%
9 セメントを終えたら 50,000ルピー 10%
10 大理石を終えたら 35,000ルピー 7%
11 色を塗る、大理石の××(作業)を終えたら 50,000ルピー 10%
12 すべて終えたら 50,000ルピー 14%

 1段階ずつ仕事を終えるごとに賃金を払うことになっている。テクダルに払う額の合計は48万ルピー。10円が6.5ルピーとして、日本円にして約736,461円。これがテクダル(建築会社の人)とジヤミ(実際の労働をする人)5人くらいの、約1年間の給料となる。やっっぱり人件費は安いのだなぁ、と思う。これでもネパールではそう安い額ではないらしいが。
「だから日本人とまったく同じように仕事をしてって言っても無理なんだよ」
 と、クリシュナに言われてしまうと、確かにそう文句ばかりも言えないかなぁ、と少し思う。
 でも、この契約の内容以外に、「1日8時から17時は必ず働く」「テクダルは必ず雇用主に連絡を1日1回入れる」などの約束事をクリシュナと相談して決め、エンジニアに相談の上、テクダルに提示することにした。これでちょっと気持ちが落ち着いた。
2008/9/28 (Sun)
家建築12日目 鉄柱を造る

朝7時半頃起きて洗濯する。ヒマラヤがよく見える。天気が良く暑い。朝のうちにインターネットをやろうと思って店に行くが、インターネット会社の方で問題があったらしく回線が止まっていてやることができなかった。
 
働く人々は8時前から鉄柱を造る作業をしている。長さの足らない4本の鉄棒は、クリシュナが売った店に話をしに行って、明日取り替えることになった。働いている人たちの話によれば、今の作業が明日まで続くので、鉄棒は明日でも大丈夫とのことだった。4本の長い鉄棒に四角くした鉄を手作業ではめていく。これを柱の本数(12本)だけ造る。てこなどを使って折り曲げている。働く人(ジヤミ)は計5人くらいいるが、この作業ができるのは3人の熟練者だけらしく、他の人は折ったり曲げたり、切ったりという力作業だけをしていた。
 今日は「バンダ(ゼネスト。ネパールではよくある)」でバスやタクシー、商店などが営業をしない。「ラスティヤ ジャンマルチャ」という政党の主導するストライキで、プリティビチョーク辺りでは、党員の若い男性たちが無理に走ろうとするバイクを止めて、「なぜ走ってはいけない、と言ったのに走るのか」などと詰問していた。でも、無視して突破してしまうバイクの若者もいたし、それなりの理由をひとこと言えばそれで済むみたいだった。危険なムードはなく、ほかの一般の人たちは車の通らない大通りをゆうゆうと歩き、子どもたちはサッカーをして遊んでいた。
2008/9/27 (Sat)
家建築11日目 鉄を曲げて切る。砂と水を運ぶ

朝から快晴、ヒマラヤの連山が一望できる。朝8時前からジヤミたちは来て働いている。割った石を背負って、先日掘った5フィートの穴に入れたり、穴を掘って周囲をビニルで囲んだ作業中用のトイレを造っている。トラックで砂が運ばれてきた。一番年上っぽいジヤミから「水とタンクが昼までに欲しい」と言われた。タンクは以前に1個買っていたので、ダムサイドのおじさんから電話で追加でオーダーしてもらった。水は水を売る会社に頼んで1,500リットル(375ルピー)を持ってきてもらった。
また仕事がストップしそうになっていた。この後の仕事はエンジニアとテクダルの指示がないとできないとのことだった。テクダルに連絡して、13時くらいにこちらに来てもらうことにした。
 午後になって2回目の砂が運ばれてきた。そこにクリシュナのババ(父親)やテクダルも来た。エンジニアのお兄さんも来て、柱に使う鉄は何インチの物が何本必要か、ということを図面を見せながら説明していた。そのうちダムサイドのおじさんも来た。直射日光のきついなか、ぼおっとしながら、説明を聞いたり、作業を見ていた。指示を終えるとエンジニアのお兄さんとテクダルは帰って行った。
 時折見に行くが5人のジヤミたちは暑いなか、ずっと働いていた。この人たちの給料はテクダルが支払うので、いくらもらうのかわからないが、全体で私たちがテクダルに払う費用は5、6ラック(50〜60万ルピー)。実際に作業するジヤミたちは、クリシュナの推測によれば1人1日200ルピーくらいだろう、とのことだった。
 夕方5時近くになって、3回目の砂が運ばれてきた。砂はポカラから車で1時間くらいかかるババの暮らすラメハルよりまだ遠い川の方から運んでくるのだそうだ。
作業時間が終わりになって、作業中の鉄をジヤミたちがまとめていた。鉄はすごく高価な物で、盗まれることもあると言う。隣りの人によれば、子どもが持って行って売ってしまうこともあるそうだ。いくつあるかをクリシュナと確認していたら、ジヤミに「4本だけ長さが足らない鉄があった」と言われた。明日鉄の店に取り替えてもらいことにした。まったくいろんなことがあるもんだ。
2008/9/26 (fri)
家建築10日目 鉄を曲げ、石を運ぶ

朝8時前からジヤミ(建築の作業をする人)たちは来ていて、昨日の続きのような鉄棒をハンマーや手で切ったり曲げたりする仕事をしている。昨日なぜあんなに早い時間に仕事が終わってしまったのかよくわからない。
部屋でグンドゥルック(干したほうれん草)と大豆を炒めたのを作って食べ、テクダルに電話する。なぜ仕事が早く終わってしまったかを尋ねると「鉄が届かなかったからかなあ」との返事だった。いや、鉄はジヤミの人々がいる間に届いていた。指示がなかったから、彼らは帰ってしまったのではないだろうか。「仕事が止まることがないようにして」とクリシュナがテクダルに頼んだ。
 昼くらいにテクダルが来て、「仕事が足らないから、仕事をつくる」と言って、石を買いに行く。それを割って運ぶために「トゥンセ(背負うかご、2個で340ルピー)」「ナムロ(トゥンセを頭で支えるためのヒモ、2個で80ルピー)」が必要だというので、クリシュナが買いに行った。なぜかわからないが、ジヤミたちは5時過ぎまで残業していた。
2008/9/25 (Thu)
家建築9日目 鉄が届き、電気を引く

朝7時前に起きて洗濯をする。ホテルの屋上で洗濯物を干していると、日本人の女性に会った。
「ここ虫がでなかった? だからこうやって自分でシーツを洗って見せるの。私もカトマンズでホテルやってるのよ。最近はインド人やネパール人が泊まるんだけど、汚くするのよ。本当はトレッキングに来る日本人とか先進国の人のために作ったんだけどね。私は他の仕事もあって忙しいの。本当はこんなところでのんびりしてられないのよ」
じゃあ、帰ればいいのに。

朝8時少し前に鉄が届く。8時頃テクダルとエンジニアのお兄さんがやって来た。今日から柱づくりに取り掛かるので、その作業についての打ち合わせだった。エンジニアのお兄さんはノートに図を描いて指示を出していた。クリシュナとテクダルは他にも必要な鉄をオーダーしに行った。鉄はのこぎりで切り、丸まっているものを手でまっすぐにする。機械はなくすべて人の手でやる。クリシュナは10時半にナガルパリカに申請した家建築の許可をもらいに行くので、9時半にホテルを出た。

12時に電気の技師が来ることになっていたが、15分待っても来ないので、訪ねていこうとしたら、道で会った。私の部屋に導線やメーターなどが置いてあったので、それを持って行く。私が部屋にお金やカメラなどを置き忘れたので取りに帰ると、その間にすでにメーターなどの包みを開けていた。「ねじが足らない」とのことだった。確かにメーターにつけるねじがない。必要な物をノートに書いてもらい、店に買いに行く。ねじ計19個で高くても40ルピーとのことだったが、「ハードウェアル ストアル(建築材を売る店)」で10ルピーで買えた。でもよくわからないが、このサイズが間違っていたらしくて、結局技師が自分の家にあるのを使っていた。私が戻って来ると、技師は隣りの欧米人の借り部屋の屋根に上って作業をしていた。こちらの作業はもう終わったとのことだった。
それから物置小屋内でメーターや電器をつけた。技師は相変わらず口数が多くて、ジヤミ(建築の作業をする人)にもいろいろ話しかけている。この仕事を22年やっていて、クゥエート、イラク、インドでも仕事をしたことがあるそうだ。クリシュナたちが買ってきた電球のソケットが壊れていて使えないとかで、また自分の家に取りに行っていた。でも作業は上手だった。余った導線もきれいにメーターの中に収まっていた。やっぱり腕は良いのかもしれない。
ジヤミたちはなぜか1時半頃帰ってしまった。また戻ってくるのかと思ったが、来なかった。どういうことだろう?

クリシュナ、ババ(父)、ダムサイドのおじさんたちは2時頃帰ってきた。役人も一緒に来て、土地を見て、書類を置いていった。隣近所の人から署名をもらい、壁に家を建築中であることを知らせる紙を貼った。 
2008/9/24 (Wed)
家建築8日目 物置小屋を作る

今日テクダルがちゃんと来なかったらどうしようか、と思ったが、テクダルも作業をする人(ジヤミ)たちもちゃんと8時前に来ていた。
 テクダルに今日からどんな仕事をするのか、だいたいのスケジュールを知りたい、ということと、作業が朝からできるように準備する材料があれば前日に教えてくれ、と言った。今日は柱を立てるための鉄が必要だと言う。クリシュナがダムサイドに住むおじさんに電話をし、買いに行くことになった。
 
借りている部屋に行って朝ごはんを作った。インゲン(250グラム 10ルピー)とほうれんそう(一束 10ルピー)を買い、空いたペットボトルにムルコパニ(湧き水)を汲んでいった。借りた部屋はなかなか良い部屋なのだが、水道がない。「水だけが問題」と他の住人たちも言っていた。4本のペットボトルとバケツの水はすぐになくなってしまった。食事を1回作るだけでも水ってけっこう使うものなのだ。塩なしでマサラだけで作ったタルカリ(野菜の炒め物)はドライカレーのようでおいしかった。野菜がたっぷり食べられた。クリシュナはおじさんのところに行き、私はトイレのそうじをした。トイレはオエッとなりそうなほど汚かったのを、洗浄液をつけ、何度もブラシでこすった。だいぶきれいになった。食器を洗った水でトイレの水を流した。
 
お昼頃ホテルに戻ってきた。クリシュナが鉄の値段をいろいろな店で調べてきたが、だいたいどこも同じだったので近所の店で計11万2,260ルピー(約17万3,000円)で買った。鉄は材料のなかで一番高い物で、まだこれで全部ではない。
 物置小屋はブロックを積み上げて上に鉄板を乗せただけの簡単なつくりだった。ブロックが100個足らないとかで追加でオーダーし、計500個を使った。物置は買った材料を置いておくのと他に、見張りをしてくれる人「チョウキダル(1か月の費用1,500ルピー)」が寝泊りする場所でもあった。明日からチョウキダルが来るので、電気を引いてこないといけない。電気は近所の家に頼んで線をつないでもらう(専門的にどういう作業なのか、私にはよくわからない)。向かいのホテルから電気を引くには道をはさみ電信柱が必要なので、右隣りの家に頼んでみようということになった。訪ねてみると欧米人の若い女性が借りて住んでいた。「オーナーはそっちに住んでるアマ(お母さん)だよ」と教えてくれた。私たちの話し声が聞こえたのか、アマが表に出てきた。「アマがここのオーナーですか?」とクリシュナが聞くと、「はい、そおだよ。どうしたの?」と、ネパール人のアマらしく、大きな声、はっきりとした口調で言った。アマは「うちはいいけど、ビデシ(外国人。部屋を借りている欧米人のこと)はインターネット、Eメールって毎日電気を使うから、邪魔になると困るかも」と言った。欧米人の女性にクリシュナが英語で説明し、夜、電球を1つ2つ使うだけだということを話すと、「アア、ノープロブレム(全然問題ないわ)」と、快く承諾してくれた。

この電気工事を誰に頼もうか、ということになった。この間、借りた部屋にメーターを付けてもらった技師は料金が300ルピーでいつでも呼べば来る、と言っていたが、腕はイマイチのように思えた。すぐ近所に住む技師は料金は800ルピーで、かなり高かったが腕は良いとのことだった。技師の家に直接頼みに行った。本当に立派な技師なんだろうか? と思ってしまうような小さな家に住んでいた。ベッド1つ置けば終わりみたいな家で、それが3軒くらいつながった長屋のようなうちだった。技師はとにかくよく喋る男性で、自分がいかにすごいか、どれくれい仕事の実績があるか、をずーっとひとりで喋っていた。明日はクリシュナがナガルパリカ(役所)に行ってしまうので、私がこの電気の人に応対することになった。
2008/9/23 (Tue)
家建築7日目 物置小屋の扉が届くほか進展なし

 朝8時に起きる。
 働く人々が来ない。テクダルも来ない。穴を掘る仕事はちゃんと完結したのだろうか。クリシュナが電話をするがテクダルが電話に出たためしがなく、向こうからかかってきたこともない。本当は一昨日くらいから物置小屋を作ると言っていたのに、まだ物が届かないからと言って何も進んでいない。ダムサイドのおじさんに電話すると「テッカ(時間ではなく、決めた仕事の範囲で給料を払うこと)で仕事を頼むと、休みの日ができることもある」と言う。でもテクダルからは今日が休みとは聞いていないし、こういうブランクができないようにするのがテクダルの仕事ではないのか。休みができれば、それだけ仕事が遅くなる。テクダルがようやく電話に出て、「物置の扉と材料が来たら、物置を作り始める」とのことだった。隣りの建築中の家では今日もテクダルたちが来て働いている。「どうして今日は仕事をしていないの?」と周りの人にも聞かれる。約45ラックの建設費用のうち、5,6ラックはテクダルに払うことになっている。日本円にして100万円近いお金で、日本人だってそう簡単には稼げない額だ。クリシュナは「ここはネパールだからね」とのんびり言うが、今日仕事をしない、というのは、いくらネパールとは言えやっぱりおかしくないか? 危機感のないクリシュナに対して、ちょっとブチ切れてしまった。
 メジャーを買いに行き、ちゃんと穴が5フィートになっているか、自分たちで確認することにした。メジャーは近くの建築材を売る店で40ルピーで買えた。この店は初めから値段をふっかけてこなかったので、また利用することにしよう。全部で12個の穴を全部計ってみた。多少の誤差はあるものの、だいたい穴はできていた。
 
借りた部屋のトイレが汚いので、便器のふたと便座をつけかえることにした。朝メジャーを買った店で買う。けっこう高い物かなと、思ったが、450ルピーで思ったより安かった。
戻ってくると、ゲストハウスに物置の扉が届いていたので、テクダルに電話する。クリシュナにちょっときつく言ってもらうことにした。「扉が届いたので明日朝から物置小屋を作ってください。あなたも明日の朝は来てください。何時に来ますか? 1日1回、今日は何の仕事をするのか、ちゃんと電話をしてください。妻は外国人なので、細かいことにも厳しいです。私たちは急いでいるのだから、今日みたいに仕事が止まってしまって遅くなるのは困ります」。一応「わかりました、明日からそうします」との返事だった。
 
2008/9/22日(Mon)
家建築6日目 穴を掘る

家建築では穴掘りが続いている。
12時頃マヘンドラプルに行く。NTCにCDMAが着いたか聞くが、ないといわれた。バスに乗っているときに電話サービス会社「World Link」を見つけたので、訪ねてみる。カウンターの女性は丁寧に必要なことを教えてくれたが、接続工事費などが12,000ルピー(約18,460円)、3か月使用量が6,000ルピー(約9,230円)と日本よりも高いくらいだった。ただここはすぐに設置できるとのことだった。高いが便利だからポカラのインターネット屋はここを使っているみたいだ。持ち金が足らなかったし、店でネットをやるほうが安そうなのでちょっと考えることにした。ついでに電話サービス会社の「UTL」にも行ってみるが、ここはインターネットのサービスはしていないとのことだった。
 来た道を戻り、借りた部屋で使うゴミ箱やカーペットなどを買う。ビニル張りの敷物もネパールではカーペットというらしく、一番安い物で125ルピーくらいだった。私たちは何軒かまわって130ルピー×3.5メートル買った。
2008/9/21 (Sun)
家建築5日目 穴が11個になった。電話会社へ

朝8時前に起きて洗濯をする。久しぶりに朝からカラッとした良い天気だった。洗濯はホテルのシャワールームで固形石鹸を使って手で洗い、ホテルの屋上に干す。

ネパールでは電話の事情が悪くて、家庭の固定電話を接続しようと思ったら接続までに2,3年を要する。だからそういう工事の手間が不要な携帯やCDMAなどの方が人気があるし普及している。
私は今毎日レイクサイドのインターネットのお店にパソコンを持ち込んでネットやメールをしているが、家で使いたいときに使えないのは不便だし、お店での使用料(15分20ルピー、1時間80ルピーなど)も毎日のこととなればそう安くない。電話はいずれにしても必要なので、CDMAの契約をしようということになった。
どうやって契約できるのか、周囲の人に聞くと、みないろいろなことを言うが、直接教えられた電話会社に聞いてみると「うちはインターネットやメールのサービスはやっていない」と言われたりする。でも「インターネットやメールはやろうと思えば簡単だよ。家作ってると向こうから聞いてくるから」とも聞いていたので、そう難しいことでもないのかと思っていた。
朝10時にNTC(Nepal Tel Communication)に電話をするが一向につながらない。他の用事もあるからマヘンドラプルにあるNTCの会社に直接行ってみることにした。
 バスに乗るとプリティビチョークという街で穏健派の共産主義(エマレ)のデモが行われていて、4,5台のバスに屋根まで人が乗っていた。若い人たちが赤いハチマキをして気勢を上げていた。このため道が渋滞していた。だいぶ時間がかかってマヘンドラプルに着いた。
NTCでは人が大勢待っていた。入り口のガードマンに聞くと「CDMAはない」という。よくわからないので、直接カウンターに行って聞いてみる。「昨日まであったが今日はない」とのことだった。釈然としないので、他にも聞こうとすると「中で聞いて」と言われた。CDMA担当の役職者の個室に通されると、他にも同じことを聞きに来ている人が何人かいた。
「たくさん人が買いに来て売り切れてしまった」
「次はいつ売るの?」
「わからない」
CDMA開通には費用は1万ルピーくらいが必要で、やはりこの会社に来て申し込むしかないそうだ。あとは固定電話でダイヤルアップ接続に申し込んで開通まで2,3年待つか、「ブラックマーケット」といって、正式な国が売るものじゃない電話を買う方法があるのだそうだ。値段は3,4万ルピーして高いが、早く使うことができる。詳しいことは、まだよくわからない。
私たちが日本とこちらで商売をするためには電話は必要不可欠だ。どうしたものだろう。。。まあ、半年いる間には何とかなるかもしれないが。
 
5時頃私たちの土地まで戻って来てみると、穴が11個になっていた。ちょうど3人の字ヤミが仕事を終えて帰るところだった。
2008/9/20 (Sat)
家建築4日目 雨のため進展なし

朝からすごい雷雨だった。この雨のせいなのか、土曜日で休日だからなのか、よくわからないが、テクダルたちは来ない。うちの隣りの建築中の家のテクダルも来ていなかったから、今日は仕事はないらしい。確かにすごい雨で、掘った穴にずいぶん水がたまってしまった。とりあえず「D.Bモモ」にダルバートを食べに行く。

ホテル住まいは何かと不経済なので、部屋を借りることにした。6畳1間でトイレとシャワーは部屋についている。家賃は1か月1,500ルピーで光熱費は別。以前、クリシュナが長く部屋を借りていたところの近くなので、近所は顔見知りばかりだ。かなりいろいろなところを探したが、今ポカラは空いている貸し部屋が少ない。何軒かあったのは2,500〜3,000ルピーくらいで、ここが一番安いし、部屋もそこそこきれいだった。
今日は家建築の仕事がないので、こちらの部屋に住む準備をすることにした。ガスや電気のメーターは自分たちで準備しなければならない。ガスは、ガスレンジをプリティビチョークという近くの街まで出掛けて行って買い、プロパンガスをレイクサイドで買った。
いろんな人から話を聞いたところ、ガスレンジはだいたい2200~2700ルピーくらい、日本製のもあって4500ルピーくらい、でも安いインド製のでもそんなに問題ないよ、とのことだった。3軒の店を回った。1軒目は商売熱心な女性が、2600ルピーくらいで日本製だと言って勧めたのがあったが、どうみても日本製ではなかったのでやめた。次の店は結構大きくてきれいな金物屋だったが、大して安くなくほかの接客に忙しそうだったので、また違う店に行ってみることにした。3軒目のその店では「1500ルピーでオートマティック(ライターを使わずカチンとコックをひねれば火がつくもののこと。日本で日常使っているタイプのガスレンジ)のいいのがある」、という。品物を見せてもらうと確かにきれいで、コックも滑らかにひねることができる。マレーシア製で「Pensonic」という商品名だった。ちょっと安すぎるのが心配な気もしたが、そんなに悪くも見えなかったので買うことにした。掃除機も買おと思ったが、私が日本で使っていたサムソン製のまったく同じ物が2000何ルピーとかで、私が日本で買ったより倍くらいしたのでやめた。ちなみに薄型のテレビは1万数千ルピーで、思ったより安かった。
プロパンガス(3,900ルピー)は部屋までクリシュナたちが自転車を借りて運び、こういうことに慣れているバンジャ(甥っ子)に頼んで設置して開栓できるようにしてもらった。

電気は技師に頼んで、メーターをつけてもらった。なかなか空いている技師が見つからず、「すぐやってくれる」と言った技師は料金が1,000ルピーと高かった(ネパールでは月給3,000ルピー(約4,600円)位で一般的)。結局これもバンジャに知り合いの技師を紹介してもらい、やってもらった。メーターは中国製で300ルピーのものを買っていたが、技師によれば「中国製のものは長く使えないのでインド製の方が良かった」とのことだった。技師の男性は「知り合いだからお金はいらない」と言ったが、なんとか300ルピーを受け取ってもらった。
ネパールは電化製品が高い。日本より高い。その代わり人件費や食費は日本の50分の1位? だろうか。
2008/9/19 (Fri)
家建築3日目 穴を掘る

8時ごろ1人のジヤミ(肉体労働する人)がやってきて、8時半頃までに計4人が来た。テクダル(大工の棟梁、建設会社の人)は9時頃来て、15分ほど仕事の進捗状況を確認して帰って行った。昨日5フィート掘り終わったものが2穴できた、と思ったのだが、まだ5フィート(1フィートは30.48センチ)にはなっていないとのことだった。
ジヤミの若者たちはさすがにテクダルが見ている間はもくもくと穴を掘っていた。帰ってしまうと、ちょっと手を休めて、「水が欲しいからペットボトルの空いたのをくれないか?」と言われた。部屋に3個あったので持ってくると、1人が建築中の隣家で働くジヤミにも声を掛けて彼らのボトルも一緒に持って、水を汲みに行った(いたるところに「湧き水(ムルコ・パニ)」がある。ミネラルウォーターより美味しい)。ネパールの人は、こういう人への親切をあたりまえにやっているから、いつも感心する。

昨日400個買ったブロックの残りの100個が運ばれてきた。20歳過ぎくらいと、もう少し年上の男性2人で来るのだが、職場の上下関係なのか、ブロックの積み下ろしをするのはもっぱら年上の男性の方で、若い男の子の方は車の座席に座って見ている。彼が私に「ネパール語が話せますか?」と話しかけてきた。「ちょっとは話せる」と言うと、人なつっこく「いつここに来たの?」「日本のどこに住んでるの?」とか聞かれた。「一番最初に来たのは9年前です」と私が言うと、「9年前っていうと、それからネパールもいろいろ変わったよ」と彼は言った。私が「9年前のネパールは平和だったけど、その後マオイスト問題があって危険なこともあったでしょう」と言うと、ちょっとうんざりした表情をして「まあ、今はまた良くなったけどね」と言った。「ネパールは良いところだけど、ビジネスがないことだけが“ドッカ(苦労、大変)”だよ」、そんなことも言っていた。

今日は穴が3つ増えて7個になった。朝のテクダルの話によれば、5フィートの穴を8個くらい掘り終わるのに1週間くらいかかるのだそうだ。「え、そんなにかかるの!?」と、正直思ったけど、すべて人の手でやっているから、そういうものなんだろう、たぶん。
クリシュナは水と電気をどう引いてくるかで、あちこちを奔走している。うちの前のホテル(私たちは今ここに滞在している)と共同で、湖から水を引いてくるか、という話もあるのだが、衛生面を考えて湖の水ではなく水道にしたい、とクリシュナは考えている。電気は業者を探す。ポカラは“比較的”街なので、電気が引かれている場所が多い。すでに電気が引かれている場所だと、そこから家に引っ張ってくるだけでいいのだが、近くに電気を引いた場所がない場合、役所に申請してそこから始めなければならない。そうなると大変らしいのだ。

すべて一から、すべて人の手で、ネパールの家づくりはそれが基本! と実感する。
2008/9/18
家建築2日目 プジャと穴を開ける

朝6時にクリシュナのババ(父)が来て、建築にあたって「プジャ(この場合おはらい)」をした。深さ50cmくらい、円周もそれくらいの穴に、石、米、色粉、お線香、油、花、水、リンゴ、バナナ、お金を入れて土をかぶせた。
クリシュナは以前、ネパールでは家を作るのに「おはらいはしない。そんなことは信じない」みたいなことを言っていた。私が「日本ではおはらいをするから、なんかおはらいっぽいことをした方がいい」と言っても、「そんなことやるなんて日本ておもしろいね」とばかにしたように言っていた。ネパールはヒンドゥー教の国なのだが、クリシュナはあまり熱心ではないのだ。結局ババがおはらいをしてくれて、私としてはなんとなくホッとした。
おはらいは関係者が集まってやるものかと勝手に思っていたが、ババとクリシュナ、私の3人のみで(クリシュナのお母さんは亡くなっており、お姉さんが2人いるが近くに住んでいない)、雨がシトシト降るなか質素に終わった。

テクダル(大工、建設会社の人)は8時頃やって来た。何時に来るのか知らなかったから、クリシュナはちょっと近所まで出掛けてしまっていた。職人たち(ジヤミ)は指揮者がいないために手持ちぶさたな感じで腰を下ろして待っていた。
結局仕事は8時50分頃始まった。昨日使ったヒモをまた同じように間取りに合わせて張り、柱を立てる周りに石灰で1メートル30センチ四方くらいの線を描いた。これにもとづいて、四角く穴を掘っていく。5フィートの深さの穴を全部で8個作るらしい。午前中は3人くらいのジヤミが来て、シャベルとつるはしで穴を掘った。ジリジリするくらい暑い日で大変そうだ。人に肉体労働をしてもらって、そばで日傘をさして見ているというのは、なんとなく落ち着かないものだ。
知り合いのグルン民族の人の食堂でダルバートを食べて、11時頃戻って来るとけっこう大きな穴が開いていた。思ったより仕事が早いかも、と感心していたら、午後はジヤミのメンバーが変わって2人のみになり、結局5フィート掘り終わったのは2穴だけだった。
ネパールでは最近、労働時間は基本的に1日8時間となったそうで、私たちのテクダルも朝8時から夕方5時までと勤務時間が決まっていた。ただ、テクダルの下で働くジヤミは昨日と今日ではメンバーが微妙に違い、また途中で帰ってしまう人もいる。人数が多いほど仕事が早く進むはずなので、たった2人しかジヤミがいなくていいのか? とダムサイドのおじさんに聞くと、「今日はまだ最初の日だから、明日まで様子を見なさい」と言われた。
2008/9/17 (Wed)
家建築スタート!

朝7時の待ち合わせで、家の建築がスタートした。天気は快晴で、ヒマラヤがとてもきれいに見える。
 クリシュナのババ(父)とダムサイドに暮らすおじさん、そしてエンジニアのお兄さんがやって来た。テクダル(大工、建設会社の人)はバイクに乗って7時半くらいになってやってきた。時間に遅れたことをエンジニアのお兄さんが注意した。テクダルは他に5人くらいの職人を連れてきていた。みな若い男性で、自転車で来た。
 まず50センチくらいの長さの木の棒を四方に立てた。間取り図を見ながら、その長さに合わせてメジャーで測りヒモを張る。次に1部屋ごとに棒を立てて、ヒモを張った。エンジニアのお兄さんがそれが間取り図通りか確認し、クリシュナたちやババたちもこれで問題がないか確認した。OKということになり、棒を残してヒモは外された。
 次に明日建築にあたって「プジャ(お祈り)」をすることになり、それをやる位置を決め、そこにスコップで穴を掘った。
 テクダルと契約の内容を書いた紙で、お金の支払い方などを確認した。
ここまでの作業で約1時間、今日はここまで、ということになった。もう終わりなんだ、と思っていたら、ババが私に「(今日は)ビギニング」と言った。本格的に始まるのは明日からだよ、ということだろう。

 隣りの土地でも家を建てている。この隣人という人がちょっと懸念の種になっている。このうちの人は2か月くらい前から家を建て始めたらしいのだが、建物の右側がちょっとうちの土地に入っているように見えるのだ。近所の人によれば、この隣りのうちの人は低いカーストなのだそうで、みな「取られた分はお金で返してもらった方がいいよ」とクリシュナに盛んに言う。それでクリシュナがちらっとそんなことを土地の持ち主に言ったところ、「そういうことは専門家にちゃんと見てもらってから言ってください」と言われたという。実際会った感じは悪い人ではない。
そのすぐ後、クリシュナを誰かが訪ねてきた。土地の斜め向かいに住む人で、以前からの顔見知りだ。この男性が実はうちの隣人と親類なのか、同じカーストである。言うまでもなく、カーストと人の善悪は関係なく、クリシュナの友人のなかにもいろいろなカースト、民族がいる。ただ、この男性。なんかの宗教にハマッているらしく、以前話したときは体調が悪かったらしく「悪い神が体に入ってきて病気になった」とか言っていた。そんなことから近所の人もちょっと怪しく思っているようなのだ。この男性はクリシュナに「(うちの土地に)入っているどころか、1センチ余っている」みたいなことを言って、クリシュナを怒らせていた。
隣人は建築のための石をうちの土地に置いていた。「明日からうちも造り始めるので、どけてください」とクリシュナが前日に何度か言ったのに、まだ置いてあった。仕方なく今朝になってまた言うと「どかすように(職人に)頼んでおいたのにな」とか言いながら、結局自分で石を運んでいた。
クリシュナの家の人たちは、うちの土地に入っていることについては大げさに取り立てなかった。エンジニアのお兄さんは「2センチくらい入ってるけどね」と言っていたが、メジャーを持ち出して「うちの土地の範囲だ」と繰り返す隣人に対し、「それはいいから、今はあなたの石を片付ける仕事をしてください」と言った。

とにかく始まった。いろんなことが起こりそうだし、「ネパールタイム」で、できあがるのはまだ時間がかかりそうだけど、間取り図を見ると楽しくなってくる。
2008/9/16 (Tue)
ネパールに家を建てるゾ! 日記 1

9月3日にポカラに着き、早々に家&小さなホテル建設に着手した。が、元来心配性のクリシュナのババ(お父さん)が「ポカラは土地が緩いから、建てて危険はないか、よく考えてみなさい」と言い、また世界的な物価高でネパールもすごく物の値段が上っている。「今の土地を売って、すでにできているホテルを買ったほうが安くてんじゃないか」みたいな話もでてきた。その後、ババたちはライプルという村にサラダ(法事)で4、5日出掛けてしまった。
 こっちに来てしまってから、そんなこと言われても・・・と思ったが、一応クリシュナと売りに出している物件などを探してみた。でも、土地自体の値段がすごく上っていて(うちの土地も3年前に買ったときの倍になっていた)、私たちの手が出せるような金額ではなかった。安いところとなると、うちの土地よりもっと奥まったところになってしまう。また、すでにできている建物は現在の基準の耐震構造を守っているか、どうかもわからない。結論として、やおっぱり今の土地で、しっかりしたものを自分たちで造るのがベスト、ということになった。

 クリシュナの親戚のエンジニア(建築士)に連絡をとって、間取り図を描いてもらい、それをもとに3人で相談した。この親戚のお兄さん(ネパールでは年上の人のことを「ダイ(お兄さん)」と呼ぶ。女性は「ディディ(お姉さん)」)はとても優秀な人らしく、ナガルパリカ(建築関連の役所。家などを建てる場合、ここに申請して許可をもらうことが必要)に勤めながら、フリーランスで建築士の仕事をしていた。
 地盤の問題なども話し、不安がないよう、しっかり造ってもらうことにし、建築予算ももともと聞いていた45〜50ラック(1ラックは10万ルピー。10円が2008年9月現在6.5ルピー)でやってもらうことになった。

 ババたちが村から帰ってくると、ダムサイドのおじさん(クリシュナのお父さんの弟)のうちに集まって相談した。ババは、危険はないか、よく確認したうえで、私たち2人でよく考えて決めたなら、それでいい、と言った。
 翌日、クリシュナとババでナガルパリカに、ラルプルジャ(土地の証明書)とナガリクタ(身分証明書)とナクサ(間取り図)を持って申請をしに出掛けて行った。役所はすごく混んでいたらしい。ナガルパリカに勤める親戚がいるというのはとてもラッキーなことだった。ネパールの役所は、どこでもそうなのだが、何か申請して受理されるのに、あっちにまわされ、こっちにまわされ、大変な手間がかかるのだ。
 2日後にテクダル(大工の棟梁、もしくは建設会社の人)をエンジニアのお兄さんが連れてきて、ダムサイドのおじさんの家でみなで相談した。テクダルとは何人か会って、費用などを聞いたうえで選ぶらしい。今回会ったテクダルによれば、テクダル側の人件費で5〜6ラック(人件費より物の値段の方が圧倒的に高い)かかり、日数的に11か月かかる、ということだった。
 11か月! 私たちはせいぜいネパールに居られて半年くらいだろう。物価上昇で滞在費が思ったよりかかるので、収入がないまま、そう長くも居られない。それでもエンジニアのお兄さんが「半年あればそこそこできるから、最後まで居なくても大丈夫」、後はババたちと見てくれる、と言ってくれた。
 あぁ、お金がかかるなぁ・・・。ネパールの人たちは、どうやってあんなに大きい立派なホテルを建てているのかなぁ?
 日本人的には早くもお金と時間への焦りが出てきた。
2008/9/13 (Sat)
ネパール ポカラ着

9月1日に日本を発って、北京、デリー経由でネパールにやって来た。フライトキャンセルなどがあって、ちょっと心配したが、中華国際航空は快適だった。時間通りに飛ぶし、サービスも悪くなかった。北京からデリーに来る便にビールがなかったのが残念だったけど。北京の空港はとてもきれいだった。でもほんの10日前までオリンピックをやっていたとは思えない静けさで人も少なかった。
デリーの空港もけっこうきれいだし、長いこと待ったけど危ないとか人が嫌な感じとかもなかった。中国でもインドでも人が親切だった。嫌な印象はまったくなかった。
デリーでネパールに入る航空チケットを買うことにした。デリーからバナラシ経由でポカラに入ろうかと考えていたが、今回は本を30冊持ってくるなどしたため、荷物があまりに重いので、やめて飛行機でカトマンズにはいることにした。空港内に航空会社のオフィスがあってそこで直接聞いてみることにした。デリーの空港に着いたのが夜中の1時で、空港内を行ったり来たりした。
エアインディアで聞いたら片道で100ドルくらい、ただ朝9時にならないと売れないとのことだった。ネパール航空は人が不在だった。この夜はデリーにとまるかどうするか、すごく迷った。朝8時くらいになってクリシュナはネパール航空の部屋に行くとチケットがあり10時くらいにでるという話だった。エアインディアより100ドルくらい高くて、ボラれた気がしないでもなかったけど。しかも「窓際でヒマラヤが見える席だよ」と言ったくせにヒマラヤは逆側だった。
でも9月2日の昼くらいにはカトマンズに着いた。空港周辺をサリーを着た女性たちがたくさん歩いていた。タクシー(350ルピー)のドライバーによると「今日がティージ」だと言う。4日じゃなかったのか。パシュパティナートが一番人がでて盛り上がっているらしいが、荷物を持ったまま、出掛けることもできず、空港で勧められた300ルピーのタメルのホテルにそのまま行った。でもこのホテルは安かったが、設備はよかった。街をぶらぶらして、ティージが見られるところに行った。ハヌマン・ドカにたくさん人が集まっていた。すごい人数の女性たちが集まって、いくつもの輪を作って踊っていた。段々になったお寺の高いところにみな座っていた。あれだけの数のサリーを着飾った女性たちを見るのは迫力がある。踊りを踊る人はわりと限られているみたいで、周りで手拍子したり、歌ったり、眺めているだけの人もけっこういたが、みなとても楽しそうだった。踊っているのは若いが人もいればアマと呼ばれる年配の女性もいた。みな開放感にあふれて、楽しんでいるのが伝わってきた。
夜7時くらいから9時くらいまでは停電だった。マオイストの方針で、「村の人は電気がなくて困っている。街の人もそれを知るべきだ」ということでこうなっているらしい。省エネということを考えれば、これも悪くないのかも、と思ったりするが、観光客的には不便だ。
食事に出るとビールの値段があの安いスーパーマーケットで115ルピー、店では160ルピーくらいになっていた。翌日のポカラ行きのバスチケットを予約しに行くと、450ルピーと言う。結局400ルピーにしてもらったけど、物の値段が本当にあがっている。さすがのクリシュナも「あんまり安くしてもらうのは悪いかな」と言っていた。
2008/9/1
テレビ出演

8月27日にBS11のテレビ「インサイドアウト」に出演した。亜細亜大学客員教授の小西克哉氏と毎日新聞論説委員の金子秀敏氏との鼎談スタイルでネパールの王政問題について語るというもので、金子氏が以前連合出版から本を出版したことがある、という縁で私のところに番組プロデューサーの方から連絡をもらったのだ。本が出てまもなく6月の初めには連絡をもらっていたのだけど、サミットやオリンピックなどいろいろな国際問題が重なってのびのびになっていた。もうあの話はなくなったのかな、というころになって連絡が来て、いつもは生放送なんだけど、私がネパールに行く前にということで録画で出演ということになったのだった。
 ネパールの政治問題・・・私なんかが語っていいのか? と思ったけれど、連合出版の八尾さんから来た話だし、ネパールのため、本の宣伝のためなら頑張ろう、と思ってでることにした。
 テレビ番組雑誌の仕事で2年間くらいタレントのインタビューをしていたから、テレビ局という場所は知らないでもない。でも自分が聞かれる側というのは生まれて初めて。ちょっと自信がなかった。収録2日前になり、突然プロデューサーの方からメールが来て「ネパールの政治の話だけではなく、後半はネパールの文化なども紹介したいので、写真や良いお土産などがあったら持ってきて」と言われた。そんな突然・・・その前の週末に引越しをしてほとんどの荷物は実家に送ってしまった。もっと早く言ってくれれば・・。土産はなかったので、なんとか良さそうな写真のデータを用意しておいた。
 当日はいつも通りに会社で仕事を20時までした。21時に竹橋駅の毎日新聞社入り口で待ち合わせだった。一応数日かけて「マオイスト」問題について勉強はした。なんか朝からソワソワして、早く無事終わってくれないかな、と思った。
 時間通りにプロデューサーの方が迎えにきてくださり、スタジオへ。BS11は昨年末に開局したばかりとのことだった。行くとさっそく写真の画像の確認作業が始めり、それが終わると金子氏、小西氏と打ち合わせに入った。このお2人がレギュラーで毎週やっている番組で、顔を合わせるなり国時事問題について喋り始めていた。学者の先生たちの熱さは違う。私など一緒にまともに話せるとは思わなかった。
 が、一応番組が始まるとそれなりに私も頑張って喋った。つっこまれて、ちょっと話が支離滅裂で、間違ったネパール情報を伝えてしまったかもしれないが・・・。もっとうまく喋れなかったか、あれも言えば良かったか、誰かの情報をパクってしまったか、などなど反省ばかりだけど。
 とにかく良い経験になりました! 初めてのテレビ出演、良いお話をくださってありがたかった。少しでもこれをきっかけにネパールに興味を持ってくれる人が増えたら、それだけでいい。
2008/8/23 (Sat)
マオイスト その2

マオイストを立ち上げたトップ2人、プラチャンダ(本名はプシュパ・カマル・ダハール)とバブラム・バッタライ。カリスマ性のあるプラチャンダと高学歴のバブラム・バッタライは、汚職に明け暮れる旧態依然とした政治家に比べれば「切れ者」に見える。
ところが、2002年くらいになると、マオイストは通信施設を爆破したり、何の関係もない一般の村人にまで被害を与えるようになった。それまでは警察署や政府の役所などを襲撃してきたのが、学校なども破壊しはじめ、子どもたちが教育から遠ざかることになってしまった。
マオイストの武力活動がエスカレートし、国際的に報道されるようになると、米国はマオイストを「テロリスト」と指定した。
「ネパールはマオイストが危険」というイメージが広がり、海外からの観光客も激減。ネパールの人々の暮らしに深刻なダメージを与えることになった。
2002年ギャネンドラ国王がマオイスト問題を収拾できずにいる主将を罷免し、政治に介入するようになり、マオイストとの戦いに国軍も投入。2005年にはギャネンドラが自ら政治を始める。実は国王が内閣を罷免し実権を握ったとき、汚職摘発委員会などが設置され、国民は期待していた。
ところが、王による政治はマオイストの活動をさらに過激化させることになった。バスに乗れば途中で何度か国軍によるチェックがありバスを降りなければならないし、夕方以降は外出禁止令で外に出られない。ゼネストが始まると交通手段も止まるため移動もできない、お父さんの家の周りで爆弾の音を聞いたこともあった。おびただしいほどの銃をかまえる兵士。王政が倒れる2006年頃には国民はマオイストの危険な活動にはうんざりしていた。
マオイストはネパールの国土の多くを手中におさめた、というようなことを言っていたが本当だろうか? 周囲のネパールの人はマオイストによる武力行動を忌まわしく思っていた。

私はネパールという国を支えているのは、王や政治家じゃない、冷静で賢明で、日々こつこつと働く国民だと思っている。国民がマオイストを選んだのは、決して武力を肯定したわけじゃない。これまでの腐敗した政治より、斬新な発想を持った彼らに、国を大きく変えてもらうことを期待したのだろう。
水道、電気といったインフラを整え、雇用を創出する−−。ネパールの人はそれを願っている。